慶應義塾大学環境情報部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の島谷姫らら(CN:アキ)と申します。
引退した今、入院とリハビリに励む日々を送りながら、このブログを綴っています。今年の8月末、前十字靭帯を断裂した私は、保存療法で競技に復帰し、プレイを続けました。引退試合の直後、前十字靭帯と半月板の手術を受け、思い描いていた華やかな引退生活とは異なる現実に向き合っています。そして、これまでバスケに没頭してきた日々がいかに充実していたかを、今改めて実感しています。
この場を借りて、大学4年間だけでなく、バスケットボールとともに歩んできた道のりを振り返りたいと思います。最後までお付き合いください。
バスケとの出会い
小学3年生の時、単純な理由でバスケットボールを選びました。小学校のスポーツ少年団で選べるのはバスケかサッカー。雨の日も練習があるサッカーは嫌だったので、消去法でバスケを選んだのです。しかし、この何気ない選択が、私の人生を大きく、そして色鮮やかに変えることになりました。
シュートが決まった時の興奮、チームメイトと切磋琢磨できる喜び、そして少しずつ上達していく実感。これらすべてが、私の心を強く掴んで離さなくなりました。小学6年生、中学1年生の時には富山県選抜に選ばれるほどの実力をつけ、中学3年生では県内トップ校から推薦を受けるまでになり、バスケの道を真剣に考えるようになりました。しかし、最終的に私は別の進路を選びました。
勉強とバスケを両立しながら過ごした高校生活。しかし、コロナ禍で思うように練習ができなかった高校3年生の時、最後の大会で結果を残せなかった悔しさが残りました。その悔しさとともに「勝ちたい」「本気でバスケともう一度向き合いたい」という強い意志が芽生え、大学でもバスケを続けることを決意しました。
大学バスケ開始と挫折
大学バスケは、私にとって初めて本当の意味での挫折を味わわせてくれました。ミニバスから高校まで常にスタメンとして結果を残してきた私にとって、ベンチにも入れなかった1年生時代は想像以上に辛いものでした。周りのレベルの高さに圧倒され、慣れない環境に戸惑い、「上手くなりたい」という思いよりも「やめたい」という気持ちの方が強くなっていきました。
誰にもこの気持ちを打ち明けることができず、ただひたすら自分との戦いの日々が続きました。2年生になっても状況は大きく変わらず、試合出場は遠く、ユニフォームを着られるかどうかのボーダーラインに立たされていました。そんな中、同期の「チームが強くなるには、下が強くならないといけない。上ばっかり上手くてもダメなんだよ。」という言葉が、私に大きな気づきを与えてくれました。
自分の役割を見つめ直し、自主練をするようになり、個人でジムに通い、食事管理も徹底しました。これらの努力が少しずつ実を結び始め、練習で仲間から「ナイスプレイ」と声をかけてもらえることが増え、存在感を示せるようになりました。
ラストイヤーの始まり
3年生の11月、私たちの代がチームの先頭に立つ時がやってきました。数えきれないほどのミーティングを重ね、多くの改革を進めました。その中でも、チーム目標の再設定は大きな決断でした。「2部昇格」から「2部・3部入替戦出場」へと目標を変更したのです。これは決して目標を下げたわけではなく、「強い慶應」を目指し、2部昇格を果たすための土台を私たちの代で築くことが、未来のチームを見据えて大きな意義があると捉えた決断でした。
指導体制が変更になり、新ヘッドコーチ・ジェイさん(通称)が就任してから、チームは大きく変わり始めました。プロでの豊富な経験を持つジェイさんの指導は、これまでのスタイルとは一線を画すもので、最初は戸惑いもありました。しかし、ジェイさんが私たちに新しい視点と可能性を与えてくれていることを実感し、すぐに信頼できる存在となりました。
また、これまでフォワードとしてプレイしてきた私に対し、ジェイさんは「センターをやってほしい」と言いました。最初はその役割をこなせるイメージが全く湧かず、不安もありましたが、それ以上に「挑戦してみたい」という気持ちが強く、覚悟を決めました。
成長と葛藤の日々
ポジション転向後、最初はうまくいかないことが多かったものの、ジェイさんの細かい指導のおかげで、少しずつ自分の役割を理解できるようになりました。「今日は何を学べるだろう」と期待を持って練習に臨むようになり、その気持ちは小学生の頃、初めてバスケに触れた時のワクワク感を思い出させてくれました。
4月のトーナメント戦前、同じポジションの2人が怪我で離脱し、ついに私に出番が回ってきました。夢に見たスタメンの座を得たものの、「このプレイは正解なのか」と自信を持てず、不安な気持ちの中でプレイをしていました。試合に出られない悔しさが、試合に出ても結果を残せない悔しさへと変わり、本来の自分らしいプレイができなくなってしまいました。
5月には慶関戦で足首を捻挫し、1ヶ月の離脱とスタメン落ちを経験しました。ポジションを奪われる悔しさや、自分のプレイに対する自信の喪失が重なり、苦しい時間が続きました。それでも、しっかりと自分と向き合い、努力を重ねることで、少しずつ本来の自分のプレイを取り戻すことができました。
最後に課された試練 ー悩んだ末の選択ー
早慶戦と、夏の清水合宿を終え、リーグ戦が始まり、2戦目を控えた8月30日の練習中に膝を強く捻り、コート上に倒れ込みました。「前十字靭帯断裂」という診断を受け、絶望感に打ちひしがれました。
引退まで残り2ヶ月半、私はプレイを諦めて治療に専念するか、リスクを承知で復帰を目指すか、選択を迫られました。前十字靭帯を断裂した状態でプレイを続けるリスクは非常に大きく、どれだけパフォーマンスを取り戻せるかの保証もありませんでした。長い人生を見据えて手術を勧める両親に対し、私は復帰を望む気持ちがありながらも、同時に自信を失っている自分に葛藤していました。
沢山悩んだ末、「もう一度、そして少しでも長くこのチームでバスケがしたい」という強い思いが勝り、私は「復帰」という道を選びました。その決意を母に伝えると、「自分で決めたなら、最後まで頑張りなさい」と力強く背中を押してくれました。
復帰を決意してからの2ヶ月間、ひたすら前を向いて努力を重ねました。リーグ戦中、チームの一体感を保つため、個人のリハビリは可能な限り全体練習時間外に行うよう心がけ、練習の前後や早朝に時間を確保して取り組み、毎日欠かさずトレーナー陣にリハビリの報告を送り続けました。軽部トレーナー、小林トレーナーにはしつこいくらいDMしてしまいました(笑)。それでも丁寧に返信をくださったこと、本当に感謝しています。
こうした地道な努力の積み重ねこそが、コートに戻るための唯一の道であり、自信を支えてくれる土台となりました。また、私のリハビリに取り組む姿がチームメイトに良い刺激や影響を与えることができていたとしたら、それも自分の努力が報われたひとつの形だと感じます。
怪我からの復帰とラストゲーム
六大学対抗戦1週間前、復帰を果たして迎えた早稲田大学との第1戦。4Q残り3分、ジェイさんに名前を呼ばれた瞬間、少しの緊張と試合に出られる喜びが胸に広がりました。出場してすぐにスティールを決めた瞬間、まるで怪我をする前の自分に戻ったかのような感覚が蘇りました。その後、スリーポイントを成功させた際には、体育館中に響く歓声とチームメイトからのハイタッチを受けながら、怪我からのリハビリや苦しい日々がすべて報われたように感じました。それは、自分にとって特別で忘れられない瞬間でした。
その後の2試合も順調にプレイしていましたが、最終戦前日の法政大学戦、ドライブの途中、膝から崩れ落ち、またもコートに倒れ込んでしまいました。蘇る怪我したあの日、押し寄せる不安と痛みで眠れない夜を過ごし、迎えた最終戦当日。膝は腫れ、アップにもほとんど参加できない状態でしたが、なんとか試合に臨む準備を整えました。そして4Q残り4分、コートに立つと、迷いや不安は一切なく、ただ「やってやる」という強い気持ちと、これまで積み重ねてきた努力への自信がありました。
その結果、限られた時間の中で2本のスリーポイントを決めることができました。この2本のシュートは、私にとって単なる6点以上の意味を持っていました。試合終了の笛が鳴ると、達成感と共に「やり切った」という気持ちが込み上げ、思わず涙が溢れました。13年間のバスケ人生を締めくくるにふさわしい、最高の終止符を打つ瞬間となりました。
4年間ともに切磋琢磨した仲間へ
同期のひなた、そら、ふみな。4年間、本当にありがとう。それぞれが違う形で苦労し、成長してきたよね。
ひなた、早慶定期戦の時、六大学対抗戦の早稲田戦、立教戦、大事な時に私がスリー決められたのは全部ひなたからのパスだったよね。ナイスアシスト、ありがとう。そら、主務、副将、スタメンと多くの役割をこなしながら、チームを引っ張ってくれたよね。ふみな、欲を言えば、ふみなが会場を沸かせるプレイをさらっとやってのけるところをもっと見たかったな。
男バス同期のみんな。4年間、互いに切磋琢磨し、たくさんの刺激と勇気をもらったよ。同期会の幹事は敏腕主務たなけんで(笑)みんなで飲みに行こー!!!
最後に
バスケと出会って13年。小学3年生の時、消去法で選んだバスケットボールは、私の人生に鮮やかな彩りを与えてくれました。試合で味わった喜びや悔しさ、練習の日々、そして仲間とのかけがえのない時間。これら全てが、今の私を作り上げてくれました。
何より、私はずっとバスケが大好きでした。この気持ちは、どんな苦難も変えることはできませんでした。また、バスケは私に「諦めなければ必ず道は開ける」ということを教えてくれました。今、心から「バスケに出会えてよかった」と感じています。
最後に、この場を借りて、ここまで支えてくださった全ての方々に、心からの感謝を申し上げます。本当に、ありがとうございました。
今後はOGとして、慶應義塾大学体育会バスケットボール部を支え、恩返ししていきたいと思います。OB・OGの皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。