志村雄彦(2005年 / 株式会社仙台89ERS 代表取締役社長)

インタビュー実施日:2023年6月28日(水)

※勤務先、所属、役職等はいずれもインタビュー当時のものとなっております。

志村雄彦

株式会社仙台89ERS 代表取締役社長(2023年現在)

原:2019年卒の原と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします!

早速ですが、自己紹介を含め、卒業後のキャリアや現在のお仕事について教えてください。

志村:2005年卒の志村です。卒業後は株式会社東芝に社員選手として入社し、バスケットボールをしていました。その後2008年に当時のBJリーグの仙台89ERSに移籍してそこから10年プレーしてフロントスタッフに転身。現在は(同社の)代表取締役を務めさせて頂いています(2023年現在)。

原:プレーヤーから代表取締役になられるというのは本当に数少ない事例だと思うのですが、普段はどのようなことを主にされているのでしょうか?

志村:プロスポーツクラブの経営を一言で言うと、「泥臭い裏方運営」ですね。華々しいBリーグクラブの中でも運営という面は本当に泥臭い業務が多いです。お客様にきていただくということもそうですし、チームの魅力を発信することもそうです。そして何より、チームを強くすることですね。大きくはチーム側と事業側があり、事業側では、広告を売る、協賛を募る営業部隊、チケット、マーチャンダイジング(商品化計画)、権利関係、広報などがありますね。あと、スポーツビジネスにおいては自治体の方々とどのように向き合うのかが非常に重要になります。そういった意味では、私は生まれ育った仙台で活動をさせて頂いているので地元に何かを返していける仕事かなと思っていますし、すごくやりがいはありますね。

その上でかなりB to C(個人のお客様対象)的な仕事ということもありますし、こんなにも色々な人に感謝される仕事はないと思いますね。もちろん結果に対してはマルかバツかがはっきりしているので、非常に厳しい業界ではあります。ただ、先ほども言ったように地元の人々に対して色々なものを返していけるので、本当にやりがいのある仕事だと思っています。

なので、みんなが想像するような「(プロクラブで仕事って)カッコいいな!」というイメージは見てくれはそうなのですけど、業務自体は非常に地味で泥臭いものになっていますね。まあどの仕事も職種もそうだと思うんですけど、コミュニケーションというところが非常に重要になるので人間力が問われます。ステークホルダー(利害関係のある人たち)は多岐に渡っており、株主の皆様や支援をしてくださる皆様、ファンの皆様、自治体の皆様たちと共に進んでいく、そのための舵取りが重要だと感じますしこちらにもやりがいを感じています。

原:今のお話をもっと深掘ってお聞きしたい気持ちも山々なのですが、慶應大学バスケットボール部のことが気になっている学生向けに、学生時代のバスケ部でのお話をお聞きしていきたいと思います!志村さんは高校時代に日本一を経験するなど輝かしい経歴を持たれていますが、その中で慶應義塾大学へ進学、体育会バスケットボール部に入部した理由を教えてください。

志村:まず、今もそうですけど関東の大学がとても強かったということが挙げられますね。進学をする際、トップレベルの環境でやりたいという想いもありながら、自分の身長(160cm)にもさほど自信がなく、なかなか通用しないのではないかという不安がありました。ただ、高校2年生の時に初めて日本一になったり、その後アンダー世代の代表に選ばれたということもあって、やはりチャレンジしたいという想いが強くなりました。

その中で佐藤健介さん(2003年卒)という、2つ上で現役大学生として日本代表に選ばれていた先輩がいたのですけど、その方が「ヤングメン」という世界選手権前のアンダー21の代表に選ばれていて、丁度その代表の方達とアンダー18の僕たちが一緒に合宿をする機会がありました。その時に誘われたと言うか、お話をする中で慶應の魅力を感じ、「面白そうな大学だな、チャレンジしてみたい」と気持ちが固まりました。

当時はバスケットを職業にするという考えは全くなく(結局最終的に僕はバスケット界に戻ってきましたが)、バスケットを中心に高校生まで過ごしていて、世界観が非常に狭かったのですね。慶應のSFCオープンキャンパスに行った時に、ガッツリ五感を叩かれたような、「こんな世界があるんだ!」と思ったことを今でも覚えています。自分の視野を広げることができる環境で学び、そして勿論大好きなバスケットボールも続けていく、まさに文武両道を目指したいと思いました。

受験の方ですが、僕はAO入試で受けたんですけれども、9月頃の一期目の試験に落ちてしまったんです。でももう一度チャレンジしたいということで12月に再度受けました。12月はウインターカップの出発直前頃に合否の発表があって、それくらいの時期になんとか合格が決まりましたね。

原:ウインターカップ直前まで受験と向き合い続けられていたんですね。

志村:当時はやはりバスケのことしか語れなかったので、背伸びはせずバスケを通した自分の人間性や、高校時代に苦労したことやリーダーシップの発揮などを中心に、受験に臨みました。面接官の方々の立場に立てば、バスケしかやっていなかったのは恐らく分かっており、嘘をつくわけじゃないけど、話を作ったり少し自分を大きく見せて挑戦したりということは、見透かされてしまうだろうと考えました。どちらが良いのかとは一概には言えませんが、最後は人間が合否を判断するので、印象に残るように努めました。

原:他大学への進学という選択肢はなかったのですか?

志村:ありましたよ。他大学からも誘っていただけていました。

原:気持ちが揺れることはなかったのですか?

志村:それで言うと、最初に行きたかったのは青学(青山学院大学)でした。「渋谷に行ける!」って理由が大きかったのですね。仙台にずっといると「渋谷に行ける事が一番いいじゃん」いう感覚でした。(笑) それに当時、青学が強いということもありました。あとは、早稲田にちょうど入れ替わりの代の先輩がいて、その先輩が卒業してしまうし、うちに来ないかというような形でリクルートも受けていました。それに加えて慶應の3校が選択肢としてありましたね。

原:渋谷に行きたかったからというのがとても高校生らしいですね。(笑)

志村:地方にいると、どの大学がどうとかわからないんですよ。(笑)関東にいれば違いも理解し、慶應のブランド力も勿論分かると思うのですけど。そういった意味では入学したあと「慶應に来て本当に良かった」とつくづく思いましたよね。

原:ここからは大学時代のバスケについて深掘らせていただきます。インカレという日本最高峰の舞台を経験されたわけですが、志村さんにとって早慶戦とはどのような存在でしたか?

志村:早慶戦で言うと、1年生で初めて会場の雰囲気を肌で感じ、かなり圧倒されましたね。内部出身者の方々など「早慶戦」という存在を知っている人からすると、イメージができたと思うのですけど、当時はセンセーショナルでした。僕たちの時は毎年早稲田の記念会堂で開催されており、敵地ではありながら両校のものすごい応援合戦が始まって。それよりも何がすごいって、OBの方々の「早稲田にだけは勝て!」という鬼気迫るようなプレッシャーもありました。結局僕たちは1・2年生の時には負けてしまいましたが、3・4年生の時にリベンジし連勝したので、勝った時の喜びも大きかったと思います。

早慶戦時の風景
写真提供:魁生佳余子氏

江畑:志村さんは学生当時から表舞台で活躍される機会が多かったと思うのですが、それらの経験が現在の裏方回りのお仕事に活きていると感じることなどはありますか?

志村:そうですね。今は部員が少ないという話を聞いているんですけど、当時は40人ぐらい部員がいました。A チームと B チームに分かれて練習しており、僕1人というわけではないですが、チーム全体をマネジメントすることの難しさを感じましたし、良い経験になりましたね。

会社経営でも、よく「ビジョンを明確にしよう」と言ったりするのですけど、それは大学時代に「日本一になろう」というビジョンを明確にし、達成するためにやるべきことなどについて、チームのメンバーと納得いくまで対話を重ねるなど、学生時代の経験が間違いなく活きていると思います。 

あと、個人的には試合に勝った時の達成感といった「成功体験」はとても大事だと考えています。これは今の仕事にも、どの仕事にも通ずるものなのかなと。学生当時も勝利という結果が自信に繋がり、その後色々なことを前向きに考えられた部分があったと思います。勿論ただ優勝することだけではなく、早慶戦などの定期戦や入れ替え戦で降格しなかったなど、その内容は何でもいいと思います。その辺り、「成功体験が組織を動かす」上でも重要であるということを学生時代に経験し、学びを得られたのかなと。

それと、僕らの時代は全国大会を経験した選手がほぼいなかったんですよ。大学の同期は14人いるのですけど、石田も国体しか出ていなかったですし  洛南からきた辻内くらいしか全国を経験したことがなくて。ただ、バスケットが純粋に好きなメンバーが揃っていました。そのメンバーが「日本一になろう」と言う姿を見て、高校時代に全国優勝を経験している自分が引っ張って、このメンバーと日本一になりたいと強く思いました。

その後、4年間掛かりましたが、最後の最後に日本一の景色を見られたというのは、本当に慶應バスケ部に入って良かったと思った瞬間でしたし、その後の社会人人生でも自信となる大きな成功体験だったと思います。下級生の時は勝てずになかなか結果が出なかったのですが、諦めることなく泥臭い練習や日々の積み重ねが、「成功」に向けた重要なプロセスだと感じることができました。「今すぐ成功しないと!」と目先の結果を求めがちですが、その過程の先にもっと大きい成功体験や得られるという忍耐も大事だと思います。バスケ部での経験を経て、社会に出た後に一気に花開くこともあるのだろうなという風にも思いますね。

4年目の最後に掴んだ日本一
写真提供:魁生佳余子氏

原:次の質問は志村さんならではの質問になると思いますが、プロ選手として活動する際のキャリア設計について、志村さんなりの考えをお聞きできますか?大学、将来に向けた様々な選択に悩む高校生に対して伝えたいことなどがあればお伝えしていただきたいです。

志村:そうですね。今の立場になって色々な人とお会いする中で一番重要だと思うのは 、メールやコミュニケーションツール等、方法は何であれ「自分の想いを伝える力」と「相手の話を聞く力」なんですね。ですので、今やりたいことがないというのは別に無理して考える必要はないと思います。進路に悩む子はいると思うけど、大学の4年間で色々なことを学び、チャレンジできる時間はあると思っていいと思います。決して大学(慶應)に入ることだけがゴールだとは思わないですし、むしろその様々な現場で出会う人たちが今後の人生の財産になっていくと思います。そういった意味では、慶應義塾という他大学にはない大きなネットワークは本当に素晴らしく、輪の中に入ってもらえれば、OBは無償の愛で力になってくれますし、いつまでも後輩のことを応援もします。そういった世代を超えた仲間ができることが慶應義塾の強みなのかなと。勿論ただ甘えるとかそういったことではなく、みんなが切磋琢磨して高みを目指しているのが慶應義塾という集団だと思います。

改めて、高校生の皆さんは色々と迷うこともあると思うのですけど、後悔のない選択をして欲しいです。今後も受験に失敗するのではとか不安も色々あると思いますが、長い人生においては大した問題じゃないので、気にしなくてもいいと思います。是非慶應に入って欲しいですが、必ずしも現役で入る必要はないと思います。それこそ大学院から入ってもいいし、今の時代はこれまでよりも様々な選択肢があると思いますので。自分の強みを伸ばしていき、慶應義塾に入ることができれば、僕たちは生涯ファミリーとして、仲間としてやっていきたいと思いますね。

写真提供:魁生佳余子氏

原:以前のインタビューで石田さん(2005年卒)もOBのみなさんのサポートについてお話して下さっており、改めて私もそういったOBになっていきたいと思いました。

志村:僕は今年40歳になったんですけど、これくらいの年齢になると同世代の塾員(慶應大卒業生の総称)が、各業界のリーダーとして、また主要なポストで活躍しています。ビジネスを進める際にも、慶應出身というだけで一気に近づけますし、あっという間に商談がまとまったりするのですね。今は先輩に可愛がられる状況だと思いますが、逆にギブする側になった時により感じると思いますね。独立する人も増えてきますし!

原:その点で言うと 大学時代から繋がりのあるバスケ部のOBの方と仕事で一緒になる機会も多いのですか?

志村:バスケ部に限らず、沢山ありますね。慶應の繋がりの良さについてお伝えしましたが、ただそこだけに固執しない方がいいとも思いますね。そこに拘りすぎて可能性を狭めてしまう可能性もあるので。バランスよく各所の方の力を借りながら協力し合うというのがいいかなというのはあります。

江畑:先程の様々な選択肢があるという点で、今後の新入生もインターンや資格取得、サークル活動等、選択肢は色々とあると思います。志村さんの中で、そういった新入生が体育会バスケ部を選択する決め手になるものは何だと思いますか?

志村:もうそれはロマンじゃない?一緒にロマンを見られるっていう。

これは古臭いとかじゃなくて、チームスポーツは社会の縮図だと思っています。組織論であったりリーダーシップ論であったりすべてが詰まっている環境だと思います。一人でできることには限界がありますし、いかに色々な人を巻き込んで1つの目標に向かって歩んでいくかというところは体育会バスケ部の魅力だと思います。大学スポーツ、特に慶應は色々な背景を持った人が入ってくる環境になるので、そのカオスな状況を整理しみんなで同じ方向へ向かっていくという点ですごくいい勉強になると思います。それが失敗したとしてもそれはそれでいい勉強になると思いますし。

江畑:ありがとうございます!現役部員に聞いてほしい話だったのでお伝えしておきます!

志村:そうだね。それこそ上手くなりたいだけだったら別にここに来なくてもいいんじゃない? と言っていいと思いますよ。 バスケが上手い、強いだけが全てじゃないので。そこを体現するのが慶應バスケ部なのかなと思いますよね。ほら、福沢諭吉先生の『学問のすゝめ』で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず(※)」ってあったでしょ。そういうところに繋がっているのだと思います。

※「学問のすゝめ」内の一節。私たちは学びを通じて社会の格差を埋めたり、生まないようにすることができる。だから勉強をして自分を磨いていこう。といった趣旨の意図が表現されている。

原:最後に、慶應を目指す高校生へメッセージをお願いします!

志村:これは子供や色々な人にも伝えているのですが、「成長の先にしか成功はない」ということです。これからも「結果が出ないこと」は沢山あると思いますし、その時は苦しいのですけど、その先にある成功を信じて、地道にやり続けることこそが成長につながると思います 。そのプロセスの中で成長をしていくことが皆さんにとって、一番の人生の糧になると思います。

そういう努力を一緒に続けられる仲間が慶應には集まってくると思いますし、無償の愛でサポートしてくれる先輩たちもいるので、是非安心して飛び込んできて欲しいです。「結果が出た」「出なかった」で判断するような小さい人は少ないと僕は思っています。

まあ、僕からは入ったらいっぱい遊んでいっぱい勉強していっぱいバスケしてってところですかね!勉強については最低限、卒業はしっかりしていただいて。 あとは色々な選択肢があるということは忘れないでほしいです。どこに進学し、どこに就職したかでその後の一生が決まるというわけじゃないですしね。僕も転職もしていますし。周りの人たちに惑わされすぎず、自分なりのキャリアを作り上げていってもらえたらと思います。その自分なりにキャリアを作り上げていく力を養える可能性がある環境という意味では、様々な仲間ができる慶應に間違いはないと思います。

原:ありがとうございます!以上でインタビューを終了とさせていただきます。

本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!

写真提供:©︎SENDAI 89ERS