学部:環境情報学部
出身校:三重県立四日市工業高等学校
〈志望動機〉
私には、「スポーツを通して日本中に活気をもたらしたい」という夢があります。このような夢を抱くようになったきっかけは、小学3 年生の頃から取り組んできたバスケットボールにあります。今でこそ、八村塁選手のようなスーパースターが出現したバスケットボールですが、2年前の秋まで、その競技人口からは想像できないほどメディアでは注目されていませんでした。私は、その原因は、日本代表の国際舞台での実績不足と、メディアでの露出が少ないことにあるのではないかと考え、「競技自体の底上げ」そして「新たな観戦方法の提供」という2 つの面で、スポーツを通じた社会貢献をしていきたいと考えました。
具体的には、アスリートを支えるために医療機関とスポーツ教室を融合させたような「新しい概念のクリニック」の設立、そして、観る人を魅了するために、多くの人が集まる場所に、3D映像や音声システムを駆使した街頭ビジョンを設置し、ニューヨークのタイムズスクエアのような躍動感のある空間を作る事業を考えています。
この夢を実現するためには、スポーツ工学、脳科学、デジタルテクノロジー、心理学、経営学、法律学など様々な分野の学問を、多角的かつ深く学ぶ必要があり、これを成し遂げることができるのは、各分野で最先端の研究が行われている文理融合型の慶應義塾大学環境情報学部しかないと考えました。また、勉強や習い事、バスケットボールに全力で取り組んできた私にとって、学問にもスポーツにも一切の妥協を許さない慶應義塾大学は幼い頃からの憧れであり、入学後は体育会に所属し、文武両道を体現したいという強い思いがあり、志望するに至りました。
〈受験準備〉
私が慶應義塾大学受験の覚悟を決め、本格的に取り組み始めたのは、高校3年生の6月下旬でした。これは他のAO受験者と比べ大変遅いスタートだったと思います。
まず、2000字の志望理由書を完成させるために、「自分の将来やりたいこと」と、そのために「慶應義塾大学で学びたいこと」を整理する必要がありました。そこで、マインドマップを作り、それぞれのアイディアに肉付けをしながら文章を書くことで、考えを深めていく作業を行いました。また、クリニック起業を考えるきっかけとなったU18日本代表候補キャンプで受けた指導および全国大会での経験も述べることにしました。
↑高校3年時の全国大会の写真です。全国大会で戦った経験は今もかけがえのない経験として活きています。
次に、志望理由書には大学での学びの計画を述べる必要があります。私は、SFCの先生方の専門分野や研究内容などを詳しく調べ、自分の夢を実現するためにSFCでどのような学びが可能かを徹底的に考えました。志望理由書の内容に客観性を持たせるために、関連する分野の研究論文を読んだり、インターネットで大企業や省庁のホームページを調べたり、その分野に携わる人の記事を読んだりしました。時には良い考えが浮かばず焦ることもありましたが、学校の先生や先輩と話すことで新たな気づきを得ることができました。何度も書き直した末にようやく納得できる志望理由書になったのは、インターハイ出発の直前でした。
一次の書類を提出した後は、すぐに2次の面接試験の準備をする必要があります。私はまず、想定される質問に対する答えを考えるところから始めました。志望理由書に書いた内容を、より広く深く調べたり、その分野で活躍されている方に実際にインタビューをしたりして現場での苦労話を聞いたりしました。
加えて、自分のこれまで歩んできた道をもう一度振り返り、面接官に私という人物をより理解してもらえるように、自分の強みを改めて考えることにしました。
高校時代オール5を取るためにたゆまぬ努力をしたこと、情報技術検定他9つの資格を取得したこと、一般受験に向けて受験対策をしていること、中学校時代も3年間ほぼオール5であったこと(成績を証明する通知表および定期テスト・模試の結果も付けた)を述べ、高校時代に習得したC言語や通信技術の知識をSFCでの学びに活用したいということをアピールすることにしました。
これらの準備に多くの時間を費やしてしまったため、模擬面接を始めたのは1次試験合格後、つまり2次試験の10日前からでした。実際にやってみて思ったことは、書くことと話すことはまったく別物であるということでした。
最初のころは、言葉がうまくつながらず、しどろもどろで悲惨な状態でした。
しかし、学校の先生、先輩方、高校教師である両親に面接官役になってもらい繰り返して練習をするうちに、少しずつ上達しました。面接官からするどい質問が飛んできても、粘り強く考えて、最良の答えを出すように努めました。試験当日は、100パーセントの力を発揮できなかったかも知れませんが、どの質問にも誠実に答えられたのではないかと思います。
私は、幸運にもⅠ期で合格することができましたが、もしAO受験で不合格なら一般受験、それでも結果が出なかった場合は浪人しようという覚悟で受験に臨みました。慶應義塾大学になんとしても入学したいという強い意志があれば、おのずと道は開けると思います。
↑憧れだった慶應義塾大学では、文武両道の毎日を送っています。昨年は公式戦にも出場させていただきました
〈バスケットボール部について〉
現在、新型コロナウイルスの影響で、本塾バスケットボール部は昨年度までのような活動ができない状態が続いています。早慶戦は延期、夏までの試合は全て中止となり、自主練習やオンライントレーニング、オンラインミーティングを行う日々です。このような時だからこそ、今まで以上に、慶應義塾大学バスケットボール部の存在意義は何か、チームとして何を追求すべきかを問いながら、一人一人がチームのためにやるべき事に取り組んでいます。
この先どうなるか、見通しが立っていない状況ではありますが、今後、早い時期に仲間とバスケットボールに打ち込み、そして私の夢である「スポーツを通して日本に活気があふれる日」がくることを心から願っています。