下手くそなりの頑張り方
初めに
誠に僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。
慶應義塾大学法学部政治学科4年並びに體育會バスケットボール部所属の工藤翔平と申します。
バスケ部を引退してから約1ヶ月が過ぎました。
大学生活のほぼ全てであった部活動を引退して、現在はアルバイト生活の中心となっています。
今回は、ラストブログということで前回のブログでも書かせて頂いたように、バスケ部での4年間の生活を振り返り、私なりに何を感じたのか、書かせていただきます。
拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください。
大学までの11年間
私は、一貫校である慶應義塾高校から大学に進学しました。
大学生活を振り返る前に、高校までのことについて少し書かせていただきます。
私がバスケを始めたのは小学2年生の時でした。
当時野球をしたかった私を強制的に親がバスケ部に入れたことがきっかけでした。
その後、大学までの11年間は、県大会に出ても2勝できるかどうか、高校最後の大会も地区大会で敗退してしまいました。
しかし、高校バスケ部の生活を振り返ると、あの3年間、大学のために本当に価値のあるものだったのかもしれません。
慶應義塾高校には一般入試を受けて入学し、バスケ部に入部しました。
当時を振り返ると私は身長170㎝で身体能力もなく、受験勉強で長らくバスケを離れ、腕立て伏せも1回が精一杯の何も取り柄がないような選手でした。
高校3年間は、勉強と部活動の文武両道を目標としてバスケに励みました。
幸いにも同期や後輩に恵まれ、身長も13cm伸びたこともありチームの中心選手として活躍することができました。
OBの長命さん(2014年卒)や林さん(2019年卒)、上保さんには、慶應バスケは何なのかを学び、大学でプレーをする上で大事な考えや多くの技術、知識を教わりました。
そして高校を引退したときは、バスケもこれで終わりと考えていました。
大学バスケ部への入部
そんな私が、なぜ大学でもバスケを続けようと思ったのか。
県大会出場も出来ないような選手が、全国で活躍経験のある選手が多くいる大学の体育会に入ることは恐れ多く、入学してからも入部する気は全くありませんでした。
大学では留学もしてみたかったし、いわゆる大学生らしいことを沢山してみたいと考えていました。
しかし、大学の新歓で行ったバスケサークルの空気感が合わず、
四年後に振り返った時、
「多くのものを得られた」
と言うためには、やはりバスケ部に入ったほうがいいのではないかと考え始めた時期がありました。
それでも、バスケ部への入部を踏み出せなかった私が決意したのは、当時の学生コーチに声をかけてもらい練習を見学したことがきっかけでした。
見学に行った際に感じた選手一人ひとりが、自分に厳しくバスケに真摯に取り組む姿、選手ではないスタッフも選手と同じくらいチームのことを考え、選手に厳しく接している姿、チームの一体感や空気感がとにかく魅力的でこのチームの一員にないたいと強く感じました。
入部する時に選手を4年間続けられるか分からないことは、もちろんわかっていましたが選手をやめて、スタッフになってもこの選手たちやチームのためなら頑張れると思い、先輩方にあこがれて大学バスケ部に入部しました。
大学バスケ
今、振り返ると、あの時バスケ部に入って本当に良かったと思っています。
入部した1年生の時は、体力的にめちゃくちゃしんどかったことを覚えています。
朝は5時に起き、夜は23時に家に着く生活が毎日のように続き、当時勉強も頑張りたいと思っていた私ですが、授業中も眠さに耐える日々を送っていました。
入部してから1年間は、練習にさえ参加できなかったので、ウエイトトレーニングを他の選手よりも多く取り組んだり、シュート練習もAチームのいない試合前後や朝練習の早い時間、練習後に取り組んでいました。
この年はとにかく全国レベルのプレーを多く見て沢山学んだ1年間でした。
そしてこの1年間は練習ができることのありがたさやチームを下から支える人がどれだけいるかを強く感じた1年間でした。
バスケに対する貪欲さはこの時期に身についた気がしています。
2年生、3年生になってからは、どうすれば試合に出て全国レベルの相手と戦うかを真剣に考えました。
そんな中で、当時学生コーチの小川翔平さん(2019年卒)や澤近さん(2019年卒)には大変お世話になりました。
そして、何とかチームのために試合に出て活躍するためのプレースタイルを確立していきました。
自分の弱みを克服するよりも強みを伸ばすことにフォーカスしながら、試合にでたら何かしてくれる、そう思われるような選手を目指して頑張りました。
最後に今年1年間を振り返ってみたいと思います。
最上級生として迎えた今シーズン、昨年のチームの主力メンバーである4年生が抜けて自分がインサイド陣の中心となりました。
シーズンを通じて自分の不甲斐ないプレーのせいでチームが負ける試合も多くありました。
リーグ戦期間は自分がチームに貢献できず勝てない試合が続き、とてもきつかったです。
それでも自分にやれることをやるしかないと思って自分が出来る最高の準備をやり続けました。
オフェンスリバウンド、スティール、ルーズボールなど自分の強みを活かすプレーをリーグ戦を通じて意識して戦い抜きました。
この1年間。春は早慶戦優勝、秋は3部降格、ある意味成功と失敗という体験をしました。
今年1年間は4年間で一番苦しく、同時に最高の1年間だったのかもしれません。
同期へ
まずは、4年間本当にありがとうございました。
チームには迷惑ばかりかけましたが四年間続けることができたのはみんなのおかげです。
純(4年・総合)と淳貴(4年・環境)はプロになってもおかしくないくらい上手いし、試合中自分の弱気なミスですごい迷惑をかけてしまったけれど、その度に厳しい言葉をかけてくれて、最後まで自分とプレーしてくれてありがとう。
友樹雄(4年・経済)はこの前のブログで「工藤がいなかったらここまで頑張ることができなかった」って書いてたけど、それは俺も同じで、友樹雄がいなかったらここまで頑張れなかったと思います。
いつも自分に厳しくてチームのためにできることをストイックにやっている、そんな姿を見て俺ももっと頑張ろうと思えました。
本当にあの時友樹雄と一緒に部活に入ってよかったと思っています。
他の同期のみんなにも感謝しています。
ここでは書ききれなくなってしまうので今度直接言わせてください笑
最後に
大学4年間、OBの方々をはじめ多くの方々にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
15年間のバスケ人生を振り返ると楽しいときよりも、つらい時の方が多かったし苦しいことがたくさんありました。
でもそのつらい時や苦しい時間がなかったらこんなに成長できなかったと思っています。
高校生の時に阪口さんに言われた
「辛い道か楽な道があったら辛い道を選ぶべきだ」
自分は常にこの言葉を頭に入れながら練習を取り組んできました。
こうした辛さがなければ、試合に勝った時やチームに貢献したときの嬉しさもなかったと思っています。
「とにかく何とかなる」よく周りから根拠もないし辞めろと言われるんですが、自分はこの気持ちをもってこれからも頑張ろうと思っています。
何かしら意味があると思って、まずは前向きに取り組んでみる。
これはバスケットをこれだけ長くつづけたからこそ分かったことです。
自分はたまたま小学校から大学生まですべてのポジションを経験しました。
個人的に、大学で活躍できたのは、その経験があったからだと思っています。
また、自分は決して器用じゃないし、身体能力も高くないですが地道に続けてきたことが本当によかったと思いました。
つらい時こそ自分が一番成長していると思ってやっていけば必ず自分に還元される何かがあるはずです。
頑張っていてもどっかでやめてしまえばそれまでだし、それは頑張ったことにはならないと思っています。
頑張っていれば必ずチャンスは来ます。
ただそのチャンスをものにできるかどうかは自分次第です。
そのチャンスはいつ来るか分からないので常に最高の準備をして頑張り続けることが大事だと感じました。
そして自分ではどうしようもなくなったときには素直に誰かに相談することです。
相談できる同期や先輩と出会えたこの部活がほんとに大好きです。
四年前に戻っても必ずバスケ部に入っていると思います。
そのくらいこの4年間で学んだことは多かったし、学生生活最後の大学生になって部活動をやることの意味は入ってみないとわからないことばかりです。
自信はなくてもなんとかなると思って頑張り続ければ、自ずとと道は開けてくると思います。
ちょっとでもバスケ部に興味がある方は、一度体験に来てバスケ部の空気感を体感してみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は野田遼太朗(4年生)です!乞うご期待ください!