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ラストブログ 甲谷勇平
2021年3月11日 16:28| Comment : 0

はじめに
2020年度チームの主将を務めました甲谷勇平です。今シーズンは、新型コロナウイルスの影響により活動が制限されてしまい、たくさんの苦労をしました。そんな状況下でも、いつでも力になってやると心強い言葉をかけてくださったOB・OGの方々、オータムカップや早慶戦を運営してくださった関係者の皆様をはじめ、慶應バスケ部に関わる全ての人に心より感謝致します。本当に有難う御座いました。何度も心が折れそうになったシーズンでしたが、皆様の支えがあり、なんとかやり遂げることができました。
今回、卒業ブログということで、僕の4年間を振り返りたいのですが、一つひとつを振り返ろうとすると、とてもこのブログに書き切ることができないため、今回は僕が4年間向き合い続けてきた「慶應バスケ部が存在する意味」について書きたいと思います。1年だけ主将を務めた分際で何を生意気な、と思われる方もいるかもしれません。ですが、僕にとって慶應バスケ部は自分を変えてくれた、生涯恩返しし続けたいチームです。僕はたくさんの学びを慶應バスケ部から得ました。そのため、慶應バスケ部が在る意味というのをここに自分の言葉で残しておくことが、僕にとってのひとつの恩返しであると思い、卒業ブログとしてまとめました。ですので、本ブログでは僕の4年間を「慶應バスケ部が存在する意味」という切り口で振り返っていきたいと思います。
「慶應バスケ部」に触れた瞬間
1年目はとにかく慣れることに精一杯でした。朝練をして、急いで着替えて電車に駆け込み、授業を受け、急いで体育館に行き、夜遅くまで練習して。怒涛の1年間を過ごしました。リーグ戦期間にもなると、毎週土日に試合があり…。精神的にも大変きつかった1年目だったと記憶しています。
そして次の年、チーム哲学を軸にしたチームづくりが為されました。その時に初めて僕は「慶應バスケ部」に触れました。確かに1年目も「慶應バスケ部」に関する理念や哲学といった話は聞きましたが、そのような情報が頭に入る余裕はありませんでした。すみません。2年目は授業や部活動にも慣れ、少しずつ余裕が出てきていました。その時に、チーム哲学というものを改めて聞きました。僕が最初に「慶應バスケ部」に触れた瞬間でした。チーム哲学の話を聞いた感想としては、「わからん…」でした。これは、諦めとか理解できないということではありません。ただ、「慶應バスケ部」という組織の目的や哲学があまりにも当時の自分とかけ離れていて、その差に愕然としました。一番難しかったのは、自分がチーム哲学を体現していると思っていても、他者からは体現できていないと言われるというような認識のズレがたくさん生じたことです。まさに「何が正解かがわからない」という状態で、自分が正しいと思っていても先輩から怒られる日々でした。2年目は「正解がわからない。もしかしたら、正解がないかもしれない」チーム哲学について同期でたくさん頭を悩ませました。

一人一人が本気でチームと向き合うからこそ、先輩後輩関係なく深い繋がりができるのだと思います。
そんなこんなで2年目と3年目もあっという間に過ぎ去ってしまいました。今振り返ると、この2、3年目は楽しさよりも苦しさの方が多かったように思います。チーム哲学に関する苦悩もありましたし、自分自身の怪我もありました。そうした小さな悩みが積み重なって自分本来のプレーもわからなくなっていました。そんな中で先輩やコーチからは「もっと同期やお前たちの代になった時のことも考えろ」と言われ、「自分がやらなきゃ」という責任感に反して、満足にプレーできていない自分がいて、「本当に自分で大丈夫なのかな」と焦りも感じていました。そんな苦しいとき、いつもそばにいたのは同期でした。時には強く同期に当たってしまった時もありました。むしろ強く当たった回数の方が多いです。そんな自分勝手な僕を同期はいつも受け止めてくれ、時には怒ってくれ、時には一緒に悩んでくれました。

2020年度の「慶應バスケ部」
ここで、慶應バスケ部の2020年度を振り返りたいと思います。振り返りたいというか、振り返らなければならないと思います。理由は、2020年度は新型コロナウイルスの影響により、誰も経験したことのない年になったからです。そこで、2020年度の僕と「慶應バスケ部」をここに記します。
2020年度のチームは2019年度のチームが終了した3日後には新チームでの練習を開始しました。他チームと比べてレベルが圧倒的に低く、そもそも試合ができるようなチーム状態ではありませんでした。ですので、例年よりも早く練習を始めるのは必然的なことでした。そして、地獄のような練習が始まりました。毎日体の中にあるエネルギーを全て使い尽くし、体育館を出る頃には体力も精神もカラカラの状態で帰宅していました。平日毎日6:30からの朝練はもちろん、週6日のウエイトトレーニング、そして午後の自主練習。まさにバスケ漬けの日々でした。そして、新入生も迎えてさらにギアを上げていこうとした時、コロナはやってきました。
「明日からバスケ部は活動を自粛する」。監督からの一本の電話によって突然次の日から活動を自粛することになりました。僕たちの当たり前だった日常が突然目の前から姿を消しました。当たり前のようにバスケットボールをしていた日々。部室でくだらないことで笑い合っていた日々。全てが一瞬で目の前から姿を消してしまいました。その時は失望とか悲しいという感情はありませんでした。ただただ「無」でした。最初は「どうせすぐに活動再開するだろう」と半信半疑でした。でも、日を追うごとに増加する感染者数を見て「無」は「危機感」へと変わりました。他部活では、大会が全て中止になってしまい、自動的に引退を迎える仲間もいました。「明日引退になるかもしれない」。そんな危機感が僕の中にはありました。「引退したくない」「コロナに負けたくない」。気持ちばかりが先行してしまい、心に頭が追いつかずに風呂で一人泣きました。当然のように6月末に早慶戦があり、そこから夏のオフ期間でみっちりトレーニングをして、秋からのリーグ戦を迎えるものだと思っていました。でも、それができなくなりました。活動自粛期間、オンライントレーニングでPC上からではありますが、みんなを見ると、画面越しであるにもかかわらず、みんなを見れただけで気持ちが落ち着きました。それぐらい僕は自粛期間、精神的に不安定な時期を過ごしていました。
そんな僕でしたが、自粛している間、大切にしていた考えが2つありました。それは「明日引退になるかもしれない。だから、いつ引退しても後悔しないように、毎日できる限り最大の努力をし続ける」ということ。もうひとつは「コロナだったからできなかった、ではなくコロナがあったからこそできたことがある」という考えでした。この2つの考えが当時の僕の支えとなっていました。
コロナで大会がなくなる懸念もあった中、なんとかオータムカップと早慶戦を開催することができました。そして、早慶戦が終わり、最後のサークル。僕は何を言おうかとずっと前から考えていました。でも、考えれば考えるほどわからなくなり、そのときに思ったことをそのまま言おうと決めていました。そして臨んだ最後のサークルで僕が一番初めに言った言葉は「もっとみんなとバスケがしたかった」でした。心からそう思いました。「明日引退になるかもしれない。だから、いつ引退しても後悔しないように、毎日できる限り最大の努力をし続ける」「コロナだったからできなかった、ではなくコロナがあったからできたことがある」とか関係ありませんでした。とにかくもっともっともっともっとみんなと悩んで、苦しんで、笑いあって、楽しんでバスケがしたかったです。そんな感情が最後のサークルでは一気に溢れ出してしまいました。2020年度の「慶應バスケ部」は恵まれていたと思います。オータムカップだけでなく、僕たちは最後に早慶戦という試合を行うことができました。だから僕が「もっとバスケがしたかった」と言うと怒られるかもしれません。ですが、これまでの当たり前だった日常をコロナは奪っていきました。当時は悔しくて仕方がありませんでした。しかし、ずっと下を向いていてもいけません。引退した今の僕の気持ちは、コロナのおかげでこれまでの当たり前の尊さを学ばせてもらった、「コロナありがとう」です。コロナがなければ風呂で泣くこともありませんでした。ですが、コロナがなければ、当たり前のようにバスケをしてしまい、引退した後「もっとやっとけばよかったな」と後悔していたかもしれません。コロナがあったおかげで、僕は4年間の「慶應バスケ部」人生を今は後悔なくやり遂げることができたと思っています。今は2020年度の「慶應バスケ部」が苦しんでいた時、たくさん支えてくださった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、本当にありがとうございました。

慶應バスケ部が存在する意味
最後に僕の卒業ブログのタイトルである「慶應バスケ部が存在する意味」について書きたいと思います。結論としては、「慶應バスケ部に関わる全ての人がバスケットボールという手段を通して繋がり、成長の源泉になるために存在する」ということです。つまり、慶應バスケ部に関わる全ての人の成長剤となるために存在しているということです。慶應バスケ部に所属する部員は日々の練習やミーティングを通して多くのことを学びます。それはOBになっても変わりません。OBとなった今も、慶應バスケ部で学んだことを言語化したり、経験したことを次に活かしたりと、慶應バスケ部を起点に学びをさらに深めています。そして、応援してくださる人にとっても、慶應バスケ部の泥臭いプレーを見て、何かを感じ取ってもらえれば、それが成長の糧となるかもしれません。このように、慶應バスケ部は関わる全ての人の成長の源泉として在り続けなければならないと考えています。これがこの卒業ブログで伝えたかった一番のメッセージです。だから、どれだけ失敗しても、どれだけ挫折してもいいと僕は考えています。なぜなら、それらは全て成長の源泉となるからです。失敗や挫折は成長への一番の近道だと思います。失敗を恐れて遠回りするよりも失敗をしてそこから学べば遠回りする必要はありません。だからいっぱい失敗をしましょう!(笑)そして、失敗をみんなで許容して笑い飛ばすような慶應バスケ部であってほしいと思います。
最後に
大変長い文章になってしまい大変申し訳ございませんでした。そして、書き殴ったような無秩序な文章で大変読みにくかったと思います。ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。最後にメッセージを述べて僕の卒業ブログを締めさせていただきます。
まずは後輩たちへ。2020年度は先が見えない中、チームの方針がコロコロと変わり、一貫性に欠ける代だったのにも関わらず、必死についてきてくれて有難う。みんながいなければ2020年度の慶應バスケ部はなかった。これからも楽しさよりも困難なことの方が多いと思う。でも、その困難はその時は苦しくても後に振り返ると絶対に成長につながる困難だったことがわかる。だからいっぱい失敗して、みんなでいっぱい悩んでほしい。その分だけチームが良くなって、自分も成長できるから。成長するための近道はたくさん失敗すること。
同期へ。いつもどんなときもそばにいてくれてありがとう。普段恥ずかしくてありがとうなんて伝えられないから、ここで言わせてください。俺はかなり気難しくて、周りに振り回されやすい、面白くない関西人だったと思う。でも、そんな俺をみんなは決して見捨てることなく、信頼してくれ、一緒に4年間歩んでくれた。本当にありがとう。家族よりも長くて濃い時間を過ごした同期。みんなとはもう言葉を介さずとも分かり合えてる自信がある。それぐらいみんなとは濃い4年間を過ごせた。これからもよろしくです。
最後に家族へ。長いようで短いバスケットボール人生でした。今振り返ると、勇平(家では自分のことを「勇平」と呼んでいます)のバスケット人生は苦労の方が多かったように思います。でもみんなは、勇平がどんなに苦しんでいても家に帰った時は暖かく迎えてくれて、本当に感謝しています。いつもみんなの応援はしっかりと届いていました。選手としての人生には一区切りをつけますが、今後は甲谷勇平人生の第2章が開幕します。また今後とも変わらずお世話になります。これまでありがとう。これからもよろしく。
以上で僕の卒業ブログを終わりたいと思います。本当にありがとうございました。“さようなら”という言葉は嫌いなので“また会いましょう”。
ブログリレー 甲谷勇平
2020年7月21日 8:00| Comment : 0
「日本一“チーム”を大切にするチーム」へ

はじめに
今年度、慶應義塾大学體育會バスケットボール部主将を務めさせて頂いております甲谷勇平と申します。
日頃よりご指導、ご支援を有難う御座います。
遅くなってしまいましたが、このような形では御座いますが日頃の感謝と共に、ご挨拶させて頂きます。
慶應の強み
今年のチームは「早慶戦優勝」「3部全勝優勝」という2つの目標を掲げています。
その目標達成のために、チーム力を大切にし、一人一人が自分にしかできない役割を全うすることを求めています。
個人で戦うのではなく、チームで戦うという意識を強く持っています。
これは昨年度の早慶戦の教訓から得たことです。
昨年の早稲田大学の早慶戦メンバーは、個人個人を見てもほとんどのメンバーが全国で活躍したスーパースター軍団でした。
一方で慶應義塾はそもそも全国に出場した選手の方が少ないというチーム状況でした。
周囲は個人単位でチームを捉え、圧倒的に早稲田が上であると判断し、早稲田が勝つと思っているように感じていました。
しかし結果はどうだったでしょうか。
あの昨年度の早慶戦こそが「慶應らしさ」を象徴していると考えています。
それは、一人一人が自分の役割というものを認識し、皆が泥臭くプレーし嫌な顔一つせず当たり前のことを当たり前に取り組んでいました。
そして何より、皆がチームのためにプレーしていました。
この昨年度の早慶戦を経て、慶應の強みを再認識したと共にチームで戦うことの強さを学びました。
そこで今年のチームでも引き続きチームにこだわり、チームで戦うという前提の元一人一人の役割や責任というものを明確化しようとしています。
現在は新型コロナウイルスの影響により、正解がないところに正解を作り、行動するにも基準を設けなくてはならない状況が続き非常にもどかしく思うところも多々ございます。
ですが、このような状況下であるからこそ、バスケットボールができる喜びや有り難みを、強く感じます。
そして何よりもバスケットボールを楽しみながら、この苦しい状況をチームとしてだけではなく、一個人としても成長していきたいと思います。
引き続きご指導とご声援の程、宜しくお願い致します。

覚悟「5×1のチーム」
ここからは、活動再開にあたり、主将としての意気込みとチームの覚悟について書いていきたいと思います。
弊部では2月の末より新型コロナウイルスの影響で活動を自粛し、バスケができないもどかしさを日々痛感しています。
それと同時に、これまでバスケを当たり前にできていた日々に感謝することができるようになりました。
私は、活動が再開された際には心の底からバスケを愛し、楽しむことができると感じています。
一方で、この自粛期間の中で色々とチームについて考えるにつれて、このままではチームは勝つことができないという危機感が強くなりました。
自粛期間の中で感じたことは、多くの人が自分のためにプレーしているということでした。
でも、これももちろん正解です。
自分が強くなることでチームが強くなれるかもしれないからです。
しかし、私はここで自分に問いました。
「慶應義塾體育會バスケットボール部」は個人の能力を高めることを最大の目的としたチームなのだろうかということを。
私は違うと思いました。
私の考える慶應義塾の強さは「真面目さ、愚直さ、誠実さ」を起因とした「チーム力」にあると思います。
私はこんなに真面目なチームは日本には存在しないと思います(もちろんいい意味で)。
言われたことを忠実に守り、徹底するという点については日本一であると思います。
慶應は「ディフェンス・リバウンド・ルーズボール」という共通理念があるように、徹底的に当たり前のことを当たり前にすることができます。
人が嫌がることをコツコツ積み重ねられる強さが慶應にはあります。
今まではこれで充分でした。
しかし、チームのことを考えていくにつれて、果たしてこのままで勝てるのだろうかと不安になりました。
自分はチームルールを守れているから大丈夫だと安心しきっている人間は、一人もいないと言い切れるだろうかと自問自答しました。
そうして自粛期間のなかで思い悩みながら私は1つの結論に辿り着きました。
それは、「自分のためにチームがあるのではない。チームのために自分がいる」ということです。
先日、あるメンバーがとてもいい言葉を使っていたので引用させていただきます。
それは「1×5の集団ではなく、5×1のチームなのである」という言葉です。
私はまさに「5×1のチーム」こそが、慶應バスケ部だと思います。
メンバー全員で1つのチームなのです。
一人も欠けてはいけないし、不必要なメンバーは一人もいません。
今のメンバーは私がバスケをしていなかったら会うことのなかった仲間なのです。
今私がいるのは周囲にいる仲間のおかげです。
私だけではチームにならなかったのです。
私はこのような当たり前に気づき、当たり前であることに感謝すべきだと思いました。
私は活動自粛中に考えれば考えるほど、自然と普段は当たり前になってしまっていることに目が向き、改めて自分は恵まれていたのだなと、しみじみ感じることができました。
私自身もこれまでは自分自身のためにプレーしていた部分がありました。
しかし、このチームでは個人のためにプレーする必要はないと思いました。
今の私の気持ちとしては、チームメイトのみんなのために勝ちたい一心です。
みんなのために戦いたい。
それは、みんながいてくれなかったら今の私はいないからです。
慶應の強さは「チーム力」にあると思います。
それは、チームのために自分がいるということを認識し、体現するところから始まります。
百花繚乱を目指す
活動再開にあたり、私が考えているチーム像があります。
それは「百花繚乱なチーム」です。
どういうことかというと、一人一人が自分の強みと弱みを明確に認識した上で、自分の役割を全うしているチームのことです。
自分の「やりたいこと」とチームから求められている「やってほしいこと」と「やるべきこと」が見事に一致した状態にしたいのです。
なんでもかんでも自分勝手に自分のやりたいことをするのではなく、この「百花繚乱」の根底には、チームルールを徹底するという守破離の「守」の部分が必要です。
「百花繚乱」は、チームルールを徹底的に守った上での話です。
今後は守破離の「破・離」を求めていこうと考えています。
しかし、これはとても苦しい過程になると思っています。
なぜなら、「守」は正解がはっきりしていてみんなが同じことをやっていればそれで良かったのに対し「破・離」は正解がなく、自分で正解を作っていかなければならないからです。
まさに、今のこの前例のない新型コロナウイルスの影響による自粛期間の中で、正解がない状況に悪戦苦闘する状況と同じようなカオスが生じるため大変苦しい過程になると覚悟しています。
正解を選ぼうとするのではなく、選んだ選択肢を正解にしなければなりません。
これには判断基準が曖昧な部分が多く出てくると思います。
自分で自分の軸がないと、振り回されて必要以上にもがき苦しむことになりかねません。
だからこそ、今一度自分がこのチームにいる意味は何なのか、なぜ大学生にもなってバスケを続けるのかといった目的意識やモチベーションの根本を問いただすことが必要になってくるのです。
そしてそれと同時に、自分の強みは何なのか、チームから求められている役割は何なのか、という部分で周囲とのすり合わせも必要になってくると考えています。
このように、活動再開後はかなりの困難が出てくることが想定できます。
私は活動再開にあたり、チームのメンバーにその困難と真正面から向き合って、仲間と助け合いながら乗り越えていくという「覚悟」を持ってほしいと思っています。
また、実際に「覚悟」を持つことを求めていこうと考えています。
これまでの基準は低すぎます。
これではとても勝てません。
まずはチーム内での基準を上げていくつもりです。
これについて来られない人は置いていく覚悟です。
厳しいことをするようですが、それぐらいしないと勝てないのが現状だと思います。
私は、求心力をこれまで以上に上げていきたいし、メンバーにはついてきてほしいです。
そして、個性を存分に発揮して百花繚乱なチームができれば、個では勝てない相手でもチームとして戦えば勝てるという、チームスポーツの醍醐味を体現することができると考えています。

最後に
慶應は監督やコーチからのトップダウン型の組織ではなくて、学生主体でみんながフラットな立場から意見を言い合えるのが大きな強みであり、楽しさです。
みんなの叡智を集結させて壁を乗り越えていくことに学生スポーツの楽しさは詰まっています。
どうせやるならやりきります。
そのために、今一度自分と向き合い、仲間の声に耳を傾け、自分の考えを積極的に発信しようと思います。
ようやく活動再開の目処が立ちつつあります。
繰り返しにはなってしまいますが、バスケットボールができることに感謝しつつ、さらなる高みへと昇っていきます。
そして、不可能を可能にしていきます。
「最大限の努力により最高の結果を出すチーム」の集大成を見せるつもりです。
長々と当たり前のことを書いてきましたが、私はこの自粛期間を経て、より当たり前のことに目を向けることができるようになりました。
できることを精一杯頑張り、楽しみながらこの困難な状況を乗り越えていこうと考えています。
今後とも、慶應義塾大学體育會バスケットボール部の応援を宜しくお願い致します。
ブログリレー 甲谷 勇平
2019年4月26日 19:00| Comment : 0
バスケ部での濃ゆい3年間を振り返る

はじめに
慶應義塾大学環境情報学部3年ならびに体育会バスケットボール部の甲谷勇平と申します。
今回、「ブログを書け」と言われた時、何について書くか大変迷いました。なんせ「慶應義塾大学体育会バスケットボール部についてなんでもいい」という抽象的すぎるテーマだったからです。
色々悩んだ挙句、私は今年で慶應義塾大学体育会バスケットボール部に入部して3年目になるのですが、このバスケ部での3年間を振り返る丁度良い機会だと思ったため、ここで一度振り返りたいと思います。手短ではありますが、赤裸々に書きたいと思います。
私がバスケ部で歩んできた『甲谷勇平の体育会史』をお楽しみください。
慶應義塾大学との出会い~“あっという間”のバスケ部1年目
そもそも、京都に生まれ育った私にとって、慶應義塾大学は遥か雲の上の存在でした。名前こそ聞いたことがあるぐらいで、高校に進学するまで眼中にもなかったです。謎の上から目線をお許しください。
そんな眼中にない慶應義塾大学へ、高校の先生から受験を薦められ、「まあ、落ちてもしょうがないな」ぐらいの感覚で受験したのを覚えています。もちろん合格するように全身全霊を注ぎ込みました。それぐらい慶應義塾は私にとって雲の上の存在だったということです。
そして、見事(自分で言うのは恥ずかしいが)慶應義塾大学への進学が決まり、文武両道を大切にしている慶應義塾大学で部活と勉学の両立を大切にしていきたいと考え、体育会バスケットボール部に入部しました。
体育会バスケットボール部に入部してからの1年目は”あっという間”でした。
最初は学校生活に慣れるのが大変で、精神的にも身体的にもきつかったです。常に気持ちが緩むことがなく、とても大変だったことを覚えています。
大変きつかった1年目でしたが、何とか乗り越えることができた要因として、この部活のメンバーを家族のように思っていたことが挙げられます。
この部活は、先輩後輩の距離がとても近く、フラットな関係、アットホームなコミュニティだったので、とても楽しかったです。
練習は厳しかったのですが、とても充実していました。先輩方はとても面倒見が良くて、部活のメンバーといるときは心が落ち着きました。
私がこのチームを愛したきっかけとしては、”同期は一生の宝だ”とコーチから言われた時でした。この言葉を聞いて「このチームに入れてよかったな」と心から思いました。バスケ部は特に横の繋がりを大切にしており、私はこのチーム文化がとても気に入りました。
そして、このチームの”チームファーストの精神”を直で体感して”4年間やってやるぞ”というモチベーションがフツフツと湧いてきました。
色々書きましたが、1年目は新しい環境に適応することが大変で、慣れること、自分のペースを作ることに精一杯だったように思います。と同時に、良いメンバーに恵まれ、とても充実した1年目を過ごすことができました。

2年目
2年目は”悩み”の時期でした。春シーズン、早慶戦直前に怪我をしてチームに迷惑をかけたこともそうですが、秋のリーグ戦は主力メンバーから外され、伸び悩みました。”自分は何のためにこのチームにいるんだろう?”、”自分がこのチームに貢献できることは何だろう?”と自問自答を繰り返す日々でした。さらに周囲からは”もっと同期のことを考えてやれ”とか”同期のこと見捨てたのか”と言われたり…。まさに板挟み状態でした。自分がチームに貢献できていないもどかしさと周囲からの期待の板挟み状態になってしまって、とても苦しかったです。
でも、同期に助けられ、先輩後輩に励まされ何とか2年目を終えることができました。
本当にこのチームは最高だなと思いました。
2年目のチームは、チーム哲学の再認識を徹底して、一人一人に当事者意識を芽生えさせ、主体性を追求したチームでした。私はこの代のチームでは”個性の融合”が実現されたと考えています。一人一人が自分の役割を全うすることで1+1が3にも4にもなっていくチームで、限りない可能性を感じました。
この経験を通して、バスケは”個”ではなく”チーム”のスポーツなんだと再認識すると共に、これこそがバスケの醍醐味の1つでもあると思いました。

3年目
3年目の今年のチームはまだまだ弱いチームで、最近ようやく新1年生も合流して、まさに”これからのチーム”という感じです。
今年のチームは皆が部活、バスケットボールに真面目に、誠実に取り組める良いチームです。
先日行われた六大学や京王電鉄杯では健闘し、上々のスタートダッシュを切ることができました。
今まで同期、先輩後輩にたくさん助けられてきました。今年は私がみんなを助ける番だと思っています。
チームから求められている役割を全うし、チームを背負う覚悟を持って取り組みたいと考えています。
メンバーを大切にして、”チーム”を意識してみんなで勝利を掴みたいと思います。
最後に
まだまだ、これから沢山の苦難が待ち受けているかと思います。
でも、”今を精一杯頑張る”ことで、少しずつ自分のペースで困難を乗り越えていきたいです。
周囲を巻き込みながら、自分にできることを全力でやることで、チームが少しでも勝利に近づいてくれれば、これほどの喜びはありません。
今年のチームが終わった時にみんなで満面の笑みで抱き合って喜べるように、今からまた頑張ります。
これからも慶應義塾大学体育会バスケットボール部の応援をよろしくお願い致します。
次回は人見快(2年生)です!乞うご期待ください!