「答え合わせ」 -森谷日向子(副将)

こんにちは。慶應義塾大学法学部政治学科4年ならびに体育会女子バスケットボール部の森谷日向子(CN:ダイ)と申します。今回、このような機会を設けていただいたので、これまでのバスケ人生を振り返らせていただこうと思います。拙い文章となりますが、最後までご覧いただけますと幸いです。

「何をするにしても、10年継続することで得られるものがある」

これは大学入学前、両親に大学でもバスケを続けようと思っていることを伝えた際に、父に言われた言葉です。この言葉に縛られてバスケを続けたわけではありませんが、引退をしたらこの答え合わせをしようということは決めていました。そこでこのブログでは、10年バスケを続けたことで私が得たものとは何だったのか、父と自分に対する答えを綴っていきたいと思います。

私は中学1年の時にバスケットボールを始めました。中学でも高校でもありがたいことにキャプテンを任され、試合ではフル出場することも少なくありませんでした。特別バスケが上手いわけでもなかったので、とにかくコートに立ち続けて声を出すことが私の役割だと思ってバスケをしていました。決して強いと言えるチームではありませんでしたが、この6年間で私はバスケの楽しさを知り、大学に入ってからもずっと応援してくれた顧問の先生や、苦楽を共にしたチームメイトと出会うことができました。

そして、気づくと大学生になってもバスケをしている自分がいました。続けようと思った理由は主に2つあります。1つ目は、バスケが好きだから。2つ目は、バスケをしている自分が好きだから。その上で体育会を選んだのは、やるからには大学の名前を背負ってちゃんとやりたい、という気持ちが強かったためでした。4年が経った今も、入部の決意を固めた瞬間を鮮明に覚えています。それは、練習見学をした際、主将の「こんにちは」という一声で、その直前まで和気あいあいと話していた先輩方の顔つきが変わったのを見た時でした。「ここにいるかっこいい人たちと一緒に、私も大好きなバスケがしたい」、あの時そう決断した自分を褒めてやりたいです。

しかし、現実はそう甘くはありませんでした。

大学1年生。練習でも試合でも、ほとんどプレーをすることができませんでした。完全に私の実力不足でした。1年生ながらに試合で活躍する同期がいながら、1年生としての仕事をこなすのに精一杯になることしかできず、頭ではわかっていたはずの高校までとのギャップを思い知り、挫折を経験しました。今思えば、その時色んな立場にいた同期のことや、私を気にかけてくれていた先輩方のことなどほとんど考えず、ただ自分のことばかりに気を取られる未熟な人間だったと思います。そして1年生が終わるころには、自分のチームのなかでの存在意義が全くわからなくなり、そのままの状態で2年生になってしまいました。

2年生。コロナ感染症の影響で、3月の終わりから対面での練習ができなくなってしまいます。しかし、この約3か月間、先輩方がたてわりでのミーティングや面談などの機会を設けて下さったことで、私の強みや弱みは何なのか、存在意義は何か、これから何を頑張ればいいのか少しだけ見えるようになりました。モチベーションが下がるはずの自粛期間で、私はチームメイトに救われることになり、前を向き続けることができました。本当に感謝しています。

3年生。私の意識が大きく変わることになる1年でした。その要因は主に2つあったように思います。

1つ目は、同期との関わり方の変化。始まりはチャコ(塚本萌花/法法4年)が設けてくれたいつしかの同期ミーティングで、「もっとお互いの良いところも悪いところも正直に言い合えるようになろう」と決めたことでした。そこから徐々に、それぞれがそれぞれの役割を担いながら、お互いの甘さを許さない良い関係性を築けるようになったと思っています。

2つ目は1つ上(当時の4年生)の先輩方の存在です。「3、4年で力を合わせて、このチームで2部昇格を必ず達成したい」、と言って私たちに正面からぶつかってきて下さいました。泣きながら自分の想いを伝えたあのミーティングを、私は一生忘れません。

このような出来事から、今自分が「チームのために」あるいは「4年生のために」頑張るべきことは何か、自分の役割は何なのか、それまで以上に突き詰めるようになったとともに、「チームのために頑張らなければならない」というある種の義務感のような意識から、「チームのために頑張りたい」という意志へと変わっていきました。

チームのために頑張りたいと思えた

そして、4年生。チームメイトの成長と活躍が、私の一番の喜びとなりました。入部当初、「バスケをしている自分が好き」だから頑張っていたはずの私は、いつしか「チームメイトの輝く姿が見たい」から頑張るようになっていました。こう思うようになったのは、私の知らないところでチームのために動いてくれている人や、練習内外問わずストイックに努力ができる人、「ダイさん!」と駆け寄って来て私を頼ってくれる後輩、各々の役割を責任持って全うできる同期がいてくれたからです。

昨年、引退まで2か月半を切った9月末に、右足首の剥離骨折と内外両側の靭帯を損傷してしまう怪我を負ってしまいました。チームメイトの活躍が一番の喜びであったとはいえ、選手としてのプライドを捨てていたわけではありません。怪我をした時に「もう引退までに前の状態には戻せない」と悟り、足の痛みで家のベッドから動けなくなった数日間は、練習ビデオにコメントをしながら絶望することしかできませんでした。しかし、記念館に行けるようになってチームのみんなに会った時には、「この人たちのために今の自分にできることは何か」を考えている自分がいました。結局あの最後の2か月半も、バスケはできなくとも、間違いなく「愉しい」2か月半でした。こうしてみると、たしかに私はバスケットボールプレイヤーとしては終わっていたのかもしれません。しかし今は、誰かのためにどうにかこうにかあがき続けたそんな自分のことを誇らしく思えています。

怪我によって満足のいく引退はできずとも
チームのために動き続けた

また、昨年度は副将を任せてもらえることになり、主将のアン(林えみり/理工4)を支える立場となりました。同期は私の「チームを俯瞰する力」を買って副将に選んでくれたので、「誰よりもチームメイトのことを知っている」副将になろうと決めて1年間を過ごしました。アンはどこまでも自己評価の低い主将でしたが、私にとっても、もちろんチームにとっても頼りになるかっこいい主将だったので、私が支えるまでもありませんでした。ただ、「Aチームのことはアンに」「Bチームのことは私に」「プレーや戦術面のことはアン(+チャコ)に」「それ以外の面でのチームメイトのサポートは私に」といったように明確に役割が分かれていたので、2人で常に情報共有をしながら良い連携を取れていたと思っています。

長々と自分語りをしてしまいましたが、ここで最初の問いの答え合わせに戻りたいと思います。ありきたりな答えですが、「バスケ部で過ごした時間の全て」が私の得たものです。この10年間で私はたくさんの人に救われ、支えられたことで最高に「愉しい」時間を過ごすことができ、多くを学ぶことができました。

試合に勝ったあの瞬間も、誰かが点を決めたあの瞬間も、吐きそうになりながら走り続けたあの練習も、帰りの電車で自分の映らない練習ビデオを泣きながら見たあの時間も、同期7人で一列に腕を組みながら並木道を歩いたあの帰り道も、全て、かけがえのない思い出です。

共に苦楽を過ごした同期7人

最後に、支えて下さった皆様への感謝の言葉を書かせてください。

OG・OBの皆様へ。平素よりご支援いただき、誠にありがとうございます。特にこの1年は、有観客での試合も増え、直接応援に来て下さった方々とお会いする機会もありました。4年の最後に足の骨折で観客席から応援していた際には、個別にお声がけ下さったり、激励のお言葉を頂戴し、大変励みになりました。また、広報も務めておりましたので、SNSを通じた応援メッセージなども読ませていただきました。直接でなくとも、試合の動画を観て下さったり、SNSの速報を見ていて下さった方々もいらっしゃったと思います。本当に、ありがとうございました。今後とも、本塾の応援を何卒よろしくお願い致します。

社会人スタッフの皆様へ。コロナ禍で思うように活動ができないなか、私たちがこの4年間を駆け抜けることができましたのも、皆様のご尽力あってのことです。対面でお会いできなくなった際も、オンラインでのコミュニケーションの場を設けて下さったり、激励のメッセージを下さったり、私たちのわがままを聞いて下さったりなど、幾度となく支えていただきました。本当に、ありがとうございました。

3年生へ。本当にたくさん助けてもらいました。全員がそれぞれ全く違う境遇に置かれ、違う役割を担っているのに、「チームのために」という想いは共通していて、私たちが何も言わなくても全員が主体的に行動し努力ができる、そんな頼もしい後輩でした。1つ下なんて関係なく、みんなのことを尊敬しています。私たちが嫉妬するような、良いチームをつくってね。

2年生へ。バスケ好きが集まる元気な学年で、苦しい時でも私たちの手を引いてくれる素敵な後輩でした。いつもの明るさの裏には、たくさんの苦悩があったと思います。辛い時はいつものように4人でまとまって支え合って、チームの雰囲気をつくっていってね。

1年生へ。個性豊かで、時に生意気な可愛い後輩でした。1年間、慣れないなかたくさんの仕事をこなしてくれてありがとう。1年生の支えなしに、私たちはここまで戦ってこられませんでした。もっと長く一緒にいたかったな。

同期へ。基本的にかっこつけな私の弱さを引き出し、優しく受け止め、そして奮い立たせてくれてありがとう。個別に感謝は伝えたからここで多くは言わないけど、やっぱり大好きです。これからもよろしく。

家族へ。高校までとは打って変わって、バスケをしている姿をあまり見せることができなかったけど、何も言わずに支えてくれてありがとう。4年になってから急に、「試合あるけど観に来る?」と言い出した時も、私が試合に出ているわけでもないのに当然のように観に来てくれて、嬉しかった。最初に書いたお父さんの言葉も、息抜きにと連れて行ってくれた旅行も、足を骨折した時に「別に日向子の大事な部活の仲間に会えなくなるわけじゃないんだから、大丈夫」と励ましてくれたお母さんの言葉も、与えてくれた全てが私の宝物です。そして謙太(兄)へ。応援メッセージを送ってくれたことも時々電話をしてくれたことも、実は嬉しくてすごく励まされてました。ありがとう。

加えて、普段私のバスケ部の話なんてほとんどしないのに、早慶戦では開場時間から最前列で応援してくれた中学からの友人たち。そして、練習試合や早慶戦を観に来て下さった高校の顧問の先生。きりがないのでこの辺にしますが、関わって下さった全ての方々に、改めて感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました。

これからは、体育会バスケットボール部OGの一員として、後輩たちのために自分にできることを考え、全力でサポートして参ります。長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

次シーズンも、応援をよろしくお願い致します!

沢山の方に支えられてきた