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ラストブログ 寺部勇佑
2021年2月24日 20:51| Comment : 0

はじめに
新型コロナウイルスにより世界が一変した2020年。
そして現在も、緊急事態宣言が発令され、制限される毎日。今もなお、多くの方々が私たちの生活を支えてくださっています。この場を借りて、感謝申し上げます。
今シーズンは、多くの大会が中止となる中、Autumn Cupと早慶戦を無事開催することができました。ご尽力いただいた関係者の皆様にも重ねて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
人生のほとんどをバスケットボールと共に過ごしていたため、現在の何もない生活にとても違和感を抱きながらラストブログを書こうとしています。
偉そうなことを言えたり、誇れるような実績を残したりしたわけでもありませんが、そんな私が今、感じたこと、様々な想い、私たちの軌跡をラストブログで残していきたいと思います。
拙い文章で恐縮ですが、最後までお付き合いください。
私たちの最後の1年
12月19日に行われた早慶戦で私、寺部勇佑の15年間のバスケットボール人生に幕を閉じました。私のバスケットボール人生を一言で表すと「あっという間だった」この言葉に尽きると思います。
今まで生きてきた中で最も濃い時間を過ごしたのが慶應義塾大学での4年間でした。
その中でも最後の1年。2019年度のリーグ戦が終わり2日後に始まった新チーム。右も左もわからずに始まったチーム作り。毎朝6時半に集合し、慶應義塾の目的から慶應義塾體育會の理念、チーム哲学など、塾生としてあるべき姿を追求し続け、全員が納得するまで同期と共に毎日のようにミーティングをしていました。
“今年の慶應義塾體育會バスケットボール部が目指すチーム像って何だろうか”
“目標を達成するためにやらなければいけないことは”
“俺たちの存在意義って”
“最上級生としてやるべきことは”
“どうすればチームは勝てるのか”
などなど、話さなければいけないことは山積みでした。1つずつ私たちの代なりの答えにたどり着き、その中で決まった“徹”というチームスローガン。一人一人が自分自身のチームでの役割を認識し、責任を負い、責任を全うするチーム。そして、塾生としてあるべき姿の徹底。一人一人が最大限の努力をし、早慶戦優勝、2部昇格を達成する。
2年前、鳥羽さん(2019年卒)を始めとする先輩方が示してくれた慶應義塾體育會バスケットボール部のあるべき姿。先輩たちがいたから今の私たちがいると言っても過言ではありません。
そして、1日1日が一瞬で過ぎていき、少しずつチームが前進していることを実感しながら、初の大会まで1ヶ月のところで、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための活動自粛の発表。
すぐ活動再開になるだろうと思いながらも、その気持ちとは裏腹に新型コロナウイルスの脅威は私たちを襲い、全てが一瞬にして崩れる感覚。再開の目処がなかなか立たず、正直なところ、もうこのままバスケはできないのではないかと思っていました。
しかし、同期をはじめとする、部員全員、誰も下を向いていませんでした。活動再開後のために、自分たちができる最大限の努力をしていました。
今、振り返って考えてみると、この活動自粛している期間がチームの結束力をさらに強くし、成長させたのではないかなと思います。
およそ5ヶ月が過ぎ、やっと練習が再開されました。みんなに会えて嬉しかったし、バスケットボールが楽しかった。今でも当時のことを覚えています。

そして、全員で乗り越えられないと思っていた多くの壁を乗り越え、やっと辿り着いた12月19日。部歌を歌う声が鳴り響く日吉記念館で、これまでの辛かったことや苦しかったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、様々な出来事がフラッシュバックし、涙が溢れました。
「ここまで長かったな」という想いと共に「もう終わりなのか」という複雑な気持ち。
仲間が気づいていたかはわかりませんが、涙を流さないように必死に我慢していました。(多分バレていないはず、マスクもしていて顔も隠れていたので…)
試合前に泣くなよって思う方がいらっしゃると思いますが間違いないです。その通りです。しかし、それほど今年は1戦1戦に対しての想いが強かった。コロナ禍でいつ引退が宣告されるかわからない中、来るべき早慶戦に向けて部員全員、関係者の方々が最善の準備を進めてきました。両校の関係者から新型コロナウイルスの感染者が出ず、多くの奇跡が重なり開催された今年の早慶戦。涙を堪えきれなかった。
結果としては、68-91で負けてしまいました。とても悔しかったです。この1戦に向けて全員が最高の準備をして挑みました。試合中何度も相手の背中が見えたと思ったら、その度に離され、早稲田の強さを痛感しました。本当に悔しかった。
しかし、今年の慶應が目指していた堅守速攻、全員バスケ、練習で取り組んできたことを全て出し切ることができました。綺麗事と言われるかもしれませんが、悔いなく私たちの代のバスケットボールを終えることができました。
1番長かったようで1番短かった1年。それほど濃い1年を過ごしました。
最高の仲間と共に泣いて笑って過ごせたこと、本当に幸せでした。

後輩に伝えたいこと
私が、後輩に伝えたいことは1つだけです。それは「全力で楽しめ」ということです。
今年は例年と違って、スーパースターやエースがいないチーム、全員で戦わなければ勝てないチームでした。
そのため、辛い練習を多くしました。トレーニングをたくさんしました。ミーティングをたくさんしました。バスケの戦術で覚えることがたくさんありました。
大変なことがたくさんあったと思います。その中で、モチベーションをどれだけ上げられるかは自分次第です。自分自身は下級生の頃、全くできていませんでした。偉そうに言える立場ではないですが、そんな私から言わせてください。
「全力で楽しめ」
どうせやるなら楽しんだ方がいいし、辛いことも苦しいこともあると思うけど、仲間と一緒に楽しんでやったらなんとかなります。
今年、自分はみんなのおかげで楽しくバスケができました。本当に楽しかった。本当にありがとう。来年は快と小澤が中心となってやると思いますが、気負うことなく、何事も楽しみながら頑張って欲しい。
来年度こそ、2部昇格、早慶戦優勝が達成できると信じています。
応援しています。

最高の同期たち
先輩方にたくさん迷惑をかけたのは俺たちの代。
ポンコツな代、どうしようもない代と言われた俺たちの代。
その中でも同期に一番迷惑をかけたのは間違いなく俺だと思います。
たくさん迷惑をかけたけど、それでも見捨てずに接してくれてありがとう。
4年間、たくさん泣いて、たくさん苦しんだ。
みんなと一緒だったから乗り越えられたんだと思う。
4年間、たくさん笑った。
みんなと一緒だったから笑えたんだと思う。
照れ臭いので、ここまでにしておきます。
これだけ言わせてください。
みんなと出会えて俺は幸せだ!!!
両親へ
お父さんとお母さんのおかげで15年間、大好きなバスケットボールをすることができました。
小学生の頃から、どんな試合会場でも、自分が試合に出ていようが出ていなかろうが応援しに来てくれてありがとう。僕にとって、一番の応援団でした。
また、大学3年の夏、バスケを辞めたいと言った時。止めてくれたこと本当に感謝しています。あの時辞めていたら一生後悔するところでした。
15年間のバスケットボール人生、悔いなく終えることができました。
本当にありがとう。
さいごに
大学4年間、OBの方々をはじめ多くの方々にお世話になりました。
本当にありがとうございます。
昔から憧れていた慶應義塾大学のユニフォームを着て、戦えたことを誇りに思います。
そして、同志と共に肩を組み歌った若き血、絶対忘れません。春から社会人の予定です。同期の津野地も言っていましたが、この4年間で得た考え方や経験を胸に、日々精進していきたいと思います。そして、いつか恩返しをしたいと思います。
私のバスケットボール人生は多くの方々の支えがあってのものでした。
バスケットボールが多くの方々との出会いを与えてくれました。
バスケットボールが多くの経験を与えてくれました。
バスケットボールは私の青春でした。
今まで本当にありがとうございました。
バスケットボールとみなさんに出会えたことに感謝。
わたしのむかし 寺部勇佑(選手)
2020年8月12日 8:00| Comment : 0

○はじめに
こんにちは!
慶應義塾大学環境情報学部4年、ならびに體育會バスケットボール部で選手をやっている寺部勇佑です。
今回、わたしのむかし企画ということで、過去の経験から、現在の體育會バスケットボール部での生活に活かされていることについて書こうと意気込んでいましたが、私より前に書いている和田、杉本、小澤のように輝かしい過去や、考えながら行動した経験があるわけでもなかったため、幼少期から現在に至るまで、ありのままの姿を綴っていきます。
拙い文章になってしまいますが、気軽にお読みいただけると嬉しいです。
○チャレンジ人間
私は、好奇心旺盛な人間です。
その影響もあって、これまで多くのスポーツを経験してきました。
父親の影響でラグビーを7年間、小学校の部活動でソフトボールと陸上、そして現在も続けているバスケットボールといったような、様々なスポーツを取り組んできました。
ほぼ毎日、何かのスポーツに打ち込み、休日になると午前はラグビー、午後はバスケといったようなハードスケジュールの中で生活していました。
今考えると尋常じゃない体力を持っているなと我ながら感心してしまいます。
また、自分で言うのもなんですが、どのスポーツもある程度上手かったです(笑)
特にラグビーにおいては、1試合に1人で40点取ることも多々あり、ずっとラグビーを続けていたらと考えると、違う形で慶應義塾に入っていたかもと考えるほどです。
そういった幼少期を過ごしたおかげで、小学生にしては筋肉がつき、ガタイが良くなりすぎてしまい、現在は兄弟と比べて圧倒的に身長が低くなったり。(長男:190cm次男:185cm 自分:168cm 順当にいけば180cmの予定だったのに…)
そんな冗談は置いておいて、振り返ると「わたしのむかし」は大なり小なり、様々なことにチャレンジをしていたなと思います。
様々なスポーツに取り組んだり、小学生ながらミニバスケットボールのチームを移籍して隣の市まで通ったり、国立の小中学校でエスカレーターで上がれるのに中学校進学であえて公立の中学校に行ったり、無名な選手なのに、名門の洛南高校に行ったり。
様々な選択肢があり、その分岐点に立たされた時に、どの道を選択するのか。
そういった決断をしなければいけない際、ワクワクする道、なかなか人が選ばない道、険しい道に挑戦したくなってしまうのが私なのかもしれません。
また、自分自身が決めた道を正解にできるように、行動していました。
その好奇心旺盛さや恐れ知らずな性格のおかげで現在、私は慶應義塾に入学することができ、體育會バスケットボール部にて活動をしています。

○発信と度胸
上記にもある通り、私は3人兄弟の末っ子です。
自分で言うのもなんですが、お兄ちゃんやその友達からものすごく可愛がられていました。
そのおかげもあって、幼少期から年上の人たちと関わることも多く、同じ目線で話したり、わがままであったり、とても生意気な小僧でした。
みなさんが想像する通りの典型的な末っ子像です。
そんな末っ子の自分だからこそ、良くも悪くも今に活きているなと思うことは、相手が年上でも、自分の考えていることはしっかりと伝えるという発信力と度胸の良さであると考えております。

当時は、その発信力と度胸が良すぎるせいで喧嘩や失敗をすることも多々ありましたが、その経験があったからこそ、現在の私を形成しています。
そして、今もなお「発信」は特に大切にしています。
自分の考えていることを言葉にしなければ、絶対に伝わらないし、伝えることで議論が生まれ、相互理解に繋がる。
練習においても、日常生活においてもです。
慶應義塾體育會バスケットボール部は、学生主体のチームであると言われており、学生一人一人がチームについて深く考え、発信し、行動するということが大切であり、そのプロセスが勝利に直結していく。
今後も持ち前の、発信する力と度胸を活かして、本塾の勝利に導けるよう精進していきます。
○最後に
今回「わたしのむかし」企画で自分自身の幼少期から現在までを振り返りました。
「自分の過去の経験で現在のバスケットボール部生活に活かされていること」というテーマではありましたが、私自身、特別何かをしてきたわけでもなく、「人に恵まれた」という言葉が正しいのではと思っています。
偉そうに、いろんなことを書きましたが、22年間、多くの方々に支えられながら生きてきたなと改めて実感しました。
特に両親は、様々なことに挑戦する自分をいつも応援し、支えてくれていました。
最終学年となり、学生バスケも残りわずかなので、両親を始めとする、応援してくださった方々に少しでも恩返しができるよう、これからも精進して参ります。
現在、コロナ禍で、もどかしい状況が続いていますが、手と手を取り、支え合いながら、みんなで乗り越えていきましょう。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
ブログリレー 寺部勇佑
2019年11月17日 19:00| Comment : 0
合縁奇縁

〜はじめに〜
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
私、本年度慶應義塾大学環境情報学部3年ならびに体育会バスケットボール部所属の寺部勇佑と申します。よろしくお願い致します。
本ブログでは、何を書くべきかとても悩みました。
4月からバスケ部のブログリレーが始まり、私で19人目。
若干のネタ切れを感じつつ、自分のこれまでの人生を振り返りました。
考えに考え抜いた末、私が普段から大切にしていることについてを、これまでの人生に触れながら書いていきます。
拙い文章ではありますが、ぜひ最後までお付き合いください。
〜大学進学〜
いきなりですが、確実にこれだけは大切にするべきだと言えることが1つあります。
それは、「縁」です。
私がこれまで生きてきた21年間「縁」なしでは、ここまで充実した人生を送ることはできませんでした。
多くの方々との出会いがあり、現在の私がいます。
また、進学などの人生の分岐点に立った時、そこには必ず素敵な巡り合わせがありました。
それを強く感じたのは、高校2年の時でした。
私は中学生時、
「高校で全国制覇をしたい!」「勉強をおろそかにしたくない!」「文武両道がしたい!」
という強い思いから、京都府にある洛南高校に進学しました。
しかし、私自身とても未熟であったため、
当初の考えとは反し、高校2年の夏まで、勉強は二の次でバスケ漬けの日々を送っていました。
そんな生活を送っていたある日、一人の先輩の進学先が慶應義塾大学に決まりました。
当時、バスケットボール部は関東1部リーグに所属していたのに加え、勉学においても日本トップレベルである慶應義塾大学に対して私は憧れを持っていました。
そこで私はすぐさま先輩に話を聞きに行きました。
その話の中で「寺部も来年受けたら?」と言われ、軽い気持ちで「行きたいです(笑)」と返事をしたのが、始まりでした。
冗談半分から始まった慶應義塾大学への道だったわけですが、日を重ねるごとに強い思いへと変わっていきました。
思いが変われば行動も変わり、今までのバスケ中心の生活は一変しました。
そして、受験を決意してから1年が過ぎ、念願の合格を果たしました。
この合格は、私1人の力では到底成し遂げることはできず、多くの方々が支えてくださったおかげです。
この経験を通じて私は「人」「縁」というものは大切なものだなと心の底から感じました。
1つのご縁が、1つのつながりが人生を変え、人生を豊かにすること。
大げさだと思うかもしれませんが、つながりというものは、お金では買えない価値であり、人生において大きな財産となるのです。

〜現在の私〜
慶應義塾大学に入学してから、3年目の冬を迎えようとしています。
大学生活で私は、多くの新しい出会い、素晴らしい経験をさせていただいています。
そんな中、私は体育会バスケットボール部に所属をし、慶應義塾の縦のつながりの強さ、横のつながりの強さに、とても驚かされました。
それは外部から進学した私にとっては度肝を抜かれるほどのものでした。
ここでいう縦のつながりとは、1年から4年といった学生のつながりはもちろんのこと、OB・OGの皆さまとのつながり含みます。
横のつながりとは、部活動内の同期はもちろんのこと、その壁を超えた、同じ年度に入学した同期も含んでいます。
私が普通に生活をしていたら、出会うことのなかったであろう人たち。
私はバスケットボールのおかげで多くの「縁」「素敵な巡り合わせ」がありました。
そして私は現在、慶應義塾大学でとても濃い時間を過ごすことができています。
全てが良い出会いであるとは限りませんが、その1つ1つの「縁」には意味があり、捉え方次第では「悪縁」だと感じていたものまでが学びとなり、自分の人生のプラスとなることもあります。
皆さんも、いろんな「縁」を大切に生活していってほしいと思います。
その「縁」が人生を変えるきっかけとなるかもしれません。

〜さいごに〜
11月9日にリーグ戦を終え、本塾は2部リーグ11位、3部降格となりました。
とても悔しい結果ではありますが、現実をしっかりと受け止め、来シーズンに向けて日々精進していきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
笑っても泣いてもあと1年の学生生活。これまで支えてくださった方々に感謝をし、恩返しができるよう全力で突っ走っていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は前田琉我(3年生)です!乞うご期待ください!