インタビュー実施日:2023年7月10日(月)
※勤務先、所属、役職等はいずれもインタビュー当時のものとなっております。
岩下達郎
総合商社勤務
元プロ3×3バスケ選手
原:2019年卒バスケットボール部OBの原と申します。本日はよろしくお願いいたします!早速ですが自己紹介を含め、卒業後のキャリアや現在のお仕事について教えてください。
岩下:2010年度卒の岩下です。卒業後は総合商社に勤めて、今年で13年目になります。
業務内容はトレーディングや事業投資などを過去に担当し、現在はデジタル関連の事業開発を担当しています(2023年現在)。
それとは別に2014年の時点(入社4年目)で、3人制バスケのプロ選手になりました。リーグ初年度からプロ(最初はアマチュア)として活動してきましたが、2015年から2017年の南米駐在期間は現役を退き、日本帰国後から昨年3月までは現役選手として活動し、会社員とプロアスリートのパラレルキャリアを歩んできました。
原:岩下さんは学生時代から世代別代表入り等、輝かしいキャリアを歩まれていた中で、企業への就職を選択された理由は何だったのですか?
岩下: 自分のキャリアを考える上で、夢が2つありました。1つが「オリンピック選手になりたい」というものです。
当時はJBLというBリーグの前身のトップリーグがあり、企業に籍を置きながらプロ選手と同じような生活をするという選択肢がありました。その中で日本代表としてオリンピックを目指していくというものです。
もう一つの夢は、「経営者になりたい」というものでした。総合商社業界は僕が就職活動をしていた当時(2010年)、トレーディングから事業投資に軸足をシフトしつつあり、様々な会社に出資をして経営人材を送りこみ、その会社を経営するというビジネスモデルを確立していました。そして就職活動中、今でも尊敬するバスケ部OBの岩崎さん(1989年卒)がまさに総合商社から出向し大手スーパーマーケットで経営者として活躍(その後、同スーパーマーケットの創業者から後継者として熱望され同社に転籍、現在でも社長として活躍されています)されており、お話をお伺いしました。その際 「経営者になりたいのであれば総合商社に入社し、若いころから「経営」の現場で実践することが夢を叶える最短の道だと思う。バスケでも試合で練習したことが出来るようになるには試合経験を積むことが何より大事でしょ?それと一緒だと思うよ。」というアドバイスを頂戴しました。この言葉に感銘を受けて、商社で働きたい想いが固まりました。
そもそも「経営者になりたい」という想いは、父親の影響が大きかったです。父親は自動車メーカーから、子会社の運送会社に転籍した後、その会社をMBO(Management Bye-Out)という手法で親会社から買い取り、その後上場させました。
その父の会社が上場した当時、僕はまだ高校1年生ぐらいで具体的に父が何をやっているのか分かりませんでしたが、”社長である”ということだけは認識していました。父は自宅によく仕事仲間を連れて来る人で、その方々から父の話しを聞く度に、どうやら父親のことを尊敬しているようだというのが子供心にも伝わってきて、自然と「社長ってなんだかかっこいい」という憧れが心の中に形成されていきました。この原体験からから僕は「経営者になりたい」という想いで総合商社への就職を選択肢として考えるようになりました。
この2つを考える過程において、大学時代に怪我が多かったことや、セカンドキャリアに不安や懸念があったことから、バスケの道へ進んだ後の中長期的な自分の姿がなかなかイメージできませんでした。早くからビジネスの道に身を置く商社への就職を第一志望とし、ご縁があった今の会社に無事に就職できた、そして今のキャリアがあります。
原:今のお話に通ずる部分があると思いますが、岩下さんが慶應義塾大学へ進学したいと思った理由は何だったのですか?
岩下:文武両道が実現できる環境に惹かれて慶應を目指しました。
主観的な意見になりますが、当時バスケットボールのレベルが高く且つ、学業の両立も謳っている大学は慶應しかありませんでした。実際に慶應は学業においても私大のトップですし。
学業にも力を入れようと考えた背景として、環境の影響が大きかったと思います。僕は中高一貫校である芝学園という東京にある私立の進学校で中高生活を送りました。バスケットボールは全く強くなかったし、バスケを始めたのも中学3年生からでした。ただ、当時から身長が2mありU-18日本代表に選ばれました。
代表合宿は、高校の期末テストなど大事なテスト期間と被ることがあったのですが、合宿に参加している他の選手達は、全員テスト免除という形で練習に参加していたのです。
僕の学校にはそのようなシステムはなく、僕は午前中は学校でテスト、午後から代表合宿で練習、その後夜中に勉強してまた翌日テスト受けて練習、という生活をしていました。
その時、「チームメートたちは何故同じ学生なのに学業をせず、バスケだけしているのだろう?彼らは将来大丈夫かな?」と素直に疑問に思ったんですね。
そんなぼんやりした疑問が当たり前ではないことと認識したのが、「コーチカーター」という映画に出会った時でした。映画の中で「一定の学業成績を修めないと部活動はさせない」という描写があったのです。映画で描写されている背景とはちょっと違うのですが、実際アメリカでは学業を修めることが部活をやる前提条件という話も耳にして、「スポーツ先進国のアメリカがそうなんだから、選手たるもの当然学業も疎かにしてはいけない」という意識が生まれました。そのように自ずと植え付けられた文武両道の意識が自分の根底にはあり、慶應への進学を選択しました。
原:学生のカテゴリーでそのような環境に身を置くと、周囲の人たちに流されてしまいそうな印象を持っています。その中で、岩下さんの文武両道の軸がぶれなかった理由として、ご家族の影響などはあったのですか?
岩下:家族の影響は多分にありました。母親が教育熱心なのもありましたし、父親も野球の道に進み怪我でキャリアを絶たれた経験を持った人だったので、セカンドキャリアの重要性についてよく話しをされていました。
加えて、「中高の友達」の影響もあると思います。長い時間を一緒に過ごした彼らは、当たり前のように塾に通い、受験勉強をして将来のことを考えている訳で、日本代表メンバーと過ごす時間もあったとはいえ、身近な人たちの考えに触れる機会のほうが多かったですね。改めて考えると、環境のおかげですね。
原:ここまでの内容も踏まえて、学生の視点から何か質問などはありますか?
神吉:「コーチカーター」の映画のお話がありましたが、どなたかに勧められて見たのですか?
岩下:記憶が曖昧ですけど、当時流行ってたんですよね。 2005年だから、高校2年生の時に見て、たまたまパッと目について見に行ったのだと思います。是非見て欲しい、素晴らしい映画です!
神吉:見てみようと思います!
原:ここからは大学時代のことも交えてお聞きしたいのですが、学生当時の様々な経験が社会に出てから生きていると感じることはありますか?
岩下:そうですね、たくさんあると思っています。「仕事」と「体育会の活動」は似ている部分が多いと思っていて、組織マネジメントやチームビルディングなど、今の仕事でやっていることと大学時代にバスケでやってきたことは何も変わらないと思います。
目標を達成するために自分は何をするべきなのか、チームの力をどのように掛け合わせ最大化させていくのか。それらのプロセスを考える部分は、仕事も体育会活動も一緒なんです。加えて、バスケットボールを通じて自分にしかできないことをしっかり伸ばそうと練習を積み全国優勝に貢献したり、代表経験では世界の様々な国とも試合し、日の丸を背負うことに誇りも感じました。それらの経験は今の商社の仕事における自信として活かされている部分があると感じています。
他にも、自分にはできない・不得意だけれど、他の人にはできる・得意なことって沢山あると思います。その逆も然りで、つまりお互いの長所を活かし短所をカバーすることで、チームとして高い目標も達成することができる、これは仕事でもまさに同じことで、バスケを通じて得られた考えだと思います。
原:様々な大会がある中で、岩下さんにとって「早慶戦」とはどのような存在でしたか?
岩下:あまり深く考えたことなかったけど、一言で言うと「お祭り」ですね。 何のタイトルも掛かっていないし、 他の大学にとっては興味もない試合かもしないけど、僕らにとっては決して負けられない意地と意地、プライドの戦いでしたからね。なかでも個人的にとても良いと思っていたところは、バスケを知らない友達や周囲の人たちが、「早慶戦」だけは見にきてくれたということです。だからこそ、日頃から練習に励んで、精一杯頑張っている姿を色々な人に見てもらえる機会は、かけがえのないものだなって。そういう人たちに応援されるからこそ、恥ずかしい姿を見せたくないし、早慶戦ではベストな自分を見て欲しいという思いを持ち、意識していたように思います。「見られてる」っていう意識が一番強かったかな。
原:以前、二ノ宮さん(2011年卒)にインタビューさせていただいた際、高校生の時に岩下さんから「一緒に慶應に行こう」と誘われたという話が印象的でした。当時、二ノ宮さんを誘われた理由は何だったのですか?
岩下:二ノ宮は僕の高校バスケ生活を共にした、パートナーのような存在でした。国体では東京代表チームで一緒にプレーして日本一になり、高校時代最後の引退試合では、二ノ宮が在籍する京北高校に大差で敗北したりと、僕の高校バスケの各シーンに二ノ宮がいました。
その二ノ宮が慶應に興味があると言っていて、彼は当時から勉強もしっかりしていたし、評定平均も高かったので十分合格する力はあると思いました。ただ当時強豪であった青山学院大学からも声がかかっていて、確実に合格する保証のない慶應よりも、青学の方がいいかもと彼自身は揺れていたんですよね。でも僕は大学では二ノ宮と同じチーム、慶應で一緒にバスケがしたいという想いが強くあり、「絶対に受かるから大丈夫!」と伝え続け、結果一緒にプレイすることが叶いました。
原:ありがとうございます!まさに二宮さんからも岩下さんの説得に動かされるものがあったというお話をされていました。
江畑:岩下さんが考える慶應バスケ部ならではの強み(社会に出てからの)は何だと思いますか?
岩下:世代を超えて素晴らしいOBの方々との繋がりが生まれる、ということが最大の強みだと思います。本当に素敵な先輩がたくさんいて、僕にとってその最たる例が、最初の話しに出てきた岩崎さんなのです。様々な場面で力になってくださり、こういう人が真に社会で必要とされる人なのだろうなと思える存在です。
今までは色々なことを与えて貰う側の人間でしたが、今後は社会や後輩達に還元していきたいです。それが岩崎さんに対する恩返しにもなるのだと思いますし、喜んでいただけると思うので。そういった理想のロールモデルになる先輩がバスケ部にはいて、様々な場面で刺激を受けます。そこから広がるネットワークもあるし、バスケ部のみならず慶應には三田会という極めて強く広いネットワークもあり、ビジネスの世界に身を置いている人間としては、これはかけがえのない宝であり、リソースだと思います。
江畑:ありがとうございます。もう一点、バスケ部で4年間やりきったことによって得られるものは何ですか?
岩下:何かを信じ、戦い続けるマインドセットですかね。僕たちはインカレ優勝を経験しましたが、有望な選手を自由に獲得できる環境ではありませんでした。ただ、限られたメンバーで、「優勝できる」と信じて日々の練習を積み重ね続けた結果、日本一を経験することができ、身を持って継続することの大切さを体感したんですね。
2年生でインカレ優勝を経験し、その後は準優勝とタイトルを取ることはできませんでしたが、「うちは勝って当たり前なんだ!」という強い思いを持って臨めたし、そのための努力を厭わない姿勢を身につけられたと思います。
部活って辛いですよね?4年間という限られた時間の大半をバスケに費やすことについて、将来の進路を考えると不安に思うこともあると思います。でも、そういうことではなく、物事は汎用化できるのだと思います。高い目標を達成するために、上級生が中心となり計画を立て、チーム全員で共有、実践。その上で努力を積み重ね、失敗した後には修正して繰り返し練習をする。このプロセスは社会に出てから最も必要なスキルだと思います。何よりも達成した、勝利した喜びは長い人生の中でもなかなか味わうことができないことですし、その後の人生の糧になるのだと思います。
江畑:ありがとうございます!
原:最後に、入部を考えている高校生に対してメッセージをお願いします!
岩下:ここまでの話でもお伝えした通り、慶應義塾大学のバスケ部に入部したことで、本当に様々な経験を積むことができました。 色々なネットワークや 繋がりも生まれました。
勝つことのみならず、組織作りから学生が主体的に取り組んでいるところが、他大学のチームにはない部分であり、また極めて高いモチベーションを持ったメンバーが集まり切磋琢磨している中で、各々が人間的に成長する、そのような環境こそが慶應義塾の強みです。
そして、4年間ともに戦った仲間は一生の友であり、学内で様々な属性の人たちと繋がっていけることも大きな財産になっていきます。
高校生の皆様には、慶應義塾大学のバスケ部への進学を心からお勧めしたいと思います。応援していますので、受験がんばってください!
原:以上でインタビューは終了です。本日はどうもありがとうございました!