題名:大学バスケの挑戦
素晴らしい投稿続で、もう僕の投稿はいらないでしょ(笑)
というのが僕の本心ですが、バスケットバカの支離滅裂な文章に少々お付き合いいただければと思います。
バスケ人生を振り返ると、本当に険しい道のりでした。
そこには様々な挑戦があり、達成できたこと、できなかったことがあります。
大学バスケは僕の中で一つ大きな挑戦でした。
新チームが始まる最初のミーティングでは、「なぜ今僕たちがこのチームにいるのだろうか」という問いから始まりました。
「最大限の努力により最高の結果を出す」ための思考性、行動特性を身に付ける。
これは、慶應義塾体育会バスケットボール部のチーム哲学です。
哲学を辞書で調べると、世界、人生などの根本原理を追及する学問。そして、物事を統一的に把握する理念と出てきます。
つまり我々は、バスケットボールを通じて哲学を体現する学びの集団でなければならないのです。
‘凌峨’
「他のものを越えてそれ以上になること。」
凌駕という言葉には本来このような意味があります。
それに加えて「峨」とは高く険しい山のことを表しており、また「峨」に含まれる「我」は内的自発性の意を含んでいます。
他を上回るだけでなく、自らに険しい目標を課し続け、その度に乗り越えていくという強い意志を込めて。
目標は早慶戦優勝、関東1部リーグ昇格。
これは今年僕たちのチームが掲げたスローガンと目標です。
スローガンはそのチームの色だと僕は考えています。
学びに色を付け、目指す先が目標だと考えます。
このミーティングが終わった時の下級生には、ぜんぜん響いてないな、という印象でした(笑)。
哲学?堅苦しい言葉に耳鳴りがし、当時からしてみたら果てしなく壮大な夢を語っているだけだろ、といったような様子さえ伺えました。
今年のチームは正直期待されていませんでした。
周りからは、「3部との入れ替え戦だけは避けてくれ」といった声まで聞こえるほどでした。
それもそのはず、平均身長180センチにも満たない雑草軍団です。
振り返れば入学後、僕たちの代の初の晴れ舞台である2年春の新人戦では、当時3部リーグ所属の上武大学に惨敗し、先が思いやられる結果でした。
僕は正直悔しくて悔しくて仕方なかったことを鮮明に覚えています。
一方で、どうしたら勝てるのだろうか、そんなところから始まった僕の大学バスケでした。
4年目のシーズン、僕はチームの主将を任されました。
これはすごく光栄なことなのに、プレッシャーの方が先行している自分がいました。
なぜならば、自分たちが取り組んできたことが正解なのかわからなかったからです。
春のトーナメントでは明治大学に敗れ、関西大学との定期戦、韓国の延世大学との定期戦に敗れ、「結果」を出すことができませんでした。
案の定、春の最大の目標である早慶戦では格上の早稲田相手に全く歯が立たず、僕の視界はかすみかけていました。
しかし、周りで下を向いている人は誰一人としていませんでした。
次の日に体育館に行けば、いつも以上に熱心にシューティングに取り組む選手、何がダメでリーグではどうやって戦っていくか話したいと言ってくる学生コーチ、リーグ戦を見据えて、選手のケアをし、ウエイトを教えるトレーナー、夏合宿に向けて準備を進めるマネージャー。
気が付けばみんながチームのために全力で取り組む、本当の意味でのチームになっていました。
僕はプレッシャーなんて感じている暇もなく、自信が沸き上がっていました。
このチームを作ったのは間違いなく部員全員です。
でもそれを牽引し、チームがまとまるきっかけを作ってくれたのは間違いなく僕の同期でした。
みんなのブログを読んでいただいた人にはわかると思いますが、僕の同期は最高で最強です。
チームが勝てないのは自分の責任かのようにひたむきに努力する姿勢がありました。
チームが勝つために必要だと思うことはどんなに言いにくいことでも発言し、受け入れる姿勢がありました。
そして何より、絶対に無理だという言葉を発しない、諦めや妥協しない姿勢がそこにはありました。
まさにチーム哲学を体現し、‘凌峨’しようとする姿勢がそこにはありました。
こうした姿が自然とチームに浸透し、信頼関係を生んでいました。
話を高校生に戻します。
高校3年時に、私は全国制覇を経験しました。
今までに感じたことのない達成感を味わい、自然と大号泣していたのを今でも鮮明に覚えています。
それもそのはず。
全国大会で優勝したい。
そんな単純な思いから15歳という年齢で地元の静岡を離れ、福岡県の強豪校である大濠高校に進学をするという決断をしたからです。
(今思うと、こんな大きな決断をするのに全く迷いもしなかった自分を恐ろしく思う時がありますが。笑)
大学はというもの、最終結果は、早慶戦敗退、関東2部リーグ5位。
目標であった早慶戦優勝、関東1部リーグ昇格にあと一歩及ばず。
正直おもい描いていた大学バスケ生活とはかけ離れていました。
しかし、リーグ戦最終日、順天堂大学との1戦を制した後に、僕は大号泣していました。
その涙は全国優勝と匹敵するほど、いや、それ以上のものだったかもしれません。
やってきたことはすごく単純です。
「最大限の努力によって最高の結果を出す」こと。
自分たちが追い求めていたものが形になった瞬間であり、そこには素晴らしい景色が広がっていました。
この一枚の写真がすべてを物語っている気がします。
僕はこのチームに主将として携わることができたことを心から誇りに思います。
僕が主将としてしたことなんて特別あるわけではありません。
ただ、このチームで勝ちたい。
その一心でした。
そう思わせてくれたのは、僕の同期をはじめとしたこのチームです。
僕は大学バスケを通じて、結果以上に大事なものを得ることができました。
こんな素晴らしい経験をさせてくれたこのチームに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう。
11月3日に予期せぬ形で大学バスケ引退を告げられた僕は、その後、果てしない無気力感に襲われていました。
現役当時82kgあった体重はわずか2週間で76kgまで落ち込み、気づけば私生活は崩壊していました。
やっぱりバスケが僕の生活を支えていたんだなと気が付く一方で、もうバスケはいいかなと思う自分もいました。
なぜかというと、バスケを通じて壁にぶち当たりすぎて、正直疲弊しきっていたからです。
小学校1年生から16年間バスケをし続けてきた僕にとって、バスケをすることは半分「当たり前」で、もういいかなと思っている自分にびっくりしていました。
しかし、バスケを離れて生活してみると、どこかもの足りない。
「疲れたな」と思う気持ちは本気でやっていたから思う事でもあるのかなと。
そして、「物足りないな」と思う気持ちこそ、バスケが僕を成長させてくれた証であり、僕の人間としての伸びしろなのかなとも思います。
僕もまだまだこれから様々なことに挑戦し、もっと大きい人間になろうと思います。
体育会は、学校に通っているだけでは教えてくれない「学び」を得ることができる環境です。
大学で何をやろうかなと悩んでいる人は、学びのツールとして考えてみてください。
一生役立つ財産を手に入れることができるはずです。