ラストブログ 杉田雅虎

はじめに

2021年になったものの社会の情勢はあまり変わらず、もどかしい日々が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

初めに、自己紹介をさせていただきます。

僕は慶應義塾大学部商学部4年の杉田雅虎と申します。

僕は12月に引退し、その後一週間で3万字の卒業論文を慌てて書き上げ、現在は毎日暇な日々を過ごしております。

朝練に行き、その後授業に出席したりアルバイトをしたりと自分の時間を過ごし、昼過ぎからまたみんなで集まって夜9時まで練習していたあの長かった1日が、今では秒速で過ぎ去ってしまっています。

そんな怠惰な僕から、偉そうなことは何も言えないですし、文章力もないので拙い文章になってしまうと思います。

僕なりに4年間の想いを精一杯綴らせていただきますので、僕のことを少しでも知っている方は、何かの片手間にでも、最後まで読んでいただけたら幸いです。

慶應バスケとは

僕はSFC出身で高校のコーチが体育会に所属していたこともあって大学のバスケットボール部について興味を持つようになりました。

そして、一貫校の時から大学の試合を観戦に行っていました。

当時の慶應は、関東1部リーグに所属しており、日本の大学でもトップレベルの環境で闘っていたので、高校生の僕には勉強になることばかりでした。

さらにレベルの高い相手と勝負する中でも、ディフェンスやリバウンドなどの基本的なプレーを徹底しており、ルーズボールに飛び込む姿には単純に憧れを持っていました。

また、一貫校交流で高校の練習に来てもらった時などに話す大学の先輩方は、バスケットが上手いのはもちろんのこと、面白い人ばかりで、そういった人間性の部分にも憧れを抱いていました。

僕らの高校のコーチをしていただいていた山崎さん(2016年卒)も、バスケットボールとお笑いという2つの面で尊敬していました。

そんな冗談はさておき、実は僕が大学のバスケ部入部したのは、ある試合を観戦したことがきっかけになっています。

それは、2016年のインカレでの白鴎大学との試合です。

格上の相手に本塾の鬼気迫るディフェンスや、気持ちでねじ込んだようなシュートがことごとく入り、本塾がリードした状態で試合は終盤を迎えていました。

しかし、そこから白鴎大学の反撃にあい、あと一歩のところで本塾は敗れてしまいました。

試合が終わると僕は目頭が熱くなってしまっていました。

さらに会場から出ようと席から離れると、試合を観ていた中島さん(2016卒)が僕に握手をしてきてくださり、高校生だった僕に「見に来てくれてありがとう」と声をかけてくださいました。

僕はこの瞬間、誰からも応援される慶應バスケ部の一員になりたいと強く思うようになりました。

SFCからバスケ部に入った人はどなたも面白くて優しくて素晴らしい方ばかりです。こんな写真しかないのが悔しいです。

4年間

そして無事大学に進学した僕は、体育会バスケットボール部に入部しました。

入部した当初は、高校と環境が大きく激変し、毎日を過ごすのに精一杯でした。

SFC高校という閉鎖された環境で過ごし、なおかつバスケットボールのレベルも大学とは比べものにならないくらい低い環境で高校時代を過ごしてきた僕は、同期や先輩との価値観や考え方に違いがありすぎて、戸惑うことばかりでした。

そのせいもあり、チームや同期にたくさん迷惑をかけてしまうこともしょっちゅうでした。

それでも「常にチームのために自分ができることを考える」という慶應バスケのチーム哲学のもと、自分なりに自らを律し、仲間と支え合いながら、必死に毎日を過ごしていました。

そんな僕も気づけば最上級生になり、気づけば引退試合である早慶戦の試合開始のブザーがなっていました。

いろいろなことがありすぎて逆にあっという間の4年間でした。

そんな4年間の中で、一番思い出に残っているのは3年生の時の早慶戦です。

私は最初から最後まで、早慶戦の運営に携わらせていただきました。

協賛金を集めるために多くの企業に掛け合い、何度も会場の早稲田アリーナに足を運んで、大会当日の段取りや照明・音響を確認したり、カメラマンの導線を決めたり、さらには応援部の人との打ち合わせ、会場のセッティングも行いました。

早稲田大学の学生より、早稲田大学のキャンパスに行っていたかもしれません。

試合前は試合運営業務に加えて、スカウティングの仕事も手伝っていたので、生まれて初めて自分を2つに分身させたいと思うほどの忙しさを経験しました。

しかし、周りの人が協力してくれたおかげで、僕自身忙しくはあったものの、辛いとは思いませんでした。

そして挑んだ早稲田大学との伝統の一戦。

試合に勝利したときの感動は今でも鮮明に覚えています。

コートにいる選手、ベンチにいる選手やスタッフ、そして相手ホームにもかかわらず大声援を送ってくれた慶應の観客席の方々が、文字通り一つになっていました。

あんなに嬉しくて、興奮して泣いてしまうような日は、これからの人生においてもなかなかないと思います。

また、3年次の早慶戦以外にも、4年間を振り返ると様々な思い出が蘇ってきます。

特に最後の年は新型コロナウイルスの影響で練習ができない日々が続き、自分は4年生としてチームになにができるのだろうと思い悩むことが多かったです。

それでもやっぱり自分は悩んでいても何もならないと思ったので、自分なりに今できることをやろうという思いで最後のシーズンを過ごしてきました。

多分それでは物足りなかっただろうし、できていなかったことも多くあったけど、なんとか最後までやってこられたのは、本当に多く人に助けられていたからだと思います。

3年次の早慶戦での写真です。あの大歓声の中で「若き血」を歌ったことは生涯忘れないと思います。

人の出会いと経験

突然ですが、僕は同期の岩片みたいにダンクもできないし、(藤井)陽右みたいに3ポイントを量産できないし、甲谷みたいな立派なふくらはぎは持ち合わせていないです。

しかし、この4年間振り返って自分が胸を張って誇れることがあるとするならば、多くの人に出会い、多くの事を経験してきたことです。

これは自分がすごいのではなくて、ただ運が良かったのと恵まれた環境にいたからだと思います。

たくさんのOBの方とも関わる機会をいただきましたし、早慶戦という70年以上続く大会の運営もさせていただきました。

時にはトレーナーとして選手のテーピングをしたり、トレーニングを管理したりもしました。

一貫校の小学校から医学部体育会まであらゆる慶應のバスケットボールチームに訪問し一緒にバスケをしましたし、時には地元のミニバスや慶應とは関係のない中学・高校でもバスケをしました。

小学校の体育の授業にお邪魔してバスケを教えさせていただくこともありました。

他にも大学バスケ部のTwitterやInstagramの立ち上げにも携わらせていただきましたし、時にはバスケットボールの映画の撮影の手伝いにも行きました。

僕は4年間で、思い返したらキリがないくらいたくさんの経験をさせていただきました。

その時僕は常に先輩やOBから頼まれたこと、自分でこれはやったほうがいいなと思うことを無我夢中でやるだけでした。

もちろんうまくいかないことも多かったし、今思えば非効率だったなとも思うこともありました。

でもコートに立って活躍するわけでなはない自分がチームのためにできることは、自分がチームに必要だと思うことをひたすら取り組むことだと思います。

自分のことよりもチームのことを優先するのは難しいですが、とりあえずやってみようと思うことで少しはチームのために動けたのではないかと思います。

このたくさんの経験の中で、本当に多くの方とお会いさせていただきました。

他の大学のマネージャーや学生コーチの友人たちと話すことは自分の中で刺激になりましたし、OBの方から聞く昔のバスケ部の話も非常に参考になる部分が多かったです。

クリニックで会う小学生からは癒しをもらい、真剣に部活動に取り組む中高生に会うと、どこか懐かしい気持ちになり自分も負けていられないなという感情にもなりました。

この4年間での人との出会いや様々な経験は自分の財産であり、自慢できることだと思っています。

時にはこんなこともしていました。個性豊かな先輩方との楽しい思い出です。

感謝

最後にこれまでお世話になった人に感謝を述べたいと思います。もう少々お付き合いいただけると幸いです。

〈先輩方へ〉

まずは先輩方、今まで本当に本当にお世話になりました。仕事できずに怒られたり、ナメた態度をとって怒られたりと、怒られた記憶ばかりが蘇ってくるのも今となっては良い思い出です。

同じスタッフだった、加藤さん(2018年卒)、宇野さん(2019年卒)はとても優しく?面白くて尊敬できる先輩ですし、小川さん(2019年卒)は誰よりもチームのことを考えていらっしゃいました。

時には厳しい指摘をしてくださる偉大な先輩方には感謝してもしきれません。

1つ上の野田さんや鈴木さん(共に2020年卒)には、迷惑をかけてしまうことも多々ありましたが、面倒見がよくて人との関わり方も上手く、たくさんのことを2人から学ばせていただきました。

そして小祝さん(2020年卒)ですが、小祝さんがバスケ部にいてほんとによかったと思っています。

周りのフリに耐えきれず?失礼な態度ばかりとってしまい、正直嫌われているのではないかと内心心配していました。

しかし無事に、誰からも愛される小祝さんと一緒に、高校大学とバスケ部で過ごすことができ、ほっとしています。

もちろんその他にも、多くの選手やスタッフの先輩にお世話になりました。

本当にありがとうございます。

なかなか人に会いづらい社会情勢ですが、落ち着いたらいろいろな先輩方とお会いしたいです。

本当にどの先輩も大好きで楽しかったのですが、特に小祝さんはほんとのお兄ちゃんのような存在で、小祝さんのいないラスト1年は重圧がすごかったです。

〈後輩へ〉

後輩のみんなにも感謝しています。

3年生2人は少ない人数で大変だろうけど、気負いしすぎず頑張って欲しいです。

2年生は本当にみんな変わっているけど、その個性を爆発させて頑張って欲しいです。

僕は相談に乗るような先輩じゃないので、美味しいもの食べたくなった時や、一緒に馬鹿なことしたいと思ったら連絡してもらえればと思います。

1年生とは合流が遅かったこともあり、正直あまり仲良くなれなかったけど、まだまだこれからなので、無限大の可能性と目標持って、楽しんで頑張ってほしいと思います。

縦割りの後輩には引退前にプレゼントももらい、少しは尊敬されていたと安心しました。

同期へ

同期には普段言わないですが、一番感謝しています。

入部当初から問題児だった僕に、優しく接してくれました。

4年間、毎日朝から晩までずっと一緒にいた家族のような存在です。

同期が試合に出て活躍することが何よりも嬉しく、あんなに練習しているのに試合になかなか出られない姿を見るのはほんとに悔しかった。

先輩やOBにお前らの代は大丈夫なのかと心配されることも何回かあり、その度に複雑な気持ちになっていたけれど、ラストイヤー同期全員が中心になって活躍している姿を見ると感動しました。

実はオータムカップ初戦の帝京平成戦から泣きそうになっていました。

暑い日も寒い日も雪が降った日も、自主練やシューティング一緒にやってきてよかったと思いました。

最後早稲田に負けた時も、もちろん悔しかったけど、やりきれたと思えたのはみんながこれまで、それぞれ自分のやるべきことを全うしてきたからだと思います。

なんだかんだ、みんな尊敬できる同期です!

最後に

先輩・後輩・同期以外の方にもたくさんお世話になりました。

OBの方は、バスケ部の現役はすでに引退し、普段は忙しく仕事をされているにもかかわらず、親身になってアドバイスをしてくれました。

他の大学のスタッフの方々や、学連の方々もそれぞれの立場で大学バスケを盛り上げていて仲間だと思っています。

間違いなく僕が大学バスケに関わった4年間で大学バスケのコンテンツ力は上がっていると思いますし、アマチュアスポーツの持つ価値は、これからもっと多くの人に見出されていくと思います。

それから、応援部の方にもお世話になりました。

早慶戦に勝てたのも応援部の方のおかげだと思いますし、試合にこなくてもSNSなどで僕らの活動を広めてくれるなど、様々な取り組みをしていただきました。

最後に、毎日朝早く家を出て夜遅くまで帰ってこないで、親孝行と言えるようなことはなにもしてこなかったにも関わらず、応援し続けてくれた家族。

そして、部活ばかりであまり会えなかったのに自分を応援してくれ、時間を見つけては一緒に馬鹿騒ぎしてくれた友人にも感謝しています。

もしバスケ部に入っていなかったら、こんなに多くの経験をすることができなかったですし、充実した日々も過ごせませんでした。

そして学業にも支障をきたし、研究会にも入れていなかったと思います。

正直大変なことの方が多かったけれど、辞めたいなんて一度も思わなかったのは、周りの人に支えられていたからだと思います。

4年前にもう一度戻り、もし大学生活やり直すとしても、もう一度体育会バスケットボール部に入部していると思います。

それほど、体育会バスケ部での4年間は自分にとって、充実した時間でした。

長くなってしましましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

これからもぜひ、慶應義塾体育会バスケットボール部の応援をよろしくお願いいたします。