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ラストブログ 前田琉我
2021年2月12日 18:47| Comment : 0

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私、本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の前田琉我と申します。
ブログの投稿は、今回の卒業ブログで2回目になります。
このブログを書いている現在は、卒論を提出し終え、卒業できるか不安を抱えながら、家の近くを散策したり、10キロ走ってみたり、筋トレに励んだりと、引退ライフを送っております。
今年度の早慶戦はインカレ後に開催だったため、大会期間中は朝4時起きで始発に乗り込み朝練へ、帰りはインカレ準備等でほぼ終電帰り、または学連事務所に泊まりこんで作業をし、再び朝練に行くという怒涛の日々を送っていました。
そんな生活を当たり前のように過ごしていましたが、現在では毎朝8時ごろに起きる生活になってしまいました。
先代の先輩方のように胸にジンジン伝わってくるような内容の濃い文を書けるか不安ですが、自分なりに4年間体育会に所属してきた想いを書こうと思います。
僕、個人のSNSや前回のブログの内容と重なる部分が多々あると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
4年間振り返って
僕にとって体育会バスケ部での4年間は、めちゃくちゃ長かったような、あっという間だったようなよくわからない感じです。
前回のブログでも記述した通り、僕は、選手として入部し、途中でスタッフ(学連派遣)に転向しています。
ほとんど前回ブログで体育会バスケットボールライフを振り返ったので今回は学連での生活を振り返ることにします。
僕の体育会活動の80%は学連であったため、シーズンが始まるとほとんど放課後の練習には参加できずに、渋谷の学連事務所で大会準備の作業に取り組む日々でした。
そのため、後輩たちは僕のキャラがいまいち把握できず、コミュニケーションをとりづらかったのではないでしょうか。
毎年秋に開催されるリーグ戦期間は対戦相手チームの戦術を分析し、対策をすることが練習の中でメインとなっています。
その中で、選手もスタッフも全員が相手の戦術を覚え、チームの勝利のために最大限の努力と最高の結果を出すように努めています。
しかし、僕自身はそれを全く把握することができていませんでした。
僕自身も、秋のリーグ開催まで余裕がある夏は動きを覚えることに努めていました。
しかし、大会が近づくにつれて新しい戦術、新たに追加されていく練習メニューなどは毎回初見のものばかりで、放課後練習に参加できた日はこのチームに自分の居場所はないな…と非常に肩身が狭かったです。
それでも自分自身がチームに何か提供できることはないかを考えて行動してきました。
練習に参加できる時間は朝練のみだったので、選手たちが来る前に体育館に行きモップ掛けをしたり、練習の準備をしたりと、練習のサポートを中心に取り組んでいました。(最上級生として取り組んでいることがものすごく初歩的ですよね…)
その他にも、学連の面でサポートは全力で取り組んでいました。(詳しくは前回のブログを読んでいただければと思います。)
本当にこれでチームにプラスになっているのか?と何度感じたかはわかりません。
同期のスタッフの木村はアナリストとして相手チームの戦術を選手たちに伝え、マネージャーの杉田も選手たちのテーピング、練習中の審判、事務作業など多くの仕事をこなし、周りからも信頼が厚く、まさに『最上級生』という姿でした。
チームや選手たちへの貢献度の大きさを比べると月とスッポンです。
現役最後の年で新型コロナウイルスの影響で大会が中止になり、練習が再開されたのも夏からで時間が刻一刻と過ぎていく中、諦めずチームをサポートしてきた二人には感謝です。
もちろん、一番大会ができずに苦しむ選手たちも、熱意を切らさずに最後まで駆け抜けたのはすごいことだと思います。
僕にとってチームのみんなのおかげで、大会準備をしている中でも、毎日頑張ろうと思うことができました。
学連での生活
学連では財務部に所属し4年間活動をしていました。
4年生のときには、三役(全日本学連の学生副委員長)を務め、インカレの大会開催に向けて準備・運営を行っていました。
「三役」??という方もいると思うので、「三役」について少しだけ説明いたします。
簡単に言うと日本全国の大学バスケットボール部が所属している連盟が主催する大会(インカレ、日韓定期戦の李相佰盃など)を中心となって取りまとめる学生役員の3トップです。
文章だけだとめちゃくちゃ重役じゃない?!と僕自身も感じますが、そこまで、日本全国の大学バスケ部を牛耳ってあれだこれだ!とやっていたわけではありません。
学連に所属しながらの生活は、ほぼ休みなしの状態で、チームの方がオフであっても、学連の方で大会の方針を決める理事会が行われたり、大会の準備を部署ごとに集合し、準備を行なったりしなければならない日もありました。
Instagramのストーリーで楽しそうに映る同期の飲み会やご飯にも参加することができず、何度もチームに戻りたいと思いました。
それでもめげずに4年間取り組んでこられたのは、慶應の学連の先輩方と同期のおかげだと思っています。学連に転向して間もないときには、山本さんや服部さん(共に2018年卒)から励まされたり、ご飯に連れて行ってもらったり、自身も頑張ろうと思えました。
学連業務を学んでいくうえで、お二方の偉大さはものすごかったです。
観客や協賛企業とのお付き合いする上での人としての振る舞いから、お酒や食事の場での振る舞いまで多くのことを学ばせていただきました。
また、片桐さん(2020年卒)は、僕にとって兄貴のような存在です。
同じ財務部に所属していたこともあり、ほとんど学連での生活では苦楽を共に過ごしました。
僕が1、2年生の時はたくさん面倒を見てくださり、財務部での仕事を手取り足取り教えてくださいました。
直属の先輩である財務部の山本さんから説教を受けているときも一緒でした。(本当にあの時の山本さんはめちゃくちゃ怖くて、普段名前呼ばれただけでも背筋が凍り付きましたね。)
チームに戻りたいと不安定であった時期でも傍にいてくださり、本当に感謝しております。
また、時たま放課後練習に参加できたときに温かく迎え入れてくれた同期にも感謝しています。
学連には様々な大学から派遣される人たちで構成されています。
彼らは僕とは全く異なる背景で、各大学から学連に派遣されていることを、学連に入って知りました。
僕の場合は、学連業務がない日は部活に参加し、チームをサポートしています。
これが「チームの一員」として当然のことだと、学連に入たばかりのころは思っていました。
しかし、ほとんどの大学は、チームには一応在籍しているけど、練習に参加したことがなかったり、練習参加禁止というような規制でチームに顔を出したことがないというような人たちばかりです。
そんな中で、僕は自チームが大会会場に来た時には同期が「おつかれ!」と言ってくれたり、差し入れをくれたりと、チームメイトは会うたびに自身の心の支えになっていました。
また、生でチームの試合を観れた時には、同期が出場し活躍する姿、ベンチで声を張り上げる姿を見て心が熱くなりました。
本当に同期に恵まれたなと思います。

記念館に行けば、特に気を遣うこともなく自然と迎え入れてくれた彼らには感謝しかありません。
4年間の中で、個人的には特に最後の年が一番辛かったです。
それは、新型コロナウイルスの影響で試合が次々と中止になったこともありますが、それに加え、学連の三役として、この社会情勢の中でインカレの大会が開催できるのかが非常に不安だったことが大きな要因です。
例年通りであれば、協賛企業や報道関係者とのやり取りは4月ごろから取り掛かります。
しかし今年は10月ごろまで協賛が下りなかったり、11月まで有観客なのか、無観客なのかが決まらなかったりと、例年通りの運営方法とは全く異なる、ゼロから自分たちで運営を組み立てていく体制となりました。
会場内でのチーム関係者と報道関係者が接触しないような導線経路の策定から、審判関係者・チーム関係者・協賛企業の方の席の配置など、めちゃくちゃ細かいところまで確認する必要がありました。
そのために何度も公共の体育館の打ち合わせに行き、時には理事の方々と協力をして、大会開催中まで試行錯誤を繰り返し、選手たちが安全に試合を行えるように取り組み続けました。
本当に理事の方々のご協力のおかげで、何とか大会を無事開催することができました。
その他にも、会場に来ることができない観客の方たちへSNSを利用して大会出場チームのブログを作成してもらったり、Instagramの公式アカウントを開設したり、新たな取り組みも行いました。

インカレ期間中の1週間の合計睡眠時間は20時間くらいでした。
そんなキツイ期間でしたが、自分たちで大学バスケの最高峰の大会をゼロから作り上げる充実感と、無事に大会を最後までやり遂げることができた達成感は言葉で表せないほど素晴らしかったです。
この4年間で、ものすごく貴重な経験をすることができました。(インカレが終わった次の日の朝練は寝坊してしまいました…)

最後に
長々とした文章を書いてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
前回のブログで選手からスタッフへの転向した動機や振り返りをほとんど書いてしまったので、今回は学連での生活面での振り返りがメインとなってしまいました。
この4年間でOBの方々、両親、先輩方、学連関係者の方々に大変お世話になりました。
最近では僕のようなスタッフでもブログを書く機会を与ええてくださり、フォーカスされやすい選手と比べて、黒子であるスタッフが大学スポーツのすばらしさを発信できるようになりました。
CS Park for Studentの清野咲歩さんの記事やインカレブログの東海大半杭くんのブログを読んでみてください。
半杭君のブログに関しては、作成時に添削等で協力させていただき、拝読した際に僕自身が感動しました。
最近では「学連に入りたいです。」という下級生も増えましたし、今後、大学スポーツがさらに発展できるいい機会だなと思います。
これから、体育会の道を切り開こうとしている人たちへ。
僕が体育会生活4年間通して感じたことは、一人ひとり役割がそれぞれ異なり、自分自身が一番「これならだれにも負けない!」、「これなら熱中して頑張れそうだ!」というものを見つけてひたすら追求することがチームへのプラスになるこ鍵になってくるのではないかなと思います。
必ずしも、「選手が花形でかっこいいから、自分も選手で!」というわけではありません。
やはり、向き不向きや体格差、経験値の差など大学のレベルまでになると一人ひとりの背景や置かれていた環境は全く異なるので、同じチームに所属していてもバスケットボール選手としての完成度、そして人間的な特徴は全く違います。
その中で自分が秀でているものを見つけることで、自然とチームに貢献するために自分は何をすべきなのかが見えてきますし、それがどんなポジションになっても自分の役割を全うすることで体育会生活は面白くなってくると思います。
先輩方を見ていても、全部できるオールラウンダーより、とにかくルーズボールだけは絶対に負けない人、バスケの試合が好きすぎて3度の飯より試合だ!という人、やたらトレーニングに詳しく、食事の知識も豊富に持っている人など、ニッチな分野でも秀でている人の方がチームへの貢献度はめちゃくちゃ大きかったと思います。
学連がかっこよかったかどうかは、わかりません。選手のようにファンが駆けつけて、プレゼントを渡されたり、写真やサインを求められたりするわけでもないですし、黄色い声援が飛び交うこともありません(笑)
しかし、最大限の努力と最高の結果を追い求める姿勢を忘れずに取り組めば、誰も軽蔑することはないと思いますし、自信につながると思います。
学連の宣伝みたいになってしまいましたが、やはり大学スポーツは選手だけじゃなく、スタッフも非常にやりがいはあると思います。
これから入部を考えている方も、何かスポーツで熱中したいと思ったら、選んでみるのもいいかもしれません。
・千葉ジェッツでご活躍されている学連の先輩、清野咲歩さんの記事:https://studens.cs-park.jp/topics/78
・東海大半杭君のブログ:https://jubf.jp/column/detail/id/37
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
ブログリレー 前田琉我
2020年2月22日 8:00| Comment : 0
敬天愛人

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
本年度慶應義塾大学経済学部3年ならびに体育会バスケットボール部所属の前田琉我と申します。よろしくお願い致します。
現在、関東大学バスケットボール連盟/全日本大学バスケットボール連盟の学連役員として、日々の大会運営や企画に取り組んでおります。
本ブログ執筆にあたって、自らの慶應バスケットボールライフを振り返ってみると、僕は選手とスタッフの両面でチームに携わっていました。
その中での想いや、やりがいについて皆さんにお伝えできればと思います。
拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
選手時代
大学バスケ部には高校や早慶戦で素晴らしい活躍をした先輩たちと同じチームでバスケができる嬉しさを胸に入部しました。しかしそれと同時に、大学バスケ部の何もかもに圧倒され、ここで自分は4年間やっていけるのかという不安も抱えていました。
月刊バスケットボールやJスポーツでしか見たことがない強豪校出身の選手たちが同じチームにいること、スカウティングや選手の体調管理、練習メニューの作成など、すべて学生スタッフが中心となって取り組んでいること。大学バスケは高校と比べて、技術やフィジカル、メンタル、すべてにおいて別次元の世界だと思いました。
現在のチーム状況とは全く異なり、1年生で全国経験無し、並外れた身体能力もない私は、練習初めのランニングとウォームアップをやって、コートサイドで練習を見て、最後のトレーニングに参加する、シュートは主力陣が練習終わった残りの時間にやっと端っこで打てるだけの毎日が続きました。
今の一年生たちが対人練習に参加し、ユニフォームをもらってベンチに座れているところを見ると羨ましい気持ちがあったり、「あと1、2年遅く生まれていたら…」と少し悔しい気持ちがあったりします。そしてずっと選手で続けていればどうだっただろうと思うこともあります。
そんなウォームアップとトレーニングだけの選手生活を半年間続けていました。
現在も選手として頑張っている同期の藤井や津野地、山本も同じような状況でしたが、彼らは試合に出るために自分は何に貢献できるかというのをひたすら考えて、幾度となく壁にぶち当たっては乗り越え今も頑張っています。
そこで自分は考えなかったのか?
壁を乗り越えられなかったのか?
と思うかもしれませんが、もちろん私も選手としてチームに貢献できること、何を武器とするかを死ぬほど考え、練習動画を見たり、同期でミーティングをしたり、上級生に悩みを相談したりし、チームに足りないものは何で、自分は足りない部分を補いチームに貢献していくんだ!と思い、限られた時間内で試行錯誤を繰り返していました。
しかし、努力が実を結ぶかどうか、いつ結果が出るのかわからないです。
もしかしたら結果は出ないかもしれないと思いながらも諦めず取り組んでいました。
何が正解なのかわからないまま、初の夏合宿が訪れました。
先輩から噂などで、合宿の厳しさ等は聞いて覚悟はしていましたが、想像を絶するほどの肉体的負荷が大きいことと、精神面でもチームへの存在意義を常に問われ、追い込まれるカオスな状況でした。
今まで3回夏合宿を経験していますが、僕の中では1年生の夏合宿が一番辛かったと思います。(当時は選手だったからかもしれません。汗)
当時、入部して4か月くらいしかたっていない中で、合宿中に主将がチームを去る状況を目の当たりにしたり、僕よりも上手な先輩が選手からスタッフに転向したり、チームの中心である選手でもチームに貢献していなければ余儀なく組織から外されたり、中途半端な存在はチームのポストに存在しないことを痛感しました。
ここでさらに自分の存在意義を考えるようになり、行動に移さなければならないと日々何かに迫られるような感覚でした。合宿後でもこのまま選手で続けていいのか、部をやめたほうがいいのではないかと悩み、食事も取れず眠れない日もありました。
そんな中、ある練習日、私はいつも通りコートサイドで練習を見ながら1年生の仕事(選手の水入れ、雑巾がけなど)をしていました。
練習間の休憩時に主力の先輩へボトルを渡した時に「ありがとう」と言われたことがありました。それ以外にもスカウティングをして、自分なりに分析したデータを先輩に伝えた際に、感謝されることがありました。
ただ、「ありがとう」と言われただけですが、自分で何かをして他人に感謝されたのことが、彼らのためになっているのではないかと感じました。その時、チームに必要な存在を考え、自分が夜遅くまでシューティングをしているより、スタッフとして選手をサポートする方が貢献できるのではないかと考えました。
スタッフ・学連時代
そうして、スタッフとして、学連に所属してチームに貢献することを決意しました。
そこで何故、部内スタッフではなく、部外の学連派遣になったのかは、いくつか理由があります。
まず一つ目に、夏合宿で学連派遣の片桐さん(2020卒・経済)に声をかけてもっらったことです。
片桐さんも、選手からスタッフに転向し、同じような経験をしたことから、色々相談に乗ってくださいました。
また、大会運営の体験をする機会があり、それまで見たことがなかった大会を開催する側に立ちました。
選手たちが当たり前のように試合ができるのも裏方の存在である、学連の地道な努力があってこそと強く感じることが出来ました。
二つ目は、当時の部内スタッフの下級生の役職が曖昧であったこと。
当時は、スタッフも多かったため、上級生は、主務や学生コーチ、学生トレーナーなど役職が定まっている一方、下級生は定まらない、浮いた状態でした。
そのため、何で貢献しているのか分からず悩んでいる方が多かったです。
フワフワした状態でチームにはいたくないという思いからも学連に入ることを決めました。
学連に入って大会運営をするにあたり、選手だけに関わるのでなく、OBや企業とのやり取り、人としてのふるまい方など、部活と違い多くの人と関わる機会が多くなりました。
片桐さんや山本さん(2018卒・法律)、服部さん(2018卒・経済)には、人としての振舞い方など多くのことを学べました。
また、学連での会議等で新ルールへの変更や大会の情報を聞き、いち早く部に話すことで、選手や学生スタッフの方たちが円滑に練習や会場移動などができるようになった時、彼らから大会やルール等で聞かれた時は、チームに求められる存在であると実感し、非常にやりがいを感じています。
部が求めてくれた分だけ、さらに自分は部に付加価値を与えて強くしたい!と思うようになり、選手のように直接勝利には貢献できなくても、選手たちが勝利に少しでも近づけるようなサポートをし、それが実を結んだときはとても嬉しいです。
学連の活動は、別に誰かに注目されているわけでもなく、地味で時間のかかることが多いです。
インカレでは大会を開催するために、1年以上前から、体育館の確保をするために打ち合わせに行き、協賛企業とのやり取り、1日に何百万という売り上げの精算などを行っています。
観客の方に少しでも大学バスケに興味を持ってもらいたい、選手がさらに活躍できる舞台を提供したい、そういう思いから、お客さんや選手たちの要望などを聞き学連役員だけでなく、企業やOBの方々と相談し、新たな企画に挑戦しています。
そんな地味な取り組みでも、インカレ決勝で選手や観客の方々が歓喜し、涙を流すところを見ると、自分たちが裏で支えてきたことが意味あるものであったと感動が沸き上がり、非常にやりがいを感じています。
スタッフに転向し、裏方がいるからこそ選手たちが試合に集中でき活躍できることを実感するとともに、地味な仕事でも責任を持って取り組む重大さを学びました。
学連に少しでも興味を持った方がいたら、下記の学連事務所宛のメールアドレス、電話番号にご連絡ください。
mail:team.kcbbf@gmail.com

最後に
長々とまとまりのない文章となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
体育会バスケットボール部は、みんなが主役だと思っています。誰しもが必要な存在であって、そうでなければチームから必要とされません。
自分ならチームにどういったプラスの影響を与えられるかを常日頃考え、行動し続けることにチームにいる意味があるのだと思います。
本気で取り組むからこそ、それなりの苦労や苦しみがあります。
しかし、喜びや感動も言葉では表せないほど素晴らしいものです。
私は、体育会バスケットボール部に入部し、多くの貴重な経験をしました。
来年度は3部リーグとなってしまい、私は1、2部での運営が殆どでチームと会う機会が少なくなり寂しくなりそうですが、それでもチームや同期が少しでも前を向けるようにスタッフとして全力でサポートしていきたいです。
体育会バスケットボール部を辞めないで選手からスタッフに転向できたのは、選手の時にサポートしてくれたスタッフの方々、先輩、同期、後輩、応援してくれる保護者、OB・OG、観客の方々のおかげだと思います。これからも人の繋がり、縦・横・斜めのつながりを大切にしていきたいと思っています。
今後とも応援何卒よろしくお願い致します。
