卒業ブログ 小川 翔平

題名:「自分のために」より「チームのために」の方が、自分のため

このブログは、「個人の時代到来」というニュースが流れまくる昨今を、「自分の利益になるか」を最優先に生きてきた私が、チームの中で自己犠牲を習得したように見せかけて、実は「自分の利益になること」をしていました、という物語です。

併せて、個人、個人、と言われる時代ですが、「チーム」でしか成し得ないことがあるということをお伝えできればと思います。

早速ですが、私はちょうど今から四年前に體育會バスケットボール部の門を叩きました。

当時は関東一部リーグに所属し、先輩方も強豪校出身の方ばかりでその門は凄く大きく重そうでしたが、叩いてみると拍子抜けするくらいにすぐ開いたのです。先輩も同期もとてもフレンドリーな人たちで、驚きました。

チームには自分よりも上手い人しかおらず、大好きなバスケットボールのためにどこまで追い込んでも十分とは言えない環境だったので毎日が楽しかったです。さらに、一緒にシューティングやウェイトをするのは高校時代に全国制覇を成し遂げた鳥羽。

努力の量と質には刺激を受ける日々でしたし、見ること聞くこと全てに感心していました。

しかし、しばらくして私にとっての第一の転機が訪れます。

「スタッフ」という議題が同期ミーティングで挙がるようになったのです。

同期には、鳥羽、原、澤近、小原、吉敷、宇野(スタッフ)がいて、実力的に見て私のためにあるようなミーティングでした。

そのミーティングは一年生の夏から、二年生の春まで、約半年間、毎週開かれ、私の言い分としては「誰よりも努力している自分がなぜ?」というもの。

今考えると、努力量なんて比べられるものではないし、比べられたとしても同期全員が私と同じくらい努力していました。

しかし、当時はどうしても選手をやめたくなかった。

「下手くそから全国レベルの試合に出る」という壮大な物語のためならどこまでも頑張れたし楽しかったから。

ミーティングが開かれるようになってからのBチーム練を見ていた鳥羽から「お前、ドリブル上手くなったね」と言われた時、本当に嬉しかったのを覚えています。

そんな風に、同期も先輩も、選手として精一杯努力する私のことを可愛がってくれたし、応援もしてくれていました。

でも、実力的にスタッフとして役割を見つけて貢献すべきなのは明白で、先輩も同期も複雑な心境だったと思います。

バスケットボール中心に回っていた人生だったから、選手をやめることは本当に嫌だったけれども、どこまでも寄り添ってくれるチームメイトをこれ以上、困らせるのも裏切るのも嫌だと思いスタッフになることを決めました。

でも、この時の心境はまだ”自己犠牲”。

「自分のためではないけど、皆のために練習の時間は捧げて、他の時間で好きなことをやろう。」と考え、降ってきた仕事はやるけど、プラスαはやらない。

練習が終わった後の、スタバス(スタッフがバスケットボールを楽しむ時間)に全力を傾けるようなタイプでした。

役割が増える事を最も避け、「仕事はやっているんだから良いだろ」という人です。

でもさすがのダメスタッフも、上級生になるタイミングでは「あれ、自分には余力があるぞ?選手は役割を果たすために身も心も注いでいるのに、スタバスばかりやってていいのか?みんなを裏切ってないか?」という考えが頭の中に出てくるようになりました。

そうして、身も心も注ぐようになり役割も増えスタッフらしくなってきて迎えた、三年時の早慶戦。

そこで、第二の転機が訪れます。

4連覇がかかる大一番で、敗北を喫した際に、チームを最後まで引っ張った同期の原が「すまん」と涙を流しながら謝ってきたのです。

その瞬間、「俺は何をしてるんだ。選手はこんな自分の分まで背負ってプレーしているのに。」という想いが溢れてきて、これ以上ないほどに情けなくなりました。

試合の勝敗に直接責任を持つことはできない。

ならせめて、責任を持つ選手が誇りと自信を胸にコートに立てるようなサポートをするのがスタッフとしての役割だろ、と考えるようになったのです。

誇りと自信。

この二つを選手に持たせることが私の役割。

どんな試合でも、見に来てくれる人が多いと気合が入ります。

Bリーグが発足してからBリーガーのモチベーションもかなり上がっているそうです。

私たちもスタジアムが満員になる早慶戦に最も気合が入ります。

伝統的で大事な試合という面も、もちろんですが「がんばれ!」という言葉を試合前や試合中にかけてもらえるのは本当に嬉しいし、「あの試合、見たよ!すごかった!」と言われれば、涙が出そうになります。

注目度が上がれば、感動は大きくなるし、より誇りを持って試合に臨めると思うのです。

選手側だけでなく、練習から試合まで自分たちの可能性を諦めずに努力する最高で感動的なチームがあるならば、多くの人が見たいはずです。

SNSでの広報活動やや早慶戦を始めとするイベント企画にはそんな想いを持っていました。

注目度が上がるとさらに重要さを増すのが自信の部分。

「多くの人が見ている前で情けない試合はしたくない。勝ちたい。」と思うようになっても、自信がなければそれは恐怖に変わってしまいます。

そんな自信をつけるために何をすればいいかは明白でした。

昔から同期と話していると練習内容やチーム内のコミュニケーションなどに不満が出ていたのです。

「この練習してて良いの?意味あるの?」とか「何考えているのか分からない。」などです。

自信をつけるための準備の部分に不信感を持っていたら、チームは団結しないし強くなるわけがありません。

これこそ、試合を分析したり、練習を設計したりする学生コーチという立場にあり、チームをまとめ上げる上級生という立場にいた私の出番です。

そこからは、チームメイトやコーチ陣と「どうやったら強くなるか?」ということを何度も話したり、役立ちそうな本を片っ端から読んだり、またまたチームメイトと話したりということを繰り返してきました。

本はバスケットボールの本だけでは本質的な部分が見えないと考えていたので、色々なチームのビデオや監督・コーチが書いた本や、孫子などの一般論的な戦術書、「サッカー×数学」といった内容の本、ビジネス書、モチベーションに関する本など色々読みました。

騙されたと思って読書はしてください。

目の前のことを頑張っているだけで勝てるほど甘くはないし、本や大学の授業でのインプットを大切にすると現状と理想のギャップ、その埋め方、さらなる先まで見えてきます。

役に立ちそうなところをチームに持ち帰り、「チームをより良くより強くするためにはどうするのか」を議論する。

こうやって論理的かつ情緒的なコミュニケーションを多くしてきたのが良かったのか、内容が良かったのかはわかりませんが、今年のチームは幾多の苦難に遭遇するも、その度に団結し成長して乗り越えてくることができました。

「最高のチームだった!」「もっと見ていたかった!」「ありがとう!」という声を沢山かけてもらえたのは良い思い出ですが、入れ替え戦で関東一部と戦ってみたかったし、インカレにも出てもっと試合がしたかったというのは、唯一の後悔です。

正しくないと思った事は放って置かず、何が正しいのかを考える。

そして正しい事のためならどんな障害があっても譲らない頑固さを持ってやりきる。

もちろん失敗する事も多々ありますが、100%の努力の先にある失敗は、120%、130%の努力をするために必要な学びを与えてくれます。

失敗は引きずらずに”今”に活かして未来のために積み重ねていく。

人生は一度きりだし、現役の四年間はできることに比べて短いです。

怠けていたり、愚痴を言っていたら、あっという間に過ぎていきます。

どれだけ1日1日をチャレンジングな日にできるか。

「上級生になってから」なんて考えは甘すぎます。

他のチームの四年生だって最後くらい頑張ります。

優位に立つにはどれだけ下級生の頃から頑張るか。

私の同期は鳥羽、原、澤近、小原、吉敷、宇野がそれぞれの立場で上級生顔負けの責任感を持ち日々を過ごしていました。

私は、上級生になってから取り返すのに苦労しました。

現役の可能性は無限大です。

現役は何をどこまでやっても、それが必死さ故の行動ならば大概許され、大人の方々が助けてくれます。

もう私が、バスケットボールのことやチームのことについて話しても「OBからの説教」の域を超えられないかもしれないけど、現役の言葉には強いパワーがあります。

戦術だけの学生コーチではなく、基礎技術に詳しい学生コーチもいればBチームや一貫校のレベルも上がるかもしれないし、メンタル面やイベント、グッズ、マーケティングとかに詳しい人がいたらもっとチームは強くなるし面白くなるかもしれません。

ぜひ最高で感動的なチームを作って欲しいです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

このように、「個人の時代到来」というニュースが流れまくる昨今ですが、「チーム」にいた事で私は、自分だけでは気づけない事に気づけたり、「チームのため」という考えを心の底から持った事で、人間的にもスキル的にも圧倒的に成長する事ができました。

それは、チームを愛せば愛すほど「あれもこれも!自分がやらねば誰がやる!」状態になり、できることが増えて行くからだと思います。

さらに、生涯の友という特典付き。

彼らと一つの目的・目標のために団結し、苦難を乗り越えてきた日々、勝利した時に力一杯抱き合った瞬間は最高でした。

「自分のため」より「チームのために」の方が、自分のため