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わたしのむかし 寺部勇佑(選手)
2020年8月12日 8:00| Comment : 0

○はじめに
こんにちは!
慶應義塾大学環境情報学部4年、ならびに體育會バスケットボール部で選手をやっている寺部勇佑です。
今回、わたしのむかし企画ということで、過去の経験から、現在の體育會バスケットボール部での生活に活かされていることについて書こうと意気込んでいましたが、私より前に書いている和田、杉本、小澤のように輝かしい過去や、考えながら行動した経験があるわけでもなかったため、幼少期から現在に至るまで、ありのままの姿を綴っていきます。
拙い文章になってしまいますが、気軽にお読みいただけると嬉しいです。
○チャレンジ人間
私は、好奇心旺盛な人間です。
その影響もあって、これまで多くのスポーツを経験してきました。
父親の影響でラグビーを7年間、小学校の部活動でソフトボールと陸上、そして現在も続けているバスケットボールといったような、様々なスポーツを取り組んできました。
ほぼ毎日、何かのスポーツに打ち込み、休日になると午前はラグビー、午後はバスケといったようなハードスケジュールの中で生活していました。
今考えると尋常じゃない体力を持っているなと我ながら感心してしまいます。
また、自分で言うのもなんですが、どのスポーツもある程度上手かったです(笑)
特にラグビーにおいては、1試合に1人で40点取ることも多々あり、ずっとラグビーを続けていたらと考えると、違う形で慶應義塾に入っていたかもと考えるほどです。
そういった幼少期を過ごしたおかげで、小学生にしては筋肉がつき、ガタイが良くなりすぎてしまい、現在は兄弟と比べて圧倒的に身長が低くなったり。(長男:190cm次男:185cm 自分:168cm 順当にいけば180cmの予定だったのに…)
そんな冗談は置いておいて、振り返ると「わたしのむかし」は大なり小なり、様々なことにチャレンジをしていたなと思います。
様々なスポーツに取り組んだり、小学生ながらミニバスケットボールのチームを移籍して隣の市まで通ったり、国立の小中学校でエスカレーターで上がれるのに中学校進学であえて公立の中学校に行ったり、無名な選手なのに、名門の洛南高校に行ったり。
様々な選択肢があり、その分岐点に立たされた時に、どの道を選択するのか。
そういった決断をしなければいけない際、ワクワクする道、なかなか人が選ばない道、険しい道に挑戦したくなってしまうのが私なのかもしれません。
また、自分自身が決めた道を正解にできるように、行動していました。
その好奇心旺盛さや恐れ知らずな性格のおかげで現在、私は慶應義塾に入学することができ、體育會バスケットボール部にて活動をしています。

○発信と度胸
上記にもある通り、私は3人兄弟の末っ子です。
自分で言うのもなんですが、お兄ちゃんやその友達からものすごく可愛がられていました。
そのおかげもあって、幼少期から年上の人たちと関わることも多く、同じ目線で話したり、わがままであったり、とても生意気な小僧でした。
みなさんが想像する通りの典型的な末っ子像です。
そんな末っ子の自分だからこそ、良くも悪くも今に活きているなと思うことは、相手が年上でも、自分の考えていることはしっかりと伝えるという発信力と度胸の良さであると考えております。

当時は、その発信力と度胸が良すぎるせいで喧嘩や失敗をすることも多々ありましたが、その経験があったからこそ、現在の私を形成しています。
そして、今もなお「発信」は特に大切にしています。
自分の考えていることを言葉にしなければ、絶対に伝わらないし、伝えることで議論が生まれ、相互理解に繋がる。
練習においても、日常生活においてもです。
慶應義塾體育會バスケットボール部は、学生主体のチームであると言われており、学生一人一人がチームについて深く考え、発信し、行動するということが大切であり、そのプロセスが勝利に直結していく。
今後も持ち前の、発信する力と度胸を活かして、本塾の勝利に導けるよう精進していきます。
○最後に
今回「わたしのむかし」企画で自分自身の幼少期から現在までを振り返りました。
「自分の過去の経験で現在のバスケットボール部生活に活かされていること」というテーマではありましたが、私自身、特別何かをしてきたわけでもなく、「人に恵まれた」という言葉が正しいのではと思っています。
偉そうに、いろんなことを書きましたが、22年間、多くの方々に支えられながら生きてきたなと改めて実感しました。
特に両親は、様々なことに挑戦する自分をいつも応援し、支えてくれていました。
最終学年となり、学生バスケも残りわずかなので、両親を始めとする、応援してくださった方々に少しでも恩返しができるよう、これからも精進して参ります。
現在、コロナ禍で、もどかしい状況が続いていますが、手と手を取り、支え合いながら、みんなで乗り越えていきましょう。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
わたしのむかし 小澤力哉(選手)
2020年6月24日 20:00| Comment : 0

〇はじめに
こんにちは。
慶應義塾大学経済学部3年、ならびに体育会バスケットボール部選手の小澤力哉と申します。
今回はわたしのむかし企画として、自分の過去の経験で現在のバスケットボール部生活に活かされていることについて語っていこうと思います。
拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
〇目標設定
たった20年弱ではありますが、今までの自分の人生を振り返ってみると、私はどんな時でも「目標」を設定していたように思えます。
小さな目標でも大きな目標でも、達成することをモチベーションとし、そのプロセスを楽しんでいたように思えます。
私には3つ上の兄がいます。
兄を持つ人間ではあるあるかもしれませんが、幼少期の目標は兄でした。
厳密に言うと兄は目標というよりはライバルでした。
どんな時でも兄には負けたくない。
兄の残す記録を全て超すことが幼少期の私のモチベーションでした。
今でも鮮明に覚えているのが、小学校1年生の時のことです。
全力で走っているにも関わらず、兄のスキップに勝てませんでした。
3学年も下となれば、身体能力では勝てるわけもありません。
しかし、当時の私にとっては屈辱的で、悔しくて悔しくてたまりませんでした。
小学生の時の習い事は、公文・スイミング・サッカー・中学受験塾・バスケです。
そのうちバスケ以外は、全て兄を真似て始めたことです。
公文では習熟度が3学年以上先に達した人のみ表彰され、オブジェが貰えます。
兄がオブジェを貰っているのが羨ましく、兄が1つなら自分は2つオブジェが貰えるように頑張りました。
スイミングスクールでは、兄がメダルを取ったなら自分もメダルを取る。
サッカーでは、兄が1つ上の代の試合に出ているのなら、自分も1つ上の学年の試合に出る。
習い事以外でも小学校のスポーツテスト・運動会のリレーの選手になった回数・水泳の授業の進級テストなど、全ての項目において兄には負けたくありませんでした。
放課後も同級生と遊ばずに、兄の遊びに混ざって必死に差を埋めようとしていました。
そのため、兄が小学校を卒業したときには競う相手がいなくなり、つまらなくなったのを覚えています。
しかし中学受験塾で自分より優秀な同級生に出会い、刺激を受けながら今度は志望校合格という目標に向けて、必死に勉強しました。
結果として小学生時代は、ほとんどの目標を達成することができました。
自分で目標を定め、目標達成の為に全力で取り組んでいた日々は非常に楽しく、有意義な時間でした。
自分で決めたことは貫き通す性格は小学校時代に形成されたと思います。
中学・高校の部活動では、個人の目標だけでなく、チームの目標というものが新たにできました。
個人の目標とは違い、チームが勝つ為に自分が何をすべきかを考え、行動しました。
達成できたものもあればできなかったものもありましたが、仲間達と共に切磋琢磨した時間は宝物になっています。

〇ケガをしない身体作り
もう1つ、私の過去の経験で現在に活かされていることは、「ケガをしない身体作り」です。
私は高校2年生から去年まで毎年、完治に数か月を必要とするケガを繰り返してきました。
私のことを昔から知っている人の中では、バスケットをしている姿より、ケガで休んでいる印象の方が強いと言う人もいるかもしれません。
ケガの原因は、身体の使い方が悪い・試合中の事故のようなもの・プレーの判断が悪い・ケアをせずに痛みを我慢させて悪化させるなど、毎回違いました。
しかし、「毎回原因が違うからケガをしたのはしょうがない」とは思いません。今振り返ると、その時その時で対応できたことはもっとあって、ほとんどのケガを防ぐことができたと思います。
過去のそういった経験があるからこそ、今はケガをしないために様々な取り組みをしています。
運動後には必ずストレッチを行いますが、いわゆる一般的なストレッチ以外に、ポール・ローラースティック・マッサージボールを用いて筋肉をほぐし、なるべく疲労を残さないようにします。
睡眠の質を高めるために最近は自律神経を整える音楽を寝る前に聞き、リラックスした状態で熟睡できるように心掛けています。
また、筋力トレーニングで当たり負けしない身体作りをすることもケガをしないための1つの手段です。
元々You Tubeで筋トレ系YouTuberの動画を見るのが趣味だったこともあり、トレーニングの質や効果を高めるためにフォームの研究、食事のタイミングや内容の管理、サプリメントの摂取は積極的に行っています。
痛みなど身体にエラーが出たときは、中学時代からお世話になっている理学療法士の先生に診てもらうようにしています。
そして、私が1番大事にしていることは「ケガをしない」と自分自身に言い聞かせることです。
練習前やトレーニング前に必ず1度自分に言い聞かせて意識付けすることで、判断力の低下などを防ぎ、ケガのリスクを低下させていると思っています。
しかし、ここまで堂々と語ってきましたが、ケガを繰り返してしまっている以上、私の言葉には説得力がありません。
ケガをしないために出来ることはまだまだあるはずです。
これから先も「ケガをしない身体作り」は私のテーマにしていきたいと思っています。
〇最後に
コロナウイルス感染拡大による自粛期間で、自分自身と向き合う時間が増えました。
今回のこの「目標設定」と「ケガをしない身体作り」の2つは、その中で思い浮かんだことです。
また、先輩や後輩・同期の協力もあり、今まで分かっているようで分かっていなかった自分の長所や短所・課題を発見することができました。
そして、今の自分が形成されているのは決して自分1人の力ではなく、たくさんの人々の支えがあったからだということを改めて感じました。
待ちに待った練習の再開の目処が立ってきています。
チームとして準備できる期間が限られてはいますが、再開後はチームの目標達成のために自分ができることを考え続けていこうと思います。
そしてこの自粛期間で得た学びをしっかり実践し、全力で取り組んでいきたいと思います。

わたしのむかし 杉本匠(選手)
2020年6月6日 18:00| Comment : 0

○初めに
こんにちは!
慶應義塾大学経済学部2年、ならびに体育会バスケットボール部選手の杉本匠と申します。
今回は、わたしのむかし企画として自分の過去の経験から、現在の体育会バスケットボール部生活に活かされていることについて語っていこうと思います。
これはバスケットボール部に限った話ではありませんが、一年間体育会として活動してみて、「体力」と「壁を乗り越える力」という二つの能力が必要不可欠であると感じました。
選手は授業や試験を受けながら、朝練や午後練、ウェイトトレーニングにも全力を注ぐことが求められます。
これらの忙しいスケジュールをこなしていく「体力」は必須であると思います。
また、スポーツに本気で取り組むと、必ず壁に当たります。
身長もなく、AO生のようなスキルもない私なら特にです。
そのため結果としてその壁を乗り越えられなくても、越えようとどう試行錯誤していくか、そのような力も必要であると感じました。
このような能力の獲得や自分の人格形成には、私の小学校時代の経験が大きな影響を与えています。少し長くなりますがお付き合いいただけると幸いです!
○器械体操を通じて
私は幼稚園から東京に引っ越してくる中学年まで約5年間器械体操に打ち込んでいました。
始めたての幼稚園の頃は、鉄棒で逆上がりをしたり、跳び箱を飛んだりと優しい先生に教えられ、なんとなく体操が楽しくてやっていました。
しかし器械体操に熱中した私は小学校に上がり本格的に習うことを決めました。小学校に上がると、優しく教えてくれていた先生は別人のように厳しくなり、練習も小学校低学年とは思えないほどハードになりました。
一週間の練習のスケジュールです。小学校時代のこのスケジュール、が現在の忙しい日々を過ごしていける「体力」につながっていると思います。
月 18時~22時
火 18時~22時
水 off
木 18時~22時
金 18時~22時
土 9時~16時
日 9時~16時
そして、先生は特に礼儀に厳しく、挨拶を忘れたり返事をしなかったりすると、10分間の壁倒立などの罰を課されました。
当時はただ罰が嫌で挨拶をしていましたが、今では人として当たり前のことができるように指導していただいたことに感謝しています。
練習にも慣れてくるとだんだんと上達し始めました。
競技人口が少ないということもありますが大会でも成績を残せるようになっていきました。順調に競技生活を過ごし、正直調子に乗り始めていた私ですが、他のクラブからどの種目でもかなわない子が出てきて、人生で初めて挫折を味わいます。
その子と合宿で一緒に練習する機会があり、間近で見ると一つ一つの動きが自分とは異なり、小さいながらに才能の差というものを感じました。
結局、その子には勝つことはできませんでしたが、人生で初めて壁というものにぶつかり、それに向かって努力できた瞬間でした。

○2度目の挫折
そして、二度目の挫折が訪れます。
小学校3年生の中盤に差し掛かる頃、私は鉄棒から一回転して、着地するという降り技に他の同期よりも一足先に挑戦していました。
しかし、初めて先生の補助なく一人で挑戦した時、回転のしすぎで背中から落下してしまいました。
けがなどはなかったのですが、再挑戦しようとしても、その時の失敗が脳裏に浮かび動き出すことができなくなってしまいました。
先生が隣にいてくれれば簡単に成功させることができたのですが、一人になるとどうしても恐怖で体が言うことを聞きませんでした。
そのうち、同期が次々とその技を習得していき、悔しさや恐怖などいろいろな感情から、器械体操へのモチベーションを失い、やめたいと思うようになっていました。
そして、親の転勤により引っ越すことになり、結果的に器械体操はやめることになりました。だらだらと続けていた自分ですが、先生と話し合い、やめるまでにその降り技を成功させることを決意しました。
その日から恐怖を取り除くためにイメージトレーニングをしたり、フォームを一から見直したり、高いところから飛び降りてみるなど一見意味のないようなことも試してみました。
なにが功を奏したのかはわかりませんが、最後には驚くほど簡単に成功することができました。
自分のこのような幼少期の体験によって、「体力」と「壁を乗り越える力」の土台の部分が養われました。
○バスケットボールを始めて
そして、中学校に入学しバスケットボールを始めます。
特に高校では受験もなくバスケットボール一筋の生活を送っていました。
強くはありませんでしたが、毎日の朝練、週6での練習と厳しい環境で本気でバスケットボール生活を送ってきました。
高校での生活は今の大学での学校生活と練習スケジュールの部分は似ており、そういう点で高校時代培った「体力」が今に活きていると感じます。
また、高校では自分自身やチームの問題などをチーム全員で解決しようと考え取り組んできました。
目標に達することはできませんでしたが、かけがえのない経験として大きな力になっています。

○最後に
今回は自分の過去の経験などを通じて、体育会として活動するうえで必須だと感じたことについて書かせていただきました。
しかし、その人の過去や、チーム内での役割によって持っている能力や必要とされる能力は変わってきます。
どんな能力であれ、一朝一夕で身につくことはなく、必ず過去の経験などから培われていくものです。そして、それは過去の自分が全力取り組んだ結果としてついてきたものだと思います。
また、過去の自分が今につながっているように、今の自分が必ず未来につながっていきます。現在、コロナウイルスの影響でできることが限られていると思いますが、全力で取り組んでいきたいと思います!
長く稚拙な文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
わたしのむかし 和田昂大(スタッフ)
2020年5月24日 8:00| Comment : 1

○始めに
こんにちは!
慶應義塾大学総合政策学部2年、ならびに体育会バスケットボール部スタッフの和田昂大と申します。
今回は新企画、【わたしのむかし】企画として、自分の過去の経験で、現在のバスケットボール部生活に活かされているものを語っていこうと思います。
○體育會バスケットボール部のスタッフ
私は體育會バスケットボール部でスタッフとして活動しており、重要だと感じる能力が2つあります。
それは「考える力」と、「マルチタスクの能力」です。
スタッフは選手とは違い、直接的にプレーでチームの勝利に貢献することはできません。
そのため常に自分がどこでチームに貢献することができるか考え続ける必要があります。
そしてスタッフの仕事は多岐に渡ります。
事務仕事から練習のサポート、対戦相手のスカウティングや広報活動など、あげればキリがありません。
多くのスタッフはその役職のエキスパートとして活躍しています。
しかし私は広報を中心に、幅広い仕事に携わらせてもらっています。
今回はそんな私が「考える力」と「マルチタスクの能力」について少し語らせていただきます。
○マルチタスクの能力
このマルチタスクの能力を培った経緯を話すには、幼稚園時代までさかのぼります。
私が通っていた幼稚園はとてもスパルタで、勉学にも力を入れている幼稚園でした。
幼稚園の頃から漢字の書取りや、掛け算割り算を勉強していました。
そのため小学校に進学した時点で学習面には余裕がありました。
勉強面で余裕があった私は時間を持て余し、習い事を始めました。
小学校3年生ごろから、水泳、そろばん、陸上、サッカー、ピアノと習い事は学年を重ねていくごとに増えていきました。
週6日みっちり習いごとをしている忙しい小学生は我ながら数少ない存在であったと思います笑

また私は小学5年生の頃に中学受験を考え始めたため、そのタイミングで学習塾にも通い始めました。
この頃のスケジュールは
月曜 水泳→塾
火曜 off
水曜 ピアノ→塾
木曜 陸上→そろばんor塾
金曜 サッカー
土曜 朝,陸上→塾
日曜 塾
という大人顔負けの過密スケジュールでした。我ながらよくやっていたと思います笑
6年生になり、受験勉強も本格化してきた私は習い事を減らしたいと親に伝えました。
しかし我が家には「結果を出さなければやめられない」というルールがありました。
このルールにのっとり、どうにか陸上では駅伝大会で入賞、水泳でも大会入賞、そろばんでも級位取得など全ての習い事で結果を出すことが出来、無事習い事を辞め受験勉強に専念することができました。
小さいうちにこのスケジュールをこなし、なおかつ結果を出さなくてはいけない環境下であったからこそ、現在バスケ部のスタッフとして幅広い仕事に携わらせてもらえるようなマルチタスクの能力が身につけられたのだと思います!

○考える力
そして中学校に入学した私は、それまでとは一変してバスケ一筋の生活を送っていくことになりました。
私の中高のバスケット生活は問題だらけでしたが、それが今の考える力につながっていると感じます。
私は中高ともに決して高いレベルとは言えない環境でバスケットボールをやっていましたが、それでも部員全員で目標達成に向かって切磋琢磨していました。その中で多くの問題が起きました。
中学生の頃には、それまでずっと指導してくださっていた先生が突然部を離れることになってしまいました。
私たちのチームではミニバス経験者もほとんどいない中、顧問の先生がいなくなってしまい、どのように練習をすればいいのかわからない時期が続きました。
そんな時でも諦めずに、全員で結束して練習メニューやトレーニングを考え、練習に励むことができました。
その時は手探りの状態が続き、不安も多かったですが、今思うと良い経験だったと思います。
また高校に入ると問題はさらに増えました。
1年生の時には先輩が何人も突然辞めてしまったり、2年生ではコーチが突然変わってしまったりしました。
しかし、そんな状況下でも同期に支えられ、問題を1つ1つ解決していくことができました。
そして最終的にはまた試合に出場できるようになり、チームとしても格上の相手に勝利してから引退を迎えることができました。
この経験は今の私にとって、とても大きな力になっています。

○最後に
私は今現在、體育會のバスケットボール部のスタッフとして活動しています。
しかしそれはあくまで今現在の役割であり、この先社会人になり、さらにそのさきに進んでいく上で私が担うべき役割はどんどん変わっていきます。
過去を振り返ってみると、自分の強み、弱みが自分自身で理解できるようになります。
もし不意に問題にぶつかり、立ち止まってしまった時には自分を見つめ直して自分の強さを再確認すると進む方向が見えてくると思います。
もし今の自分に悩んでいたら、自分の過去を振り返って自分の長所・短所を見つめ直してみてはいかがでしょうか?
長く稚拙な文章になってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。