4年間を通じて –ビディンガー美亜

慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部のビディンガー美亜(CN:エマ)です。引退ブログというものが2年前に始まって以来、自分には何が書けるのか、何が残せるのかということを考え続けてきました。もうあっという間に自分の番になったと思うと感慨深いです。4年間の振り返りを自分なりに綴ってみたいと思います。

拙い文章にはなりますが、お付き合いいただけると幸いです。

4年間、私は人に支えてもらってばかりいました。4年間どの瞬間を振り返っても、誰かの言動に影響され、支えられてきました。

まず、大学受験を頑張れたのは、同じ地区で戦ってきた中等部バスケ部の人々への憧れがあり、慶應にいきたいという気持ちが強かったからでした。また、体育会に入ると決めたのも、練習を見学して全員が本気で取り組んでいる姿に魅了されただけでなく、当時1年生だった私に4年生の先輩が声をかけてくださり体育会の良さを説得してくださったからでした。中学高校と6年間怪我に悩まされたこともあり、マネージャーとして入部したのですが、やはりバスケがしたいと考えていたときに「バスケやりなよ」とずっと憧れてきた先輩や練習に来てくださった社会人の方々に声をかけていただき、入部して3ヶ月後にプレイヤーへ転向することを決心しました。

このようにして大学のバスケ生活が始まったのですが、始まってからも沢山の人の姿を見て多くのことを学んできました。苦しさを見せず自分のやるべきことを全うしチームを率いる先輩。怪我による長期離脱で複雑な想いを抱えながらもチームを第一に考えて様々な方面からチームに貢献する先輩。一番上手い人が一番努力している組織はおかしいと言い自主練に励む先輩。チームのためにと学年も立場も関係なく意見をぶつけ合う姿。いろんな姿を見て、「体育会とはこうあるべきなんだ」と学んだと同時に、〇〇さんはこうしていたから私もこう頑張る、と勇気づけられていました。

では、自分はどんな姿を先輩、後輩、同期に見せられていただろうか。

私はというと、4年間の中で、私が全体練習に混ざれたのは21ヶ月間でした。プレイヤーになり全体練習に2回参加したのち、完治8ヶ月の怪我をしました。復帰してから半年後になっても、「まだ足が不安定だから試合には出せない」と言われました。やっと怪我を気にせずプレーできると感じられた頃に肉離れを起こし、その上全体練習に復帰予定の前日に違う部分を骨折し、復帰が遠のいたこともありました。

「自分は何故こうなってしまうのだろう」「本当にプレイヤーになってよかったのだろうか?」と何度も悩みました。3年ぶりのスタッフとして入部したこともあって、自分がプレイヤーになった時点でチームに迷惑をかけているのに、プレーができない自分には価値があるのだろうか、と考えていました。

そんな私を救ってくれたのは、先輩方の姿、そして支え続けてくれた同期の存在、一緒にバスケがしたいと声をかけてくれる後輩の存在でした。プレーができなくてもプレイヤーとして貢献することができると示してくれた先輩方に感謝しています。コートの外から声をかけ続けること、プレイヤーとしてリハビリやトレーニングに専念すること。何をすることがチームのためになるのか、常に照らし合わせながら行動し続けるようになりました。後輩であった私が沢山意見しても耳を傾けてくださった先輩方には本当に感謝しています。

コート内外からチームにできることを体現していった

また、体育会であるということ自体も私を救ってくれていたと思います。どんなことがあろうとやるべきことは目標のために努力するだけ、という事実が、よそ見をせずに前を向けた理由だと思います。コートから離れ、皆からも自分が離れていく感覚が怖くても、やるしかない、と思わせてくれた環境、そして組織があったことが救いでした。

このようにして1年生から3年生の間は、前を向き続けることができました。間違っていると思ったものには正面からぶつかり、周りに助けてもらい、正しいと思えるものを模索し続けていました。

自分にとって偉大であった先輩方が引退し、とうとう自分たちの代に変わってすぐ、自分に異変を感じました。同期にも様子がおかしいと指摘され、3年の2月に病院に行くと、鬱病であると診断されました。新型コロナウイルスの影響で2月はオンラインでミーティングやトレーニングをしており、3月から対面での練習が再開されたのですが、自分がどうなっていくのか不安でした。人前では普通でいられると思い、練習も通常通り参加することで後輩には知られないだろうと思い、同期のサポートの中で参加していました。しかし上手くはいかず、練習中に自分に何か言われているのに聞こえない、頭が動かない、練習が怖いという状態で、練習中にパニックに陥ることもありました。薬を減らせるようになるまでの半年間は、朝起きて、ひとしきり泣いて落ち着いてから練習に向かう、という習慣がついていました。

こんな状態だったのにも関わらず、バスケをしていない自分が怖い、という自分本位な理由で続けていたのですがやはり周りには迷惑しかかけておらず、4年間で初めて部活を辞めようか悩みました。2021年度はチームとして思考するバスケを掲げていたこともあり、自分は頭が使えないのならここにいる資格はない、2部昇格という目標の邪魔になるだけだと思っていました。

しかし、そのままの自分でいいと言い続けてくれた同期の存在や、こんな形で終わらせたくない、先輩方のように私も何か残したい、という気持ちから留まることを決めました。そして、一年生の頃から試合に出続けている同期のように結果で責任を負うことはできないし、サポートしてくれている人が沢山いるからこそ、自分はただ愚直にプレイヤーとしての役割を全うしよう、バスケに本気で取り組んで本気で楽しむという人になろうと決心しました。

同期は彼女の支えになった

ここで、上記の疑問に戻ります。私は、どんな姿を見せられたのだろうか。どんな役割を果たせたのだろうか。果たして1から3年生のうちでどのくらい成長して、最後4年生として意地を見せられたのだろうか。

どうだったかはわかりませんが、何かポジティブな影響を周りに与えられていたらと思うばかりです。

ここまでずっと自分自身の話をしてきました。差し出がましいですが、後輩に伝えたいことが二点あります。

まず自分がもった感情を大事にし、それを周りに共有してください。以前三年生とのミーティングで「極論勝つためには私たちの感情は邪魔で、やるしかない」という話をしました。体育会である以上結果が全てなので、それは正しいと思っています。しかし、いろんな感情がモチベーションになるのも事実です。嬉しさ、悔しさ、怒り、憧れ、絶望、焦り、期待、後悔。挙げたらきりがないですが、そういう感情がエネルギーになると思います。感情やエネルギーは周りに伝播するからこそ、ポジティブな感情を共有することが大事であると同時に、いかにしてネガティブな感情を消化させるか、それを前向きなエネルギーに変換させていけるかが大事だと思っています。自分の感情を押し殺すことなくきちんと受け入れて、エネルギーにしていって欲しいと思います。そして、責任、辛さ、悔しさなどを、みんなで背負うことができるのがチームの良いところだと思います。例えば、怪我に苦しんだ経験を持つ人はチームに沢山います。練習中コートの外で自分を惨めに感じながらするリハビリよりも、コートを走り回るきついメニューをする方が何倍もラクで楽しいことを知っている人が何人もいます。苦しさを共有することで、前を向けるようになったりと救われることがあると思います。そのために、周りに共有することをして欲しいと思います。

そして、チームを愛してください。愛すだなんて大袈裟な、と思うかもしれませんが、それがチームが強くなる道だと思います。いろんなモチベーションがあっていい、という話を何度もしてきましたが、「チームのために」というモチベーションが一番強いと思っています。「チームのために」、努力し続け、周りに声をかけ続け、正しいことを褒め合い、間違っていることを指摘し合い、鼓舞し合い、行動し続ける。自分が成長するということは勿論結果的にチームのためではありますが、何か行動するときの理由が「自分が成長するため」ではなく「チームのために自分が成長するため」であって欲しいと思います。そうすることで全員が逃げることなく同じ方向をむき、良いチームを形成していけると思います。「チームのために」を素直に思えないとき、自分もしくは組織が間違っています。そういう時は、勇気をもって周りに伝え、正面から向き合って欲しいと思います。

偉そうに書いてしまいましたが、私が4年間を通じて感じてきたことです。2021年度、2部昇格という目標は果たせなかったけれど、そのために何が必要なのかは見えてきたと思います。そして、リーグ戦を通してどんどん成長していくみんなをすごく誇りに感じていました。今年得たものと悔しさをしっかり次に繋げ、みんなで声を掛け合い、支え合い、信頼しあって強くなっていくチームを目指していって欲しいと思います。

今年の悔しさをバネに強いチームへ

最後にはなりますが、ここで感謝を綴らせてください。まず、言葉や行動で、多くのことを教えてくださった先輩方、窮屈に感じていたかもしれないけど4年生を信じてついてきてくれ、サポートしてくれた後輩たちのおかげでここまで本気でバスケに取り組めていたと思います。

また、沢山の時間を費やしてくださった社会人スタッフの皆様、OGOBの皆様本当にありがとうございました。いつも期待の言葉をかけてくださったことが、私のモチベーションになっていました。特に伊藤先生には感謝してもしきれません。私とコートの外で一緒にトレーニングしてくださった時間や、プレーのことチームのことを話していた時間がなければ、ここまで頑張ることはできなかったと思います。自分にとって本当に大切な時間でした。大変お世話になりました。

私が苦しいときに話を聞いてくれて、外に連れ出してくれたり、いつでも応援してくれた友人たち、大切な人たち、本当にありがとう。

そして最後に、同期のみんな。私がプレイヤーになりたがった理由は、同期のみんなと一緒にバスケがしたいと思ったのが大きくて、それが果たせて本当に嬉しかった。どんな時でも、励まし合って、悪いことはきちんと話し合って指摘しあって、本気でぶつかって、4年間を過ごしてきた。4年間チームのためということを掲げ続けられたのも同期のおかげだし、何より同期みんなのおかげで頑張り続けることができたと思う。どんな時でも踏ん張って、チームのために体現し続ける同期四人ともが、本当に誇りで、大好きです。書ききれないので、この辺りにしておきます。

長くなってしまいましたが、慶應義塾体育会に携わり、バスケを本気で取り組める環境にいられて幸せでした。本当に人に支えてもらってばかりで、濃い4年間でした。

これで14年間のバスケ人生は終わりますが、今後はOGとしてチームをサポートする立場になりたいと思います。

今まで関わってきた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

今後とも、女子バスケットボール部をよろしくお願いいたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。