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ラストブログ 泉友樹雄
2019年11月30日 19:00| Comment : 1
チームに必要な存在とは

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私、本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の泉友樹雄と申します。
早いもので引退から約1ヶ月がすぎました。
小学校3年生から14年間続けたバスケ中心の生活が終わり、味気のない非常につまらない時間を過ごしています。
私は前回のブログリレーで大学4年間を振り返ったものを書かせていただきました。
私の4年間のほとんどを書いてしまったため、正直ネタ切れです。
非常に困っています。
ですので思ったことをそのまま書かせていただきます。
どうかお付き合いください。
慶應バスケとの出会い
私は高校を選ぶ際に、勉強もバスケもレベルの高いところに身をおきたいと思っていました。
兄の公式戦を応援しに行った時、慶應志木のバスケを見てレベルが高く、この人とバスケがしたいと思える人に出会いました。
また、中学時代から憧れていた一つ上の先輩も慶應志木にいるということで、それから慶應志木でバスケがしたいという熱が湧き上がりました。
慶應志木は勉強のレベルが非常に高く、自分は全く合格のレベルに達していませんでした。しかし、慶應志木でバスケがしたいという単純な思いだけで必死に勉強し続けました。
努力が実りなんとか一般入試で合格することができ、バスケットボール部に入部しました。
入学後1年生ながら練習試合などにも出させていただき、入学して最初の大会でユニフォームをいただいた時は非常に嬉しかったです。
ただそれ以上に加藤さん(2018年卒)に言われた「宇野(2019 年卒)がベンチに入っていないことをよく考えろ」という言葉がとても印象的でした。
当時の私は自分の方が上手いから当たり前だろ、と今考えるととても恥ずかしい事を思っていました。
チームの中で
「試合に出れない選手が必死にボールを追いかけているのに、試合に出る選手がボールを追いかけないわけにはいかない。試合に出る選手にはその責任がある。」
という考え方がバスケ部には浸透していました。
それを1番に体現していたのが宇野さんだったのです。
宇野さんのブログにもあるように
“上手い人より、1秒でも早く動く、1秒、1cmきついことをする、そう考えてがむしゃらに動きました。シュートで敵わなかったら、技術より気持ちが大事なリバウンドやルーズボールに徹しよう。そう考えてがむしゃらにコートを走り、飛び込みまくりした。努力は裏切らないと言いますが、考えない努力には裏切られます。”
こういう考え方を宇野さんだけでなく先輩方全員が持っていて、試合に出ているメンバーにプレッシャーと危機感を持たせようと必死に練習に取り組んでいました。
しかし入部して間もない私はチームについていくのに必死で自分以外に目を向けられず、ただがむしゃらにバスケをしていました。
余裕ができて周りに視野を広くしてみると、試合に出れない先輩方が必死に努力していて、練習中でもがむしゃらにボールを追いかける姿を目にしました。
この時、加藤さんのあの言葉の意味と重みを理解しました。
試合に出れていることのありがたさ、責任感を感じ、チームを代表して出ている以上、何事にも全力で、自分のためでなく先輩方のために頑張ろうと思うようになりました。
バスケの面白さとチームスポーツの良さを感じた高校バスケだったと思います。
例え自分が試合に出られずとも、何かしらの形でチームに貢献するという考え方は高校時代に教えていただいたものです。
私のバスケットボールの原点はここにあります。

大学バスケ
大学でバスケ部に入部した直後、私は衝撃を受けました。
試合に出ているメンバー、高校時代に全国大会に出場した先輩方、全国優勝を経験している人たちが誰よりも努力していました。
いままで私がしてきたものを「努力」と言うのが恥ずかしいほど
自分を追い込みただひたすらにバスケに打ち込んでいました。
こういう人たちに囲まれていたからこそ私は、例え試合に出れなくともチームのために尽くし、何かしらの形でチームに貢献しようと考え流ことができました。
スタッフでいる時も、怪我をしていてプレーができない時も、Bチームにいる時も
その時その時で自分にできる事を探し最大限に努力してきました。
そんな日々を過ごしていたある日、こんな言葉に出会いました。
「goodはgreatの敵である」
良好、良い状態であることに満足していたら決して偉大にはなれない。
この言葉を先輩から教えていただいた時にとても深い言葉だと感じました。
私はチームに貢献することで満足していました。
怪我をしていた時期には、スカウティング班としてできることを探しました。
もちろんそのときに自分ができることを、最大限の力を尽くしてきました。
そうすることでチームに貢献できていたと私は思っていたのです。
私はそこで満足していた。
ある時自分が目指すところはそこで良いのかと考えるようになりました。
おこがましいことではあるかもしれないが、「チームに貢献している」でなく
チームに必要な存在になりたいと。
それからまた自分がチームにもたらすことができるのは何か。
自分にしかできないことは何か。
必死に考え模索し続けました。
同期は、特に自分以外のプレーヤーの3人はチームに欠かせない存在となっていました。
だからこそ3年生のシーズンは個人的にとても苦しかったのかもしれません。
自分も同じようにチームに欠かせない存在となりたいと。
これは最後のリーグ戦中もずっと考えていました。
しかしこの気持ちが空回りしていた気がします。
純(4年・総合政策)、淳貴(4年・環境情報)、工藤(4年・法学政治)は4年生になる前から試合に出て経験を積み、
チームに欠かせない存在としてプレーしていました。
その3人にどこか置いていかれたような感覚を持っていました。
リーグ戦中も試合に出させていただいていましたが
正直自分は出ない方がいいんじゃないか、
あんなにも試合に出たい、純、淳貴、工藤と肩を並べたいと思っていたのに
試合に出ることが怖いと思ったこともありました。
チームとしても結果が出ず、降格がかかった試合で初めてスターティングメンバーとして試合に出せせていただきました。
4年生としての意地を見せるどころか、やはり気持ちが空回りして何もできないまま試合が終わったのを覚えています。
苦しんだ末の
そしてリーグ最終戦。
自分だけでなく4年生のほとんどがバスケ人生で最後の試合になるかもしれない。
絶対に勝ちたいと思っていました。
この試合もスターティングメンバーとして出させていただき、3Qまでお互いに譲らない試合展開でした。
4Q残り5分で10点離れた時は正直負けたと思いました。
自分がスタートとして出させてもらった試合で一つも結果を残せず終わってしまうと思っていました。
4年生として自分は最後まで何も残すことができないのかと。
しかしそこから4年生の意地で逆転しさらに点差が離れていく。
試合中は涙を堪えるのに必死でした。
最後まで自分がチームに欠かせない存在になれたかは分からない。
ただこの時は正直どうでも良くて、
憧れ続けたユニフォーム。
いつもベンチから応援することしかできず、いつか一緒にコートに立って戦いたいという想い。
そうした想いが叶い、試合に勝つことができる。
あの時の時間、一分一秒が本当に楽しくて、こんなにも終わって欲しくないと思った試合は初めてでした。
本当に同期のプレーヤーと肩を並べコートに立った時は、胸にこみ上げてくるものがありました。
意外と他の3人は特に気にしなかったですとあっさりしていましたが(笑)
同期のみんなへ
本当に同期には感謝してもしきれません。
正直、私が1番同期の中で迷惑をかけたと思っています。
自分は大学4年間、本当に苦しかったです。
その苦しさを周りにぶつけ迷惑をかけたかもしれない。
でもそれを正面から受け入れてくれた同期がいたからこそ今の自分がいると思っています。
特に工藤はぼくにとってとても大きな存在でした。
同じ内部校出身の選手としてお互いに切磋琢磨してきました。
試合後に体育館に行き2人でシューティングしたり、一緒にウエイトトレーニングをしたり、本当にお互いが良い影響を与えていたのではないかと思います。
入部したときに2人で「自分が試合に出れるとは思っていない。もちろん選手として努力するし、例えスタッフになったとしてもチームに尽くして頑張る。自分に才能がないのはわかっている。だから人一倍努力しなければいけない。必死に食らいついていこう。」と話していたのを覚えています。
私は3年時、チームの勝利を素直に喜ぶことができなかったし、応援もできていなかったかもしれません。
でも、Bチームとして練習してきたからこそ辛さや葛藤を理解しているし、工藤のこうした思いや人並外れた努力をそばで見てきたから、工藤の活躍を喜ぶことができました。
そして何よりも自分のことを1番認めてくれている気がしていました。
お前はもっとできるだろうと信用してくれていて、それが1番嬉しかったし、自分の活力の一つになったのは間違いありません。
工藤がいなかったら私はここまで体育会で頑張ることができなかったと思います。

終わりに
私の14年間のバスケ人生に関わってくれたすべての人に感謝したいと思います。
特に大学4年間でお世話になった方々には感謝してもしきれません。
当たり前のことですが、人は1人では生きていけないんだと。
それをバスケを通して強く実感しました。
辛いこと、苦しいこと沢山ありました。
練習だって死ぬほど苦しかったし何度も投げ出したくなりました。
それでも支えてくれる仲間がいたから乗り越えられたし、成長することができました。
楽しいこと、嬉しいことも沢山ありました。
それは決して1人では味わうことのなかった経験です。
そして、それを共有できたからこそ真に喜びを感じられたのではないかと思います。
こんなにも人を成長させ、多くの人に感動を与え、すばらしい仲間に出会わせてくれた
バスケって最高のスポーツだなと感じました。
慶應バスケに出会い、バスケを通して学んだこと、経験したこと、
尊敬する先輩に出会えたこと、誇りを持てる後輩に出会えたこと
そして最高の同期に出会えたこと。
これら全てが私の一生の財産です。
次回は片桐俊哉(4年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 泉友樹雄
2019年7月14日 19:00| Comment : 0
耐雪梅花麗

はじめに
本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の泉友樹雄と申します。
今回、このブログリレーを担当するにあたり、自分の大学バスケ人生を振り返ってみました。
個人的なことではありますが、その想いを書かせていただきます。
拙い文章で恐縮ですが、少しでも読んでいただけると嬉しいです。
苦しまずして栄光なし。
さてタイトルにもある言葉「耐雪梅花麗」という言葉を知っていますか。
西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節で、「雪に耐えて梅花麗し」と読みます。
この言葉は、メジャーリーグでも活躍された元広島東洋カープの黒田博樹選手がこの言葉を座右の銘にしているということで知りました。
「梅の花は、寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば一番麗しく咲く」という意味です。
今、私の大学でのバスケ生活を振り返ると「耐える」期間が本当に長いものでした。
私は大学バスケ部の中で異質な経歴を持っています。
スタッフとして入部。そして選手へと転向しました。
入部するにあたり、バスケを続けたいと思っていたものの、実家から大学までが遠く、生活が非常に苦しいと分かっていました。
朝4時に起床、6時半から朝練、その後講義を受けて18時半から練習。帰宅するのは日付が変わった頃。1時に就寝。そして4時起床、、
この生活では選手として活動するのは厳しいだろうと思い、スタッフとして入部しました。
スタッフとしてバスケ部の一員になり、チームに貢献しようと毎日必死に考え行動してきました。
しかしスタッフとして過ごしたシーズンの中で、やはり選手としてやってみたいという想いを捨てきれませんでした。
大学バスケのレベルの高さ、そしてスポーツ推薦のない慶應バスケ部が毎日必死に努力し他の大学に挑む姿。
そういったものを身近に体感し、私は簡単にバスケを続けることを諦めてしまったことに後悔しました。
一人暮らしに反対だった両親を説得し、大学の近くで一人暮らしを始め選手へと転向しました。
選手に転向したものの、1年目は試合どころか練習メニューにも参加できずにいました。
それでも、試合に出れなくともチームに貢献するために、いずれ試合に出れるようにと必死に努力してきました。
2年目、少しずつ練習に参加できる様になり、今まで以上にやる気に満ち溢れていました。
しかしある日、練習中に怪我をしてしまい、1ヶ月の松葉杖生活を余儀なくされます。
ここからの私の大学バスケ生活は多くのことに悩み、非常に苦しく辛いものでした。
私はこの怪我を含めて3度、松葉杖をつく程の大きな怪我をし、リハビリの期間も含めて約1年間まともにプレーすることはできませんでした。
怪我によって2年生の時の新人戦、リーグ戦、3年生の時の六大学、電鉄杯、トーナメント
全ての試合に出ることができませんでした。
慶應大学では、新人戦や六大学の試合は全ての人にチャンスが与えられます。
つまり、私にとっての自分の力を試す場、経験を積む場を失いました。
その中で同期や後輩が試合に出場しチームに貢献していました。
私としては非常に複雑な想いです。
嬉しさもありつつ、悔しさと焦りを感じていました。
そして3年秋シーズンは1番悩み、苦しんだシーズンでした。
怪我の影響はなかったのですが、秋のリーグ戦も試合に出れる機会はありませんでした。
同期のプレーヤーは試合に出場し、プレーでチームに貢献している。
同期のスタッフもそれぞれの役割の中で最大限の力を発揮している。
私以外の同期が上級生として自覚、責任感を持ちチームに貢献している。
同期だけでなく後輩もそれぞれ役割を見つけチームに価値を与え続けている。
自分は何をしているのか。
チームに貢献できているのか。
チームの雰囲気、状態が良いのと比例して私の焦り、不安、苦悩は大きくなるばかりでした。
先輩方は「試合に出るチャンスあるぞ」と声をかけてくれます。
しかし、もし今の自分が試合に出て何ができるだろうかと考えてしまいます。
試合に出ても何も出来ない。足を引っ張るだけ。
そう思っていました。これは自分が1番よく分かっています。
試合を重ねる度、そして勝ち星を重ねる度に自分の無力さを突きつけられました。
私はここで一度心が折れてしまいました。
自分の存在意義とは。
自分のプレーが大学バスケで通用するのか。
最上級生となった時にチームに悪影響を与えてしまうのではないか。
もしだめだったら…
そんな想いが積み重なりバスケ部をやめることを考えました。
そしてこの想いを同期にぶつけました。
なによりチームや同期に迷惑をかけたくないと。
同期は見捨てることなく、自分はチームに絶対に必要な存在だと言ってくれました。
「今まで努力してきたのは知ってる。一緒にコートに立ってプレーしたい。」
この言葉に私は大きく勇気付けられました。
そして同期の期待に応えたいと強く思うようになりました。
今までの不安や悩みを一回全部忘れ、チームのためにできることを全うしよう。
もう一度原点に戻りました。
そこからは今までにない、非常に充実した日々を過ごしました。
どんな時も自分にできることを全力で。泥臭く、粘り強く。

そして早慶戦。
今年の早慶戦は絶対に勝たなければいけないと思っていました。
私たち4年生は1年生の時に早慶戦優勝という大きな喜びを味わいました。
あの時の喜び、興奮、感動をもう一度。
そして後輩たちにも感じ取って欲しい。
そう思っていました。
もし今年の早慶戦に負けてしまうと、早慶戦の勝ちを知らない代ができてしまう。
あの喜びを知っているのと知らないとでは早慶戦に向けてのモチベーションに大きく影響してしまうのではないかと、考えていました。
だからこそ今年は絶対に勝ちたい。
なんてことを勝手に思いながら、最高の仲間たちと早慶戦に臨みました。
まさか自分があの舞台に立てるとは入部当初は思ってもいませんでした。
ましてや山﨑と交代であんな重要な場面で出場するなんて。
あの最高の舞台でシュートを決め、会場中が大きく盛り上がった時、バスケを続けてきてよかったなと思いました。
(2本ともまぐれじゃないです。ちゃんと狙って決めました。笑)
長く耐え抜いてきたものが、ようやく花咲いたと思いました。
あの最高の舞台に立つことができ、勝利を収めることができたこと。
少しでもこの勝利に貢献できたこと。
そして何より、今までお世話になったり、多くのことを気にかけてくれた両親や先輩方。面倒や苦労をかけてしまったが見捨てずにいてくれた同期に恩返しができたこと。
これが本当に嬉しかったです。

まだまだ終わりではありません。
既に秋のリーグ戦に向けてチームとして始動しています。
自分もこれで満足はしていません。
チームとしても個人としても、もう一度満開の花を咲かせるために
チーム一丸となり頑張りたいと思います。
ぜひ応援よろしくお願いします。
次回は高橋佑輔(1年生)です!乞うご期待ください!