『引退ブログ』
慶應義塾大学環境情報学部4年、ならびに体育会女子バスケットボール部の網野梨加(CN:ケイ)と申します。
引退から2週間が経ち、しばらくは実感が湧かない日々を過ごしていましたが、今年は「体力を維持しないと」と思うこともなく、ラントレをしないまま三田祭期間を終えてしまったこと、そして後輩たちが練習を再開したと聞いたこともあり、ようやく引退の実感がじわじわと湧いてきました。
今回は最後のブログとして、これまでのバスケットボール人生を振り返ろうと思います。
同期はきっと4年間をスッキリまとめて書いていると思いますが、私は、記録として残したかったのと、自分のバスケとの出会いから辿った方が、自分の変化がわかりやすい気がしました。
大変長くなると思うので、最後まで読んでいただけないかもしれません。
そこで、最初に感謝の気持ちを述べさせていただきます。
OG・OBの皆様をはじめ、コーチ陣の皆様、先輩方、後輩、同期、そして私のバスケットボール人生に関わってくださったすべての皆様に、心より感謝申し上げます。
このブログは、最後くらいは自己満でいいかなと思い、つらつらと書かせていただきます。
そして読む際には、「あみのりか物語」ということなので、主人公・網野梨加に感情移入しながら読んでいただけると嬉しいです。
バスケとの出会い
私は幼少期から人より身長が高く、小学校1年生でアメリカに転校した際も、現地の子どもたちに負けない体格でした。
そのため、仲の良かった友人が私にいくつものスポーツを勧めてくれました。
アメリカはシーズン制で、最初はサッカーやラクロスに誘われましたが、遊ぶ時間が減ることが嫌で全て断っていました。
それでも熱心に誘われ続け、渋々選んだのがバスケットボールでした。
もしあの時別の競技を選んでいたら、今とは全く違う人生を歩んでいたと思います。
アメリカで始めたバスケットボールチームでは、地域のお父さんがコーチを務めてくださっていて、練習は週に1回・1時間ほど。
いわば”ゆるゆるバスケ”でした。
レイアップやドリブルなど基本的なことを一通り練習し、最後に軽いスクリメージをして終わる。
何をしても褒められ、少しできるようになるたびに上達を実感できる、バスケの楽しさを理解したとても楽しい時間でした。
新たなバスケ
小学5年の夏、日本に帰国し、通う予定の小学校でミニバスをやろうと思って体験練習に参加しました。
しかし、そこで受けたカルチャーショックは今でも鮮明に覚えています。
アップから足を揃えて走る姿は軍隊のようで、コーチに叱られ立たされている子がいたことにも驚きました。
さらに練習が半日もあると知り、耐え切れなくなった私は「お腹がすいた」と母に言って帰ってしまいました。
それでもどういうわけかもう一度体験に行き、気づけば入部していました。
辛そうでも、某漫画のセリフではないですが「バスケがしたい」という気持ちはあったようです。
ここからは、アメリカでの“楽しいだけのバスケ”とは違い、厳しさや苦しさも含んだ新しいバスケットボール人生が始まりました。
振り返れば、この時期に身についた基礎が、その後の私をずっと支えてくれました。
中学校では、最初の3ヶ月だけ地元の中学校に通い、部活動としてバスケットボールを続けました。
練習準備や敬語、上下関係など、初めてのことばかりで戸惑いましたが、周りの子たちも不慣れだったので、一緒に少しずつ慣れていきました。
小学校時代は、入部当初からスタメンとして出させていただき、先輩が中学受験でほとんど不在で実質最高学年のような立場だったため、初めて“先輩”から技術を教わる経験が新鮮で、楽しかった思い出が多く残っています。
ドイツ編
夏からドイツに転校し、インターナショナルスクールでバスケ部に入りました。
初心者が多く、練習も週2回で物足りず、母が現地のクラブチームを探してくれました。
そこでの練習は学校よりもレベルが高く、満足感はありましたが、同時に言語の壁もありました。
中学生の私は、小学生の頃のようには弾けられず、最後まで “チーム”として心から馴染んだ感覚はありませんでした。
さらに、南西ドイツのユース育成チームに入りましたが、試合に出る機会は多くなく、唯一のアジア人ということもあって溶け込むのが難しくて、心が折れかけた時期もありました。
それでも、私なりの役割を見つけて極めようとした姿勢をコーチが評価してくれたことが救いでした。
ドイツでの経験は、チームとは何か、自分の実力とどう向き合うのかを考えるきっかけとなり、とても貴重な経験ができました。
アメリカ編
高校進学のタイミングで再びアメリカに転校しました。
アメリカのバスケットボールは個人主義の印象が強く、スター選手が1対1で攻め続け、周りはその邪魔をしないように動く、そんな風に見えていました(もちろん実力不足の私のせいでもあります)。
2年目からは、私がその“スター選手”のような立場になり、キャプテンにもなりました。
しかし私は、一人で長くボールを持つバスケットが好きではなく、みんなでバスケットをしている“ふう”を作りたくてパスを回したりした結果、勝てないことも増え、コーチに「お前の責任だ」と言われてしまうこともありました。
また、勉学優先の風土であまり練習に力を入れていない選手も多かったり、シーズン制なので冬だけ合流する選手もいたり、チームをまとめる難しさを強く感じました。
体育会の始まり
日本の大学を志望した理由の一つは、“チームで戦うバスケットボール”への憧れでした。
ミニバス時代のように、全員で同じ方向を向いて戦うバスケットがしたい。
そして、文武両道の環境で、早慶戦や六大学など試合数も多く、バスケットを愉しめる環境であることに魅力を感じ、慶應を志望しました。
アメリカの高校を卒業し、こちらでいう高校3年生の夏に練習を体験しました。
記念館は使えませんでしたが、張り詰めた空気の中で真剣に練習する先輩方の姿がかっこよく見えました。
合格後の3月には、無理をお願いして総会前の記念館でシューティングをさせていただき、その照明の美しさを見た瞬間、「ここで絶対にバスケットをしたい」と強く思ったのを覚えています。
入学前の3月末に入部を決め、そこから同期が集まり始め、久しぶりの“日本の部活動”が始まりました。
しかし、それは海外とは比べものにならない厳しさでした。
練習準備を自分たちで行うこと、練習中にも大量の仕事があること、先輩方の要望を瞬時にくみ取って、気遣いすること。
どれも初めてで全くできず、たくさん𠮟られました。
今思えば、本当に驚くほど何もできていなかったし、そのたびに同期に助けられていました。
それでも失敗するたびに少しずつ学んでいきました。
プレイヤーとしては、絶対的エースの林えみりさん(CN:アンさん)がいたため、私の試合の出番は多くありませんでした。
毎日“打倒アンさん”の気持ちで練習し、通用した部分と全く歯が立たない部分に悔しさを感じつつ、それでもどこか楽しい日々でした。

2年生
2年生になり、スタメンとして出させていただく機会が増えました。
最初の頃は単純にスタメンの座が嬉しくて、勢いだけでプレイしていたところもあったと思います。
でも、強い相手と当たると、自分ができることの少なさに気づいていきました。
「自分は何をすべきなんだろう」「本当にチームに貢献できているのか?」考えれば考えるほど動けなくなり、バスケットが少し楽しくなくなる瞬間もありました。
ここで、初めてチームのためにを本気で考え、チームの中での自分の弱さと向き合い始めた時期だったと思います。

上級生編
3年生になってしばらくは、選手だけで練習する期間がありました。
基礎のメニューが中心で、そこでなかなか自分を追い込むことができず、弱い部分がそのまま練習に出てしまっていました。
そんな時、先輩に言われた「ダサい」の一言が強烈に刺さって、そこから少しずつ自分を変えようと思い始めました。
上級生になり、下級生から見られる立場になったことで、「自分が後輩だったら、今の自分をどう思うだろう?」と考えるようになり、行動も意識も少しずつ変わっていきました。
そんなタイミングでジェイさん(野呂優子ヘッドコーチ)がいらっしゃって、ポジションごとに役割があるバスケ、全員でバスケをするスタイル、まさに私が理想としていたバスケットを教えていただきました。
バスケが本当に楽しくなってきた矢先、トーナメント戦1週間前に前十字靭帯を損傷しました。
自分で自分に大きく期待していたこともあり、チームを背負っているという自負もあったので、私抜きで修正が進んでいったあの1週間は、これまでのバスケットボール人生で一番つらかったです。
コートに立てない無力感と悔しさ。
でも、自分がチームにいる意味は失いたくなかったので、そこからはコートの外から全力でチームを支える役割に徹しました。
コート上でプレイしている時よりも、純粋に一番にチームを考えて行動できていたと思います。
最終章
4年生になり、副将を務めさせていただくことになりました。
これまで以上に“副将として見られる自分”を意識しながら練習に励みました。
しかし、身体の感覚は全く戻らず、理想とは程遠い動きしかできない日が続き、𠮟られること以上に、自分に対する失望の方が大きかった。
なんでできない?という思いから、なぜ怪我をしてしまったのか?そんなことばかり考えてしまう時期もありました。
それでも体育館へ向かうときだけはネガティブな気持ちを置いて、“やっていればいつかできるようになる”と信じて、オフの日も含めて毎日記念館へ足を運びました。
春シーズンは、あんなにも練習試合を組んでいただいたのに、全く納得のいく姿を見せられませんでした。
トーナメント戦も、早慶定期戦も、慶関定期戦も、自分が理想としていたプレイにはほど遠かった。
転機となったのは合宿でした。
ある日突然、怪我をする前のように身体が動いた瞬間があり、そこから徐々にバスケットボールが楽しくなってきました。
最後のリーグ戦
緊張もありましたが、とにかく強いチームと当たるのが楽しみで、自分たちのバスケがどこまで通用するのかを確かめたかった。
ただ、ブロック1位決めの東洋戦、順位決定戦の初戦・国士館戦では、“入替戦出場・2部昇格”の意識が強くなりすぎてしまい、やることをやれば自ずと結果はついてくると頭では分かっていても、うまく表現できませんでした。
正直、後悔はあります。
目標を達成できなかったので。
やり直したい試合、やり直したい練習、言い出したらいくらでも出てきます。
でも、それも全部含めて、私の4年間でした。
うまくいかなかったことも、悔しさも、弱さも、全部積み重なって今の自分がいます。
そして、最後も「バスケットってやっぱり楽しい」と思えたことが、何より救いでした。

自分の役割
副将の役割とは何か。
これは正直今でもわかりません。
主将のように、チームを導く、チームを支える、そういった明確な役割はない。
特に私の同期は、それぞれに得意なことがあったので、副将だからできる特別なこと、みたいなのはあったわけではないと思います。
それでも、私は、バスケットに対する情熱だけは誰にも負けたくなかった。
その情熱は見せられたのではないかなと思っています。
最後にセンターとしての誇りを少しだけ。
なぜかミニバスの頃から、ガードで華やかなプレイができる人が憧れられていました。
確かに遠くからシュートが入ったら沸くし、キレのあるドリブルで相手を翻弄すれば、うま!ってなりますよね。
それに比べてセンターは地味にリバウンドを取って、ぶつかり合って、一番近いところから決めるのは当たり前。
外したら超怒られる。
それでも、私はセンターであることに誇りがあります。
ポストプレイは下手でしたが、スタッツにはつかないスクリーンとか、リバウンドとか、そういう部分でチームのために体を張るその仕事を、もっと多くの人に知ってもらいたいなーという独り言をここに”置いて”おきます。
終わりに
これまで私のバスケットボール人生を語ってきましたが、気づけば“人生そのもの”を語っていたような気がします。
それくらい、私にとってバスケットボールは大きい存在でした。
慶應義塾體育會女子バスケットボール部は、その中でも特に、私を大きく成長させてくれた場所です。
目指すバスケットをみんなで共有する楽しさ。
あーでもないこーでもないと頭をひねりながら行ったミーティング。
真剣に𠮟ってくれるスタッフの方々。
一緒に泣いて笑ってくれた仲間。
みんながバスケットに真摯に向き合い、毎年違う代・違う目標の中で、自分の弱さと向き合い続ける日々。
こんな時間は、この先もう二度とないと思います。
私は、どこにいっても人に恵まれていました。
その証拠に、私の友達のほとんどはバスケットボールを通じて出会った人たちです。
そして慶應という名前を背負って戦わせてもらう中で、本当に多くの方々に支えていただきました。
これからはいちOGとして、現役のサポートはもちろん、バスケットにも恩返しが少しずつできたらと思っています。
スローガンの「想繋」。
OG・OBの皆様の想いを繋ぐ、後輩へ繋ぐ、いろんな意味が込められていましたが、振り返ってみると、私自身もバスケを始めてから今まで、ずっと自分なりのバスケットボールへの想いを繋いできたんだと思います。
そしてこれからも繋げていきたいなーと思っています。
少し後付けですが。

お世話になった方々へ
OG・OBの皆様
これまで多大なるご支援ご声援をいただき、本当にありがとうございました。
いつも観客の多い慶應のベンチは、とても心強く、嬉しかったです。
4年間、不自由なくバスケットボールに打ち込めたことは、皆様のおかげです。
祐子さん・ジェイさん・絢子さん
たくさんの期待をかけていただき、ありがとうございました。
目標は達成できず、その期待に応えられなかったことは本当に申し訳なく思っています。
人数が足りなくなった時には、バスケの格好で記念館に現れようと思うので、その時はどうぞよろしくお願いいたします。
軽部さん・小林さん
たくさん怪我をして、たくさんお世話になりました。最後までちゃんと駆け抜けることができたのは、お二人のおかげです。
本当にありがとうございました。
大室さん
身体が強くなりすぎて、結構いろんな人を吹っ飛ばしてしまいました。
今では母親が被害者です。
六大学でも、1部の人たちに負けないくらいにはなれた気がします。
今度は痩せるためのメニューを教えてください。
早稲田の同期へ
ひょんなことから繋がりができて、カラオケで一緒に紺碧の空と若き血を歌ったこと、忘れません。
六大学対抗戦でオリジナルTシャツをプレゼントしてくれてとても嬉しかったです。
仲良くしてくれてありがとう。
これからもよろしくね。
先輩方
生意気な後輩でした。
たくさん迷惑をかけました。
それでも見捨てずに関わってくださったおかげで、少しは成長できたと思います。
本当にありがとうございました。
もう一度、今の状態で1年生からやってみたいなーと思ったり、思わなかったり。
後輩のみんなへ
こんな無茶苦茶な先輩についてきてくれてありがとう。
みんなと全く会えない日々は、やっぱりどこか物足りなくて、寂しいです。
また気が向いたらふらっと記念館に顔を出すね。
同期
みんなが同期じゃなかったら、私は全く成長できていませんでした。
もしかしたら部活を辞めていたかもしれません。
本当に、ありがとう。
副将も任せてくれてありがとう。
これからもよろしくね。
家族
私が怪我して出ない試合でも、どんなに会場が遠くても、いつも応援に来てくれてありがとう。
美味しいご飯を用意してくれたおかげで、ここまで(物理的に)成長できました。
今後はテニスとゴルフ、一緒に楽しみましょう。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
これまでの経験は、私の宝物です。
今後とも、慶應義塾體育會女子バスケットボール部をどうぞよろしくお願いいたします。




