中島一樹(2016年卒)

今回は2016年卒、現役当時小柄ながらも鍛え抜かれたフィジカルと類稀なるスピードで早慶戦の大舞台でも活躍した《中島一樹》です!
現在は邦楽囃子方として活躍する中島さんに質問をしてみました。

Q1.どういったバスケ部生活を過ごされていましたか?

下級生の時はとにかくがむしゃらに、上級生になってからは「チームのために自分は何ができるのか」を考えて過ごしていました。
僕はSFCに通っていたので、早朝に日吉の体育館でシューティングをして、学校に行って、帰ってきて練習をして、、そういった生活の繰り返しでした。

下級生の頃は、自分が試合に出て活躍してチームに貢献したい!!という一心でとにかく練習をしていました。
しかし、三年生になった頃から、自分というものを考えながらも「このチームに自分は何をもたらせるのだろうか」と考えるようになり、行動が変化していったように思います。
大学三年生のリーグ戦期間の練習では、週ごとに次の対戦チームのセットプレーや選手の特徴を模倣した「コピーチーム」として、スタメンと試合をしていました。
試合に出ずとも、そういったところでチームの勝利に貢献できているという実感が持てましたし、役割を全うすることの重要性を知ることができました。
また、下級生の時にユニフォームがもらえなかったり試合に出られなくて悔しい思いをしてきたことや、膝の手術をして苦しんだ経験を活かして、同じような境遇の下級生に積極的に声を掛けたりご飯を食べに行ったりしていました。

Q2.現在のお仕事を教えてください。

「邦楽囃子(ほうがくはやし)」というものを専門とする「邦楽囃子方(ほうがくはやしかた)」として活動しています。
「邦楽囃子方」とは、歌舞伎や日本舞踊の伴奏音楽の中でも、小鼓や太鼓といった打楽器を演奏する人のことを指します。
現在は、日本舞踊での演奏や、そのものの演奏会、他のジャンル(洋楽や落語、影絵など)とのコラボレーションなど、活動の幅を広げています。

昨年4月には慶應義塾大学でも演奏会を開かせていただき、約150名のお客様にご来場頂きました!

Q3.高校バスケから大学バスケに移り変わるにあたって、大きな変化などはありましたか?

まず生活的な変化としては、親元を離れて一人暮らしになったことで、バスケット以外の面で自分を律して生活をしていかなければならなくなったところです。
バスケットでは、高校までは通用していたプレーが大学では全く通用しなかったり、フィジカルの違いを強く感じました。

Q4.慶應バスケの特徴はなんですか?

「全員バスケ」の精神が根付いているところだと思います。
選手、スタッフの垣根を越えて、試合に出る出ないに関わらず、みんながそれぞれの場でチームのために本気で戦っていました。

Q5.バスケ部での活動が今どのように活きていますか?

大学バスケというよりは、15年間のバスケット人生を終えて感じることは、「何事も最後までやり抜く」という精神が培われたと感じます。

僕は大学卒業後に「音楽を通して自分を表現したい!」と思い、就職をしませんでした。
その時は、現在やっている囃子にはまだ出会っておらず、卒業後はフリーターをしながら様々なオーディションを受けたり、曲を作ったりして過ごしていました。
しばらくしてから囃子に出会い、自分の中で「これだ!」と思いプロを志すことに決めました。半年間の猛稽古で、東京藝術大学に合格し、昨年の6月に「藤舎英心」としてプロの道を歩み始めました。
心が折れそうな時期もありましたが、バスケットで培った精神力が僕を支えてくれていたと感じます。

Q6.自分たちのバスケ部生活を振り返って現役に一言お願いします。

1番伝えたいのは、「仲間との時間を大切にしてほしい」ということです。
引退して、卒業して、最後に残るのは仲間との繋がりです。一つの目標に向かって熱くなれる仲間との時間は本当に何事にも変えがたいものでした。

今このような状況の中で、バスケットがやりたくても出来ない辛い時期を過ごしていると思いますが、前を向いて今自分にできることを精一杯頑張ってください!
僕も新型コロナの影響で、舞台の仕事がほとんど中止になり、活動の場を失っています。
そんな中でも何かしたいという思いから、YouTubeで子供向けのコンテンツを作り、発信しています!

マイナスと思えるこの期間を、何十倍何百倍も自分の人生にとってプラスに変えられるよう、一緒に頑張っていきましょう!!!



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