全てを懸けて -阿部七奈子

こんにちは。慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の阿部七奈子(CN:イチ)と申します。

引退から約2か月が経ち、部活の無い生活にやっと慣れてきました。13年間バスケをやってきて、何をするにもバスケを中心に考え行動していた日々から離れると、何となく物足りない気がします。自分自身がそれほど本気でバスケに向き合えていたのだと実感しました。

今回は引退ブログということで、私のこれまでのバスケ人生について少し書かせていただこうと思います。

拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

私は小学4年生の頃にバスケを始めました。習い事を何もやっていない私に何かスポーツをさせようと、親が見学に連れて行ってくれたことがきっかけです。週5日のミニバスの練習に加えて、夜は兄妹と公園でバスケをするなど、とにかく始めてからはバスケばかりしていたと思います。

その甲斐もあってか、中学は声をかけてもらい、バスケで進学することが決まりました。中学校は基本的にオフは無く、バスケ漬けの学校生活でした。

練習は時間も長く、指導も厳しく、心が折れかけたことは数え切れないほどありました。そんな中学での3年間を乗り越えたことは、自分を大きく成長させてくれたと思います。

ただ、この厳しい環境下で、私はバスケを心から好きだとは言えなくなっていました。頑張る理由が、勝つためより怒られないためになり、主体的にやるバスケではなく、やらされている感覚になっていました。

もう一度バスケを好きになれる場所で続けていきたいという思いから、私は高校受験を決意しました。中高一貫の学校から高校受験をすることは、環境的に辛いものがありましたが、それまでバスケに向けていた熱量を勉強に注ぐことで、何とかやりきることができました。無事志望していた高校に合格でき、バスケ部にも入りました。中学に比べるとレベルは下がりましたが、ここでバスケの面白さに再び出会えたことが、私を慶應の体育会女子バスケ部に導いてくれたと思います。

大学入学時はコロナの影響で部活動も出来ず、オンラインでの活動開始となりました。実際には会ったことのない同期や先輩方と画面を通じて話し、仲を深めるのはとても難しかったです。

1年生の夏頃になって、やっと練習を再開することができました。久しぶりにやるバスケはとても楽しくて、この頃はずっと体育館にいたような気がします。

1年生の頃から、スタートとして試合に出させてもらい、当時はとにかく周りの邪魔をしないことに必死になっていました。自分以外のスタートや、ベンチで控えているメンバーがとても大きな存在に感じられて、自分らしいプレーは全く出来ていなかったと思います。そのプレッシャーを克服するには時間がかかりましたが、先輩方からのアドバイスや同期のサポートのおかげで乗り越えることができました。

3年生になると、自然とチームを引っ張る気持ちが芽生えてきました。そしてこの年のリーグ戦から六大学対抗戦の期間に、自分の中で何かが変わったと感じました。徐々に来年のことを考える中で、色々な面での覚悟が決まったのだと思います。

主将としてチームを引っ張った
最後の早慶戦

最後の1年間は、主将としてチームの責任を負うことと闘い続け、プレーヤーとして自分の限界を追い求め続けた1年間でした。

毎日の練習メニューや、試合のメンバー構成、タイムシェアまで考えさせてもらっている以上、このチームの勝敗の責任を負うのは自分だという考えが常に頭にあり、正直苦しい時期もありました。同時に、自分がプレーヤーとして更に成長しないと勝てないというのはわかっていたので、今までよりもっと強い自分を追い求めて練習していました。

練習中に甘い自分が現れてしまったことは何度もあり、その度に喝を入れて練習していたと記憶しています。ですが、早慶戦1週間前に足首を捻挫して松葉杖をつくことになった時は、全ての努力が無駄だったように感じ、絶望しました。チームは早慶戦に向かって士気を高めなければいけない時期なのに、自分は全く気持ちが付いていかず、下ばかり向いていました。ただ可能性が少しでもあるなら、それに望みをかけようと思い、早慶戦までの1週間は可能な限り病院に通いました。この期間、チームメイトのみんなには本当に迷惑をかけたと思います。

早慶戦前日も練習には参加せず、当日のアップを見て判断するということでしたが、結果として試合に出させていただくことができました。早慶戦という素晴らしい舞台を経験できた喜びと、支えてくれた周りの人への感謝で胸がいっぱいで、自分は本当に恵まれていることを実感しました。

秋シーズンに入り、リーグ戦期間になると、周りに厳しい声をかけることも指示を出すことも厭わなくなり、勝つために必要なことだけを考えるようになっていました。今までとは明らかに自分の本気度が違うことを実感していました。4年間の全てをぶつける覚悟で試合に臨み、何度も足が攣って、チームに迷惑をかけました、ごめんなさい、、。

最終的にリーグ戦の結果は3部6位と、目標には程遠い結果となりました。自分の力不足を痛感し、みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、この1年間は今までで1番濃い期間だったと思います。満足いく結果は得られませんでしたが、それに匹敵するくらい価値のあることを沢山経験させていただき、さまざまなことを学びました。

スローガン「継勝」を掲げて活動したこの1年間が、慶應女子バスケ部2部昇格達成への端緒になると信じています。

体育会女子バスケ部に入って、たくさんの方々に出会えたことは私にとっての財産です。先輩方にはたくさん励ましていただき、常に自分の頑張る糧となっていました。後輩達、最後の1年間厳しくしてしまったこともあったけど、ついてきてくれてありがとう。

そして、この4年間は同期のみんながいたから最後までやりきれたと思います。常にとなりにいてくれたこと、長期離脱を忘れさせるくらい頑張ってくれたこと、スタッフに転向して誰よりもみんなの気持ちに寄り添ってくれたこと、選手が本気でプレーできるように4年間ずっと支えてくれたこと、本当にたくさんお世話になりました。ありがとう!

そして、学生の考えを優先しつつ、一緒に戦ってくれたコーチの方々にも本当に感謝しています。積極的にコミュニケーションをとってチーム作りに協力してくださり、ありがとうございました。

また、小学校から大学までバスケを続ける中で出会えた指導者の方々には、バスケの楽しさ・奥深さ、そして厳しさを教えてもらいました。最後の1年間は、今まで教えてもらったこと全てをコートで発揮しようと思い、ミニバスや中学のバスケノートを見返していました。自分の土台が形成されたのは、多くの方の指導のおかげです。ありがとうございました。

13年間、本気でバスケに向き合うことを応援してくれて、支え続けてくれた家族にも感謝の気持ちでいっぱいです。必要以上には口出しはせず、ちょうど良い距離感で応援してくれたから自分なりに頑張り続けることができたと思います。

4年目になってコロナによる制限が緩和され、OB・OGをはじめとする沢山の方々が応援に来てくださり、自分たちの活動は手厚いサポートの上に成り立っていることを実感しました。

この場を借りて感謝申し上げます。4年間、本当にありがとうございました。

これから体育会女子バスケ部は、さらに強くなっていくと思います。今後とも熱い応援のほど、よろしくお願いいたします。