題名:4年間を振り返って
はじめに
本年度慶應義塾大学経済学部4年並びに体育会バスケットボール部所属の小祝良介と申します。早いもので、こんな僕が卒業ブログを書く時期がやってきました。
今回ブログを書くにあたって、自分がバスケを通して得たことについて書きたいと思います。
拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
慶應義塾体育会バスケットボール部との出会い
早速ですが、高校バスケ部を引退した時まで話を戻します。
僕は一貫校の一つである、慶應義塾湘南藤沢高等部の出身です。
僕が入部したきっかけは、高校バスケを引退した時に、体育会バスケットボール部に所属しながら僕たち高校生を指導してくださっていたコーチの方から、「大学バスケ部に入らないか」と声をかけていただいたことです。
僕はバスケがうまくないため、選手としてではなくスタッフとして誘われているのだということは分かっていました。
当時の僕は、スタッフというとリバウンドやボトルの補充、雑巾掛けなどのような雑用を主に行う裏方のイメージを持っていました。(もちろんこれらのことは非常に重要なことですが)
バスケをプレーすることが好きだった自分が果たして選手を支える裏方に回ることができるのか。そんな不安が頭の中をよぎっていました。
声をかけていただいてから入部するまでかなり長期間に渡って悩んでいたのですが、その年の早慶戦を観てその迷いは吹き飛びました。
年に一度しか行われない早慶戦。
慶應と早稲田、たった二校の試合のために3000人近くの観客が集まり会場を埋め尽くす。早慶戦の会場に入った瞬間にとてつもなく興奮したことを今でも覚えています。
その時の早慶戦は慶應が勝利しました。慶應側はみんな号泣しており、いかにこの試合に対して熱い気持ちを持ち、情熱を注いできたのかがひしひしと伝わってきました。
選手・スタッフ一切関係なく、全員が本当にその勝利の喜びを噛み締めていました。
この試合を観て、ここまで全力でバスケに打ち込んでいる人たちと共に学生生活を過ごしたいと思うようになりました。
その日から僕の大学バスケ部への関心はどんどん強くなっていき、先輩にお願いをし、練習を見学させてもらいました。
スタッフは何をしているのだろうと思いながら練習を見ていると、その活躍ぶりに目を見張りました。
スタッフには学生コーチ、マネージャー、トレーナー、一貫校コーチ、学連など様々な役割があるのですが、全員が役割を全うし、どうしたらチームが強くなるかということを常に考え行動していました。
このようなスタッフの方々の働きを見て、日頃からそれぞれがチームのために考え、最大限の力を発揮した末に掴んだ勝利だからこそ、早慶戦で喜びが爆発していたのだと知りました。
この日から僕の中にあった、「スタッフは裏方」という考えは一切なくなりました。試合に出る出ないに関わらず、勝利に向かって全力を尽くす先輩方に強く憧れ、この人たちと一緒に大学生活のすべてをかけてバスケに打ち込みたいと思うようになりました。
体育会バスケットボール部での4年間
そして、時は進んで大学1年生の4月、僕は入部しました。
そこから僕は、4年間で一貫校コーチとトレーナーの二つの役職を経験しました。
大学1年の時は、体育会バスケットボール部に所属しながら一貫校コーチとして母校の高校生の指導にあたり、大学2年の時から大学スタッフ一本で活動し始め、3年生の時から引退まではトレーナーとして活動しました。
2年生時に大学の学生スタッフ一本で活動することになったのですが、その時の僕は一貫校コーチとして結果を出すこともできず、自分の力の無さと人としての未熟さを痛感していました。そんな自分が嫌で嫌で仕方がなく、心も塞ぎがちになっていました。
そんな状況で僕が大学に戻っても、チームにとって自分はマイナスな存在になってしまうと思い、部を辞めることも考えていました。
その時の僕は、まだ同期にそのことを打ち明けられていなかったのですが、僕が大学に戻るにあたってミーティングが開かれました。
そのミーティングで同期は「小祝と一緒にバスケをやっていきたい。だからスタッフとして大学バスケ部に戻って欲しい」と言ってくれました。
その言葉に僕は本当に救われました。こんな自分でも必要としてくれている人たちがいる。その人たちの期待に応えたいと思いました。
こうして僕は2年目のシーズンを大学のスタッフとして過ごしました。
スタッフといっても役職に就いていなかったため、とにかく様々な仕事を覚え、今後自分がどの役職に就くことになるかを考えながら活動していました。
そして、3年生になるタイミングで僕はトレーナーの役職に就きました。
僕はとにかくトレーナーとしてチームの役に立ちたいと思い、トレーニングやリハビリに関する色々な講習を受けたり、食事や筋肉に関する資格を取ったりしました。
選手にトレーニングの意義を説くのは本当に難しく、中々トレーニングに積極的になれない選手や体重が増えない選手など、選手一人ひとりで抱えている問題は様々でした。
そんな選手一人ひとりと向き合っている中で、「この選手の体重を増やすのは難しいかもしれない」などと弱音を吐いてしまうこともありました。
しかし、そんな僕を同期は「あいつ全然体重増えてないじゃん。お前が言い続けないでどうするんだよ。」と常に叱咤激励してくれました。
何度も何度も諦めかけていましたが、常にそばにはバスケに全力で一切妥協しない同期の姿がありました。
僕はその姿を見る度に、「こいつらがこれだけ必死でやっているんだから自分も全力でやらなくてどうする」と思い奮起することができました。
結果的には、最初は身体も弱くトレーニングに積極的でなかった選手も、「体重何キロ増えました」や「重り何キロ上がりました」とトレーニングのことに関して自分から話してくれるようになりました。
そして、実際に選手たちが試合で自分達より大きい相手を身体で圧倒しているのを見た時は、本当に嬉しかったです。
別に僕のおかげで選手の身体が強くなったとは全く思わないですし、間違いなく選手たち自身の血の滲むような努力によるものだということはわかっています。でも、そこに対して少しでも僕が力になれていたとしたら本望です。
大学バスケ生活最後となる今年、春シーズンは3年ぶりの早慶戦優勝、秋シーズンはリーグ戦で3部リーグ降格と全てがうまくいったわけではありませんでした。
特に後半のリーグ戦では、辛いことの方が多かったですが、このメンバーで最後まで戦えて本当に良かったです。
終わりに
この場を借りて、この4年間で自分に関わってくださった皆様に改めて感謝の言葉を綴らせていただきたいと思います。
この4年間同期にはお世話になりっぱなしでした。
もちろん同期以外にも、可愛がってくださった先輩方、最後までついてきてくれた後輩たち、そして毎試合足を運びどんなに苦しい時も励ましの言葉をかけてくださったOBの方々や保護者の皆様など、挙げればきりがありません。
しかし、その中でもやはり同期の存在は格別です。
今こうして現役生活を振り返ると、苦しく辛いことの方が多かったように思いますが、笑って引退を迎えられたのは、同期の存在があったからだと胸を張って言えます。
直接は絶対に言えないですが、本当に出会えてよかったと思いますし、引退した今同期に会う時はメチャクチャテンションが上がります。
僕はこの4年間で色々なことを学びました。
チームで一つの目標に向かって頑張ることの素晴らしさや、人と向き合うことの大変さなどたくさんありますが、何と言っても一番は同期の大切さです。同期がこのメンバーでなかったら、絶対に最後まで続かなかったと思います。
大好きなバスケに携われることができて、一生大切にしたいと思える同期に出会うことができて、僕は幸せ者です。
辛いことや苦しいことも何度もありましたが、それでも僕は体育会バスケットボール部に入って良かったです。
まとまりのない文章で大変恐縮ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
僕らはもう現役生ではなくなりましたが、引き続き慶應義塾体育会バスケットボール部をよろしくお願いします。
次回は吉岡慶一郎(4年生)です!乞うご期待ください!