『引退ブログ』
こんにちは。
慶應義塾大学商学部4年、並びに体育会女子バスケットボール部の今井楓子(CN:エリ)と申します。
引退から2週間ほどが経ち、今こうして引退ブログの執筆に取りかかっている訳ですが、アルバイトのために日吉に来るたび、「記念館寄っていこうかな」などとつい考えてしまうくらいにはまだまだ物寂しさを感じております。
1年生の頃より、女子バスケ部の先輩方はもちろんのこと、色々な方の引退ブログや『4years』に寄稿されるような大学アスリートのインタビュー記事を読むことが好きで、話したこともなければ顔も知らなかったような方々の言葉に、勝手ながら背中を押されていました。
自分もそんなブログが書ければと思う反面、個人として試合で結果を残してきたわけでも、何か特別なことを成し遂げてきたわけでもない私の歩みが、どんな引退ブログとなるのか自分自身でもまだ定かではありません。
拙い文章とはなりますが、どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです。
私が慶應バスケ部への入部を考え始めたのは、すべての受験結果が出揃った3月中頃でした。
大学バスケ自体は、中高時代から代々木第二や大田区総合、駒沢などの体育館に何度も通うくらい好きでした。
とりわけ当時、関東大学バスケットボール連盟1部のスター軍団とも謳われた東海大学の試合にはいつも胸を熱くさせられていました。
しかし、私にとって大学バスケの舞台は夢のまた夢、自分が続けるとしても高校までだろうというのが当時の考えでした。
ですが、志望校に落ち、運良く合格していた慶應義塾大学への進学が決まると「第一志望の大学に受かってたらできなかったことをやってやろう」という謎の反骨精神と、それまでのバスケ人生における「やりきった感」がなかったことも相まって、私の中高同期の姉で、当時2年生だった河内英慧さん(24年卒)に連絡をとり、見学・体験をする運びとなりました。
初めて練習に参加したとき、学生主体で練習を作りあげていく姿勢、学年関係なく意見を言い合える雰囲気、そして何より全員が1つの目標に向けて切磋琢磨し合えるその環境に「自分の4年間をここに捧げてみたい」と思い、入部を決断しました。

このように意気軒昂と入部したのはいいものの、下級生の頃はそのレベルの高さに圧倒される日々でした。
先輩には全国経験者もいましたし、同期には国体選手や身長180cmのアメリカ帰りまでいる。
小中高と強豪校でプレイしていた訳ではない私にとっては、日々成長を遂げられる環境であると同時に、毎日自分の「下手さ」を痛いほど自覚させられる環境でもありました。
1年目のリーグ戦は試合に出ることはおろか、ベンチにすら入れず、2年目も春先は少し試合に出たくらいで、夏以降はまったく上手くいきませんでした。
「自分は果たしてこの2年間で成長できているのだろうか」「むしろ主力選手との差は開いている一方ではないか?」といった不安も付きまとっていました。
所謂「挫折」というような状態だったのかもしれませんが、最後の都大会出場を決める試合の3日前に前十字靭帯を断裂した中学時代、復帰するやいなや新型コロナウイルスの流行により活動が制限された高校時代のことを考えたら存外平気でした。
「苦しくてもまだ戦える環境にいる」という事実が当時の私の支えとなってくれていたのかもしれません。
転機となった3年目。
新たにジェイさん(野呂優子ヘッドコーチ)を指揮官に据えて新チームが始動しました。
プロで活躍された方から直接指導をいただけるというのは、引退後の今考えてみても本当に贅沢な経験でした。
走り方やドリブルの突き方といった基礎の基礎からスタートしたジェイさんのバスケットは、シンプルでありながらも奥が深く、見てる側もプレイする側もとにかく楽しい、簡単に言えばこんな感じです。
(あまり詳しく書きすぎると「スカウティングされるやろ」などとツッコミを入れられそうなので笑)
こうは書いたものの、純粋に「楽しい」と思えるまでには少し時間を要してしまいました。
基礎練期間を経て迎えた春シーズン、同じポジションのクラとケイが立て続けに怪我で離脱してしまうアクシデントがありました。
2人にはこういう言い方をしてしまい申し訳ないですが、私にとっては出場機会をつかむ最大のチャンスだったと思います。
それでも、練習や試合で結果を残すことができず、元々は上のポジションであったコトやコアに負担をかけてインサイドでのプレイを任せることとなってしまいました。
あの時のチームは確か、6、7人のローテーションで40分間を回していたと思います。
もし私があの時、少なくともローテーションにしっかりと絡めるだけの活躍ができていれば、スタメンの負担を減らすことも、チームとしての完成度も高めることもできたのではないか。
色々と考えすぎて、眠れず布団で一人泣き、翌朝浮腫んだ状態で練習に行くなんてこともありました(笑)。
このように新体制で迎えた春シーズンは、個人としては1、2年生の頃よりもずっとずっと悔しい結果となりました。
この時期あたりから、明確に自分の役割を意識するようになります。
リハビリに励みながらチームに的確なフィードバックをくれるケイ、スタメンとして主力で活躍するコト、ウミ、シックスマンとして出始めるようになったルカ、と同期がそれぞれの置かれた場所で精一杯頑張っている中で、自分がどうしたらチームに貢献できるかを模索していました。
そのときに思い浮かんだのがスカウティングでした。
下級生の頃からずっとやってきていたこと、バスケットを見ることが大好きなこと(これに関しては同期の中で一番な自信があります笑)、コピーチームを自分がやらなければいけないことなど理由は色々とありますが、この時はとにかくチームに自分の力を還元しなければと必死でした。
明確に役割を持つと、負わなければいけない責任が生まれると同時に、入部時からずっと心の中にあった不甲斐なさがふっと消えて心が軽くなるような感覚になりました。
とにかくスカウティングビデオを見まくり、コピーチームとしてそれを体現する。
自分が試合に出られなくても、スカウティングが活きたプレイをコート上の5人がしてくれることは何より嬉しかった。
こうして3年の秋リーグあたりから、少々不恰好な形ではありますが、大学バスケに楽しさを見出せるようになりました。
勝負の4年目。
3年間達成することのできなかった「入替戦出場」「2部昇格」を必ず達成すべく新シーズンがスタートしました。
昨年同様、春シーズンはじめは怪我人が多かったこともあり、トーナメントにスタメンとして出場する機会をいただきました。
格上の立教相手に何か目立ったスタッツを残せたわけではないですし、怪我人が戻ってきたらまたプレイタイムは減ってしまいましたが、怪我人が多い中ですら何もできなかった昨年と比べたら、成長はできているのかなと僅かながら自信をもらえる経験となりました。
そして今年の春シーズンを振り返る上で、欠かせないのはやはり慶関定期戦です。
最大18点差の逆転劇ということで、自分のバスケ人生においても1、2を争うベストゲームだったのではないかと思います。
全員がジェイさんのバスケットを体現し、泥臭くルーズボールやリバウンドを追い続けるその姿に、このチームの一員でいられて良かったと心の底から思える試合でもありました。

このままの勢いで秋リーグも!と言いたかったところですが、そう上手くはいかないのがバスケットボールの難しさであり、面白さでもあります。
東洋に負け、得点率によりギリギリ2位で通過した一次リーグ。
1週目で入替戦出場が潰えた順位決定戦。
「事実は小説よりも奇なり」なんて諺もありますが、慶関のような劇的勝利は2度は起きてくれませんでした。
秋リーグの最終盤、もう入替戦への道が閉ざされたと分かったときの空気には胸がぎゅっと締め付けられました。
それでも勝つことを諦める部員は誰一人としておらず、声も、プレイも、最後の最後まで前を向き続けていました。
「『想繋』をスローガンとするチームの何たるか」はここにあったと思います。

ここまで長々と自分の大学バスケ生活を振り返ってみましたが、この4年間で最も強く感じたのは、結果が思うようにいかない時こそ、自分の在り方が問われるということでした。
スカウティングでもっと相手の癖を掴めていたら、コピーチームとして主力が少しでも戦いやすい状況を作れていたら、いやそれ以前に、もっともっと自分のプレイで貢献することができていたら。
そんな“if”を数え上げたらキリがありませんが、同時に、どんな立場でもチームに還元できるものは必ずあるということも、この4年間を通じて学ぶことができました。
中高時代に憧れ、慶應に入学していなければ憧れのまま終わっていたであろう大学バスケの舞台。
理想と現実のギャップに苛まれることもしばしばありましたが、チームメイトに恵まれ、スタッフの方々に恵まれ、OG・OBの皆様に恵まれ、何とかここまでやり切ることができました。
この場を借りて、改めて心より感謝申し上げます。
今後は、OGとしてできる限りこのチームに恩を返せるよう、サポートに邁進していきたいと思います。
最後に、お世話になった方々への感謝のメッセージで本ブログを締めさせていただきます。
同期。
個性豊かで、常にマジョリティー。
4年間ほぼ毎日顔を合わせても話が尽きない。
そんな5人と出会えて幸せな体育会生活でした。
個性が各々色んな方向に突き抜けすぎていて、誰か1人でも欠けたら均衡が保てなくなってしまう(実際3年時はそんな節があった?)のもこの学年の大好きなところです。
一人一人への感謝はちゃんと手紙で書きます。
これからもどうぞ末長くよろしく。
後輩。
同期に恵まれていると同時に、後輩にもまた恵まれていた体育会生活でした。
皆私のどうでもいいような話にも笑って付き合ってくれてありがとう。
私たちの代で見ることができなかった入替戦での勝利の景色を、応援席からもし見ることができたならそれ以上の喜びはないです。
ずっとずっと応援してます。
先輩方。
本年度のスローガン『想繋』には、先輩方の想いを繋いでいくという意味も込められていました。
努力を努力と思わせない貪欲な姿勢、目標達成に向けた揺るがない覚悟、アツい励ましの言葉の数々、そこに込められた想い全てが私の頑張る糧でした。
体育会の「た」の字も知らない1年生時代から、ここまで成長することができたのは先輩方のお陰に他なりません。
ありがとうございました。
祐子さん、ジェイさん、絢子さん。
時に優しく、時に厳しく、愛のあるご指導をいただきありがとうございました。
この代では恐らく一番コーチ陣のことをやきもきさせるような存在であったのかなとは思いますが、そんな私も見捨てずに最後まで一緒に駆け抜けていただき感謝の気持ちでいっぱいです。
また近いうちに記念館に行きますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。
大室さん。
毎回キネティコスでのトレーニングが楽しく、大室さんのお陰でトレーニングモチベが上がったと言っても過言ではありません。
ありがとうございました。
軽部さん、小林さん。
捻挫や腰痛のたびに対応していただき、自分の要求にもできる限り応えていただき、ありがとうございました。
お二人がベンチにいる時は心強さ倍増でした。
OG・OBの皆様。
日頃よりご支援いただきまして誠にありがとうございました。
皆様のご尽力により無事4年間を駆け抜けることができました。
また多くの方に試合会場へ足を運んでいただき、その声援に慶應の強さも感じることができました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
家族。
13年間応援ありがとう。
大学に入ってからはあまり家で部活の話はしてこなかったし、良いプレイはほとんど見せられなかったけど、時には弟の野球とハシゴして、時には新幹線で大阪まで。
しっかりと応援に来てくれて、とても力になっていました。
今後は少しでも親孝行できたらということと、弟の高校野球を一緒に見届けられたらと思っています。
眠れないほど夢見た最高のバスケットボール人生。
バスケを通じて出会ってくださった全ての方々に感謝申し上げます。




