こんにちは。慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の山﨑日向(CN:アサ)と申します。
OB・OGの皆様や保護者の方々をはじめとするこのチームに関わってくださったすべての方々、多大なるご支援ご声援を本当にありがとうございました。皆様のお力添えのおかげで、何不自由なくバスケットボールができたということを心から実感した1年間でした。
シーズンを終え1週間が経った今、チームのことを考えて浮かぶのは「このチームは強くなれる」という思いです。これは驕り、後悔、自信、期待、どれでもありません。私の知っている限りの言葉では言い表せませんが、リーグ戦と六大学対抗戦を通して感じた詰めの甘さは、伸びしろとして慶應の成長の糧になると確信しています。
未来で慶應が強くなるためにこの代で結果を出すことに意味があったのに、このような思いを抱いてしまって、非常に不甲斐なく思います。けれども、日頃から応援してくださっている皆様、入部を少しでも考えてくれている高校生以下の皆様、そしてこのブログを読んでくださっている全ての方々に、もう一度伝えさせていただきます。このチームは強くなります。
先日、新チームの練習が始まったと聞いております。これからも応援のほどよろしくお願いいたします。

さて、本日のテーマです。先日引退したばかりの身ですが、僭越ながら「慶應義塾体育会女子バスケットボール部とは」についての持論を述べさせていただきたいと思います。
拙い表現を熱量でカバーしたような文章とはなっておりますが、どうか私の価値観を共有させてください。
随所作主
この言葉は、私が幼いころから大切にしてきた言葉・・・ではなく、先日いただいた素敵なアルバムの中のメッセージカードにて頂いた言葉です。私は無知であったためGoogleで1時間近く学びました。皆様ご存知かと思いますが、以下抜粋して引用させていただきます。
随処作主立処皆真
この言葉は、『臨済録』に出てくる臨済義玄の言葉で「随処に主となれば立処みな真なり」と読みます。
「随処」は、日常生活における何時・如何なる時や場所などのこと
「主」とは、他人にも自分にも束縛されることのない自在無礙の人のこと
「立処」とは、今現在立っている処のこと 「真」とは真実のこと
人間は何時・如何なる場所であっても、主体性を失わず、自在無礙の生き方ができれば、日々が真実そのものの生き方となる、というものです。
本来の意味とずれているかもしれません。けれど私はこの言葉の意味を「いつ、いかなる場所であっても、主体的にありなさい」ということだと理解し、同時にこれが「慶應義塾体育会女子バスケットボール部」での在り方であると思いました。
体育会において「学生主体」という言葉を何度も耳にしました。
自分たちでメニューや戦術を考えること、相手チームのスカウティング資料を選手自身で作成すること、トレーニングを率いること。
多くの体育会部活はこういったことを学生自身で行っており、これらは学生主体の形のひとつであると思います。ですが、その多くはスタッフの方々に決定していただける環境となりました。
だからといって「学生主体」はなくなりません。むしろ、この充実した環境にいるからこそ、より学生1人1人が主体的である必要があると思います。
そう考えるようになった理由として、高校生の頃の体育会との関わりがあります。初めて早慶戦を見た中学2年生の「バスケが上手い、自分の倍ぐらい大きな大学生への憧れ」が、高校2年生のときに「体育会生への憧れ」に変わりました。練習見学の際、当時大学2年生の先輩がチームの練習を止め、技術の指摘や全体への喝を入れていたことをはっきりと覚えています。「体育会は学生主体で行っている」と聞いていた意味がすぐに分かりました。
入部してからも先輩方の姿は私にとって、とても印象的でした。
チームの大エースである先輩が自主練習で誰よりも追い込んでいたこと、授業の空き時間にフィードバックミーティングが開催されたこと、上手くプレイできない私たち後輩にアドバイスをくださったこと、ヨガを教わったことなど…
先輩方は「勝ちたい」という気持ちから当たり前にそれぞれの役割を全うしていたのだと思います。ですが、その当たり前が私にとって衝撃的なことであり、高校までとは全く違う先輩方の部活への取り組み方から「自分もチームのために何か行動しなければ」という焦りが生まれました。
その後、様々な敗戦や勝利を経験し、3年目を終えたときに至った考えが「全員がリーダーシップを発揮するチームでありたい」ということでした。
チームに所属している以上、個人の行動はチームに良くも悪くも必ず影響を与えます。個人が上手くなって点を取ることも、泥臭いプレイを頑張ることも、基礎練習で誰よりも声を出すことも、チームメイトにアドバイスすることも、全てがチームに伝播し、勝利に繋がる。逆も然りです。言い換えれば、誰もが「チームを変える」ことができます。
自分の役割を見つけ全うすることで、それぞれの方向でリーダーシップを発揮しチームに伝播していく。それを人数分重ね、補い合うことが、スーパープレイヤーがいないチームが勝つために必要なことです。
また、ここには常に成長できる環境がありました。試合に出ていない日も、怪我をした日も、オフの日も、毎日です。特に、練習前のストレッチからバスケットボールの概念まで全ての環境が変わった最後の1年間ではとにかく教わったことに必死で取り組み、日々僅かながら、しかし確実に、成長していたはずです。ただ、目指す場所には全く足りなかったという結果を目の当たりにした今思うことは、その成長の大きさを0.1でとどまらせるのか10にしてやるのかを決めるのは、コーチでもチームメイトでもなく自分次第だったということです。
この素晴らしい環境のもとで、コーチの教えをどのようにインプットし、アウトプットするのか。限られた練習時間をどう取り組むのか。あふれた練習外の時間をどう過ごすのか。チームメイトの姿に、どう影響を受けるのか。
スタッフの方々、OGの皆様、そして勝利に真っ直ぐな現役部員の思いが詰まったこの環境は、私にとってだけでなく、誰もが、常に成長できる環境です。
主体的に、そして際限なく成長を追い求め続けたとき、その成長は0.1でも10でもなく、測ることのできない大きさにまでなると思います。
いつ、いかなる場所であっても、主体的であること。
誰もがリーダーシップを発揮し、自ら考え行動して、成長を追い求めること。
学生が主体的に行動するチームであることが、慶應女子バスケ部が強くなるための必須条件であると私は思っています。
随所作主、あまりにぴったりの言葉です。
散々語った後ですが「慶應義塾体育会女子バスケットボール部とは」を見つけに部活に入ったわけではありません。バスケットボールが上手くなって、勝ちたかった。引退ブログは「勝つには」というタイトルで長々と綴りたかった。止まらない後悔を昇華する方法は全く見当たりませんが、私の得た学びが誰かに少しでも役立ってくれれば、という自己満足から、このようなブログを書かせていただきました。
そして長々と私が述べたことは全て、既に活動を始めた新チームで3年生の6人が率先して行ってくれています。 そんな彼女たちの姿を見れば高校2年生の私のように、何かを感じてもらえると思います。ぜひ今後とも試合や練習に足を運んでいただき、ご声援のほどをよろしくお願いいたします。
最後に
このチームと、私自身に関わってくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。