『引退ブログ』
慶應義塾大学法学部法律学科4年並びに体育会女子バスケットボール部の野見山洋実(CN:リュウ)と申します。
先日引退し、やりたいことリストのトップにいた仙台一人旅絶賛満喫中です!
ただ、今年は日吉の銀杏並木で同期と写真を撮ることはないのか、と一抹の寂しさを感じながらこの引退ブログを書いています。
今日から6日間、4年生による引退ブログが公開されます。
一人ひとり異なる4年間を過ごしながら、最後となる引退ブログはどんなものになるのか、意外と似たものになるのかな、と私自身も同期のブログを読むのが楽しみでもあります。
皆様にも最後までお付き合いいただけますと幸いです。
今までのブログは割と自由に楽しく書かせていただいておりましたが、これまで自分が積み重ねてきたことを表現する、体育会生にとってある種最後の試合とも言える引退ブログはそうもいかず、何を誰に伝える内容にすれば良いのか大変悩みました。
今回はこの場をお借りして、お世話になった方々に感謝を伝えられればと思います。
そして、今日まで多くの先輩方が創り、繋いできてくださった本塾女子バスケ部の魅力が一人でも多くの人に伝われば、嬉しい限りです。

まず私の4年間をまとめますと、
1年生:実力不足に心が折れそうになるが、尊敬する先輩方に心を動かされ、がむしゃらにチームについていく
2年生:少しずつ自分のプレーができるようになり、練習が楽しい
3年生:退部して留学に行く
4年生:プレイヤーとして再入部させてもらうもエンジンをかけ過ぎて身体を壊し、早慶戦後に学生トレーナーに転向、引退。
ここまで読んでいただければ分かるように、私が今日このように引退ブログを書くことができているのは、環境に恵まれた証です。
生涯の宝となる時間、仲間、成長の機会を与えてくださった方々、本当にありがとうございました。
まず、本塾女子バスケ部は留学後の復帰を原則認めていません。
私は弊部のそんな体育会らしい厳しさにも居心地の良さを感じていたので、留学を決めた時は、これからは外から全力で応援しようと考えていました。
しかし、入部して2年間多くの学びを与えてくれた部に何も還元しないままで良いのか、と感じることもありました。
そして徐々にその思いは強まっていき、留学から帰国する直前、先輩方の背中を引き継ぐ使命を果たすためにプレイヤーとして部に復帰させてほしいとの旨を同期にビデオ電話で伝えました。
試合に出られなくても、チームに、部活に、バスケに真剣に向き合うその姿に下級生の私は何度も心を打たれました。
体育会に所属して良かった、と何度も思いました。
その背中を次の世代に繋ぐことが私の部への還元の道だと感じていました。
こう書いてみると聞こえは良いかもしれませんが、私の身勝手な願望をかなえるために、同期は(決して私に伝えてくることはありませんでしたが)、各所に頭を下げてくれたに違いありません。
本当にありがとう。
復帰後は、野呂優子ヘッドコーチを迎えて全く新しくなったチームについていくために、プレイヤーとして再入部した意味を果たすために、必死でした。
と同時に、バスケに再び打ち込めること、大好きな仲間と一緒に目標に向かって汗を流せることに幸せを感じる日々でもありました。
しかし復帰から半年ほど経ち、部活に染まりきっていた私は、身体を壊してしまい、練習量を制限する必要がある状態になってしまいました。
試合で活躍する戦力でもない私にとっては、努力すること、そしてその姿を下級生に見せることがチームにおける存在意義だと考えていたので、自分への情けなさ、プレイヤー復帰をかなえてくれた同期への申し訳なさでいっぱいでした。
早慶定期戦の数週間前でしたが、ずるずる引きずるのも性に合わず、すぐにスタッフに転向する決意を固めました。
再び突発的なことを言った私に、早慶定期戦まではプレイヤーとして続けることを提案してくださった監督、コーチ、ありがとうございました。
迎えた早慶戦、代々木第二体育館のコートでプレイした時間は一生の宝物となりました。

そして、スタッフになってからは120%、常にチームのために動けるようになりました。
違う言い方をすれば、「入替戦出場・2部昇格」というチームの目標達成が自分の目標となり、それを達成するために働くことがチームにおける自分の存在価値となりました。
ここでも感謝すべき人がいます。
それは私がスタッフに転向する前からずっと、チームを支えてくれていたスタッフメンバーの後輩2人、シュウとムギです。
私の代にはスタッフはいなかったため、2人にはもともと多くの仕事をお願いしていました。
そこにスタッフとして何の技能もない、学年だけは上の私が加入しました。
2人はスタッフとして誇りを持っていながら、プレイヤーでいられなくなったからという理由でスタッフ転向した私にいろいろなことを教えてくれただけでなく、心強い言葉をたくさんかけてくれました。
ありがとう。
2人のこと、ずっと応援しています。
知識と経験がモノを言う学生トレーナーとして、引退まで残り半年という短い期間で習得できることが限られていたのも事実でした。
初めてテーピングを巻いたときは、ミイラのようになってしまったし、楽観的な性格の私がプレイヤーに寄り添って相談に乗るのも、正直得意とは言えませんでした。
それでも絶対にチームを勝たせたいとの想いで、自主練期間には某有名バスケ漫画に倣い、シューティングに1万本付き合う、とにかくプレイヤーを褒めまくる、といった自分にできることを実行しました。
しかし結果としては、入替戦出場・2部昇格というチームの目標は叶えられないまま引退することになりました。
学生トレーナーとしてチームに貢献できたかどうか、自分には今も分かりませんし、自分で決めることでもありませんが、下級生たちがその答えを出してくれるのではないか、と図々しくも期待しています。
頑張ってね。

体育会生活のなかで特に心に残った言葉を紹介させていただきます。
私たち慶應義塾の体育会生は「社会の先導者」になるために日々活動しています。
1年生の時に当時の4年生から教えていただき、当時は「社会の先導者」という言葉の持つ次元の高さに圧倒されただけでしたが、なぜかその後も心に留まり続けていました。
そして引退した今、やっとその意味を理解する糸口を掴んだような気がしております。
シャトルラン100回から始まる自主練も、毎回の部活で全員に話しかけるというマイルールも、部活動にかけた時間、努力、それら全てが、これからの自分を高みへと導く原動力になると確信しています。
本塾女子バスケ部で多くの財産を得た私たちは「社会の先導者」になるべく、その最高のスタートを切りました。
今日からはその志を叶えるために邁進するとともに、部の輝かしい発展に少しでも携われればと思っています。
その第一歩として、このブログで本塾バスケ部の魅力が一人でも多くの人に伝われば幸いです。
後輩へ、(想いを込めて書いたけど案外字数が余ったのでみんな宛の言葉でも残しておこうなんてことはないけれども)最後の試合の後半開始前、円陣で恥ずかしくなって忘れた振りをした言葉でも残しておきます。
「正直最後の最後までもがいてばかりの1年間、4年生だったと思う。でもそれは、全員がチームに真剣に向き合った証で、私はそんなチームにいられたことを誇りに思います。最後20分、コート内外で私たちらしく大暴れしよう、さあ行こう!!」
頑張ってくれええ!!
また不審な差入れをする人がいたら私です、その時はどうぞお楽しみください(笑)。

本来なら直接言うべきところ、スカし屋なので言えませんでしたが、同期の5人、本当にありがとうございました。
みんなのことが好きすぎて六大学対抗戦ではほぼ毎回泣いていたけど、それに全く気がつかないところも、また愛おしいよ(笑)。
これからもよろしくお願いします。
そして何より、このようなかけがえのない経験をさせてくださったOG・OBの皆様、そしてチームを応援してくださった皆様、ありがとうございました。
これから後輩たちは、応援したくなるような素晴らしいチームを作っていくので、今後とも応援の程よろしくお願いいたします。
いつかこのブログを読み返したときに、「この時は良かった」ではなく、「この時も良かった」と思えるよう、そして本塾女子バスケ部の卒部生の名に恥じぬよう、これからも頑張れ自分!と、自分にエールを送りながら締めさせていただきます。
最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。




