渡邊信治(1988年 / 日本バスケットボール協会勤務)

インタビュー実施日:2023年6月22日(木)

渡邊信治

元フジテレビ バスケットボール中継担当

公益財団法人日本バスケットボール協会 事務総長

原:2019年卒バスケットボール部OBの原と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします!早速ですが、自己紹介をかねて、卒業後のキャリアや現在やられているお仕事について教えてください。

渡邊:渡邊信治と申します。私は1988年に慶應大学を卒業しましたので、かれこれ35年くらい経ちます。大学卒業後はフジテレビに入社して、情報番組の制作やスポーツ中継、スポーツイベントのプロデュースなどに関わってきました。

 その中でも、オリンピックやスポーツ競技の世界的なビッグイベントに何度も携わることができ、大変遣り甲斐を感じました。そして2021年には東京オリンピックが行われて、自分の中ではスポーツの番組製作の集大成としてやり切りたいという思いとともに、今後はテレビ以外の仕事もやってみたいという気持ちが強くなり、2022年の1月に公益財団法人日本バスケットボール協会に転職をしました。今(取材実施時)は副事務総長を務めていますが、7月には事務総長という立場になり、日本のバスケットボールの普及、育成、強化に関わる仕事をトータルで行っていくことになりました。

原:卒業後、数ある企業の中でもフジテレビに入社しようと考えられた理由は何ですか?

渡邊:だいぶ遡ってしまうのですが、高校時代は勿論バスケットをやっていて、大学に入る時には色々迷ったのですよね。バスケットを続けるかどうか、学部はどこにしようかと。高校時代、当時の国体が10月にあって、10月までバスケットをやっていました。当時、推薦入試の制度が母校の仙台二高にあり、その推薦で慶應大学に進学するつもりでいたところ、高校の方が推薦枠をスポーツ分野ではなく別の分野で使うということになってしまい、私は推薦されなくなってしまったのです。どうしようか悩んでいたのですが、当時映画がすごく好きで映画を作りたいなという思いもあり、早稲田大学の第一文学部や日本大学の芸術学部といった映画やドラマに強い学部も考えていました。

ただ、10月頃までバスケばかりしていて、受験勉強が全然できていなかったので・・・早稲田には到底いけないと思い、一度その夢を諦めました。結果、無事に慶應大学に入学できバスケットを続けたわけですが、就職活動の際に改めて自分がやりたいことが何かとことん考えた末、4年前に一度諦めた映画やドラマを作りたいと思いが蘇り、フジテレビに入社しました。

原:まさに一周回って当時の夢を追いかけ始めた形だったのですね。

渡邊:そうですね。

FIBAワールドカップ2019の会場にて
写真提供:渡邊氏

原:続いて、学生時代の話をお聞きしていきたいと思います。先程、バスケはもういいかなと考えたとおっしゃっていましたが、その中でバスケ部に入部をしようと思った理由は何ですか?

渡邊:先程も少し触れましたが、受験勉強があまりできず気持ちが焦る中、慶應大バスケットボール部OBや現役の方々が非常に親切に話を聞いてくださったり、受験指導ということで問題集を送ってくださったり、受験の傾向を分析してくださったり、そういった指導をして下さいました。

その甲斐もあって、慶應大学に合格することができたのです。そういった部分の恩もありましたし、熱心に指導してくださった慶應大学バスケ部の方々に対しての感謝の気持ちから、この方々と一緒にプレイしたいという想いでバスケ部に入りました。

原:大学バスケ部に入部して印象に残っている出来事やエピソードはありますか?

渡邊:それはいっぱいありますね。(笑) その中でも一番は大学3年の時に早慶戦に勝ったことですかね。当時、慶應は入学試験が難しいということで早稲田に選手獲得の部分で明らかに劣っていました。当然、私が3年生の時も下馬評では早稲田の方が格上で、早稲田が有利だろうという状況の中で試合をしたのですけど、これに勝つことができたのです。

私自身は2年生に上がる時期に足首の靭帯を切り入院して手術をしました。リハビリ後はけっこう厳しいシーズンを送っていたので、そんな状況でもあり、実際のところはチームメイトに支えられて、会場の応援の後押しもあり、早稲田に勝つことができました。チームメイトとともに心から喜び、早慶戦で勝った時しか歌えない「丘の上」を、肩を組んで歌ったことが自分の中で忘れられない思い出ですね。

写真提供:渡邊氏

渡邊:もう一つ別の話をすると入部後は降格が続き、上級生の時は3部にいました。その後、3部から2部に上がったのですが、やはり落ちたところから上がっていくのは本当に大変でした。負けられない試合が多くて、ものすごくプレッシャーもかかっていました。

その中で、秋のリーグ戦の4週目、全勝で迎えた土曜日の東洋大戦に負けてしまったのです。今年もこのままずるずるいくのかというような嫌な雰囲気もあったと思います。そんな中、その日の晩に下級生も含めみんなで集まって「このままじゃ終われない」と話し合いました。このことが逆にリラックス効果につながり、かつチームとしても盛り上がった状態で試合に臨めて翌日の東洋大戦に勝利。その後は負けることなく、13勝1敗で3部優勝、2部に上がることができました。今まで色々なプレッシャーの中でやってきたのが最後の最後に上のリーグに上がることができて、下級生含めたチームメイト全員で喜び合えたシーンが印象に残っていますね。

原:今の2つのエピソードをお聞きしただけでもとても濃い4年間を送られていたのだろうと感じました。リーグ戦の昇降格に関しても本当に入れ替えが激しい状況だったのですね。

渡邊:大学のトップで頑張るぞと思って大学に入ったら降格が続き、すぐに上がれるだろうと思っていたのですがそんなに甘くなかったですね。周りもどんどん強化してくるし、研究もしてくるし、彼らも負けられないという意気込みで戦いにきていました。最後の年は1位で上がることができましたが、その間はこのまま行ったらもっと落ちてしまうのではという不安もありましたし、本当に厳しい状況でした。でも、なぜか楽しかったですね。

原:まさにインタビューに同席してくれている現役部員の神吉さんは、現在3部リーグで戦っている状況で、渡邊さんの学生時代と通ずる部分があると感じました。その点、神吉さんからお聞きしたいことなどはありますか?

神吉:僕は入部した当時から3部でずっとやっていて、今年自分にとってはラストチャンスで2部昇格を目指しています。最近では3部のレベルもすごく上がってきており、昇格することが難しいと感じる場面もあるのですが、同じ立場でいらした渡邊さんが当時昇格するために意識していたことはありますか?

渡邊:今はどうかわからないけど、当時の慶應バスケ部は上下関係がはっきりしていました。もちろん規律として必要とだとは思うのですが、コートの上では学年は関係ない、学年による壁を無くしチームワークとコミュニケーションをよくすることを心がけました。変な例かもしれないけど、例えば上級生はズボンの色がグレーでもいいけど、下級生はだめ、といった日常生活でも壁を取っ払っていきました。もちろん伝統から生まれる良い点もあったと思うんですけど、結果を出さなくてはならない中で何かを変えなきゃいけないという危機感があったのだと思います。それぞれの個の力を結集して、チームとして戦わなければいけないだろうということは意識をしてやっていました。

あとは結局やるのは自分だから「誰かから言われたからやる」ではなく、コーチも含め上級生も「自分達で考えてやろう」と話していました。これは当然私1人だけでやったわけではなくてヘッドコーチやスタッフ、チームメイトと話し合って、下級生も含めて自発的に動ける雰囲気づくりは意識していました。

写真提供:渡邊氏

原:改めて、学生時代にバスケ部で様々な経験を積まれてこられたのだと感じたのですが、そういった経験が現在もバスケットボールに携わるきっかけになっているのですか?

渡邊:大学4年間のクラブ活動を通じて、なりたい自分とかやりたいことに対して真摯に向き合って諦めないということを学べたと思います。2部へ上がった時の話もそうですし、怪我をした時もそうでしたが、どこかで諦めたくなって「もうこれくらいで」と思うこともたくさんありましたが、慶應大学でのバスケを通じて最後まで諦めないとか、最後まで自分が目標にするものを追求していくことは、まさに大学時代に養えた力だと思います。実際に社会に出ても、辛いことや大変なことは沢山ありますが、苦労の先にある嬉しさや何倍にも感じる達成感は、大学時代のバスケを通して経験できたことが大きく、それらが現在のバスケットボールに関わる仕事でも原動力になっていると思います。

原:まさに大学時代の経験が社会に出てから活きたと感じたエピソードなどがあれば教えていただけますか?

渡邊:入社してから番組制作などをしていたのですが、2016年のBリーグの開幕戦をフジテレビで中継することになりました。フジテレビには、慶應バスケ部出身の先輩や後輩が結構いるんですけど、その後輩たちと「いつかはテレビでバスケの中継をゴールデンタイム(19:00からの視聴率のいい時間帯)でやりたいね」という話はずっとしていました。最初の中継は2007年の徳島でのアジア選手権だと思うのですが、Bリーグの開幕が迫る中、今こそバスケットボールを正面からテレビのソフトとして扱いたいという気持ちが高まり、後輩たちとも相談を始めていました。

そんな中、Jリーグを立ち上げた川淵三郎さんがBリーグのチェアマンにも就任されました。Bリーグ開幕にあたり川淵さんとしてはJリーグと同様に、開幕戦は必ずどこかのテレビ局で放送してほしいと思っていたようです。そんな時に僕がサッカー中継の会場に行った時に偶然、川淵さんとお会いしたのです。川淵さんが「今バスケットボールにものすごく一生懸命になっているんだ」と話をしてくださった時に、私の上司が「渡邊は学生時代にバスケをしていて、今もフジテレビのバスケットボールの中継を担当しているのです」と紹介をしてくれたのです。このような幸運にも恵まれ、川淵さんから正式に中継は是非フジテレビにやってほしいとのオファーがきて、結果的にフジテレビがBリーグ開幕戦の中継を担当することができました。それこそ僕が大学時代にバスケットボールをやっていなかったらBリーグの開幕戦の中継を担当することはなかったし、あの試合をフジテレビで放送することもなかったのかもしれないなと思います。まさに巡り巡った人との出会いを通じて、バスケットをやってきて本当に良かったなと感じた瞬間でした。

原:そのような流れでフジテレビさんでの放送につながっていたのですね!2016年のBリーグ開幕戦はコートがディスプレイとして使用されて映像が流れていたりとても印象に残っています。

渡邊:あれ(コートのディスプレイ化=LEDコートと名付けた)もね、裏話があって。当時、Jリーグの開幕戦が1993年だったのだけど、Jリーグの開幕戦はものすごく派手にやっていたので、バスケの方も何か派手な演出をしたいよねという話になり、アメリカのNBAを視察に行ったんです。マディソンスクエアガーデン(マンハッタン)のニューヨーク・ニックスの試合とゴールデンステイト・ウォリアーズの試合を視察し、プロジェクションマッピングを用いて床に色々な映像を映すといった派手な演出を見てきました。当時、我々もプロジェクションマッピングで何かやろうと話していたのですけど、あまりに凄すぎて同じことやったら絶対に勝てないなと。プロジェクションマッピングじゃないなら何をすれば良いのだろうと考えていた時、ちょうど3×3(3人制バスケ)の中国の大会で床が光るLEDのコートを使っているのを見て、「これをやるしかないだろう!」と中国からLEDのパネルを300枚程輸入して、実際にそれを敷いて試合をやってみようということであの開幕戦の演出が生まれました。

原:開幕戦に向けて何度も視察を重ね、独自性を追い求められていたのですね。

渡邊:そうですね。何度も実験を重ねて、色々な人のお話を聞かせていただきました。実際に選手にLEDコートの上でドリブルをしてもらったり、ジャンプをしてもらったりしましたね。人によってはジャンプの衝撃でパネルが割れてしまうのではないか、ドリブルをした時に感覚が違うのではないか、目に光が入って眩しすぎるのではないかと懸念事項も色々とあったので、全部実際に試してもらっていましたね。

埼玉の山奥にある倉庫にLEDを敷いて、実際に5対5のゲームもやってもらって、どんなことが起こるか、どれくらい激しくやったら壊れるのかとか。もし壊れた時にどうやったらそれを換えられるのか。壊れた場合にも3分で交換できなかったらこれはダメだなということで即座にパネルを交換できる仕組みを作ったり、色々とやりましたね。

Bリーグ開幕戦中継で国際映像賞を受賞
写真提供:渡邊氏

原:まさに他ではお聞きできないような舞台裏話をお聞きすることができて、とても面白いです!社会人になってもバスケットボールに携わりたい学生もいらっしゃると思うので、とても興味深い内容であると感じます!

ここまでの話を踏まえて、神吉さんから何かお聞きしたいことなどありますかね?

神吉:そうですね、今大学4年生でついこの間就職活動を終えたのですが、学生から社会人へステップアップしていく上でのアドバイスや心構えなどを教えていただけると嬉しいです!

渡邊:まずは、いっぱいじゃなくて一個でもいいので、やりたいことを持つことですね。私も本当は映画やドラマを撮りたくてフジテレビに入社しました。ただ、配属された先は情報番組の制作だったんですね。情報番組の製作をやっているうちにやっぱりまたバスケットをやりたいな、バスケットをフジテレビでやりたいな、とぐるっと回ってまたバスケットにたどり着きました。何が言いたいのかというと、やりたいことがあったからこそ、今のやりたいことを見つけることができたのかなということです。

あとは体育会バスケット部で学んだ4年間は、チームとして動くことの重要性や土台を身につけられたと思うんですね。チームでは1人で自分の技術を磨かなければならない時もありましたし、自分を犠牲にしてでもチームのために何かやらなくてはいけない、ということもありました。そういう部分は社会に出てからも絶対に生きると思いますし、逆にいうとその辺りは、体育会という組織の中で自然と養われているはずなので、自信を持って就職してもらって大丈夫だと思います。

神吉:ありがとうございます!

原:最後に、慶應の受験を考えている学生にメッセージをお願いします。

渡邊:高校生の皆さんにとっては、この時期、大学に関する選択肢もあるし、その後の職業選びの時の選択肢もたくさんあると思います。私が慶應に入って良かったと思うのは、バスケを通しての素晴らしい人々との出会いであり、社会に出てからも慶應義塾の持つネットワークに助けられていることです。慶應のネットワークは本当に凄いです。今自分はバスケットボール業界に足を踏み入れましたが、様々な企業、スポーツ団体、スポーツを支えてくれている方々の中に、本当にたくさんの慶應OBの方がいらっしゃり、ものすごく助けてもらっています。

4年間バスケットをするという視点で大学を選ぶ人も多いと思いますが、人生は卒業してからの方が長く、長い視点で考えることも大切だと思います。慶應義塾のネットワークは間違いなく皆さんの社会人人生を支え、豊かなものにしてくれます。

あとは創立150年を越える歴史と伝統のもと、福澤先生の教えで有名な独立自尊が示すように、自ら考え行動するといった自立を重んじる校風、そして環境があります。そこで学んだ諸先輩方はまさに社会を先導するリーダーとして、様々な場所で活躍しています。

今の大学チームについてもそうだと思いますが、練習一つにしても学生が自分達で考えながらやるという環境は、間違いなく遣り甲斐もあるし、将来的に自分の力にもなっていくと思います。人間としても大きく成長できる場であると思います。

高校生の皆様、是非慶應を目指し、是非バスケットボール部に入っていただければと思います!

原:それではこれでインタビューを終了とさせていただきます。

改めて、本日は貴重なお時間をいただきありがとうございました!

渡邊雄太選手とJBAオフィスにて
「写真提供:渡邊氏」