ラストブログ 木村直哉

はじめに

 誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。慶應義塾大学法学部政治学科4年の木村直哉と申します。大学1,2年次は一貫校コーチを務め、3,4年は大学バスケ部にてアナリストの活動をしておりました。

 大学バスケ生活最後の年は新型コロナウイルスの流行により、様々な活動が制限されてきました。そのような状況の中でも、「早慶戦」という伝統の一戦を最後に引退することができたのは、すべてOB・OGの方々や家族の支えがあったからこそだと感じています。本当にありがとうございました。

前回のブログでは「4年生になって見えてきたこと」として自分の経験やチーム哲学の話を長々と書かせていただきました。少々考えすぎてしまい、逆に読みにくい文章になってしまったため、今回は特に考え過ぎずに書きたいと思います。(笑)

拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

孤独感

 入部当初、私は多くの同期、先輩に囲まれながら、「孤独感」を感じていました。チームメイトから仲間外れにされていた訳ではありません。私が「人を頼ることができなかった」のです。

昔から人一倍負けず嫌いだった私は「出来ない」という言葉が嫌いで、出来るようになるまでひたすら自分で乗り越えようとしてきました。そうしているうちにいつしか「誰かを頼ること=逃げ」という考えが染みついていました。高校生までは、この考え方で何とか生きていけました。しかし、大学に入るとこの考え方では限界が来ます。1つの授業時間は高校の1.5倍ほど長く、試験範囲は何倍にも膨れ上がりました。それに加え、人生で出会ったことが無いほどハイレベルな人達がいるバスケ部での活動です。当時の私は限界を迎えていながらも、「誰かに頼ること=逃げ」という考えから抜け出すことが出来ずにいました。

その時私が取った行動は、人と距離を取ることです。大学1年生の頃、私たちの代は問題ばかり起こしていました。同期ミーティングが頻繁に開催され、誰かが非難されている姿を何度も見てきた背景があり、次に対象になるのは自分ではないかという不安からの行動です。この結果、私は「自分は何の為にバスケ部にいるのだろう?」という自己嫌悪に陥りました。自分の存在意義が分からなくなり、チームメイトにも頼れない。そんな状況がしばらく続きました。

出会い

自分の存在意義を見失った私に転機が訪れます。それは阪口明大(あきひろ)さんとの出会いです。この方は日本体育大学のバスケ部出身で、現役時代はアナリストとして活躍されていました。明大さんは、大学3年次(2019年)の早慶戦の前の3か月間、私たちのチームの助っ人に来てくださっていました。

明大さんは、何も出来なかった私にアナリストとしての知識や技術だけでなく、スタッフとしての在り方などを叩き込んでくださいました。それまで、誰とも絡もうとしてなかった私に対しても「木村、今日何してる?」と声を掛けていただき、3か月間ほぼ毎日一緒にいた記憶があります。朝練後から夜の練習前まで練習やチームについての話し合いをずっとしていました。そのような生活を続けていると、徐々に自分の出来ることが増え、チームの輪に入れるようになりました。

この時、私は誰かに頼ることの大切さを学びました。自分で出来ることには限界があり、誰かから教わることも一つの手段だと考えるようになりました。

明大さんとは4年生になっても個人的に連絡をさせていただくことも多く、最後まで大変お世話になりました。本当に感謝しかありません。

同期の存在

自分に出来ることが増えてくると、またしても「人に頼れない」という悪い癖が出てしまいます。「自分で出来る事は自分でやった方が早い」という思考回路に陥ったのです。そのため、最上級生として下級生の面倒を見てあげなければいけない立場にも関わらず、そこまで手を回すことができませんでした。気付くとスタッフから退部者が出ており、もっと色々声を掛けていたら…と後悔が残りました。

そんな私を変えるきっかけをくれたのが同期です。彼らは新型コロナウイルスの影響で目標であった2部昇格の道が絶たれ、早慶戦の開催も怪しくなっている状況下でも常に前を向いていました。

「大会が中止になった今、後輩に何が残せるか?自分たちの代はこの先の慶應バスケ部が強くなるための踏み台になれればいい。」

このような話し合いをしたのを今でも鮮明に覚えています。

 この頃から、私がこれまで明大さんにしてもらってきたことを後輩に還元しなければならないと気付かされました。

 その後は、それまで一人で行っていたこともなるべく後輩に任せてみることにしました。

「失敗しても当たり前。上級生である自分がどれだけ面倒を見れるか。」

そう考えながら、なるべく成功体験を積ませてあげられるよう試行錯誤しました。もちろん、誰かのミスでチームに迷惑が掛かったら、その責任は自分にあります。その分、二度手間だと思われようとも、入念にサポートをしなければなりません。時間を惜しみなく使い、明大さんの教えを少しずつ還元していきました。

このようなことを日々繰り返しているうちに、時はあっという間に流れ、気付くとバスケ人生に幕を閉じていました。

(同期とは何度もミーティングを重ねました。)

最後に

(このチームで戦えて本当に良かったです。)

4年間を通して自分自身の弱さと何度も向き合わされたバスケ生活でした。それも全て、自分よりも優れた人が沢山いる集団の中に身を置いたからこそ得られた経験だと感じています。

このような環境下でも最後まで続けることができたのは、扱いにくい私を受け入れてくれた同期のおかげです。本音を言い合える関係を築けた同期は一生の宝です。コロナ自粛後に何の気遣いもなく「めっちゃ太ったな」と言ってくれる同期にはそうそう出会えないと思います。(笑)

私たちの同期は全員、何事も思い通りにいかない4年間を過ごしてきました。特に最後の一年間は同期だけでなく、チームメイト全員にとって苦労の多い年でした。しかし、どれだけ苦しい1年間でも、私にとっては試合に勝った後の仲間の喜ぶ姿を想像すれば、何も苦痛には感じませんでした。

最後の早慶戦で全員の笑った顔を見て終えたかったというのが本音ではありますが、昨シーズンのチームでやれることを全てやった結果なので、後悔はありません。あのチームでバスケが出来たことが本当に幸せでした。

 最後になりますが、今の「木村直哉」という人間が形成できたのは、これまで関わってきた方々のお陰です。先輩方、同期、後輩、様々な人と出会えたことは私にとってかけがえのない財産です。この先も社会人として慶應バスケ部に何かしらの形で恩を返していけたらと思います。

 長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。引き続き慶應義塾體育會バスケットボール部の応援を宜しくお願いいたします。