ラストブログ 藤井陽右

はじめに

 慶應義塾大学法学部政治学科4年の藤井陽右と申します。バスケ部では副将を務めさせていただきました。

 今年はコロナウイルスの影響で試合ができるかどうかも怪しまれましたが、オータムカップと早慶戦を無事に行う事ができたのはOB・OGの方々や全ての関係者の方々のご尽力があったからこそだと思います。

記念館での早慶戦、このような最高の舞台で大学バスケの幕を閉じる事ができた事、本当に感謝しています。ありがとうございました。

大学バスケ生活の4年間、終わってみると早かったような気もしますが、振り返るとやはり様々な事がありました。

拙い文章ではありますが、私が引退して感じた事を素直に書いていこうと思います。最後まで読んでいただけたら幸いです。

私の誇り

 下級生の頃、同期のミーティングでこのような話題がありました。

“引退したときに、「みんなともっとバスケがしたかった、このチームでよかった」そう思えるようにしたい。”

学生スポーツにおいて一生懸命に努力をすれば、大抵の場合、最後にはこのように思うのかもしれません。しかし、同期のブログでも書かれていたようにポンコツでどうしようもない代だった私たちは、最後に「やっと終わった、ただただ過酷な生活だった」、そんな風に終わる未来が見えていました。

粗相をしては仲間を非難するようなミーティングを行い、同じミスを繰り返す。さらには完膚なきまでにやられた新人戦、これらは私たちをそう感じさせるのに十分すぎるほどでした。

しかし、私たちの引退試合となった12月19日の早慶戦、日吉記念館に試合終了のブザーが鳴り響いたとき、下級生の時に見えた未来はありませんでした。

僕らは涙でいっぱいでした。早慶戦に負けた悔しさ。このチームでもうバスケができないという想い。もっとみんなとバスケがしたかった。早稲田は強かった。本当に悔しかった。

しかし、終わった時に後悔はありませんでした。全てをやり切った、胸をはってそう言えるからです。

これは私の14年間のバスケ人生を気持ちよく締めくくりたいという強がりなんかではありません。

確かにチームは負けてしまったし、自分自身も先輩である工藤さんや友樹雄さんのように4年生になって大活躍ということもできませんでした。

しかし、今まで積み重ねた練習やミーティングによる成果が試合に現れていました。同期と、後輩たちと創り上げたチームで慶應らしさを発揮する事ができました。負けた悔しさはあっても後悔はありません。心からやり切ったと思えています。

試合終了間近のこの瞬間は鮮明に覚えています。

このように感じる事ができたのは、何度も繰り返し行ったミーティングがあったからこそだと感じています。

新チームになり、慶應義塾の目的やチーム哲学など、慶應バスケ部としてどうあるべきか、どうなりたいかを大真面目に話し合ってきました。そしてチームスローガン「徹」を掲げ、3部優勝、早慶戦優勝を目標に走り始めました。

慶應義塾の目的やチーム哲学などをとことん話し合い、その上でチームスローガンなど必要あるのかという話にもなりましたが、今ではこのスローガンは最高に気に入っています。私たちの代を象徴するようなスローガンになりました。

一人一人が自分にしかできない役割に徹する、塾生としてあるべき姿、やるべきことを徹底するという意味が込められています。

私たちはつくづく問題の多い代でした。しかし、学連にいながらも常に核心を突くような指摘をしてくれる前田のおかげで、正しい方向を向くことが出来ました。津野地が様々な手法を提案し、個人の役割の明確化を進めてくれました。急に役割と言われ悩む部員も多くいましたが、何でも話せる杉田の存在に救われた人も多いと思います。また、木村のように後ろから支える存在がいなかったら、一丸となって早慶戦は迎えられなかったでしょう。岩片の後輩を巻き込む努力は確実にインサイド陣をレベルアップさせ、純平が寮生の食事指導などを行ってくれたおかげでチームの底上げにつながりました。そして、熱い気持ちでチームを引っ張った寺部、圧倒的なリーダーシップを発揮した甲谷、みんなの力でチームを創り上げました。同期一人につき一つのブログが書けそうですが、長くなってしまうので止めておきます。

私は真面目だけが取り柄のような副将で、彼らほどチームに貢献できていたのかどうかわかりませんが、この最高の同期とバスケができて、本当に幸せです。個人的に何か誇れる結果を残せたわけではありませんが、この最高のチームを共に創り上げたことは僕の誇りです。ありがとう。

早慶戦後の同期との一枚

後輩たちへ

 先輩方は私たちにたくさんのものを与えてくれました。慶應バスケ部の進むべき道を示してくださった鳥羽さん達(2019年卒)。早慶戦優勝というかけがえのない瞬間を共有させてくださった純さん達(2020年卒)。

早慶戦優勝を経験できたことは本当に人生の宝です。

コロナ禍で試合ができるかわからない中、今後の慶應バスケ部が強くなる土台を作っていこう。そんな想いももって取り組んでいました。もちろん私たちの代は完璧ではなかったし、悪い部分もあったと思います。後輩たちには、チームメイトと話し合い、悩み、楽しみながら走り抜けて欲しいと思います。

引退した今、現役たちに口出しする事は何もありませんが(相談があれば是非のります)、これだけは覚えていてい欲しいです。

私たちはどんな状況でも君たちの味方です。

これは新人戦に完敗したときにあるOBの方がかけてくださった言葉ですが、非常に心強かったので是非後輩にも知ってほしいです。責任を感じすぎる事はありません。失敗しても同期と前を向き続ければ素晴らしい経験が得られるはずです。

今年もコロナウイルスの影響で先行きが見えないけど、全力で楽しんでほしい。応援しています!

最後に

ここまで書きたい事を素直に書いてきましたが、読み返すと主語がほぼ「私たち」になってしまっていたので、最後に少しだけ自分自身のことについて書きたいと思います。

以前「身体づくり」というブログで書かせていただいたのですが、私は高校のバスケにおいて身体づくりで挫折してしまいました。うまく言葉では表せませんが、私はこのままでは一生バスケに対する敗北感を背負って生きていく事になってしまうような気がしました。もちろんレベルの高い大学でバスケをしたいという気持ちもありましたが、そんな想いを払拭したいという考えが強かったです。

しかし、大学バスケ部に入部してすぐにそんな考えは飛んでいきました。高い志をもった同期と共に過ごし、自分も早慶戦やリーグ戦にプレーで貢献したいと考えるようになりました。当たり前だと思う方も多いと思いますが、私にとって高校での挫折はとても大きなもので、自分にとっては大きな変化でした。

先ほど、誇れる結果を残せたわけではないと述べましたが、こんな私にとって最後に早慶戦のコートでプレーできたことは誇れることでした。同期の支えがあったからこそ私は努力し続けることが出来ました。最後の年、自分たちでチームを創り上げていくあの過程は、バスケ人生の中で最も楽しかったです。かけがえのない経験をありがとう。

最後に最も近くで支えてくれた家族にこの場を借りてお礼をさせてください。

支えてくれてありがとう。