インタビュー実施日:2023年8月15日(火)
※勤務先、所属、役職等はいずれもインタビュー当時のものとなっております。
原:2019年卒の原です。本日はよろしくお願いいたします。
早速ですが、自己紹介を含め、卒業後のキャリアや現在のお仕事について教えてください。
秋田:平成元年卒(1989年卒)の秋田誠一郎です。卒業後は当時の三菱銀行に入社し、これまで34年間銀行に勤めてきました。そのうち20年が海外勤務で、直近はタイに4年間、ニューヨークに2年間赴任し、今年5月に久しぶりに帰国したという状況です。20年の海外生活のうち16年はニューヨークで、その間3回行き来しています。それに加えて小学生の頃にも5年半ニューヨークで過ごした経験があるので、人生の半分近い25年超が海外ということになります。現在は銀行の法人取引のうち日本の大企業を所管する部門にいます。
原:金融業界には昔から興味があったのですか?
秋田:銀行にはもともと興味がありました。幼少の頃の経験から漠然と海外で働いてみたいということは考えていました。当時はバブルの真っ只中でしたので、日本企業の海外展開も積極的でした。その中でも金融業界は海外に積極的に投資をして業容を拡大していましたので、さらに興味を持つようになり最終的に銀行を選んだという形です。
原:これまでのキャリアの中で、様々なお仕事に携われてきたと思いますが、「この仕事は面白い」と思った業務やエピソードなどはありますか?
秋田:M &A(企業の合併や買収)に関わる業務はとても面白いと感じていました。大きな企業のM&Aは金額の規模感も大きく、非常に遣り甲斐のある仕事です。加えて最近のところでは、DX(デジタルトランスフォーメーション)の進展に関わる機会があり、新たな領域としてこちらも興味深く面白かったです。タイの連結対象子会社であるアユタヤ銀行では、リテール業務が中心で、様々なものがスピード感を持ってデジタライズされていく場面を目の当たりにしました。タイは成長が加速しているASEAN諸国の中でも魅力あるマーケットで貴重な経験をすることができました。
原:ここから学生時代のことをお聞きしていきたいと思います。慶應大学へ進学された理由やバスケ部へ入部した理由は何だったのですか?
秋田:先程お話しした通り、中学1年の時に日本に帰ってきて、高校は慶應義塾高校(日吉)に入学しましたので、大学はそのまま慶應に進学しました。バスケに関しては、小学生時代アメリカに住んでいた時からずっとプレーをしていていました。当時からNBAが大好きで憧れのような想いもあり、日本に帰国してからも当然のように続けていました。
当時日本に帰国する前、一番印象に残り、かつその後のバスケットに対する思いが強くなったきっかけは、1979年のNCAAの決勝です。マジック・ジョンソンが率いるミシガン州立大学対ラリー・バードのインディアナ州立大学でした。結果はミシガン州立大学の勝利で、この決勝後、マジック、バードは各々LakersとCelticsに進み、皆さんご存じの通り80年代のNBA黄金時代を築き上げて行きました。この時代と同時期に中学・高校・大学を現役として過ごせたのは、大変刺激になり、チーム仲間と衛星放送をビデオに撮って良く盛り上がっていました。
卒業後、1990年から「スラムダンク」の連載も始まり、あの作品には80年から90年代のNBAシーンを連想させる様々な描写がありました。「これはあの試合のあの場面を参考にして描いたな」と分かるようなシーンがあり、神奈川を舞台にモチーフとした高校名や選手が多数登場する物語でしたので、人一倍身近に感じる作品でした。銀行で社会人になってからも、30歳くらいまで社会人バスケを学生気分でプレーを続けられるエネルギー源でした。
原:当時、社会現象を巻き起こすほどの漫画だったとよく耳にします。今の若い世代の人でも好きな人は沢山いる印象です。
秋田:当時から30年以上経つ今でも、多くの人達がスラムダンクを読んで楽しんでいますよね。オリジナルの漫画を読んだり、昨年公開された映画を見たり、歴史は繰り返されるというか、バスケの魅力はいつの時代も変わらない中で、新たな歴史を作っているというような印象があり感慨深いです。
原:大学では体育会バスケットボール部以外の選択肢もある中で、入部した理由はあったのですか?
秋田:一番はバスケットが好きだったからだと思います。ただ、バスケットが好きで楽しみたいという思いがある一方、当時の体育会は理不尽な部分もありました。それを乗り越え、より良いチームに変えていこうと取り組むことができたのは、バスケ好きな同期や仲間が集まっていたからだと思います。私たちの代は人数が多く女子を含めて全員で19人(男子15人、女子4人)おり、そのうち選手とスタッフは約半々でした。必ずしもみんなが選手というわけではなかったのですが、それぞれが自分の役割を見つけてバスケットに携わり続けていました。皆バスケが好きなんですね。今でも男女同期は仲が良く、時折皆で集まります。
江畑:学生スタッフの江畑です。僕も慶應義塾高校バスケ部の出身なのですが、最近は一貫校(付属校)から大学体育会でバスケを続ける人が減っている状況です。秋田さんは当時、体育会バスケ部にどのような魅力を感じて入部されたのですか?
秋田:体育会云々というより、単純にそのスポーツがどれだけ好きで、情熱を持って取り組めるかという点を大事にしていたと思います。「バスケを楽しむ」ということを大事にしつつ、当然のことですが遊びでやっている訳ではないので、目標を決めて真剣に勝負する、そのようなことを体現できるところが体育会の魅力であり、人生の中でもこのような機会はなかなかないと思います。
既に取り組んでいると思いますが、一貫校含めた高校生に、慶應義塾体育会バスケットボール部の魅力を存分に伝えて欲しいと思います。その為には、現役選手スタッフが慶應の魅力、体育会バスケットボール部の魅力を確りと理解して、磨き続けていくことが大切です。
90年を越える慶應バスケ部の歴史を遡っても、強い時、弱い時があり繰り返しでした。丁度私達が入学した時は3部に降格しどん底の状態にいました。そこから2部に上がり、自分達の後輩が1部に引き上げてくれ、そして日本一にまでなっていきました。単純に戦績というか、「強さ」だけを見た時、戦績が奮わない時代の慶應に魅力を感じない人がいたかもしれません。しかしそのような部分抜きに、「慶應」の強みや魅力は沢山ありますし、その情報を提供することで、自ずとメンバーは集まってくるのではないかと思います。これは内部(一貫校生)に限らず、地方から来る学生についても同じですね。
江畑:先日の合宿中にOBの井上さん(平成元年卒)からも近い話をいただいていたので、何だか胸が熱くなりました。
秋田:何事も情熱を持って取り組めるかどうかだと思います。これは大学バスケに限らず社会に出てからも同じです。情熱は内側から生まれるエネルギーだから、これだけは技術とか知識のように教えられるといったものではないんですね。その情熱がどこから生まれるのかと言うと、やはり「バスケが好き」ということなのだと思います。スラムダンクにもあったじゃないですか。「(バスケが)大好きです。今度は嘘じゃないっす。」って。
原:ここからは早慶戦のことについてお聞きします。様々な環境でバスケをやられてきた秋田さんにとって早慶戦とはどのような舞台ですか?
秋田:他にはない、伝統的で独特な舞台だと思います。アメリカにも早慶戦のようなライバル対決はありますが、バスケットボールの聖地と呼ばれるような代々木第二体育館に3000人を超える人々が集まり、プレーヤーのみならず、観戦する人が一つになって試合に熱中できる環境はなかなかないですよね。今でもとても印象に残る舞台です。
因みに、現役時代は異なりますが、同じ会社に勤めている早稲田のバスケ部出身の社員も何人かいて、皆とてもいい仲間です。当時はライバルでしたが、社会人になってから色々なことを語れる相手になっています。あの瞬間的な早慶戦も良いですが、その後長く続くライバルとの繋がりというのも、早慶戦という舞台があったからこその良さだと思います。
原:これまでの話の中でも、「学年の纏まりの強さ」や「それぞれの役割」という言葉が印象的で、社会に出られてからも、良いチームを創り活動されてきたのかなと感じています。現役当時の経験が社会人生活で活きていると感じる部分はありますか?
秋田:多々ありますね。特にチームワークという面での経験は大きく活きていると思います。集団スポーツに限らず、個人スポーツでもコーチやトレーナーといったスタッフがいて、一つのチームが成り立っています。パフォーマンスを発揮するのは選手ですし、本番というのは瞬間的な出来事になるかもしれませんが、その背景には彼らを支える組織やチームがあります。そういった組織の運営やチームビルディングについて学べたことは、今の社会人生活でも活きていると感じます。
同じような人を集めても勝てないですし、ダイバーシティといった言葉が流行っていますが、ただ悪戯に個性的な人を集めても良いというわけではないです。目指す姿があり、その姿に近づくために多種多様なメンバーを活かしたチームをどうデザインしていくか。ここが重要なのだと思います。
そしてその前提には個の力というのも必要不可欠ですので、それぞれが努力を積み重ね力を付けていく。その姿に、お互いがリスペクトの精神を持った上で、チームとして目指す姿にも近付いていくことが理想なのかなと思います。
色々と偉そうに言ってきましたが、それらのことを学生時代に全部できていたというわけではありません。できなかったからこそ反省をして、もっとこうできたら良かったなと思っている部分もあります。むしろ今も昔もそれの繰り返しですね。
江畑:秋田さんは、三菱UFJ銀行の副頭取ということで、後輩としても憧れとともに、誇りに思っています。そのような中、少し失礼な聞き方になってしまうかもしれませんが、社会人として出世するために重要な能力は何だと思いますか? そしてその能力はバスケ部での活動や経験の中で得られたものですか?
秋田:まずそれは出世を意識しないことじゃないかな。そういった部分を意識すると邪念が入りますしね。出世云の前にプロフェッショナルとして求められているパフォーマンスを発揮することが大事です。そういった信用が積み重なっていった結果、それらが信頼へと変わっていき、ここで言う出世と言われるような役割を任せられていくのだと思います。
バスケ部でもいませんか?プレーの場面にしろ、裏方の運営の時にしろ「ここはあいつに任せよう」と頼られるような人。そういった人も最初から頼られていた訳じゃなくて、少しずつ結果を残して信用され始めて、その信用が積み重なった時に本番でも頼られるような人物になっていったと思います。ここはバスケでも会社でも同じだと思いますね。
江畑:これから大学に入ってくる高校生は、学業以外にも起業やビジネススキルアップ等、部活動以外にも沢山の選択肢があると思います。その中で「体育会バスケットボール部」を選択する理由についてどのように思われますか?
秋田:本当にやりたいなら欲張って両方やればいいんじゃないかと思いますね。バスケに対して情熱を持って全力で取り組むことはベースとしつつ、世の中にはバスケ以外にも色々な世界があるから、そちらに触れる機会も得ていく。そういった部員も許容できる部にすればいいのではないかなと思います。
あと一つ言えるのはバスケ馬鹿にはならない方が良いと思います。というのも、バスケで成長するためのヒントはバスケ以外の部分にもあるからです。元NBA総得点ランキングに20年ほど1位に君臨していたジャバーという選手がいたのですが、彼は60年代当時からヨガやメンタル、柔軟性など、直接バスケに繋がらない部分も大切にしていました。
そういった歴史的名選手でさえ、自分に必要なものは何かと考え行動に移している訳ですから、ただバスケだけをやるだけではなく、必要だと思うことを考えて取り入れていけばチームとしても良い結果につながるのではないかと思います。
江畑:当時の慶應大バスケ部はそのような環境が整っていましたか?
秋田:いや、整っていなかったですよ。こういうのは自戒の念を込めていっています。(笑)
そういった部分を総合して、また世代を超えて創り上げてきたことが、選択肢の多い今の時代の慶應大バスケ部の魅力になっていくのかもしれないですね。
原:今日のお話の中で「情熱」という言葉がキーワードとして出ていると感じます。そういった情熱を社会に出てから持つことができず、疲弊している人も一定数いる状況だと認識していますが、秋田さんがお仕事に対しても情熱を持ち続けられている理由は何ですか?
秋田:「好奇心」ですかね。その課題についてはうちの会社でも話しています。やはり「好奇心」を持つことが大事だと思いますし、それが情熱のドライバーになっていくと思っています。「好奇心」は自分なりに「何故?」と思うから能動的に次のアクションに繋がっていくのですよね。そこでさらに色々調べたりして深みが出てくると、「これを試したい」といった更に次のアクションにつながります。
先ほどのバスケ馬鹿にならない方がいいという部分に通じますが、バスケってずっとはできないじゃないですか?終わった瞬間にじゃあこれからどうしようとなってしまうと、情熱がなくなってしまうんですよね。だからこそ日頃から色々なものに関心を持ち好奇心を養っていくことが、情熱を持ち続けるための一つの手段になると考えています。
他のことをするとバスケに費やす時間がなくなると思うかもしれませんが、そんなことはないです。こういった時間配分も含めて、調整していくマネジメント能力こそが今後のワークライフバランスを組み立てるスキルにつながるのかなと。
原:ここまでのお話の様々な部分が繋がりました。
それでは最後に、慶應大学への進学やバスケ部への入部を目指す高校生に一言メッセージをお願いします。
秋田:慶應義塾の良さは、人の繋がり、ネットワークの強さであり、体育会の活動では4年間苦楽をともにすることで、生涯の友を得ることができる、本当に良い仲間ができることだと感じています。これらはバスケットボール以前の部分かもしれないですが、いつの時代も変わらないものだと思います。
またバスケ部についても縦横の繋がりの強さは非常に魅力的だと思います。繰り返しになりますが、強い時期もあれば結果が伴わない時期もある。仮に自分たちの代で目標が達成できなかったとしても、悔しい想いを後輩に託して、今度は応援する立場に代わるといったように、次の世代にバトンが引き継がれていっているのですね。慶應バスケ部のOB・OGは、いつの時代も現役ファーストで、4年間最高の環境でバスケットに集中でききる環境づくりを支援しています。私も今の立場で現役部員に対して何か役に立てることがないか、考えており、これからも色々なことを手伝っていきたいと思っています。
バスケ部への入部を考えている高校生の皆さんには、「情熱」を持って入部してきて欲しいと思いますし、是非慶應バスケ部の一員になって欲しいと思います。
原:それでは以上でインタビューの方を終了とさせていただきます。
本日はありがとうございました。