耐雪梅花麗
はじめに
本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の泉友樹雄と申します。
今回、このブログリレーを担当するにあたり、自分の大学バスケ人生を振り返ってみました。
個人的なことではありますが、その想いを書かせていただきます。
拙い文章で恐縮ですが、少しでも読んでいただけると嬉しいです。
苦しまずして栄光なし。
さてタイトルにもある言葉「耐雪梅花麗」という言葉を知っていますか。
西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節で、「雪に耐えて梅花麗し」と読みます。
この言葉は、メジャーリーグでも活躍された元広島東洋カープの黒田博樹選手がこの言葉を座右の銘にしているということで知りました。
「梅の花は、寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば一番麗しく咲く」という意味です。
今、私の大学でのバスケ生活を振り返ると「耐える」期間が本当に長いものでした。
私は大学バスケ部の中で異質な経歴を持っています。
スタッフとして入部。そして選手へと転向しました。
入部するにあたり、バスケを続けたいと思っていたものの、実家から大学までが遠く、生活が非常に苦しいと分かっていました。
朝4時に起床、6時半から朝練、その後講義を受けて18時半から練習。帰宅するのは日付が変わった頃。1時に就寝。そして4時起床、、
この生活では選手として活動するのは厳しいだろうと思い、スタッフとして入部しました。
スタッフとしてバスケ部の一員になり、チームに貢献しようと毎日必死に考え行動してきました。
しかしスタッフとして過ごしたシーズンの中で、やはり選手としてやってみたいという想いを捨てきれませんでした。
大学バスケのレベルの高さ、そしてスポーツ推薦のない慶應バスケ部が毎日必死に努力し他の大学に挑む姿。
そういったものを身近に体感し、私は簡単にバスケを続けることを諦めてしまったことに後悔しました。
一人暮らしに反対だった両親を説得し、大学の近くで一人暮らしを始め選手へと転向しました。
選手に転向したものの、1年目は試合どころか練習メニューにも参加できずにいました。
それでも、試合に出れなくともチームに貢献するために、いずれ試合に出れるようにと必死に努力してきました。
2年目、少しずつ練習に参加できる様になり、今まで以上にやる気に満ち溢れていました。
しかしある日、練習中に怪我をしてしまい、1ヶ月の松葉杖生活を余儀なくされます。
ここからの私の大学バスケ生活は多くのことに悩み、非常に苦しく辛いものでした。
私はこの怪我を含めて3度、松葉杖をつく程の大きな怪我をし、リハビリの期間も含めて約1年間まともにプレーすることはできませんでした。
怪我によって2年生の時の新人戦、リーグ戦、3年生の時の六大学、電鉄杯、トーナメント
全ての試合に出ることができませんでした。
慶應大学では、新人戦や六大学の試合は全ての人にチャンスが与えられます。
つまり、私にとっての自分の力を試す場、経験を積む場を失いました。
その中で同期や後輩が試合に出場しチームに貢献していました。
私としては非常に複雑な想いです。
嬉しさもありつつ、悔しさと焦りを感じていました。
そして3年秋シーズンは1番悩み、苦しんだシーズンでした。
怪我の影響はなかったのですが、秋のリーグ戦も試合に出れる機会はありませんでした。
同期のプレーヤーは試合に出場し、プレーでチームに貢献している。
同期のスタッフもそれぞれの役割の中で最大限の力を発揮している。
私以外の同期が上級生として自覚、責任感を持ちチームに貢献している。
同期だけでなく後輩もそれぞれ役割を見つけチームに価値を与え続けている。
自分は何をしているのか。
チームに貢献できているのか。
チームの雰囲気、状態が良いのと比例して私の焦り、不安、苦悩は大きくなるばかりでした。
先輩方は「試合に出るチャンスあるぞ」と声をかけてくれます。
しかし、もし今の自分が試合に出て何ができるだろうかと考えてしまいます。
試合に出ても何も出来ない。足を引っ張るだけ。
そう思っていました。これは自分が1番よく分かっています。
試合を重ねる度、そして勝ち星を重ねる度に自分の無力さを突きつけられました。
私はここで一度心が折れてしまいました。
自分の存在意義とは。
自分のプレーが大学バスケで通用するのか。
最上級生となった時にチームに悪影響を与えてしまうのではないか。
もしだめだったら…
そんな想いが積み重なりバスケ部をやめることを考えました。
そしてこの想いを同期にぶつけました。
なによりチームや同期に迷惑をかけたくないと。
同期は見捨てることなく、自分はチームに絶対に必要な存在だと言ってくれました。
「今まで努力してきたのは知ってる。一緒にコートに立ってプレーしたい。」
この言葉に私は大きく勇気付けられました。
そして同期の期待に応えたいと強く思うようになりました。
今までの不安や悩みを一回全部忘れ、チームのためにできることを全うしよう。
もう一度原点に戻りました。
そこからは今までにない、非常に充実した日々を過ごしました。
どんな時も自分にできることを全力で。泥臭く、粘り強く。
そして早慶戦。
今年の早慶戦は絶対に勝たなければいけないと思っていました。
私たち4年生は1年生の時に早慶戦優勝という大きな喜びを味わいました。
あの時の喜び、興奮、感動をもう一度。
そして後輩たちにも感じ取って欲しい。
そう思っていました。
もし今年の早慶戦に負けてしまうと、早慶戦の勝ちを知らない代ができてしまう。
あの喜びを知っているのと知らないとでは早慶戦に向けてのモチベーションに大きく影響してしまうのではないかと、考えていました。
だからこそ今年は絶対に勝ちたい。
なんてことを勝手に思いながら、最高の仲間たちと早慶戦に臨みました。
まさか自分があの舞台に立てるとは入部当初は思ってもいませんでした。
ましてや山﨑と交代であんな重要な場面で出場するなんて。
あの最高の舞台でシュートを決め、会場中が大きく盛り上がった時、バスケを続けてきてよかったなと思いました。
(2本ともまぐれじゃないです。ちゃんと狙って決めました。笑)
長く耐え抜いてきたものが、ようやく花咲いたと思いました。
あの最高の舞台に立つことができ、勝利を収めることができたこと。
少しでもこの勝利に貢献できたこと。
そして何より、今までお世話になったり、多くのことを気にかけてくれた両親や先輩方。面倒や苦労をかけてしまったが見捨てずにいてくれた同期に恩返しができたこと。
これが本当に嬉しかったです。
まだまだ終わりではありません。
既に秋のリーグ戦に向けてチームとして始動しています。
自分もこれで満足はしていません。
チームとしても個人としても、もう一度満開の花を咲かせるために
チーム一丸となり頑張りたいと思います。
ぜひ応援よろしくお願いします。
次回は高橋佑輔(1年生)です!乞うご期待ください!