「唯一無二なもの」-星野祐仁佳

慶應義塾大学商学部ならびに体育会女子バスケットボール部4年の星野祐仁佳(CN:ニナ)と申します。

昨年11月末に引退し、早くも2ヶ月が経ちました。チームメイトに会えないことや、バスケットボールに触れない日々に何か物足りなさを感じています。

入部してから毎年、先輩方の引退ブログを涙しながら読んできた私が、ついにこの文章を書く日がやって来てしまった、と引退を感じるとともに、感慨深い気持ちでいっぱいです。拙い文章ではございますが、この4年間の想いを綴らせていただきたいと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。

私のバスケ人生を語るのに欠かせないことが大きく三つあります。一つ目は『一貫校の繋がり』です。部活に限らず様々な場面で感じることですが、これは私がバスケを10年間続けた大きな理由の一つです。ここから少しだけ私のバスケ人生振り返りにお付き合いください。

◉一貫校の繋がり

私のバスケ人生がスタートしたのは中学1年生でした。小学生の時はラクロス部に所属していましたが、中学にラクロス部がなく、当時のラクロス部の先生が「ラクロスとバスケは共通点が多い」とおっしゃったことがバスケに興味を持つようになったきっかけでした。そして「体育のバスケが楽しかった」「見学に行った時のコーチが優しかった」などという、些細なことがきっかけでバスケ部に入部したのですが、今振り返れば、理由はどうあれ、あの時バスケ部を選んでいなかったら今の自分はバスケに関わっていなかったかもしれないと思うと、その時の自分を称賛したいと思います。

中学時代は試合の出場機会が少なく、ほとんどの時間をベンチで過ごしました。当時は正直「バスケットボールの楽しさ」を十分理解しきれないまま練習をこなしていたような気がします。ただ、チームメイトとコーチは大好きで、部活に行くことは苦ではありませんでした。

高校では、「『バスケットの楽しさ』をもっと知りたい」と思い、同期で一番最初に入部を決めたことを今でも覚えています。自分のことも、チームのことも試行錯誤の3年間でしたが、2年時からご指導いただいた学生コーチの影響で私は入部目的であった「バスケットの楽しさ」を知ることができ、部活を、バスケを、心から楽しむことができた高校生活でした。

また、小学校から大学までの一貫校という恵まれた環境で過ごすことができたため、中学でも高校でも引退してから卒業までのほぼ毎日体育館に足を運んでバスケができるという日々を送ることができました。

現在は私の高校時代の後輩が中高の学生コーチを務めていることもあり、大学現役時代も、そして引退した今でも、よく中高のバスケ部に顔を出します。縦の繋がりを強く感じるとともに、学生コーチという道を選んだ彼女たちを本当に誇らしく思っています。

そんな6年間毎日バスケ漬けの日々を送っていた私が大学に進学した頃には、自分にはバスケしかない、もっとバスケに関わりたいと思うようになっていました。私自身、高校の学生コーチをやるか、体育会バスケ部に入るか迷っていましたが、体育会に入る決め手になったのもやはり『一貫校の繋がり』でした。

小学校時代から様々なスポーツの”早慶戦”を観戦して来ました。中学からは一貫校バスケ部枠として体育会バスケ部の早慶戦を毎年観戦する機会があり、毎年の楽しみでした。何よりも、早慶戦を戦っている選手の皆さんが輝いていて、カッコ良くて、本当に憧れでした。そんなずっと見てきた憧れの場所が目の前にあるのに、逃したら後悔する、ここでもっとバスケを深く知りたいと思い、体育会バスケ部に入部しました。

少しだけと言ったにも関わらず長々と振り返ってしまいました。ここからは本題、体育会生活についてお話したいと思います。

一貫校の繋がりから入部を決めた

◉声

私のバスケ人生を語るに欠かせないこと、二つ目は中高で得た私の強みである『声』です。

試合に出場できなかった中学時代、コートに立ってプレーができなくても、どんなに練習が辛くても、声を出し続けること。バスケットの楽しさを覚えた高校時代、自分やチームの考えをまとめて発信すること、コートで声を出してチームを鼓舞すること、私の中心にはいつも「声」がありました。

体育会には、バスケの楽しさの深い部分を知って上達したいと思い入部しましたが、予想以上に体育会のレベルは高く、試合に出ることは愚か、ベンチにすら入れず、コートに立ってプレーでチームに貢献することの難しさを痛感した一年目でした。

そんな中、2020年から世界中でコロナウイルスが猛威を奮い始め、練習禁止、自粛の約5ヶ月間が始まりました。新しい代になったにも関わらず、何のために体育会に入ったのか、プレイヤーとしての存在意義を見失ってしまっていた私にとってこの自粛期間はある意味自分と向き合う良い機会になりました。

この機会にもう一度チームへの貢献方法を模索した結果、やはり変わらず私の中で一番にあるものが「声」でした。そして「声でチームの中での存在意義を確立すること」という目標に辿り着きました。声を出すことは目に見えて結果や評価に繋がるものではないため、本当にチームに貢献できるのか不安なこともありましたが、プレー以外でもチームに貢献できる方法はあるということを実証したいという思いが、何度も自分を奮い立たせてくれました。

最終学年、私たちは「努めて、愉しむ」というスローガンを掲げました。

当たり前のことを全員が”努める”という土台の上で、苦しいことでも能動的に”愉しむ”ことが、個やチームの成長に繋がるという意味を持っています。そして、目指すべき像である「応援されるチーム」になるためには、自分たちがバスケットを愉しみ、チーム内でもお互いに愉しんで応援しあえる関係性の構築が必要です。その結果、試合をご観戦いただいている方々にも伝播し、お愉しみいただくことができると考えました。

コロナウイルスの影響により無観客での試合開催が多く、会場に足を運んでいただくことができない年が続きましたが、昨年は合宿の再開や有観客での試合開催など、少しずつ元の形に戻って来たと感じます。何よりも、昨年7月には3年ぶりに代々木第二体育館で早慶戦を開催することができました。先述の通り、私が体育会に入った理由でもある、あの憧れの舞台に立つことができたあの瞬間は、本当に愉しく一生忘れないことでしょう。これらはOB・OGの皆様や学連関係者の方のご尽力があったからこそだと思います。この場をお借りして、感謝申し上げます。ありがとうございました。

私の中の「愉しむ」は、自分のチームやチームメイトを応援することでした。私は自分が試合に出場していなくても、チームメイトのプレーを心から応援し、ナイスプレーに対して誰よりも喜んでいた自信があります。私だけではなく、ベンチメンバーも、ベンチ外から応援するメンバーも含めて、チーム全員がチームメイトのプレーに対して飛び上がって盛り上がる、そんな瞬間が堪らなく愉しくて、愛おしい時間でした。

前回のブログでも書きましたが、私のバスケットへのモチベーションは「好きだから」で説明ができます。バスケ、チーム、チームメイトが大好きだから、どんなに苦しい状況でもめげずに前を向き続けて頑張ることができたのだと思います。

応援されるチームを目指す私たちが、誰よりも自分たちチームメイトのことを応援してる、このチームのそんなところが大好きでした。そして毎日、大好きな皆んなと大好きなバスケができたことは本当に心から幸せでした。

声でチームを鼓舞してきた

◉広報

私のバスケ人生を語る上で欠かせないこと。その三つ目は『広報』です。

広報班では、同世代の大学生はもちろん、一貫校生、大学受験を控える高校生、OBOGの方々、バスケットボール好きの人を主なターゲットとして、「慶應義塾体育会大学女子バスケットボール部の魅力を伝え、応援されるチームを作る」ことをテーマに活動してきました。私の入部当初はTwitterでのみ活動していましたが、部の魅力を外に発信するには不十分であると考え、広報班を設立。ハクさん(武藤怜/R3卒)に誘っていただいたことがきっかけで広報班に所属し、同期のダイ(森谷日向子/法政4)と3人で広報活動を行って参りました。また、新たにインスタグラムのアカウントも開設し、企画提案からポスターや試合日程告知・結果報告等を掲載しました。

ゼロから新しいことに挑戦するという経験は最初こそ苦戦しましたが、やりがいに溢れており、本当に貴重な経験をすることができたと思っています。画像作りでは、毎回試行錯誤しながらもいい画像が作れた時の高揚感は最高でした。自分の作った画像やバスケ部広報を、チームメイトや、部外の友達、OB・OGの方々に褒めていただけることなどがモチベーションに繋がり、今まで感じたことのない楽しさを感じるようになりました。

「努めて、愉しむ」というスローガンのもと、試行錯誤を重ねながらも広報として大好きなチームをたくさんの方に発信できることは、まさに努めて、愉しめていたと感じます。

2022年度の広報チーム

◉”伝える”と”伝わる”の違い

そして、私がこの4年間で最も意識していたことは、「”伝える”と”伝わる”の違い」です。以前、『”伝える”は一方的な行為のことで、”伝わる”は状態のことである』という言葉を読みました。それ以来、「”伝える”と”伝わる”の違い」を念頭に置き、チーム内でのコミュニケーションを図ってきました。どれ程深く考えた末の発言であっても、自分が伝えたという行為だけで満足していては意味がありません。相手に伝わること自体に意味があり、それでこそコミュニケーションです。”伝わる”ためには、発言に意図と責任を持ち、行動で示すことが大切です。もちろん、自分が発言したこと全てが必ずしも自分自身ができるというわけではありません、しかしやろうとする姿勢を見せることは大切です。自分が伝えること、そしてそれが相手に伝わること、両者が成り立つことにより、初めて相手の気持ちや行動に変化を与えることができるのだと考えています。

大学でも試合でコートに立った時間は数えられるほどしかありません。やはりプレイヤーとして入部した以上、プレーでもっとチームに貢献したかったという思いは今でも残っています。何度もプレイヤーとして挫けそうになりましたが、私の絶対的支えだったのは紛れもなくチームメイトでした。自分の声や発信に存在感と責任感を持って役割を果たすことができた結果、チームメイトに私の言動が”伝わる”ようになり、「ボイスキャプテン」という役割を任せてもらえるようになりました。「声でチームの中での存在意義を確立させる」という目標は達成できたのではないかと思います。

私の声に信頼を置いて任せてくれた同期、あなたたちと一緒に過ごした毎日が本当に一番の宝物です。一生よろしくね。

前を向くことのできる言葉をかけてくださる先輩方、ずっと私のことを見守ってくださり、味方でいてくださってありがとうございました。

まっすぐ私の声に耳を傾けてくれる後輩たち、いつも「ニナさん、ニナさん」って声をかけてくれるみんなが愛おしくて、みんなに会えるだけで部活に行くのが毎日楽しみでした。ずっとみんなの味方だから、自信持って頑張れ!!

本当にたくさんの方からサポートしていただくたびに、恵まれているなと何度も思わされました。チームメイトあってこその私でしたし、4年間だったなと心から思います。

共に時間を過ごしてきた同期

10年のバスケ生活が終わり、先日家族に「よくこんな大変なことをずっと続けたね」と言われました。私はバスケ以外のことは本当に継続力がありません。バイトも、趣味も、習い事も、長続きした試しがないのです。そんな私が人生で唯一続けられたのがバスケでした。苦しかったし、逃げたい時もあったけど、バスケを嫌いになったことは一度もありません。

それは、これまでバスケや部活を言い訳に数えきれないほどのわがままを沢山聞いてくれて、サポートしてくれた家族のおかげです。私の選択ややりたいことに口を出さず全力で応援してくれる家族だったからこそ、10年間やり遂げることができました。人生の中でこんなにも大切なものを見つけられたことは、本当に大きな糧になりました。この場を借りてですが、感謝の言葉を贈りたいと思います。

長くなってしまいましたが、最後に。

大学生活を慶應義塾体育会女子バスケットボール部に捧げることができたことが本当に幸せで、とても濃密な毎日でした。ありきたりですが、この4年間はかけがえのない宝であり、一生の思い出となりました。

今後とも女子バスケ部の応援をよろしくお願いいたします!ありがとうございました。