題名:感謝
副将を務めさせていただいておりました原匠です。
同期のブログを読んでいると、あたりまえのことですがひとりひとりにそれぞれのエピソードがあり、間近で見てきた私も思わず心打たれる部分が多かったです。
そんな中のひとりとして、慶應での大学生活を振り返りつつ感じたことを伝えられたらと思います。
私は大阪府の近畿大学附属高等学校の出身で、AO入試での受験を通過し慶應義塾大学に入学しました。
なぜ慶應を受験することにしたのか、それは正直に言うとたまたまです。
ある日の昼休みに部活動の顧問の先生に職員室に呼び出され、「慶應受けてみやん?」と突然言われ、「慶應ってあの慶應ですか?またまた〜。(笑)」などと笑いながら話していたことがもう4年も前のことだと思うと時の流れの早さを感じます。
しかし、この一言がきっかけで私は慶應義塾の門を叩くことになったのです。
高校時代、嬉しいことに私は入学当初からレギュラーとして試合に出場させていただき、入学して約1ヶ月後には大阪予選を勝ち抜き、インターハイの出場権を獲得、冬に行われるウインターカップの予選でも大阪予選を勝ち抜き、全国大会の出場権を獲得しました。
あまりにもトントン拍子で物事が進んでいき、私は意外とあっさりいけるものなのだなと思っていました。
はい、もちろん浅はかすぎる考えでした。(笑)
2年時の予選は夏も冬もベスト16で敗退、自分たちの甘さを痛感しました。
3年時、主将を務めさせていただき、昨年の反省を生かし、チームメイトと日々切磋琢磨しながら練習に取り組みましたが、結果は3位とあと一歩のところで全国大会出場は叶いませんでした。
成功を経験し、挫折を経験し、そこからどうすれば這い上がれるのかを考える。
その一連のプロセスをいいバランスで経験できた高校生活だったのではないかなと、今では思います。
そんなこんなで大学に入学したわけですが、入学後、すぐに壁にぶち当たりました。
当時関東一部リーグに所属し、高校時代から全国トップレベルで戦ってきた先輩方にどう対抗していこうかと期待と不安を胸に入部したものの、圧倒的に実力が足りておらず、待っていたのは、全体アップを行なった後は練習メニューにすら入ることが出来ず、コートサイドで雑巾係をするという日々でした。
同期の陽介や澤近が新たな環境で先輩に食らいつきながら、コート上でどんどん成長していく姿をコートの外で見ることは僕にとってはまさに地獄のような時間でした。
「自分は何をやっているんだろう。」
高校時代の挫折なんて挫折でもなんでもなかったんだなと思うほど、圧倒的な挫折感を味わい、この先どうなっていくのかと不安だけが大きくなっていきました。
しかし、そんな自分を気にかけて下さる先輩方に前を向かせてもらいました。
練習前後での会話や、プライベートでの会話など、様々な話を聞き、今の環境で何が出来るか、自分に足りないものは何か、どうすれば試合に出ることが出来るのか、そんなことを考えながら自主練に励みスキルアップを実感していく日々は充実そのものでした。
特に高校時代から課題に感じていた3Pシュートの部分についてはかなりこだわりを持つようになり、打つ本数だけでなく、指のかかり方、ミートの仕方、力の伝え方などといった部分についても試行錯誤を繰り返し、毎回考えながら練習を行いました。
その成果が目に見えて、出た頃から少しずつチャンスをもらえるようになり、2年の早慶戦でほんの数分でしたが初めてAチームの公式戦に出た時のことは今でも覚えています。
満員の代々木第二体育館、常に鳴り響く歓声、ただ、試合に出る瞬間はそれほどうるさく聞こえないあの不思議な感覚(おそらく緊張してただけ)。
そんな中、たった1本のシュートチャンスでしたが、1年間磨き続けた3pシュートを決められたこと、その1本のシュートを自分ごとのように喜んでくれる仲間がいたことがどれだけ次にステップアップしていくためのモチベーションへと繋がったことか。
挫折体験ももちろんではあるけど、やはり成功体験や達成感が自分のモチベーションを最大限に引き上げてくれるんだなということを実感すると共に、チームスポーツの素晴らしさを改めて感じた経験でもありました。
その後、プレータイムは伸びていったものの、2年から3年の時期はチームとしてなかなか結果を残すことが出来ず、苦しい時期が続きました。
何がダメなのか、どうすれば勝てるのか、それぞれが考え試行錯誤を繰り返しながら練習に取り組んでいるのに、結果はついてこない。
何が正解なのかもわからず、チーム内では様々な方向への不信感が漂っていていましたが、そんな中でも勝つためにもがき続ける先輩についていくしかないととにかく必死に走り続けていた日々でした。
今思うとあの時期はバスケを楽しむことすら出来ていなかったような気がします。
なんとか2部に残留し、始まったラストシーズン。
昨年度までの反省を生かし、チームを足元から見直していこうと何度もミーティングを重ね活動する日々でしたが、どこか自分の中では本当にこれでいいのかという違和感が付きまとい続けていました。
誰よりもチームを変えたい、勝ちたいという思いが強い同期が必死に頑張っている中でこんな思いを抱きながら活動を続ける自分が本当に嫌いで、でもその思いをなかなか打ち明けることも出来ず、耐えきれなくなった私は一度チームから離れ、自らの責任を放棄してしまいました。
あれほど練習に行くことが恐いと思ったことは後にも先にもこの時だけだったと思います。
ただ、そういった環境から逃げた先に待っていたのはそれ以上に苦しい日々でした。
目の前が真っ暗で、希望の光なんてどこにもなくて、これまでの生活に戻ることなんてもう出来ないだろうなと本気で思っていました。
ただ、そんな私を救ってくれたのも同期をはじめ、スタッフの方々や家族、チームのみんなでした。
こんな私のことを見捨てることなく、常に側に寄り添い、もう一度チームの一員として戦うチャンスをくれました。
人生で1番辛かった時期にそういった人々の支えがあったからこそ、自分は今こうして、卒業ブログを書くことが出来ているのだと思います。
特に同期には感謝してもしきれません。
私の同期は本当に凄いやつらです。
損得勘定抜きでこれだけ人に寄り添える人間を見たことがないです。
ありがとうなんて言葉じゃ物足りないけどあえて言わせてもらいます。
本当にありがとう。
ラストシーズンも目に見えた結果が得られたわけではありませんでしたが、そういった結果以上に大切なものを得ることができた4年間でした。
下級生に対しては、最上級生ひとりひとりがそれぞれの個性を出して、闘う姿というものを見せることが出来たのではないかなと思います。
私たちの代では成し得なかった1部昇格という目標を後輩が達成できるよう、OBという立場になりますが今まで同様、応援しながらも共に戦っていきたいと思います。
最後になりますが、この4年間、良い時も悪い時も常に支え、応援してくださったOBの先輩方をはじめ、保護者の方々や関係者の皆さまのおかげで、かけがえのない青春時代を過ごすことが出来ました。
この4年間の出会い、出来事すべてが私の誇りです。
本当にありがとうございました。
これからの後輩たちへ、この大学4年間の生活をバスケに捧げて卒業した今、確信を持って伝えたいことは、それだけの価値がこの組織にはあるということです。
やりたいこと、学びたいことがあれば何でもできる大学という環境には、もちろん他の選択肢もたくさんあると思います。
しかし、何かに没頭して、同じ目標に向かって本気でぶつかり合えるような組織はどこにでもあるものではないです。
高校で部活動は終わり、というような風潮が軽く漂っている状況ではありますが、皆さんの大学生活をより良いものとするための1つの選択肢として慶應義塾大学体育会バスケットボール部への入部を検討してもらえればなと思います。
色々と偉そうなことを言ってはいますが、好きでやっているバスケットボール、まあ、楽しんでください。
全体的にお堅い偉そうな文章になっていたので、最後の一言くらいは私らしい緩めの言葉をエールとして送らせていただきたいと思います。
慶應義塾大学体育会バスケットボール部副将 原匠