石田剛規(2005年/横浜エクセレンス ゼネラルマネージャー)

インタビュー実施日:2023年6月28日(水)

石田剛規

横浜エクセレンスゼネラルマネージャー

原:2019年卒の原と申します!本日はよろしくお願いいたします。早速ですが自己紹介を含め、卒業後のキャリアや現在のお仕事について教えてください。

石田:今はBリーグの横浜エクセレンスというチームのゼネラルマネージャー(GM)をしています。

大学卒業後はJBLリーグのトヨタ自動車アルバルクに所属していました。大学3年生の夏くらいに、当時の監督に声を掛けて頂いたことがきっかけになります。

入団するタイミングでU24のユニバーシアード日本代表にも選ばれて、バスケを頑張ろうと思っていた時期だったのですが、その遠征中に前十字靭帯を切ってしまったり、リハビリから復帰後にまた膝を痛めてしまったりと、怪我が続いたこともあって、4年間で一旦キャリアを終えることになりました。

その後2年間は選手としてのバスケ生活から距離を置き、自分なりにクリニックやコーチの勉強をしていました。また「ブザービート」というドラマで俳優を少しやってみるなど、色々なことにチャレンジした時期でしもありましたね。

そして2年が経過した頃、自分の2つ下の女子バスケ出身の蒔平(2007年卒)さんが、千葉ジェッツのチーム発足に携わっていて、「選手として手伝って欲しい」という話を貰い、体づくりをもう一度やり直し、選手として復帰することを決意しました。

その後、2年間千葉ジェッツで活動した後、チームがbjリーグからNBLというリーグに移るタイミングで、移籍を考えるようになりました。トヨタ自動車アルバルクで一度挫折を経験したこともあり、トップで挑戦し続けることが自分のビジョンと少し違う、と感じたのですね。

今後の進路に悩んでいた時に、「スラムダンク勝利学」の著者でもある辻秀一さんが、当時代表として創設された東京エクセレンス(現横浜エクセレンス)に誘われ移籍することになりました。東京エクセレンスではNBDLで3年間、Bリーグが始まってからはB2リーグで1年間プレーをして選手生活にピリオドを打ちました。その後、6年間チームのヘッドコーチを経験させて頂いた後、昨年から現在の役職に就いたという流れになります。

大学時代は環境情報学部に所属していて、建築の勉強をしていました。そのまま大学院に進むという選択肢もあったのですが、お話ししたようにバスケ関係で縁があり、長い人生の中で一度くらいはバスケットボールに一層専念することもいいのかなと考え、現在に至ります。

写真提供:YOKOHAMA EXCELLENCE

原:SFCでは建築を専攻されていたということでしたが、高校生の頃から建築に興味があったのですか?慶應大学の受験のきっかけを教えて頂けますか?

石田:大学受験については、私が丁度「茨城国体」に選ばれた時に、スカウトとして少年国体を視察にきていたOBの加藤さん(1987年卒)から声をかけていただいたのがきっかけになります。

その後、AO入試で挑戦することになったのですが、大学のことを調べていくうちに、「街づくり」や「建築」に興味を持ち、SFCでは各専門分野についてより学際的な環境で深く学ぶことができるということに魅力を感じ、受験の準備に入っていきました。

入試への過程では、慶應大学バスケ部OBの方々が熱心に面接練習をしてくださり、自分の興味がある分野をどう掘り下げていくかについても教えていただきました。そして自分で専門書を読んだりして、知識を広げ、深めていくことができ合格できたのだと思います。

入学してみると建築やデザイン関係の授業は想像していた以上に沢山あり内容も多岐にわたり、受講するうちに建築に対する興味がより湧いてきて、2,3年の時は毎週模型を作ったり図面を描いたりということをしていました。

原:他の大学からのお誘いや、進学先の候補はあったのですか?

石田:他の大学からの誘いはなかったです。高校時代は、3年生のウィンターカップ予選までしっかりバスケをやりたいと思っていて、それからだと受験は間に合わないと思っていました。理系だったので浪人を考えたり、体育学部への受験も考えたりしました。もし行くとしたら筑波の体育学部かなというくらいでした。

父が理系だったこともあって理工学部も調べていたのですが、学力的に慶應などは受けられないと思っていたので、加藤さんにお声がけ頂いた時は「おっ!」と自分の選択肢に慶應が入ってくるのかという感じでした。

原:茨城国体での加藤さんとの出会いが進路選択の分岐点だったのですね。

石田:そうですね。

写真提供:魁生佳余子氏

原:大学進学後についての質問ですが、慶應大学バスケ部へ入部した後に感じた魅力や、苦労した点があれば教えてください。

石田:僕の同期入学では、全国で活躍した志村(2005年卒)がおり、入学が決まったタイミングでウィンターカップを見にいき直接会って話をしました。また、2つ上の先輩には当時の日本代表に選ばれていた佐藤健介さん(2003年卒) がいらしたりと、自分は全国大会に出るレベルではなかったので、月刊バスケットボール(雑誌)に載っている人たちと一緒にバスケができる、という楽しみな気持ちがありましたし、刺激になっていました。

また他の大学と違ってスポーツ推薦があるわけではないので、入学してきたメンバーは、各々のビジョンややりたい事が明確にあり、考え方、時間の使い方、ライフプランについて触れることで大いに刺激を受け、4年間考えながら過ごせたのは大きかったですね。

練習について、どのように質を上げていくかについても、入学当時から学生が主体となってよく話をしていました。高校レベルの考え方でいた自分にとっては衝撃的で、改めてこれまでとは違った環境に身を置くんだ、と身の引き締まる思いでした。

また当時は部員の人数がとても多い中、ミーティングなどを通じて目標に対してALL INでやっていこうという雰囲気を体感できた点は良かったと思います。

一方で、人数が多くAチームとBチームでの感覚のズレだったり、試合に出られない時にフラストレーションが溜まってしまったりということがあったと思います。

ただ、そのような困難にぶつかっても、メンバーみんなが前向きに考え行動したことで乗り越え、最後は一枚岩になることができ、強い団結力に繋がったのだと思います。

写真提供:魁生佳余子氏

原:そのようなチームの結束があって、日本一を達成できたのですね。

石田:インカレ優勝を目指す中、目標達成に向け高いモチベーションで練習をやってきたのですが、下級生の時は日本一を達成できませんでした。3,4年の時にHCが変わり、毎日練習を見てもらえるようになり、竹内公輔(2007年卒)が入部してくれて、高さの部分でも他の大学に負けなくなっていきました。様々な要素が重なって日本一を勝ち取ることができたのだと思います。チームの土台を作ってくださったOBの方々の存在はとても大きいと感じています。

原:話題が変わりますが、石田さんにとって早慶戦の位置付けはどのようなものでしたか?

石田:早慶戦に関して言うと、1年生は入学した直後ということもあり、一貫校から入ってきた人に比べても特に重みは感じていなかったと思います。

ただ、高校時代は試合会場にどんなに入っても大会関係者中心に数百人程度だったのですが、早慶戦は2~3千人の観客が集まり、ブラスバンドやチアも入り、その迫力に圧倒され、浮き足立ってしまい、何もできなかった印象が強いです。

OBの方々や上級生の早慶戦に賭ける思いの強さを改めて感じることができ、慶應のメンバーの一員になったのだなと思いました。

そして上級生になると勝利への拘りもより強くなり、また雰囲気の慣れたこともあり、自分のパフォーマンスも発揮できるようになりました。その結果、3・4年生の時は優勝することができ、非常に思い出深い大会であったと思います。

今でもバスケに限らず「早慶戦」の勝敗は気になりますし、心のアンテナにひっかかるイベントだと思います。

写真提供:魁生佳余子氏

神吉:少し話は戻ってしまいますが、部員も多くチームとして纏まるのが難しかった、とのお話しについて、下級生の頃から試合に出てきた石田さんとして、学年が上がるにつれてチームを束ねる際に意識していたことなどがあればお聞きできればと思います。

石田:そうですね。下級生の頃は試合に出ることで精一杯でしたし、下級生としての仕事もあり、試合に出ているからといって、決して天狗にならないように、地味な仕事などもしっかりとやることを意識していました。チームとしても、下級生の頃は目標を立ててそれに向かって努力する形をとっていたのですが、上級生になると考え方も大きく変わりました。これが決して良いとは思わないのですが、より勝ちにこだわって厳しくやるということを意識していました。

我慢すべき部分も多かったですが、練習に対する厳しさや、勝つためには何をしなくてはいけないのかという点もよく考えていたと思います。目標の設定と、実際の言動とが一致しないといけないなと思いつつ、何をするべきなのかと悩むこともあった時期でもありますね。

神吉:ありがとうございます。今後のチーム活動で参考にさせていただきます。

江畑:慶應バスケ部で学んだこと、経験したことが、社会に出られて様々な局面で役立ったということがあったらお聞きしたいです。

石田:やはり、一つの目標を達成する為に何をすべきかについてとことん考えること、そのプロセスの重要性を学べたことは、今の社会人生活でも活きていると感じます。勝利という目標達成のためにどれだけの熱量を込めてバスケと向き合うのか。そのために何をするべきなのか。逆に何を我慢しなければいけないのか。といった点について慶應バスケ部在籍中の4年間で、考え学べたことが今の社会人生活で活きていると感じています。

一方で、試合に出られない人や、支える側の立場の人の想いに気づくことができたことも、良い経験であったと感じています。社会人1年目で怪我をしたという話をしたのですが、怪我をしてしまうとプロの選手としては価値がゼロになってしまいます。その中で支える側の立場に立つことになった時、今まで見えていなかった世界が見えるようになりました。こういう想いで周囲のメンバーは出場選手を支えていたのかという目線に気付けたことは良い経験だったと思っています。

また、大学時代に経験したことについて、全く別の視点で思い返すこともあります。例えば物事を進める時は、一面的な部分ではなく、様々な要素が加わってチームが作られていくので、周囲の人に関心を持ったり、メンバーの特性を考慮した上で、それぞれの役割を考えることが重要です。そういった点についてもバスケ部での経験が社会に出てから、特にヘッドコーチやGMとしてチームの運営に携わる局面で活きていると思います。

写真提供:魁生佳余子氏

原:大学卒業後プロとして活躍された後に、ヘッドコーチ業や様々なキャリアを歩まれていますが、プロを目指した後のキャリアについて考えている高校生に対して、アドバイスがあればお伺いしたいです。

石田:年を重ねるごとに考え方が変わるのですが、アルバルクに入ったときは、日本のトップチームに所属できて、トップの選手を見られて、日本一を経験できてというのは恵まれていたと思います。プロとして活躍していくとか、存在感を高めて、価値を高めて戦っていくというのは魅力的に映るのかなとも思います。

一方で、将来の漠然とした不安というのはプロの選手もみんな抱えていて、プロ選手からしたら一般企業に勤めている人の方が、安定して働くことができるのかなと感じることがあります。プロだと土日の休みはないですし、常に次の日や試合のことは考えなくてはいけない、来年のことを考えなければいけないということがあります。

そのような中で、自分の考え方や、どのような生活を送るのかを、考える時間をつくることがとても大事なのかなと思います。何が正解かは何歳になってもわからないので、自分が何をして一番楽しいか、遣り甲斐や充実感を感じられるかを確かめるのが大事なのかなと思います。

少し違う話しになりますが、自分自身はバスケットボールの世界で生きることができて、いろいろな仕事を任せてもらう立場になってきているけど、GMという立場で選手の契約、コーチの契約を考える時に、日本の国際的な弱さが垣間見えるシーンが多々あります。この先、グローバル化も進むので、更に色々な方面で勉強し、踏み込んでいかないといけないのだろうなと思います。これまでも俳優は別として、コーチの勉強をしたりしてきましたが、GMとして英語やEXCELの使い方、契約書や法律関係を学んでいきたいと思っています。

原:最後になりますが、慶應バスケ部への入部を考えている高校生に対してメッセージをお願いします。

石田:今日のインタビューを受けて改めて、慶應バスケ部での4年間の経験が、今の自分の生き方の土台になっていると強く思いました。特に慶應は他大学に比べて、個性が強く、様々なビジョンを持った学生や、OBが集まる場所であり、所属することでバスケットボールのみならず、自身の人格形成や、世界観、価値観を広げる良い機会になると思います。

卒業してすぐに気が付かないかもしれませんが、後から糧になっていると感じられる時が必ずきます。

高校生の皆様、是非慶應バスケ部への入部を目指し受験を頑張ってください。世代を超えた慶應バスケットボール部の一員に加わっていただければと思います。

原:ありがとうございます!以上でインタビューは終了です。

本日はお忙しい中、ありがとうございました!

写真提供:YOKOHAMA EXCELLENCE