インタビュー実施日:2023年7月20日(木)
※勤務先、所属、役職等はいずれもインタビュー当時のものとなっております。
醍醐辰彦
D5スポーツマネジメント株式会社 代表取締役
原:2019年卒バスケットボール部OBの原と申します。本日はよろしくお願いいたします。
早速ですが、自己紹介を含め、現在のお仕事や卒業後のキャリアについて教えてください。
醍醐:2006年卒、醍醐辰彦です。慶應義塾大学SFC中高出身で、大学4年時はキャプテンをやっていました。卒業後は株式会社電通に入社し、10年ほど在籍しました。電通時代の最後の2年は自費で アメリカにMBA留学をして、帰国後はずっとスポーツビジネスの世界でキャリアを積んできました。
2016年からはスポーツブランディングジャパンというスポーツマーケティングの会社に参画。そこで約5年間、NFLやNBAのワシントンウィザーズ、ESPNなどの海外スポーツ団体の日本市場における事業推進、国内のプロスポーツチーム等の事業サポート業務を行っていました。具体的には、北海道日本ハムファイターズや日本卓球協会などのサポートをし、東京オリンピック等にも携わることができ、自身の中でやり切ったという想いがありました。その後の新たな挑戦として独立し、自身の会社を起業。現在はDeNAのスポーツ事業成長に向けたサポートをさせていただいており、横浜DeNAベイスターズや川崎ブレイブサンダース、SC相模原などの3大スポーツ全てに携わっています(2023年現在)。加えて、きっかけは完全にご縁だったのですが、Bリーグの選手の代理人も去年から始めました。選手4人とコーチ1人の5名です。(FIBA国際代理人ライセンスを保有)
あとは、(自分の会社とは別に)スポーツテックスタートアップの役員も務めています(2023年現在)。両方本業ですので、毎日ずっと働いているような状況ですね(笑)
原:インタビュー記事を掲載する際に肩書きを記載しているのですが、何を書けば良いのかわからなくなるほど沢山のことをやられていますね!
醍醐:(肩書きについては)自分でもわからないです(笑)。良くも悪くも取り組んでいる範囲も広いので。ただ、目の前のことに対して全力でチャレンジしていく姿勢は、学生時代からずっと変わらないですね。そう思っていられているからこそ、色々と広がり始めているのだと思います。
原:海外留学をしようとしたきっかけ、決断したのはいつ頃だったのですか?
醍醐:決断したのは社会人4年目の時で、そこから留学に向けて、3年間必死に勉強しました。英語が本当に全然できなくて、仕事をしながら現地の大学院を受けられるまで英語レベルを向上させるのに3年も掛かってしまった、という表現が正しいかもしれないです。
原:企業に務めてから留学をされて、独立起業というキャリアを歩まれていますが、留学時にはすでに起業も視野に入れていらしたのですか?
醍醐:チャンスがあればそれもありかなと思っていました。ただ、その為に留学したというわけではなくて、アメリカに残っても良いし、日本に帰ってきても良い、自由に考えてみよう、というぐらい割とふわっと考えていましたね。卒業後の進路については、スポーツを仕事にしたいという想いは当時からありました。
原:お話をお伺いしている中で、決断力のある方だという印象を強く受けました。学生時代の経験などがその決断力につながっている部分はありますか?
醍醐:もちろん大きく影響していると思います。人生の大切なことは、だいたいバスケットボールを通じて学んだと思っています。慶應大学時代は、当時の僕の1つ上の代が46年ぶりにインカレ優勝を果たし、1つ下の代には現在も宇都宮ブレックスでプレーしている竹内君(2006年度卒)や、当時の日立でプレーしていた酒井君がいたりと、まさにトップレベルの環境でバスケに取り組んでいました。SFCの中高は地区でも2、3回戦レベルのチームであった中、高いレベルに身を置くことで、自らが引っ張られ高められていくという感覚を身にしみて感じたのです。
このような背景から「業界トップ」の環境には、必ず成長できる環境があると考えるようになり、その後の進路選択にも影響を及ぼしていたと思っています。
原さんは先程、「決断力」があると言ってくださったのですが、僕はそうは思っていません。基本的に人間は意思の弱い生き物だと思っています。体育会出身だとかキャプテンをやっていたという経歴から、さぞ意思が強い人間なんだろうって思われたりするのですが、実は全くそんなことはなくて。
当時キャプテンになったのも本当に巡り合わせだと思っています。僕の代は最初20人選手がいたのですが最後は選手は3人になってしまい、バスケの実力的には大したことのない選手であった自分がチームを統率する立場になりました。当時は日々必死に頑張るのみでしたが、後から振り返ると、そういうポジションに身を置くことが人を成長させるということを強く実感させられました。
試合にはワンポイントで出られるかどうかという状況の中、後輩たちは全国レベルで自分よりもはるかに上手な選手がゴロゴロいて、キャプテンとして日々の練習の質をどれだけ上げられるか、後輩の主力選手に対して時に厳しく指摘をしなければいけない局面も多々あり、精神的にはすごく辛かったです。ただ、そのような経験をできたからこそ、社会に出てから物怖じせずに発言したり、自分の意思や信念を貫き通すといった、言い換えれば決断力にも繋がったのだと思います。たとえ自分ができなくても物事を投げ出さない姿勢は、4年生の1年間で身に付けられたと感じています。
原:一貫校出身ということもあって、慶應大学への進学は固まっていたと思うのですが、バスケ部への入部以外の選択を考えられたことはなかったのですか?
醍醐:それは全くなかったですね。高校3年生の時にバスケの早慶戦を見て感激し、「自分もこの舞台で活躍したい!」って思ったからです。小学校・中学・高校の頃から、このような伝統ある定期戦を見て刺激を受けるという機会があることも、慶應の一貫校の良さだと思います。
また、慶應の良さは、推薦メンバーのみで構成されていた他大学に比べ、一般受験、一貫校、AO等地方から受験する外部メンバーが、上手く融和してバランスよく同じ環境でバスケに取り組める、ということなのではないかと思います。それこそ実績のない自分でも高いレベルの環境に身を置くことができる点も魅力に感じました。
原:ここまでの話を伺って現役学生の江畑さんから何か質問ありますか?
江畑:先ほど仰られた「物怖じせずにはっきりものを言う、途中で投げ出さずにやり切る」といった大学時代に学んだことが、社会に出て活きていると感じる場面はありましたか?
醍醐:社会に出ると、「こんな理不尽なことがあるのか?」という場面に度々遭遇します。そのような時こそ、大学体育会時代に培った物事の考え方や、対応力が大いに役立ちます。これらは、「辛いけど頑張り切った」という経験から得られるもので、一生の財産になるのだと思います。
それと、仕事を進めていく際に、「一人でできること」って限られるんですよね。僕も起業して一年半ぐらいになりますが、最初の半年で「一人でできることの限界が来る早さ」を痛感しました。自分を過信していたこともあるかもしれません。仕事・プロジェクト毎に共に取り組むパートナーやチームを組むことの重要性を40歳になろうとしている今改めて感じることが多いですし、大学時代にバスケットボールというチームスポーツを通じて自ずと身に付いていたことだったのでしょう。
現在、スポーツに関わる仕事をする中で、当時のチームメイトや先輩・後輩と一緒に仕事をするシーンが増えてきています。そこで感じることは「信頼」の強さです。4年間慶應バスケットボール部で共に切磋琢磨してきたという共通の思いの中で、「この人は最後までやりきってくれる」といった信頼を持てることはとても大きいことだと思っています。
昨今、インターネットやAIなど色々なものが出てきていますが、結局はビジネスをするのは「人」なので、ここでいう「信頼」と言う部分が本当に重要になります。その意味でもこれからも人との繋がりを大切にしていきたいと思っています。
江畑:私自身、現在の部活動での経験が今後どのように活きていくのかイメージしきれていない部分があったのでとても参考になります!
醍醐:仕事とスポーツは通ずる部分が沢山あると思っています。例えば、広告代理店の仕事で、お客様から「これまでいろいろ作ってもらっていたけど、明日の朝までに全部変えて欲しい」と難題を言われたことがあります。その時に泣いて諦めるのか、どうにかして明日まで間に合う方法はないのか考えるのか、期日を延ばしてもらえないか交渉するのか、解決策を見出していくことはスポーツの世界でも同じですよね。大会直前に主要メンバーが怪我をして出られなくなる、部員が辞める、でも試合は確実にある。その時も置かれた状況でどうにかして勝つ方法を考えますよね? そのような点でも、仕事とスポーツは似ている部分があると思います。
原:先ほど大学バスケ部に入部した理由で「早慶戦」のお話をされていましたが、実際に経験した「早慶戦」はいかがでしたか?
醍醐:やはり本当に特別な舞台でした。4年生時の目標は「早慶戦勝利」と「インカレ連覇」を掲げていました。「インカレ連覇」については1つ上の代でインカレ優勝をしており、連覇を狙えるチームは自分達しかいない中で目標として掲げていました。一方で、もしかするとそれ以上に「早慶戦勝利」は胸の奥底から溢れてくるような想いであり目標でした。今思うと不思議なパワーを持っているのですよね、早慶戦って。
当時は何度か部活を辞めようと思ったことがありました。1年生の時、2年生の春シーズン終わった時も、選手としてではなくマネージャーとして続けた方がいいのではないかという状況に置かれ、思い悩んだ時期が続いていました。ただ、そのような時に僕をバスケ部に繋ぎ止めてくれていた存在が早慶戦でした。「あの舞台を経験するまではやめられない」という想いが消えることはなく、何とか3年生の秋にAチームのメンバー入りを果たしました。改めて、早慶戦は不思議な求心力のある大舞台だなと思います。
原:まさに今年(2023年)の6月に代々木第2体育館で開催された早慶戦を見て「慶應大学でバスケがしたい、慶應を目指したい!」という高校生が増えて、練習見学や受験に関する問い合わせが沢山ありました。
醍醐:シンプルに「日本一のライバル対決」だと思います。小学校から大学・プロを含む全てのカテゴリーを見ても、あれだけのライバル対決は他にないのではと思います。
原:様々な現場を見られてきた醍醐さんでもそういった印象を持たれるのですね。
醍醐:本当にそう思いますね。留学したパデュー大学はバスケ部のレベルも高く、ライバル校がインディアナ大学というところでした。このライバル対決も相当凄いものでした。アメリカにはデューク大とノースカロライナ大など伝統ある大きな対戦がありますが、日本には早慶戦の他に思い当たりません。100年近い長い歴史を通じて、そういった好敵手がいること。そのような歴史の一部として、あの空間を体感できることは慶應に入ったからこそ得られる特別な権利だと思います。またいつまでも良き思い出として心に刻まれます。
江畑:その他に、慶應大学バスケ部に入部したからこそ得られたと感じるものや、そういった経験はありますか?
醍醐:志を持った仲間と本気でゴールを目指せる経験は何物にも代えられないものだと思います。まあこれは他の大学でもそういった環境はあると思うのですが、卒業後の繋がりの強さという点では、慶應だからこそ得られるものといって間違いありません。
実際、僕は卒業後も何度もそういった慶應義塾や体育会バスケットボール部のネットワークに助けられています。例えば、電通に入社するとなった時も、OBの先輩方に声を掛けて頂き、また入社祝いで食事に誘ってくださり、今後の不安を和らげて下さいました。これはバスケ部に限らず、他の(慶應の)部の先輩も例外じゃありません。
ビジネスの面で言うと、そういった繋がりから仕事を紹介して貰うということも沢山ありました。僕が一緒に仕事をしているパートナーの一人に、慶應ラグビー部出身の先輩がいらっしゃいます。その方からも、最初に慶應バスケ部で4年間やってきたからこそ親しみを感じていただき、今の関係値につながっているように思います。慶應の体育会バスケ部出身というのが「信頼の印のようになっているなあ」と感じる瞬間でした。
原:最後に入部を検討している高校生に対して何かメッセージを頂けますか。
醍醐:伝えたいことは一つです。どのような環境でも「何かに本気で向き合い、真剣に取り組むという経験を積んでほしい」ということです。自分の場合はバスケですが、必ずしもそうでなくてもよいと思っています。
留学をしたきっかけにもなるのですが、僕自身大学卒業後に電通で働き始めたものの、当時バスケをやっていた時のような熱量で業務に取り組めていない自分がいました。勿論とても良い会社でしたし、一生懸命何事にも取り組んでいましたが、この先30年、40年と働いていくのであれば、あの時のようなパッションを持ち続けながら働きたいと思っていました。それが留学を決断したきっかけにもなりますし、スポーツを仕事にしようと考えたきっかけにもなります。こういった感情を持つことができたのは、何かに熱狂し真剣に取り組んだ経験があったからこそなんですね。今の僕にとってのそれはスポーツビジネスで、一生働き続けたいと思うくらい好きなんです。(笑)
この状況は限りなく大学時代にバスケに取り組んでいた自身の状況に近いと思いますし、とても幸せを感じつつ、やる気や充実感に満ち溢れています。これはスポーツビジネスの世界に足を踏み入れるまではなかった感覚でした。恐らく真剣に取り組んだ体育会の4年間がなければこのように考えること自体なかったと思いますし、改めて、みなさんには大学生活で一つ何かに本気で取り組んでほしいと思います。それが慶應バスケ部であればとても嬉しく思います。
最後に自信を持ってお伝えできることとして、慶應義塾大学体育会バスケットボール部で4年間過ごしたことこそ、今の自分の生き方や考え方の土台になっていますし、これからも何事にも代えがたい財産であるということです。高校生の皆様には、慶應義塾大学バスケットボール部への入部を是非目指して頂き、今後の長い人生における様々な基礎を作るとともに、私達の仲間になって頂ければ大変嬉しく思います。
原:以上でインタビューは終了です!本日はどうもありがとうございました!