ラストブログ 熊野俊介

「バスケ人生を振り返って」

はじめに

誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。慶應義塾大学理工学部物理情報工学科4年の熊野俊介と申します。

平素より慶應義塾体育会バスケットボール部をご支援いただき誠にありがとうございます。

さて、10月末に部活を引退してから数週間経ち、卒業論文に向けて研究に精を出す毎日が始まってしまいました。研究室と体育館を行き来していた忙しい生活も、いざ終わると寂しく感じます。

正直なところ、自分がラストブログを執筆していることにまだ実感はありませんが、熱が冷めないうちに私の4年間の想いを綴りたいと思います。先輩方や同期たちのように立派なことは何も言えず、かなりまとまりのない文章になっておりますが、是非最後までお付き合いください。

部との出会い

正直なところ、私は一貫校出身の同期や2019年の早慶戦に魅了された山口のように、バスケ部とドラマチックな出会い方をした訳ではありません。

小学校3年生のときに姉に連れられてバスケットボールを始めてから徐々にバスケットボールの魅力に引き込まれ、気が付けば高校まで競技を続けていました。

そんな私は高校生活を存分に謳歌しすぎたせいか、1度目の大学受験で志望校に落ち、浪人することとなりました。その後、1年間の浪人生活を経ますが(もちろんこの1年間はちゃんと勉強しました)、再び志望校に落ちてしまい、併せて受験していた慶應義塾大学に進学することになります。

今でも覚えていますが、私が入部することを決心したのは志望校の合格発表で不合格ということを確認し、慶應義塾大に進むことが決定した数時間後のことでした。当時沸き起こった感情は、「2回も受験失敗したのめちゃくちゃ悔しいから、大学でもなんか頑張るか~」というようなものでした。

そんな、かなりぼんやりとした目標を抱いていた私は、体育会バスケ部という、私の目標を達成するのに最適すぎる環境を見つけ、すぐに部にコンタクトを取りました。さらに当時は理工学部の部員が2つ上のスタッフの方1名しかいなかったため、「理工学部の勉強も頑張りながら選手として活躍したらなんかかっこよくないか?」という動機もおまけについてきました。

2年のときに執筆したブログではもう少しオブラートに包んでかっこよく表現していた記憶がありますが、実際の私と部の出会いと入部理由はこんなものでした。せっかくのラストブログなので、本音で綴らせていただきます。

激動の4年間

前述のように、私はかなり単純な動機で入部しましたが、それからの4年間は単純とは言い難い、様々なことが起こった激動の4年間でした。

何度も襲ってきた新型コロナウイルスの脅威はもちろんのこと、2度のチーム体制変更を経験したりと、今考えれば無心でバスケだけに集中できる時期というのはかなり少なかったように思います。

私自身についても、かなり様々なことを経験した4年間でした。入部した直後のシーズンでは運よく試合に絡ませてもらったこと、2年目にはチームの主力になったものの全く結果を出せなかったこと、プレータイムが減りチームもなかなか勝ちきれなかった3年目。ひとつひとつ振り返ればきりがないですが、本当にいろんな状況を経験して、考える時間を多く与えられた4年間だったと思います。

学業と部活動の両立

そんな4年間で私が常に向き合い続けていたのが、学業と部活動の両立です。

私が所属している理工学部は、他の部員が所属する学部と比較するとかなり学業に重みのある学部です。そもそも私は理系の学問が好きでこの学部に入学しているので、学部での勉強自体が苦である訳ではないのですが、部活との両立となると話が変わってきます。

高難度で量の多い日々の課題、毎週何十ページも執筆する実験レポート、3年後半から本格的に始まる研究など、学業だけで4年間が充実してしまうほど、理工学部での勉強はパワフルです。これと部活動を両立するとなると、ご想像の通りかなりの労力を必要とします。

入学当時の私は、かなり楽観的に学業と部活動の両立を目標に掲げましたが、勿論のことそんなに簡単なものではありませんでした。

特に、授業形態がオンラインから対面に変わり始めた2・3年時は、授業の出席に追われ、課題に追われ、実験レポートに追われ、試験勉強に追われ、もちろん部活にも追われ、心身ともにかなり疲労困憊だった記憶があります。この時期には、試験勉強のため部活を一時離れてしまったり、私生活が乱れチームに迷惑をかけたこともありました。何度も部活を辞めようとも思いました。

そんな苦しい状況でも諦めず、引退まで続けられたのはなぜだったのでしょうか。おそらく、自分で決めたことを途中でやめるのがカッコ悪くて嫌だったからだと思います。

もちろん私が高いレベルでの文武両道に挑戦するにあたって、チームメイトや両親をはじめとして多くの人が私を支えてくれていて、そのような方々のために最後まで諦めず続けたいという想いもありましたが、当時の正直な感情は、自分が最初に決めたことを途中で諦めるのが嫌だ、という単純なものだけでした。

しかしそんな単純な理由でも、最後まで諦めず続けられたのですから、この4年間には立派な価値があると個人的には思います。

振り返れば、入部した動機も文武両道を頑張ることができた理由も正直かなりシンプルなものですが、あまり難しいことを考えずに自分自身の考えや感情に従って突き進んだ4年間は私らしいものだったと今では思います。

おわりに

かなり稚拙な文章となってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

私の4年間は、同期たちのように人々を感動させるようなたいそうなものではありませんでした。それでも私にとっては、自分に嘘をつかず、自分なりの動機と感情で挑戦を続けることのできた貴重な時間でした。

最後にはなりますが、これまで私を支えて下さった方々へ簡単ながら感謝の意を述べさせていただきます。

慶應バスケのカルチャーを背中で教えてくださった先輩方、コートでは常に厳しい指摘をくれてコート外では年の差を忘れてしまうほどプライベートな話まで聞いてくれた後輩たち、最後まで一緒に走り抜けた同期、常に私たちを気にかけてくださって引き上げてくださった社会人コーチ・OBの方々、本当に感謝しています。

そして、両親へ。ここまで学生生活とバスケを続けさせてくれてありがとう。長い間続ける中で色々な面で迷惑をかけたけど、僕のチャレンジを決して否定せず常に全力で応援してくれたことに感謝します。毎試合のように応援に来てくれたこと、練習で朝が早く夜が遅い毎日でも嫌な顔一つせず送り出してくれたこと、15年間本当にたくさんのサポートをありがとう。加えて、僕がバスケを始めるきっかけになってくれた姉、日々の馬鹿話に付き合ってくれた妹にも感謝しています。

この他にも、かつてのチームメイトやオフの日には遊んでくれて試合の日には応援に来てくれた友人たち、文武両道を支えてくれた学科の同級生など、名前を挙げたらきりがないほど多くの方々に支えられました。本当にありがとうございました。

今後はステージを変えて、挑戦を続けて参りたいと思います。

改めまして、4年間本当にありがとうございました。大変お世話になりました。今後とも、チームの応援を宜しくお願いいたします。