勝ちを追い求めることに愚直になれ -眞尾瞳(主将)

私、慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております眞尾瞳(CN:メイ)と申します。宜しくお願いいたします。

自分らしく ありのままで 個性を大切に

そんな言葉を毎日のようにどこかで見ます。
何が自分らしいのか、ありのままってなんなのか、難しくないですか。
ただ、“自分らしく“を、強要してきて、結局みんなが”自分らしく”を取り繕ってしまわないのかな。

どうも、こじらせている人です。

このブログでは、私なりに4年間で見つけた”自分”と”自分らしくある”ってなんのかを書いていきたいと思います。※一個人の意見です

結論から言うと、自分らしくあるとは、

今本気で思うことのために、価値を追い求めること

だと思います。

自分語りが長くなりますが、もし宜しければ最後まで読んでみてください。


ジャンケンをしたがらない人

バスケットに出会ったのは小学4年生のときです。

それまではヒップホップダンスを習っていました。

何かスポーツを始めようとしていたとき、母親はダンスを勧めてくれました。

理由は、勝ち負けがないから。(大会には出ず、発表会を定期的にやるようなクラブでした)

私は負けることが大嫌いで、ジャンケンでさえもやりたくないと大泣きしていたそうです。

では、何故勝敗のつくバスケットボールを始めたのか。

理由は、小学校の持久走大会で負けるのが嫌だったから。

いや、矛盾がすごい笑

バスケットボールがどんな競技なのかも理解しないまま、とにかく体力をつけるために“走る”要素のあるスポーツを始めようと、近くの少年団に体験に行き、走り回るのが楽しくて、「やってみたい」と始めることに。

できないことができるようになっていくのが楽しくて、いろんな人に褒められるのが嬉しくて、試合に出たい・もっと上手くなりたいと、1年間の両立の末、7年間続けたダンスをやめようと決断したこと、今でも覚えています。

単純な人

負けたくない

それが私の核です。ジャンケンをしたくないと泣きじゃくっていたあの頃から変わっていません。

それでも、小・中・高とバスケットを続けて、負けたこと、目標達成できないこと、山ほどありました。

悔しくて毎回泣いていたし、辛いことのほうが多かったけれど、バスケットをやめたいと思うことは無かったです。

負けることの怖さから逃げていた幼少期とは違って、(ただ、負けることが怖くなくなった訳では決して無く)私は、勝つために一生懸命になることの楽しさに気づいていきました。

彼女の「負けたくない」気持ちはどのカテゴリーにおいても彼女の核として存在していた

OGだと思われていた人

高校卒業時、大学でもバスケットを続けることを決めていた訳ではありません。

アカペラサークルに入って中庭でボイスパッカーションをやる選択肢もあったし・・・いや無かったな。笑 (誰か一緒にハモネプ目指しませんか)

初めて見学に行った日、未だに覚えています。

入学前に日吉に行く機会があり、ついでに練習を覗いてみようと活動場所を検索。

活動場所に出てきた記念館へ向かうと工事中でした。

どこかの体育館借りてやっているのかな、今日は見られないか――

と思っていたら、ボールケースを押して並木道を上がっていく何人かを遠目に発見。
ダッシュで近づいて声を掛け、急遽、練習を見学させてもらうことに。

並木道で声をかけた人がソラさん(梅田香/R3年卒)達だったのは、後から話すと面白いですね。

「貫禄ありすぎてOGだと思っていた」っていうのは、絶対にうそ。笑

脱線しました、ごめんなさい。

会堂で、初めてバスケ部の練習を見学したとき、真面目にバスケットをしている空間にいるのが久しぶりで、「これこれ」と肌で感じたのを覚えています。
練習中と練習後の雰囲気のオンオフが良い意味ではっきりしていて、「これよこれよ」とうなずいたのを覚えています。

結局、私は、勝つために本気で頑張りたい、負けたくないという思いから、体育会に入部しました。

出会いに恵まれた人

私は、勝ちをいつだって追い求めてきました。

勝つことにしか意味など無い、価値など無い。正直、今でもそう思っています。

しかし、大学4年間でのたくさんの出会いと機会が、私の単純な核をいろんな角度から強く深く大きくしてくれました。

大学1年生
「メイは何も考えずに自由にやればいいよ」
と毎日のように言ってくれました。優しすぎる先輩方に戸惑ったけれど、その意味を自分なりに理解したとき、4年生のために本気で3部昇格したいと思えていました。取り繕うことなく、本気で向き合っていたからこそ、私に伝わったのだと思います。「誰かのために」と心から思えたのは、私の成長でした。

大学2年生
「バスケットが楽しくない」
と口に出してしまったこと、今考えれば本当に恥ずかしいです。自分の弱さと向き合うことから逃げていることに気づかせてくれました。そして、私が向き合うことに、自分のことのように一緒に考えてくれました。
誰かのために努力する。それは自分のために。私の核を尊重し、“チーム”を教えてくれました。

沢山の「繋がり」に恵まれた

大学3年生
「覚悟」
を持たせてくれました。なにかを盾にすることなく、目の前の成果と向き合うこと。“組織としてあるべき理想“、”持つべき責任感“とか胡散臭いものに囚われがちだった自分から、目が覚めました。「覚悟」というスローガンに覚悟を持って進んだ先に、胡散臭さの無い、真の考えや言葉を得ました。

戸惑い、気づき、責任を持った3年間を通じて、ラストシーズンは今までを象徴する1年間になると考えていました。もうあとは自分らしくあるだけ。そんな風に思っていました・・・


自分を見つけ出した人

『2部昇格』
2021シーズンの目標でした。
結果として、達成することはできませんでした。

どうしたら勝つことができるか。どうしたら2部昇格ができるか。

そのことを常に考えて、チームの勝利にとって最善の決断をすること。
そして、その決断を正解にしていくこと。

主将の役目だと思います。

合宿や練習試合ができず、自分達の取組みが正解なのか確認する作業があまりできないままに迎えたリーグ初戦。チームにとって1つのゴールであり、答え合わせでした。

出た答えは、敗北。

敗北に価値などない。価値があるモノにしていくのは自分達次第。

そんなことは分かっていて、だから冷静に要因を考えなくてはいけないことも分かっていました。
次の試合に向けてどうしていくか、前を向かなきゃいけないことなんて理解していました。

それでも、言葉が出てこなかった。考えることさえもできなかった。

やってきたこと、決断、存在、全てが否定されて、自信なんてかけらも持つことができなくて、正気を保つ事さえもできませんでした。

その日の同期ミーティングで、全く話すことができなかったこと。その日からの円集合で、視線が怖くて、手が震えて、何をどう話したら良いか分からなくなって、綺麗事を並べて取り繕っていたこと。未だに鮮明に覚えています。

勝手にみんなの理想の主将を想像して、バランスのとれた人でいようと、勝手に自分の中で仲間を忖度している自分。

別に誰も私に辛さを共感してもらおうなんて思ってないのに。

みんなの顔色うかがって、当たり障りの無い綺麗事並べて話している自分。

別に綺麗な偽物に心動く人なんていないのに。

そんな自分に自分で気がついて、自分が自分で嫌になりました。

どうしたら2部昇格ができるか、ではなく、どうしたらみんなを傷つけないか

そんな無駄なことばかり考えている自分に腹が立ちました。

それは思い遣りでも何でも無くて、反対に、仲間を裏切っていることになることに気がついて、情けなくなりました。

自分の核・魂を、この手で勝手に売っていることが悲しくなりました。

私は、ただこのチームで2部昇格がしたい。その勝ち(価値)を追い求めるためにやっているんだ。

美しい一瞬一瞬に戻ってこられなかったかもしれない私を救ってくれたのは、紛れもなくチームメイト全員です。

同期が、私の魂を取り戻してくれました。

勝ちたいの一心で突き進む道を作ってくれました。

後輩が、私の魂を奮い立たせてくれました。

誰1人として諦めることなく、チームの勝利へ向かって、それぞれが価値(勝ち)を追い求める姿勢がありました。

私は、自分のことを自分で分かっていませんでした。

そして、仲間のことを分かっていませんでした。

全員が全力で勝利に向き合い、自分の役割に向き合い、全うしてくれていました。

そこには、本当の意味でのチームがありました。

私は、自分がどうとか関係なく、このチームで勝ちたいと心から思っていました。

みんなのために2部昇格がしたい。

心からの言葉に変化が生まれ、今度は偽物ではなく、真のこもった「誰かのため」でした。

改めて、結果はグループリーグ2敗5勝、順位決定リーグ2勝で、3部7位に終わりました。

追い求めてきた価値には届かず、本当に悔しいです。

ラストシーズン、振り返れば、まさに集大成でした。

勝利こそが価値であることを受け入れ続けて3年間で得たヒントを活用し続けられなかった弱さは、私の伸びしろだと、引退して1ヶ月経った今、本気で思えるようになりました。

そして、戸惑い気づき、結果を本気で求めてきたからこそ、今、過程を振り返れば、自分を肯定できなかったあの時期を肯定できる気がします。

過程に価値があるかどうかなんて、全てが終わったときにしか分からないのだと思います。

どうしたら勝つことができるか。どうしたら2部昇格ができるか。

そのことをみんなは常に考えて、私がチームの勝利にとって最善を決断できるように、そして、その決断を正解にしていくために、必死に努力をしてくれました。

私は強くなんかありませんでした。勝ちたいの一心で、強くあろうとしただけです。

そして、強くあろうとし続けられたのは、みんなに救われ支えられたからです。

たとえ2部昇格達成の可能性が無くなっても、勝ち(価値)を追い求めて決断することができました。

最後まで、毎日を全力で戦い、価値を求めて進化することができました。

本当に感謝してもしきれません。

今、本気で思えることのために、勝ち(価値)を追い求めていく過程は本当に楽しかったです。

高い目標のために、勝ち(価値)を追い求め続けた

体育会の人

自分らしく ありのままで 個性を大切に
そんな風に個が謳われる現代。自己犠牲が正義とされてきた体育会は、もしかしたら現代的では無いのかもしれません。

しかし、私は、体育会での4年間で、それぞれが今本気に思えることを動機に、それぞれが勝ち(価値)を追い求めることが、強いチームをつくると学んだ気がします。

そして、それは、チームであるからこそできることだと思います。

自分らしくあるには、最高な日も最悪な日も、自分の心からの言葉に耳を傾け、そして、その心の声を話すことができる仲間を持つこと。それぞれが今本気で思えることのために、それぞれの価値を追い求めること。

本気で価値(勝ち)を追い求めていくと、出会いと機会に恵まれ、自分が大切にしたい価値が変化していくと思います。

人間の価値観なんて固定しておらず進化していくものだから、今本気で思えることを大切に、それに向き合って、感情を動かしていきたい。
頭ではなく心で語り合える仲間を大切にしたい。

それが本当の強さとなり、進化をもたらすと思う。

たくさんぶつかったが、それだけ強く心で繋がっている同期

何かを本気で思い、価値を追い求めることって本当に辛くて苦しいことだけど、それ以上に

美しいこと楽しいことだと思います。

私は体育会での4年間を、ガラクタにも埃にまみれた宝物にもすることなく、伸びしろに、そしてヒントにして、これからも価値を追い求めていきます。

最後に

コロナウイルスの影響で厳しい社会情勢の中、全力で毎日を戦う抜くことができたことを誇りに思います。

体育会バスケットボール部を通じて関わった全ての皆様、様々な形で応援してくださった皆様に感謝します。

本当にありがとうございました。

今後とも、慶應大学体育会バスケットボール部を宜しくお願いいたします。