誰がために -小菅千恵

こんにちは。慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の小菅千恵(CN:テン)と申します。

「スタッフをやっていて一番やりがいを感じる時はいつですか」

新型コロナウイルス対策が緩和され、4年生にして初めて実施できた対面新歓で、入部希望の新入生に聞かれました。ありがちな質問ではありますが、こうして質問されるとパッとは答えられないものです。その場で満足のいく回答ができず、新入生には申し訳ないことをしたと反省しております。

引退して2ヶ月が経った今、改めて“一番”やりがいを感じた時のことを振り返ってみたいと思います。

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私がスタッフを選んだ理由は至ってシンプルで、自分がバスケをするよりスタッフとして支える方がチームに貢献できると考えたからです。というよりも、これ以上プレーを続けたらバスケットボールという競技そのものを嫌いになってしまうような気がしたから、の方が適切かもしれません。

コート上で汗を流している選手は常に輝いて見えましたし、みんなが最高の環境でバスケができるように努めたいと思いました。

はじめは目に見える環境を整えることで精一杯でした。練習前のテーピング、練習中の備品の管理、時間の管理、ビデオの撮影。試合の日にはスタッツをつけて、もし怪我人が出たら少ない知識でできる限りの応急処置をする。はじめの頃はこれらをこなすだけでもスタッフとして役に立てていると感じていました。日々、やりがいを感じていました。

見えない仕事をなにも知らなかったからです。

学年が上がると、今まで知らなかった色々な仕事に携わるようになりました。
黙々とPCに向かう時間が増え、淡々と事務作業をこなす毎日。一体なんの役に立っているのかわからないままとりあえず手を動かす時間は孤独を感じてばかりでした。
練習に行けば、選手は勝利に向けて死に物狂いで練習していて、怪我で離脱を強いられた選手は前を向いて地味なリハビリに励んでいる。
試合の日には、目の前で同期がチームを背負って戦っているし、ユニフォームを着られなかった選手もチームのために必死に努力している。
一方私はいつだってコートの外から声をかけるばかりで最低限のことしかできていないのに、試合に勝てばみんなと同じように喜び、負けたらみんなと同じように悔しがっている。

なにもしていない私に、チームの勝敗に一喜一憂する権利はないと思いました。
表面上はチームの目標を達成するために、勝利のために動いていたつもりでしたが、どこか他人事だったのだと思います。

3年生の7月、早慶戦が3年ぶりに有観客で開催されることになりました。会場は代々木第二体育館。中学生の頃から憧れていた舞台です。
入部してから初めての有観客開催に戸惑いながら、何ヶ月も前から入念に準備を進めていきました。何もかもが手探りで、スタッフ同士意見を出し合う日々は本当に楽しかったし、スタッフを始めた頃のやりがいを感じられるようになりました。
迎えた当日、コート上で観客の声援を浴びながら躍動するチームメイトはいつもの何倍もキラキラ輝いていました。チームが一体となるのを心から感じて、私は今までにないくらい高揚しました。
これが私の求めていた「やりがい」だと思いました。

ここにきてようやく、チームの目標を達成するために動くこと、勝利のために動くことの本質が理解できたような気がしました。
プレーで貢献する選手たちに劣等感を感じている暇はない。みんなの最高のプレーを引き出すために、できることはなんでもしようと心底思いました。

ラストシーズンを迎えると、主務という責任のある立場を担うようになり、より一層チームのために貢献したいと思う気持ちが強くなりました。
夏にブログでも書いたように、2部昇格を達成するためならどんなに小さなことでも全力で取り組みたいと思いました。今までの3年間も全力で取り組んできたつもりでいましたが、比べ物にならないくらい本気で勝ちたいと思うようになっていました。
春休みには練習試合を組みまくり、春シーズンに向けて万全の準備を整えました。トーナメントでは成果を発揮し、格上のチームから勝利をもぎ取ることができました。泥臭くボールを追う後輩の姿を、期待と重圧を背負ってプレーする同期の姿を見て、この上ない「やりがい」を感じていました。

しかし、そう上手く行くばかりではありません。4年目にして初めてできた後輩のスタッフに適切な指示ができなかったり、初めての関西遠征に手間取ってしまいすべてが上手くいかなくなったり、仕事に手一杯になってスカウティングに手が回せなくなったり。チームのために動いているはずなのに、またどこか孤独を感じながら戦っているような感覚になりました。「主務」という責任の重さは想像以上でした。
最後の早慶戦は、スタッフとしてはやりがいを感じたものの、チームの一員としては不完全燃焼になってしまったと深く後悔しています。

リーグ戦の準備が始まってしまえば、自分個人のことにクヨクヨしている時間などありません。シンプルに2部昇格のために努力するだけです。いざリーグ戦が開幕すると、チームは順調に勝利を積み重ねていきました。勝利を重ねるごとに、2部への執念は増す一方でした。接戦を制した時は嬉しさのあまり涙を流しましたし、念入りに準備した対策が噛み合わずに敗戦を喫した時はどうしようもなく悔しかったです。
入替戦出場に向けて、首の皮一枚でなんとか掴み取った2次リーグの舞台では、4年間で一番無力感に襲われました。コート上で戦う選手たちを前に、自分にできることはタイムアウトやハーフタイムにほんの少し声をかけるくらいのことでした。
結果的にチームは入替戦に進出することができませんでした。

ただ、勝てなかったからやりがいを感じないわけでもありませんでした。
試合の時に無力感を感じられるのは、それまで必死で準備をしてきたからで、コート外でできることはすべてやった上でそれでも勝利の瞬間には貢献できないと痛感するからです。
入替戦に出場できないことが決まってから引退するまで悶々と過ごしていた数週間は、それまで勝ちたいと思い続けられていた証だと今なら思えます。

後悔はたくさん残るものの、完全燃焼したと胸を張って言える4年間だったと思います。

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「スタッフをやっていて一番やりがいを感じる時はいつですか」

冒頭の質問に対して、その場ですぐに答えられなかったのは、私のバスケ部スタッフ生活は数えきれないくらいの「やりがい」で溢れていたからだと思います。
あえて一言で表すなら「自慢のチームメイトが活躍する姿を見ている時」でしょうか。練習でも試合でも、チームメイトのバスケを見ている時間が一番かけがえのない時間でした。

スタッツ越しに見るみんなの勇姿が大好きでした

最後に

人に頼ることが苦手な私は、この4年間で数えきれない「申し訳ございません」を繰り返し、その度にチームメイトや社会人スタッフの方々に迷惑をかけました。でも、いつも必ず誰かが手を差し伸べてくれました。先ほどスタッフは孤独を感じることが多いと書きましたが、本当に孤独だったことはただの一度もありませんでした。

先輩、後輩、社会人スタッフの皆様、OB・OGの皆様、家族、そして個性豊かな自慢の同期。他にも友人や他大学のスタッフなど4年間で関わってくださったすべての方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

長くなってしまいましたが、これからは1人のOGとして恩返しをしていきたいと思っています。
今後とも体育会女子バスケットボール部の応援をよろしくお願い申し上げます。