真価 -梅田香(主将)

慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会大学女子バスケットボール部の梅田香(CN:ソラ)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。

引退してから現役時代を振り返ることを避けてきました。実のところ、それくらい燃え尽きてしまったというのが本音です。

昨年は応援してくださる皆様のお顔を拝見する機会もなく、主将を務めた梅田香がどんな人間なのかご存知ない方も多いと思います。この機会に自分について少しお話させて頂ければと思います。

<バスケに出会うまで>

3歳の頃から週末は親にテニスを教えて貰うような幼少期でした。通っていたクラブチームでは当時全日本優勝が数人、関西上位ばかりで必死に追いつこうとする日々でした。その中でも慶應庭球部のエースである佐藤南帆選手が印象に残っています。その環境に身を置き、「好き」と「体現できる」は違うことを痛感します。

慶應NY学院に入学し、中学3年生の頃テニスコートでコーチに誘われバスケットボールを始めました。そこでサエさん(豊村沙恵・H31年卒)、ナミ(小福川莉奈・法法4)に出会います。当時リバウンドの意味すら知らなかった私は戸惑ってばかりいましたが、サエさんが練習外の時間にも自主練習に付き合ってくれました。

その後3年間同じクラスだったナミとともにダブルキャプテンとしてチームを引っ張るようになります。初めてチームスポーツの壁にぶつかり「全員が同じベクトルでチームの夢に向かって全力を尽くせる集団」を作るにはどうすればいいのか模索する日々でした。悔しい結果で引退を迎え、次こそは、絶対にチームの夢を叶えたいと思いました。何よりも自分が追い求めてきたチーム像が力量差のある相手であろうとも勝てる集団であるという瞬間を目の当たりにしたかったのです。

今思うと、憧れていたサエさん、そして悔しい瞬間を共に味わったナミ、ルイ(中島花・環境3)、リョク(井手友美・理工2)とまた大学というステージで共に戦えたこと、リベンジできたことが本当に奇跡であり、幸せでした。

NY高時代から切磋琢磨し続けてきた4人

<大学に入ってから>

チームにおける自分の存在意義を探し続け3年が経ち、ラストイヤーを迎えました。引退前日に同期から「この4年間にも必ず終わる瞬間が来るんだなっていう不思議な気持ちでいる」と言われたときに心から共感できる程、もがき続けた日々でした。主将になってからの話は正直まだ心に留めておきたい気持ちが強いですが、同期も引退ブログを書いていると思うので自分なりに感じたことを書きたいと思います。

主将になり先輩方が背負ってきた重圧の重みを初めて知りました。

当初は自分には務まるとは思えませんでした。1年生の時に降格し、その時の4年生の姿を忘れることができなかったからです。それは、“結果に対する責任”について深く考えさせられた出来事でした。決して自分たちの代だけで完結する訳ではなく、それよりも前から先輩方が繫げてきてくれたものを最高の形で後輩たちに渡すことが使命だと考えていました。物語に例えるとただの1ページにしかすぎません。されど1ページです。

その1ページの初めに「覚悟」というスローガンを掲げ、目標である「3部1・2位リーグ進出」に向けて全力で駆け抜けた1年間だったと思います。

私にとっては、“チームが勝つために最善の選択をし続けること”、これが覚悟でした。

そして“全員で戦う”、これこそが私たち最上級生一人ひとりが4年間をかけて求めてきた共通項でした。

「覚悟」を胸に全員で戦い抜いてきた

私は典型的なリーダーとか背中で引っ張るとかそういう気質ではないです。チームの構成や、自分の個性=キャプテンシーをどう生かすかを考えた結果、飾らずありのままでいることで、皆と同じ目線で話し合えたしフラットなチーム作りができたと思います。その中でもたくさん弱みを見せてしまったと思います。

異例のシーズンとなった2020年。リーグがあったら間に合うのだろうか、なくなったら何も残せずに終わってしまうのかという不安。葛藤や不安が小さいものから大きいものまで積もり積もって、何が辛いとか具体的に言える状態ではなかったです。明日ミスをしてしまったらどうしよう、負けたらどうしよう、感染者が出たらどうしよう、緊張して寝られない日々が続きました。主将に求める理想は人によって異なっていて、どこに応えればいいか分からないこともありました。自分の発する言葉が頭から次々と抜けて、1秒前に言った言葉も分からず人前で話すことが恐怖になった時もありました。チームの前では泣かないと決めていたので、多摩川あたりから電車の中で涙が止まらなくなった毎日も懐かしいです。

でも同期も後輩も同じ不安、緊張感を味わっていたのも知っています。私だけではありません。全員が本気でした。後輩に手紙を書き、同期含め一人ひとりを振り返った時に”本当によく頑張ったね”と心から思いました。上から目線で他人行儀の言葉ですが、本当に全員が壁にぶつかりそれを乗り越えて成長していました。チームといえど“個”が集まった集団です。チームを誰よりも知るには個を知る必要があると思っていました。敢えて知ろうと思わなくとも自然と知りたいと思える存在でした。一人ひとりと向き合って、それぞれの葛藤の先に「チームの為に」があったこと、嬉しかったです。

それぞれの葛藤こそが原動力に

そして、チームメイトは私という個にも向き合ってくれました。立場関係なく自分に指摘をし続けてくれました。手をさしのべてくれて、一緒に考えてくれる同期もいました。一人じゃないなって思うことができた瞬間でもあります。しんどくても明るく前向きな仲間がいて気づけば笑っていました。本当にありがとう。

思えば仲間とぶつかることもありました。一つの方向から物事を見て、正解を決め付けていいのか?自分が正解だと思ったこと、それが相手からしたら間違っていることがあります。私は、自分の正義だけで決断を下すことが怖いと感じてしまう性格です。それを優柔不断だという人もいます。しかし、相手のことを思うほど正義を押し付けてしまい、思う気持ちが強くなるほど相手を否定してしまうことがありました。そうやって人は対立していくこと、けれど相手を認めて話し合うと奥深いところに愛があることを学びました。そういう時こそ単語だけで事象を片付けるべきではないと思います。

「価値観」「一体感」「チーム」

それはそもそも何なのか、答えは複数あるし定義も人によって様々です。けれど考え続けることで型が形成され、共有することで擦り合わせることができると思います。何も解決されない様な“価値観の違い”なんて言葉に逃げたくないなと思います。そんな想いが私自身簡潔に話すことが苦手な理由の一つでもあります。

私を支えてくれる言葉がありました。

「勝負の世界で何よりも大きな武器は“不幸”ということである。これは“何が何でも勝たねばならぬ”というエネルギーを生み出す力になる。」

高校時代の恩師から試合前にもらった手紙の中の言葉です。特にラストイヤーはこの言葉に救われた瞬間が多くあります。

日常を奪われ、練習時間を奪われ、行動に制限がかかり、何度もつまずきました。上位校とは違い、全国経験のある選手も僅かです。今年は人数制限があり、試合会場に入れない仲間もいました。挙げればキリがないですが、いかにこの不幸や不自由であるという気持ちを原動力に変えるかが勝つために必要で、結果を残すためにはチャンスであることに立ち返らせてくれました。

そして、“格上に勝つための姿勢”それは何なのか。その先生は、常に怖いと思う方へ進めと教えてくれます。自粛明けから引退まで6ヶ月しか残っていない中、結果を出すために必要なことはハイリスクハイリターンの原則でした。格上に勝つためには例えリスクがあってもワンチャンスを取りに行く姿勢が大事だと思います。そしてリスクの方に転がったとしても、自分達次第でいくらでも少しずつリターンに変えられる自信もありました。ためらっている間は行動が後手後手になり何も変えることができず、チームは疎か、何も守れないなと思っていました。その色んなフィールドで起こったワンチャンスを物にして積み重ねていったからこそ、残せたものがあると思います。

学年関係なく誰しもがリーダシップを持てるチームを作り上げた彼女

リーグ戦では目標達成することができました。誰に何を言われても3部ブロックの2位という結果を残せたことを誇りに思っています。結果だけを見ると輝かしいですが、その背景には部員の泥臭くチームの為を想い努力する毎日、不安や葛藤と隣り合わせだった日々があります。

知って頂きたいのは、主将だけ、4年生だけ、スタメンだけ、が頑張った訳ではありません。「覚悟」とは?「全員で戦う」とは?と問いかけ続けましたが。各々が考え実行してくれたからこそ武器にすることができました。誰か一人でも違う方を向いていたら結果は違ったと思います。名脇役とか、陰の立役者とか、縁の下の力持ちとかが賞賛される世の中ですけど、このチームにはそんな人いません。一人ひとりが主役を立派に務めていました。自分なんて…って思うチームメイトがもしかしたらいるかもしれません。チームは、私は、あなたを常に必要としていました。

そしてこのチームにいる限りは、一人じゃないし仲間がいました。テニスをしていた頃、コートに一人きりで最後まで戦わないといけない、自分で勝たないと試合の出場権すら得られませんでした。それが、今は仲間がいる。自分ができないことをしてくれる。自分ができることをしてあげられる。これまでは自分の為に闘っては諦めていましたが、仲間の為に闘い続けられる。シンプルですが、本当に素敵なことだなと自身のスポーツキャリアを通して感じています。

これまで私は、他人を信じることがあまりできない性格でした。人の懐に飛び込むのは得意ですが自分を晒すことは苦手です。でもありのままの自分を、弱い自分を受け容れてくれる23人の信頼できる仲間に出会えました。私を昔からよく知っている友達に驚かれますが“大好きなチーム”そんな言葉を発する日が来るなんて、自分でも思ったことありませんでした。主将として“誰よりもチームを愛する”と言ってきましたが、チームメイトからの愛に救われた1年間でした。苦しかった4年間を乗り越えた先にあった最高の景色は忘れられない思い出だなと思います。全て報われたし幸せです。

4年生の「覚悟」を3年生が引き継ぐ

<最後に>

先輩方にお伝えしたいことがあります。1年生の頃から無力で何もできなかった私たちでしたが、それぞれの代で作るチームにどうやったら貢献できるか考えてきました。それが空回った時、何もできないどころか迷惑かけてしまった時、それでも私たちと向き合ってくださってありがとうございました。ラストイヤーは先輩方が残してくださったもの、そこから学んだことを結果に繋げることができました。そしてOG会を始めとする、私たち4年生を応援してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。悩んでいた時は寄り添って話を聞いてくださりました。今年はお会いする機会が少なかった分、励ましのメールもいただき非常に勇気づけられていました。本当に皆様の支えがあってこのような一年間を乗り越えることができました。本当にありがとうございました。

4年間スタッフの方々にも大変ご迷惑をおかけしました。たくさんぶつかって泣きじゃくりました。生意気なことを言いすぎてしまったこともありました。それでも理解しようとしてくださり、最後まで私たちと共に戦ってくださりました。常に鼓舞し続けてくださり、辛い時はこまめに連絡をくださりました。一緒にチームを運営していく上でこの1年大変なことだらけだったのは学生だけではありません。スタッフの皆様も含めて愛に溢れていたチームだなと思います。本当にありがとうございました。

同期への想いはこの場では書ききれません。ひとつ伝えるなら、早慶戦を見てくれた小学校の先生が「結果の輝かしさではなく、目指すものの純粋さこそが生きる価値を決定づけるのである」という言葉を送ってくれました。4年間部に所属していようが、抜けている期間があろうが、数ヶ月しかいなかろうが、各々もがいてきた学生時代の4年間は価値のある生き方だったんだなと今なら思えます。

問題児と評され、常に感じてきた屈辱の中で必死に生き抜いた4年間。

諦めの悪すぎる愛おしい同期を誇りに思います。色々とごめん、ありがとう。

チーム2020で4年生が発信し続けてきたこと、それが伝わったかどうかは後輩たちが作っていくチームが答えを出してくれることだと思います。何か少しでも財産になってくれれば嬉しいです。そしてまだまだ後輩たちと共に戦っていきたいなと思います。スポーツにおいて才能と努力の比率は7:3と言われています。これをどう捉えるかは人それぞれですが、3割もあると思うことができれば取り組み方次第で、強くなれます。いくらでも結果を変えられます。OGという立場から、その3割に賭けて同志である後輩達の力になれるよう精進してまいります。

4年間、ありがとうございました。