確かなこと -伊熊そら

慶應義塾大学文学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の伊熊そら(CN:イト)と申します。先日の六大学対抗戦を以て13年間のバスケットボール人生に終止符を打ったばかりで、まだ夢から醒めないような心地でこの引退ブログを書いています。

さて早速本題に入りますが、ここで4年間の全てを振り返っていたら冗長なブログになりますし、到底文字数が足りないため、思い切って最も濃密だったラストシーズンについてのみ書くことにします。

自分たちの代が始動するにあたって、私は副将と主務という2つの役職を拝命することとなりました。周りを見渡しても、少し珍しい兼任だと思います。しかしどちらも押し付けられたのではなく、「自分にやらせてくれ」と同期に頭を下げて、自ら選び取った役職でした。

適性はなかったと思っています。暑苦しいのは嫌いだし、人前に立つのも好きではない。適当と面倒臭がりを絵に描いたような人間で、計画性も社交性もない。明らかに、不適正な部分を見つける方が簡単です。

それでもこれらの役職に就くことを選んだのは、”自分にできること”ではなく、チームのために”自分がやるべきこと”をやろうとしたからです。言い換えれば、自分が副将と主務を務めることが、必ずチームにとってプラスになると思ったからです。自惚れと言われればそれまでのこの選択は、ラストシーズンに懸ける私の覚悟でした。

どちらも中途半端にはしない、と同期にも自分にも誓ったものの、そう上手くはいかなかったのが現実です。チームメイトにスタッフとしての苦労を見せないことが理想の姿だと頭ではわかっていても、自分以外誰も知らない業務に忙殺される虚しさは、拭いきれませんでした。初めての土地で行なった夏合宿では、頭も身体も一時も休まらず、いっそ何もかも投げ出したい衝動に駆られました。そしてそんな日々を言い訳に、気づけば自主練に割く時間がそれまでより短くなっている自分が、何よりも嫌でした。

しかし私を追い込んだのが主務という役職だったなら、私を救ったのもまた、主務という役職だったと思います。月並みな言葉ですが、その経験を通して得た全ての出会いが、私の糧であり、原動力でした。

一度、主務のやりがいについて考えてみたことがあります。私自身選手ですから、「選手の頑張っている姿を支えたい」という気持ちはありませんし、マネージャー業がしたくて入部したわけでもありません。そんな私にとってのやりがい、それはきっと、”このチームが愛されているという実感”だったと思います。たくさんの出会いを通して、このチームがどれだけ多くの人に支えられているのかを身を以て知ること。そして主務という立場として、少しでもその恩に報いる機会があること。私が未熟ながらも最後まで役目を全うできたことに理由があるのなら、きっとこのことに尽きるでしょう。

副将としては、私はチームに何ができたのでしょうか。引退した今も、そのことを考えては自信が持てません。思えば春シーズンは、自分のプレイのことばかりに精一杯になっていた日々でした。膝の怪我から復帰後、約1年半ぶりの公式戦だった選手権大会。代々木第二体育館という大舞台で、初めてスターティングメンバーとして出場した早慶戦。敗戦の度に溢れた悔しさの理由は、シューターとしての自分の力不足が大部分でした。

1人の選手として、自分のプレイに責任を持つことは当然のことです。その上私は、3年目のシーズンのほとんどをリハビリに費やした分、復帰後は自分のプレイに集中できることへの大きな期待がありました。しかしその思いが強すぎるあまり、春シーズンの私は、最上級生としての自覚と責任が圧倒的に足りていなかったと思います。

一方で秋のリーグ戦期間は、”4年生としての責任”というものを永遠に自問し続けた期間でした。同期の怪我が重なったこともあり、約2か月続いたリーグ戦のほとんどの時間、コート上に4年生は自分しかいませんでした。

この1年間、「このチームは4年生のチーム」という言葉を、監督にもコーチにもOGの方々にも、何度も言っていただきました。もちろん学年としてその自覚と責任は持っていた上で、リーグ戦を重ねていくうちに、ぐらりとその大前提が傾いているような感覚に陥ったのです。コート上は後輩だらけ、プレイの起点は3年生エースで、唯一の4年の自分が状況を打破するほどの実力を持っているわけでもない。この状況で、”チームを4年生のチームたらしめているもの”とはいったい何か、と。

無論、試合やコートの中だけがチームをつくっているわけではありません。主将のアサは練習やベンチでチームを鼓舞する要でしたし、怪我で試合に出場できないアキとスズが、それでもなお真摯にバスケットに向き合う姿は、間違いなくチームの力になっていました。そんな同期に囲まれている中、コートに立たせてもらっている”自分”が、”今”、”コートの中”で存在感を発揮せずに、何が最上級生か?何が4年生のチームか?そうやって自分に喝を入れ続けながら、練習や試合に臨む日々でした。

声とプレイでチームを鼓舞し続けること。自ら掲げたこの目標は、4年生としての責任であり、副将としての責任であり、ゲームキャプテンとしての責任でした。文字にするとごく単純ですが、結局引退のその瞬間までずっと、正解を求めて向き合い続けることになった目標です。

試合が終わる度に、自らの責任を果たせていないことへの悔しさと情けなさが募り、どうしようもない無力感と孤独感に駆られました。自分のシュートが入らないことよりも、何倍も苦しかった。自分のその感情に気づいたとき、シューターとしてのプライドを失っているのではないかという葛藤もありましたが、最上級生としての責任を負うとはこういうことか、とようやく腑に落ちた気がしました(そのことを教えてくれて、何度も背中を押してくれた男子部の同期には感謝してもしきれません)。

遅すぎる、と書きながら自分でも呆れています。1年かけてようやくスタートラインに立てたようなものです。そんな、完璧とは程遠い副将でした。

副将として幾度となく組んだ円陣

振り返ってみれば、選手権大会、慶関戦、早慶戦、リーグ戦、六大学対抗戦と、最終結果は全て昨年度と同じ。結果だけでは測れないものを積み上げてきた自負はあるものの、この1年間に意味はあったのか、私たち4年生がチームにいた意味はあったのか、そんなどうしようもない考えに溺れた日もありました。

でもきっと、自分がいた意味なんて、自分で決めるものじゃない。この先長い時間をかけて、確かになっていくものなのだと思います。このチームにとって私がいた意味も、私にとってこのチームにいた意味も。

そんなことよりたった1つ確かなことは、この4年間ずっと、私は最高に楽しくて、最高に幸せだったということです。このような引退ブログの中で、「正直苦しいことの方が多かった」という言葉をよく目にします。そんなことありませんでした。圧倒的に楽しくて、いつまでも終わってほしくない奇跡のような4年間でした。私がそう思えるのには、多くの方々の出会いに恵まれたということの他に、おそらくもう1つ理由があります。

その理由を綴るにあたり、突然ですが1つ考えてみてほしいことがあります。バスケットやその他の学生スポーツに本気で取り組む上で、最も恐ろしいことは何だと思いますか。それは、前十字靭帯を断裂することでも、試合でこの先一生シュートが入らないんじゃないかという錯覚に陥ることでも、応援してくださる方々の前で黒星を重ね続けることでも、ありません。私のバスケット人生において最も恐ろしいことは、”目標を失うこと”でした。

高校3年の4月、新型コロナウイルスの蔓延が世間を揺るがす中、無機質なたった1枚の書類により、私の高校バスケは終わりを告げました。「大会中止」の文字の上に何度視線を滑らせても事実を受け止められなくて、後に時間差でようやく溢れた涙は堰を切ったように止まらず、1人の部屋に虚しく吸い込まれていきました。あの日私は唐突に、”目標を失った”のです。そして思えば、私のバスケット人生における不幸は全て、あの夜に使い果たしてしまったのだと思います。

この4年間、どんなことがあっても、私には向かうべき目標がありました。入替戦出場という目標を達成できなかった先にさえ、成し遂げたいものがありました。だから走り続けられた。本当に贅沢で幸せな時間でした。

私たちが目標を達成できなかったのは紛れもない事実で、その過程をあえて美化しようとは思いません。しかし、「幸せだった」と感じるのもまた、揺るぎようのない私だけの確かな感情なのです。

このチームを愛する理由が詰まった1枚

この1年、”恩返し”という言葉を、自分の中に常に掲げてきました。”誰かのため”は”誰かのせい”と表裏一体である危うさを持ちますが、自分に無頓着な私は、”誰かのため”でなければここまで必死になれなかったと思います。

愛に溢れた監督のため、新しいバスケットを教えてくれたコーチのため、私をシューターにしてくれた高校時代の恩師のため、親身に尽くしてくれたトレーナーの方々のため、支援してくださるOB・OGの方々のため、4年間苦楽をともにした同期のため、信じてついてきてくれた後輩のため、何度も刺激と力をくれた男子部の同期のため、遠くまで応援に来てくれた友人のため。

数え出せばキリがありません。こんな長いブログを最後まで読んでくれている人はきっと漏れなく、最大限の感謝の対象です。本当にありがとうございました。

未来ある自慢の後輩たちのこの先が、楽しみで仕方ないと同時に少し羨ましくもあります。このチームはこれからもっともっと強くなると断言できるから。その輝きに眩しさで目を細めるくらい、後輩たちが遠くの景色を掴み取ることを切に願い、このブログの締めとさせていただきます。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。この先も慶應義塾体育会女子バスケットボール部への応援を、何卒よろしくお願い申し上げます。