小林大祐(2010年卒/プロ・横浜エクセレンス)

インタビュー実施日:2024年11月27日(水) 

※勤務先、所属、役職等はいずれもインタビュー当時のものとなっております。 

〈自己紹介とプロキャリアの概要〉 

中村:それではインタビューを始めさせていただきます。よろしくお願いします。まず、自己紹介を含め、現在のチームやプロ選手としてのキャリアについて教えていただけますか? 

小林:はい、小林大祐と申します。2010年に慶應義塾大学総合政策学部を卒業しました。浪人はしていません。 

卒業後は、普通に一般企業に就職しようと考えて、周囲の友人たちと一緒に就職活動をしていました。ただ、あるきっかけでバスケットボールの道を選ぶことになりました。詳しい話は後ほどお話しますが、当時の日立(現在のサンロッカーズ渋谷)に社員選手として入社しました。 

そこでは、いわゆる「社員兼プロ選手」として4年間プレーしました。当時の日立は実業団のチームで、社員として働きながらトップリーグの選手として活動する形でした。午前9時から午後3時頃まで仕事をして、その後練習に向かうという生活でしたね。このような環境で4年間過ごし、その後プロ契約に切り替えました。 

プロ転向後は、まずサンロッカーズ渋谷で4年間プレーしました。その後、栃木ブレックスに移籍して2年間プレーし、その時にちょうどBリーグがスタートしました。それをきっかけに、地元の福岡にあるライジングゼファー福岡(当時はB3)に移籍して3年間プレーしました。その後、茨城ロボッツで2年、アルティーリ千葉で3年間プレーし、現在は横浜エクセレンスに所属しています。今回はアルティーリ千葉からのレンタル移籍という形になります。 

これまで様々なチームを渡り歩いてきたこともあり、我ながらジャーニーマンだと思います。振り返ると、今シーズンで15シーズン目ですね。多くの経験を積ませていただきました。 

中村:ありがとうございます。本当に多くのチームで経験を積まれているんですね。 

3×3アジアカップ2019参戦時の風景 

〈慶應義塾大学への進学理由〉 

中村:次に、慶應義塾大学に進学を決めた理由について教えてください。 

小林:慶應を目指した理由は、簡単に言うと、親の影響が大きかったですね。僕の親世代は「男なら慶應か早稲田に行け」という価値観が強くて、小さい頃からその言葉を聞いて育ちました。福岡の田舎町で育ちましたが、近所の友達やその兄が早稲田に通っていたこともあり、慶應や早稲田は「良い学校だ」というイメージがありました。 

中学校の卒業文集には「慶應か早稲田を卒業してプロ選手になる」と書いたほどですが、当時は現実感がありませんでした。でも、高校1年の終わり頃、当時の監督である佐々木先生が「慶應にはAO入試という選択肢がある」と教えてくれたんです。それがきっかけで、「自分でも挑戦できるかもしれない」と意識し始めました。 

AO入試は、面接で喋る力や目標が慶應の理念に合っているか、そして成績が評価されることが求められる入試です。当時、僕は成績がほぼオール5に近い状態で、評定も良かったので、挑戦する価値があると思いました。一度目の挑戦では小論文で落ちましたが、二度目で合格しました。 

他にも、当時全国で1位であった大学からスポーツ特待生としての誘いがありました。特待生としてなら楽に進学できたのですが、僕はどうしても慶應に行きたいという気持ちが強かったので、AO入試に集中しました。もしAOで落ちたら一般入試で挑戦するつもりでした。 

リンク栃木ブレックス時代の風景 

〈体育会バスケットボール部への入部経緯〉 

中村:では、体育会バスケットボール部に入部した経緯について教えてください。 

小林:バスケットボール部に入部したのは、佐々木先生の勧めが大きかったですね。僕は小学校から高校まで全国大会で優勝したり、選抜チームに選ばれたりと、ずっとトップの環境でプレーしてきました。ただ、高校時代は特待生ではなく一般入試で進学したので、慶應のバスケットボール部がどの程度のレベルなのか正直わかりませんでした。 

慶應のバスケットボール部は、特待生制度がない分、他大学と比べると特別な支援が少ないチームです。それでも、「この環境で自分がどう成長できるか試してみたい」という気持ちが強かったです。トップリーグで活躍していた自分が慶應でどんな反応をするのか、挑戦してみたいと思ったんです。 

僕は小さい頃から茨の道を進むタイプで、あえて厳しい選択をする性格だったので、慶應のバスケ部に魅力を感じたんだと思います。 

茨城ロボッツ時代の風景 

〈進学に迷った経験と慶應の魅力〉 

小林:正直、全国1位の大学の特待生の誘いは魅力的でした。受験のハードルが慶應ほど高くなく、楽に進学できる道があったからです。ただ、自分の中で「慶應に行く」という思いが揺るぎないものになっていたので、特待生の誘いを断り、慶應に挑戦しました。 

慶應に進学した理由の一つには、学部の魅力もありました。当時の総合政策学部は、マスメディアやインターネット関連、文学、経済など、幅広い分野を学べる画期的な学部でした。僕は専門性に縛られず、いろいろなことを学びたいという気持ちが強かったので、この学部が自分に合っていると感じました。 

中村:ありがとうございます。小林さんの挑戦や選択の背景がよくわかりました。慶應のバスケットボール部での経験は、現在のキャリアにどのように影響を与えていますか? 

小林:慶應のバスケットボール部での経験は、「文武両道」を実現する環境の中で、自分を成長させるきっかけになりました。特に、限られた時間や人数の中で成果を出すために工夫する力を養えたことは、今でも役に立っています。また、周囲からの期待や支援を感じながら、自分の力で道を切り開く大切さを学びました。 

中村:とても参考になります。ありがとうございました! 

〈プロを目指すきっかけと印象に残るエピソード〉 

中村:では、大学時代のバスケットボール部での経験の中で、現在のプロを目指すきっかけになった出来事やターニングポイントがあれば教えてください。 

小林:プロを目指すきっかけ、というよりも、逆に「プロを目指せなくなった」というのが近いかもしれませんね。高校時代から「絶対にプロになりたい」と強く思っていたわけではありません。それが慶應に入ってから、周りの環境や友人たちに影響を受けて、考え方が大きく変わりました。 

SFCには、頭の良い友人や、既に会社を立ち上げているような学生がたくさんいました。いざ就活の時期になると、僕も周囲に流されて、「ちゃんとした大手企業に就職しなきゃ」と思い込むようになっていたんです。昔から、「慶應の卒業生として、経済を引っ張るような仕事に就くべきだ」とか、「高い給与をもらえる大手に入るべきだ」という固定観念があり、それに駆られていました。 

実際、バスケットではある程度の実績を残していて、全国大会で優勝や準優勝をしていたので、いくつかのチームからプロとしての誘いも受けました。でも、当時は「いや、俺は行かない。大手企業に就職するんだ」と、すべて断っていました。今思えば、かなり頑なでしたね。 

そんな中で、僕が本当に目指していた職業はアナウンサーでした。ずっとキー局のアナウンサーになりたいと思っていたんです。実際、そのために努力もしていたし、いろいろ行動しました。でも、最終的にはキー局のアナウンサー職には採用されませんでした。それが、ひとつの大きな挫折になりました。 

最初は「なんで自分が落ちるんだ」と思いました。あれだけ努力して準備もしたのに、どうして自分が適任者じゃないんだろう、と。でも、そこで気づいたんです。採用する側、つまり第三者の意見というのは、多くの場合「正しい」んだなって。そう考えると、就活全般も同じで、たとえば誰もが知る大企業に受かったとして、「行きたくないな」と感じたとしても、第三者の目から見ればそこが自分に一番合っているという場合もあるわけです。 

そうやって第三者の意見を受け入れる中で、「バスケットの誘いをすべて断るのはおかしいのかもしれない」と思うようになりました。そして、僕の意志に反する形ではあったけれど、バスケットをもう一度やってみようと決心しました。それがプロへの道を選ぶきっかけになったんです。だから、プロを目指していたわけではなく、周囲や環境に気づかされて進むべき道が見えた、という感覚ですね。 

中村:ありがとうございます。すごく興味深いお話ですね。正直、プロを目指す直接的なきっかけがあると思っていたので、意外でした。 

 小林:そうなんですよ。僕自身も、なりたくてなったわけじゃないというのが正直なところです。でも、人生ってそういうものかもしれませんね。 

中村:本当にそうですね。人生って何が起こるかわからないですね。 

小林:そうなんです。ただ、僕の場合、ずっと「文武両道」を貫いてきたのは大きかったと思います。スポーツ選手としてだけでなく、他と差別化できる何かを持ちたいという意識が常にありました。それが、プロ選手になる上での選択にも影響したのだと思います。 

例えば、サンロッカーズ渋谷に入ったときも、社員選手としての道を選びました。当時はプロ選手になることも可能でしたが、「社員として働きながら競技を続ける」という道を選んだんです。それもまた、僕が目指した「文武両道」の一つの形だったのかもしれません。 

中村:ありがとうございます。では次に、大学時代のバスケットボール部での経験の中で、特に印象に残っている試合やエピソードがあれば教えていただけますか? 

小林:印象に残っているのは、やっぱり練習に全員が揃わないことですね(笑)。慶應のバスケ部は、授業優先の文化があるので、練習時間に全員が集まることが少なかったんです。 

部員の数は1学年15〜16人で、全体では60人くらい。かなり多かったんですが、練習メニューを全員で消化するのは難しかったです。例えば、スリーメンをやっても、自分の順番が回ってくるまでに時間がかかる。そんな状態で、毎日4時間近く練習をしていました。練習時間は夕方6時から10時までだったと思います。 

でも、全員揃わない中でも、限られた時間や人数で集中して練習することが求められました。他大学と比べて練習環境は厳しかったですが、それが逆に僕たちのプライドになりました。「俺たちは学業も両立しながらやっているんだ」と。その中で勝つことに意味があったんです。 

特に印象深かったのは、全国大会を経験したことがない選手たちに、そうした景色を見せてあげられたことですね。僕は全国優勝や準優勝を経験していましたが、チームのほとんどはそういう経験がなかったんです。だから、自分の力で少しでも彼らに成功体験を積ませてあげたい、という思いがありました。それが実現できたことは、僕にとって大きな喜びでしたね。 

中村:ありがとうございます。その限られた時間や環境での練習の工夫が、現在も慶應のバスケ部の伝統として引き継がれているんだなと感じました。   

小林:そうですね。あの環境でやれたことは、僕にとってもいい経験でした。 

福岡大大濠高校時代の風景 

〈早慶戦の特別な舞台が与える影響とその価値〉 

中村:早慶戦を経験された中で、その特別な舞台がチームやご自身に与えた影響について教えてください。 

小林:僕はこれまで6~7チームを渡り歩き、いろんな舞台を経験してきました。B1のファイナルの舞台には立ったことはないけれど、B2やB3では毎年のようにファイナルに進出しています。そんな中でも、早慶戦は僕にとって特別な試合です。 

どう特別かというと、どのプロの試合と比べても、やはり早慶戦の方が思い入れが強いんです。友人や家族、関係者がたくさん観に来てくれて、他の体育会の部活の友人たちも応援に駆けつけてくれる。そして「慶應対早稲田」というプライドを懸けた戦い。この特別な雰囲気は、他にはないものです。 

カテゴリーがたとえ3部だったとしても、観客はたくさん集まる。3000人以上の観衆が会場に集まる中で試合をする。その独特な雰囲気は今でも鮮明に覚えています。大人になっても、きっとおじいちゃんになっても忘れられない試合だと思います。OBとして早慶戦を観に行くと、「またあの舞台でプレーしたいな」と思ってしまいます。 

中村:ありがとうございます。早慶戦が本当に特別な試合だというのが伝わってきました。 

小林:はい。もし高校生や受験生にアドバイスするなら、「どんなにすごいプロ選手が経験しても、早慶戦のような雰囲気は他にない」と言いたいです。本当に独特な経験で、どこにもない舞台です。だから、早慶戦に出場できることを、慶應を目指す理由の一つにしてもいいんじゃないかと思います。 

早慶戦に出ることで、自分の試合だけじゃなく、他の部活や学生とのつながりも強く感じられます。たとえば、ラクロスやバレーの試合でも「応援に行こう!」という雰囲気が生まれて、慶應ならではの一体感、「社中の絆」を感じることができます。他の大学ではなかなか味わえない経験です。 

だから、慶應を目指す理由として、「早慶戦を経験したい」というのは十分すぎるほどの動機になると思います。本当にすごいですよ、早慶戦は。慶早戦って言うんでしたっけ(笑)。少ししっくりこないけれど、とにかく楽しかったです。 

中村:ありがとうございます。小林さんのように多くの試合を経験されてきた方が、そこまで価値のある試合だと言うなら、私もこれからの早慶戦が楽しみです。まだ1年生なので、あと3回も経験できると思うとワクワクします。   

小林:本当に貴重な経験になると思いますよ。ただし、4年生の時に負けると一生言われるので気をつけてください!(笑) 

〈プロ選手として成功するためのスキルや心構え〉 

中村:では次に、プロ選手として成功するために必要なスキルや心構えについて、高校生や大学生に向けてアドバイスをお願いします。 

小林:そうですね…まず、正直「運」も必要だと思います。プロ選手というのは「なりたいからなれる」というものではなく、周囲の助けや環境が大きく影響します。僕自身も、プロになるには本当に運があったと感じています。 

ただ、プロになった後、それを続けるためには「軸」が重要です。たとえば、自分が「尖っている」部分を持っているかどうか。これはスポーツ選手に限らず、どの職業でも重要だと思います。他と差別化できる自分だけの強みや特長を持つこと。それが、何年もプロ選手として活動できるかどうかの分かれ道になります。 

僕は「尖っている」とよく言われます。いろんなチームに移籍して、優勝しては次の目標に進むというスタイルですが、それも自分の軸を持っているからこそできることだと思っています。他の人から見れば変わった行動かもしれませんが、僕にとってはそれが自分らしさです。 

自分の人生の中で積み重ねた成功体験が、やがて「ストーリー」として周囲に影響を与えることもあります。だから、若い選手たちには「軸をぶらさないこと」と「他とは違う自分らしさ」を大切にしてほしいです。 

中村:ありがとうございます。最後に、慶應義塾大学を目指す高校生や、プロを夢見る若い選手たちへのメッセージをお願いします。 

小林:僕から伝えたいのは、「今、目標を持っていなくてもいい」ということです。人生は予想外の出来事や環境によって変化するものです。夢や目標が変わっていくのは自然なこと。だから、「何かを目指さなければいけない」と焦る必要はありません。 

ただ、将来どんな自分になりたいかを漠然と考えてみて、そこから逆算して自分の道を見つけるのは良い方法だと思います。そして、慶應大学という選択肢は、僕の経験から言うと、最善で最適な解決策の一つだと思います。 

慶應に進むことで、自分の視野が広がり、今まで気づかなかった可能性を見つけることができました。もし他の大学でぼんやりと夢を探すくらいなら、まずは慶應を目指してみてください。そこから本当にやりたいことが見えてくると思います。 

慶應には、バスケ部も含めて、個々の成長を支える環境が整っています。カテゴリーが3部であっても関係ありません。目標を一つずつ達成し、小さな成功体験を積み重ねることで、自分だけの「ストーリー性」を築いていくことができます。ぜひ、自分だけのオリジナルな道を切り開いてください。 

日立サンロッカーズ時代の風景 

慶應進学の体験とその価 

中村:そうですよね。私自身も一般入試で約1年前に慶應に入学したのですが、特にこれといった夢や明確な目標はありませんでした。姉に「慶應に行けば、どの面でも質が高い環境に身を置けるから、きっとやりたいことや心からの友人が見つかるはずだよ」と勧められたんです。半ばそそのかされる形で受験したんですが、確かにその通りだなと今感じています。 

私、地方出身なのですが、特に東京の慶應生は洗練された方が多い印象があります。もちろん学力が高いのは当然なのですが、物事を深く考えている人が多いですよね。体育会に入った今、同期や先輩と話していても、やはりすごいなと感じることが多いです。実際、今のコバヤシさんの「とりあえず慶應に行け」というアドバイスも、私の体験にぴったり当てはまるなと思います。 

小林:なるほどね。それはすごい!大学から体育会に入るのは珍しいと思うよ(笑)。 

図形尖ることの重要性とプロのマインドセット 

江畑:ちょっと質問してもいいですか?さっきの話をもっと深掘りしたいなと思って。 

小林:もちろんです、何でも聞いてください。 

江畑:ありがとうございます。先ほど、「プロとして成功するには尖ることが大事」とおっしゃっていましたが、そう感じるきっかけやエピソードがあれば教えていただけますか? 

小林:そうですね。この話はスポーツ事業の特徴にも関係していると思います。年齢を重ねるにつれ需要は下がり、新しい選手が出てきたら競争が激しくなる。そんな中で「自分がどう他と差をつけるか」を常に考えています。 

例えば、普通の会社でも優秀な人はたくさんいますし、自分がいなくても社会は回りますよね。そんな環境の中で、自分だけの「特異性」をどう作るかが大事だと思うんです。例えるなら、人参畑の中でスイカを育てるようなもの。つまり、他とは違うことをするために、自分の「土」を変えたり、「肥料」を工夫する必要があるということです。 

特にスポーツの世界では若い選手が出てきたら、その分ベテランは需要が減る。でも、経験や知識は年を重ねることで蓄積されます。だからこそ、それをどう活かして「尖る」かが課題ですね。たとえば僕がバスケのコーチをするとして、「ただのバスケ指導」ではなく、税金や経済の知識を交えた授業を30分やってからバスケを教えるとか。人より一歩進んだ形で提供することが大事だと考えています。 

慶應のバスケ部も、入るには勉強という高い壁を超えなければならない。そこで「尖った」人だけが残るわけですが、その中でさらにどうやって他大学と戦うかを考える。こういった考え方は、社会に出てからも同じだと感じます。競争相手はたくさんいるので、「自分にしかない価値」をどう作るかが重要です。 

キャリアの選択と反骨心 

江畑:プロとしてのキャリアの中で、他の選手と違う道を選ぼうと思ったきっかけは何ですか? 

小林:僕は「人と違うことをやりたい」という思いが常にありました。Bリーグが始まった頃、僕は新人王を取り、代表にも入りました。トップリーグでのキャリアを積んだ後、あえてB3の福岡に行ったんです。普通なら「もっと上を目指そう」と思うところですが、あえて逆を行くことで「どうなるのか」を試したかった。 

B3から最短でB1に昇格させたらどうだろう、とか、ストーリー性のあるキャリアの方が注目されるんじゃないか、そう考えて挑戦しました。それが結果的に「昇格請負人」という代名詞につながったわけです。実際に5回も昇格を達成して、そういう目で見られるようになりました。自分で名乗ったわけではありませんが、そういった結果が残せたのは「尖った選択肢」を選び続けたからだと思っています。 

繋がりと次の挑戦 

江畑:慶應に進学されたことで、周りの助けが大きかったとおっしゃっていましたが、プロとして活動する中で役立った具体的なエピソードはありますか? 

小林:例えば、今のシューズスポンサーとの繋がりは大学1年生のときに始まりました。当時、慶應バスケ部の総監督だった戸崎さんの紹介で、シューズ会社との縁ができたんです。それがきっかけで、大学時代からずっとサポートを受けています。 

また、慶應には経営者の友人も多くいて、バスケ以外のビジネスの話もたくさん聞ける環境がありました。例えば、スポーツ選手に対するスポンサーの価値をどう考えるのか、大企業の視点を直接聞くことができました。そういった繋がりがあったからこそ、サプリやウェアの会社など、さまざまなリソースを活用できるようになりました。 

さらに、現役中にMBAを取得しようと思ったのも、ただバスケだけをやるのではなく、頭を使う選手でありたいと思ったからです。他の選手がやらないことをあえてやる。それが僕にとっての「尖る」ということの一環です。 

江畑:今後のキャリアプランについて、どのように考えていますか? 

小林:僕の目標は、スポーツ選手が「選ばれる側」ではなく「選ぶ側」になれる社会を作ることです。「僕を雇いたいならいくら出せますか?」と選手が自信を持って交渉できるような仕組みを目指しています。 

また、プロ選手としての活動中も博士号の取得を考えています。大学で授業を持つ現役選手なんて面白いと思いませんか?僕自身、学生時代にそんな人がいたら憧れていたと思います。こういった形で、プロとしてのキャリアにプラスアルファをつけていきたいですね。 

慶應バスケ部の強みと学び 

江畑:慶應バスケ部で試行錯誤した経験がプロになった後も役立っていると感じますか? 

小林:そうですね。慶應バスケ部は例えるなら「何でも揃ったバックパック」みたいなもの。小さいけど、必要なものが全部詰まっている感じですね。たとえば、歯ブラシからシャンプーまで揃っていて、それらを1つのオールインワンでまとめて持ち歩けるようなイメージです。 

具体的に言うと、慶應バスケ部にいたからこそ得られた繋がりや恩恵が今も役立っています。それは卒業してから気づく部分が多いです。特に経営者やビジネスマンとのネットワークは他の大学にはない大きな強みだと思います。 

ただ、スポーツそのものの派閥や影響力で言えば、日体大のほうが強いかもしれませんね。慶應はスポーツそのものというより、長い目で見たときに得られるメリットが大きいと思います。 

慶應で培った繋がりと今後の目標 

江畑:最後に、慶應だからこそ受けた恩恵や、今も活用している繋がりについて具体的に教えてください。 

小林:慶應にいたことで、自分が足りないリソースを自然と周りのネットワークで補える環境ができたことは本当に大きいです。僕は一人で何かを突き詰める性格ではなく、他人に任せるタイプなんですが、慶應の繋がりのおかげで、「必要なときに必要なものがバッグの中に入っている」という感覚を持てます。 

例えば、経営者やビジネスマンとのネットワークが多いのも慶應ならではですね。同級生には、仮想通貨やスタートアップで成功している人たちがたくさんいて、その人たちから「スポンサーが何を求めるのか」といった視点を学ぶことができました。おかげで、自分の活動をサポートしてくれる企業を探す際にも、実践的な知識を活かせています。 

また、慶應のブランド力も大きいです。現役のプロ選手が「慶應出身」であることで、経済や教育分野での新しい挑戦においても信頼を得やすいんです。これは、他のスポーツ大学ではなかなか得られない強みだと思います。 

インタビューの締めくくり 

中村:本日は本当に貴重なお話をありがとうございました。プロとしての経験や、慶應での学び、そしてスポーツ選手の価値を広げようとされていること、どれも興味深いお話でした。 

小林:こちらこそありがとうございました。慶應のバスケ部がどう成長していくのか楽しみにしているよ。練習や試合でまた会おうね。何かあればいつでも声をかけてくださいね。 

中村:ぜひまた機会をいただけたらと思います。本日はお忙しい中ありがとうございました! 

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