かけがえのない経験
はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。
私、慶應義塾大学法学部法律学科4年並びに體育會バスケットボール部所属の鈴木慧と申します。
リーグ最終戦から一か月以上経ち、現在は以前では考えられないような生活を送っております。
初めは引退した実感があまり湧きませんでしたが、友人から「引退おつかれ」とか、「もう明日朝練ないでしょ?」と言われるたびに、「あ、自分ってもう引退したんだ。」と気付かされます。
こういったブログを書ける機会も、もう最後だと思うと少し寂しくなります。
今回はラストブログということで同期達が書いたように、体育会バスケットボール部での4年間を振り返り、私が感じてきたことについて書きたいと思います。
拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください。
土台
私は体育会バスケットボール部に慶應義塾高校(以下:塾高)の学生コーチとして入部しました。高校3年生の夏に引退後、「塾高でコーチをやらないか」と声をかけていただいたことがきっかけです。
今この先の4年間を決めてしまっていいのだろうかという迷いもありながらも、何かしらの形で母校に恩返しをしたく、そして中学時代にバスケの楽しさを教えてくれた学生コーチの方への憧れもあって、高校3年生の夏の段階で入部を決めました。
そこから大学に入学するまではすべてが新鮮で、あっという間でした。
今までとは違った視点や考え方で部活の練習、試合を見るようになりました。
そしてたまに同じく学生コーチをされていた林さん(2018年卒)に連れられて大学生の練習や試合を観に行かせていただきました。
そこで、組織の熱量の高さやバスケのレベルの高さを目の当たりにして、体育会バスケットボール部に入部することにとてもワクワクしていました。
ただ、いざ大学生活が始まると楽しいことよりも辛いことの方が多かったです。
朝6時半から体育館に行き、授業を受け、15時から夜の22時まで塾高、大学の練習に参加し、これをまた次の日も繰り返す生活でした。
大学1年生ということもあって授業も多く充実していて楽しい反面、体力的、精神的にとても辛かったです。
特に、当時私が見ていた高校生は、私が笛を吹いたらすぐに自分のもとに来て、一生懸命話を聞いてくれて、言ったことを信じてそのままやってくれる、そんな健気で素直な後輩たちでした。
その子たちに、もっと自分がやってあげられることがあったのではないかと、今になっても思います。
大学の練習に行っても、塾高のことばかり考えていて、大学のやっていることへの理解度が低い現状でした。
そんな自分ができることは、ボトルに水を入れたり、タイマーをやったり、最後まで選手のシューティングのリバウンドをするなどで、申し訳なさと情けなさでいっぱいでした。
結局すべてが中途半端になってしまい、部を辞めようと思った時もありました。
でもそこで自分を奮い立たせてくれたのは、ただただ「バスケが好き」という気持ちでした。
たったそれだけだけど、大好きなバスケにずっと高いレベルで関わっていきたい、今はできなくてもいつか自分でこの部でなにかを成し遂げたい、そんな気持ちが私をこれまで支えてくれました。
そして、大学2年生の夏前に塾高の学生コーチを辞めて、大学の学生コーチとなりました。
先輩
先輩のおかげもあって、大学に戻ってきてからは色々ことを任せていただいたり、経験したりすることができました。
それも下級生時の経験があったからこそだと思います。
2年生時に初めて相手のスカウティングに携わらせていただき、大学の分析にかける時間や労力に圧倒され、そしてその重要性に気付かされました。
色んな側面でバスケを見て、分析し戦略を立てていくことがこんなにも楽しいことなのだと気づきました。
当時の学生コーチであった加藤さん(2018年卒)の優しさ(?)もあり、資料作成やセットの分析など色んなことを任せていただき、本当に充実していて楽しかったです。
加藤さん、ありがとうございました。
3年生になって本格的に学生コーチとしてやらせていただいて、当時最上級生であり学生コーチであった小川さん(2019年卒)、宇野さん(2019年卒)と本当にたくさん時間を過ごしました。
どうすればいいチームができるか、どうすれば勝てるのか、ひたすら考える日々でした。
色んなところから情報を持ち寄り、意見を交わし、本当にチームにとっていい選択ができるよう、とことん話し合いました。
生意気な自分の意見をすごく真摯に聞いてくれて、自分がやればやるほどこんなにもチームのためになるのだと、身をもって実感しました。
それでも早慶戦は負けてしまったけれど、4年生の方々が常に引っ張ってくれて、リーグ戦では目標には届かずとも素晴らしい結果を残すことができました。
本当に当時の4年生の方々には感謝してもしきれません。
特に小川さんの存在が自分の原動力であったことは間違いないです。
常にチームのことを考え、人の何倍も努力しているからこそ、すべてのことに説得力があって、「自分も頑張らなきゃ」と、なんなら「この人の努力が報われるためにも絶対に頑張ろう」と自然に思わせてくれる、そんな先輩の存在が今の自分を形成しています。
小川さん、ありがとうございました。
この2年間があったからこそ、部の哲学である、「内的自発性」を真の意味で理解しました。
そしてなにより、本当に自分はバスケが好きなのだと、改めて思いました。
最後の1年
最後のトーナメント、最後の早慶戦、最後のリーグ戦。
最上級生となり、すべてのことに「最後」という言葉がつきました。
最後だからこそ、今まで以上に思い入れはあったし、責任感も大きかったです。
最初の時点では4年生はそこまで大変ではないものだと思っていました。
スケジュールは変わらないし、これまでと同じように進めていけばいいと、そう思っていました。
でもそううまくいくわけなく、たくさんの壁にぶつかり、本当に迷い、考え、なんなら彷徨った1年でした。
昨年のように上に先輩がいて、ただ自分がいいと思った意見を言えばいいわけではなく、最終的に先輩が決めてくれることもなく、圧倒的説得力を持った先輩が的確なアドバイスを隣でしてくれるわけでもない。
最後は4年生である私たちが決めなければならないことに、今までにないくらい大きなプレッシャーを感じ、正直ビクビクしながら毎日を過ごしていました。
自分が選手に示したこと、練習や試合中に言ったこと、その一つ一つが本当に正しいことなのかとても不安でした。
それでも自分だけじゃなく、選手もたくさんの意見をくれて自分の穴を埋めてくれて、みんなが納得して決めてしっかりとコートで体現してくれる。
それが救いでした。
特に同期の選手たちには何度も相談したし、彼らが「いいんじゃない?」と言ってくれることで、自分も自信をもってこれでいいんだと、そう思うことができました。
同期のスタッフには愚痴も含め色々なことを話したし、本当に自分の心の支えでした。
みんな同期に感謝、とか、同期の存在が大きいとブログやSNSで書いていて、とりあえず書いているだけかと読者は思うかもしれません。
しかし本当にその通りで、それはこの体育会バスケットボール部で身をもって実感したし、大切な友です。
後輩たちも、本当にいろんな迷惑をかけてしまったけれどもみんなついてきてくれて(彼らの本心は置いといて)、本当に感謝しかないです。
皆さん、ありがとう。
最後に
引退後、暇な時間がたくさんあるので友人の引退試合を観に行っています。
(とは言ってもそこまでたくさん見れているわけではないです)
そこでは勝ったら現役生活が続けられる、そんな試合で負けて、予期せず引退を迎えてしまい悔しさの余り涙ぐむ。
こういった姿を多く見ます。
そう思うと、結果は3部降格という情けない結果ではあったけれど、最終戦に勝って笑って終われたことは本当に幸せなことなのだと思います。
そんな幸せ者にしてくれたみんなにはいくら感謝してもしきれません。
話はちょっと変わりますが、こんな言葉をSNSで見つけました。
『好き』はパワーになる。
体力的に精神的に辛いことはあったけど、好きだから乗り越えられた。
好きなコト、好きなモノ、好きなヒト
一つでも多くあると夢は叶いやすくなると。
自分の心がハッピーなら、余計なことは気にならないから。
大丈夫。
これは私が最近好きな女子アナのインスタグラムの投稿にあった言葉です。
自分がここまでやってこれたのって、まさにこれだなと思いました。どんなに辛くても、それが好きなことって本当に大切だと思うし、何よりの原動力になると思います。
最近引退した友人も、とても苦しかったし辛かったけれど、やっぱりその競技が好きだと言っていました。
だからこそ、今キツい練習をして一生懸命頑張っている後輩や、この先なにをしようか迷っている人は、『好き』という気持ちを、何よりも大事にしてほしいと思います。
そして、私は社会人という新たなステージで、中学から大学の10年間好きだと思い続けたバスケに代わる何かを見つけ没頭できるよう、必死に頑張っていきたいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は髙田淳貴(4年生)です!乞うご期待ください!