
平素よりお世話になっております。本塾の仏、中田大智よりバトンを受け取りました。慶應義塾大学経済学部2年の松原啓大と申します。リーグ戦を終えて体育会人生の折り返し地点に差し掛かったことに焦っている今日この頃。先輩方のブログを参考にしながら、初めてこのブログを書いています。
お題が「最近あった嬉しかったこと」という事で、自分自身のレフェリーとしての成功体験について書かせていただきます。拙い文章ではございますが最後までお付き合いいただけると幸いです。
自分は肩関節の脱臼や脳震盪など、多くの怪我に見舞われたため、高校時代はプレイヤーとしてよりも、チームを裏から支える機会が多い日々を過ごしていました。 そんなときに観戦したBリーグの試合で、ゲームを見事にコントロールしていた加藤誉樹さん(日本バスケットボール協会公認S級審判/日本初のプロフェッショナルレフェリー)の姿に強い憧れを抱き、審判という立場に興味を持ちました。加藤さんに密着したドキュメンタリーは今でも何度も見返すほど、私にとって大きな刺激になっています。大学でマネージャーとして入部した理由のひとつも「審判としてチームに貢献したい」という思いからでした。
チームは昨年・今年と部員数が増加し、特にプレイヤーの人数が増えたことでA・Bの2チーム体制に分かれました。Aチームがリーグ戦に臨む一方、BチームはDevelopment-League(各大学のBチームを対象とした大会)に参加することになりました。リーグ戦期間中は、マネージャーとして会場運営などに携わる一方で、同時期に行われたDリーグでは各大学から1名ずつ審判を出すこととなり、これをきっかけに本格的に審判の勉強を始めました。
審判は常に位置取りを変え、最適な角度からプレーを見る必要があります。しかし、審判として初めてコートに立った頃は、特にペネトレーション時の接触プレーが見えていなかったり、瞬時の判断ができなかったりして、選手から抗議を受けることもありました。当初は毅然とした立ち居振る舞いや公正なジャッジがうまくできず、試合を通して「自分がゲームをコントロールできなかった」という悔しさを強く感じました。試合後は録画でプレー映像を繰り返し見直し、改善点を探りました。 その積み重ねの結果、試合を重ねるごとに判断も正確かつ自信を持てるようになり、リーグ戦の後半には周囲から「ナイスジャッジ!」と声をかけてもらえることも増えました。自分でも手応えを感じられるようになり、審判としての成長を実感できたことが何より嬉しかったです。
審判という立場は地味に見えるかもしれませんが、試合を「支える」ことにこそ大きなやりがいがあります。今後もより良いジャッジができるよう精進し、スタッフ・審判いずれの立場からもチームに貢献していければと思います。
次は本塾の韋駄天、濱島省太にバトンを渡します。
最後までお読みいただきありがとうございました。
現在弊部ではマネージャーを大募集中です。少しでも興味を持ってくださった方は、ぜひ一度練習を見に来てください。
今後とも慶應義塾体育会バスケットボール部へのご声援のほど、よろしくお願いいたします。




