ラストブログ 甲谷勇平

はじめに

 2020年度チームの主将を務めました甲谷勇平です。今シーズンは、新型コロナウイルスの影響により活動が制限されてしまい、たくさんの苦労をしました。そんな状況下でも、いつでも力になってやると心強い言葉をかけてくださったOB・OGの方々、オータムカップや早慶戦を運営してくださった関係者の皆様をはじめ、慶應バスケ部に関わる全ての人に心より感謝致します。本当に有難う御座いました。何度も心が折れそうになったシーズンでしたが、皆様の支えがあり、なんとかやり遂げることができました。

今回、卒業ブログということで、僕の4年間を振り返りたいのですが、一つひとつを振り返ろうとすると、とてもこのブログに書き切ることができないため、今回は僕が4年間向き合い続けてきた「慶應バスケ部が存在する意味」について書きたいと思います。1年だけ主将を務めた分際で何を生意気な、と思われる方もいるかもしれません。ですが、僕にとって慶應バスケ部は自分を変えてくれた、生涯恩返しし続けたいチームです。僕はたくさんの学びを慶應バスケ部から得ました。そのため、慶應バスケ部が在る意味というのをここに自分の言葉で残しておくことが、僕にとってのひとつの恩返しであると思い、卒業ブログとしてまとめました。ですので、本ブログでは僕の4年間を「慶應バスケ部が存在する意味」という切り口で振り返っていきたいと思います。

「慶應バスケ部」に触れた瞬間

 1年目はとにかく慣れることに精一杯でした。朝練をして、急いで着替えて電車に駆け込み、授業を受け、急いで体育館に行き、夜遅くまで練習して。怒涛の1年間を過ごしました。リーグ戦期間にもなると、毎週土日に試合があり…。精神的にも大変きつかった1年目だったと記憶しています。

そして次の年、チーム哲学を軸にしたチームづくりが為されました。その時に初めて僕は「慶應バスケ部」に触れました。確かに1年目も「慶應バスケ部」に関する理念や哲学といった話は聞きましたが、そのような情報が頭に入る余裕はありませんでした。すみません。2年目は授業や部活動にも慣れ、少しずつ余裕が出てきていました。その時に、チーム哲学というものを改めて聞きました。僕が最初に「慶應バスケ部」に触れた瞬間でした。チーム哲学の話を聞いた感想としては、「わからん…」でした。これは、諦めとか理解できないということではありません。ただ、「慶應バスケ部」という組織の目的や哲学があまりにも当時の自分とかけ離れていて、その差に愕然としました。一番難しかったのは、自分がチーム哲学を体現していると思っていても、他者からは体現できていないと言われるというような認識のズレがたくさん生じたことです。まさに「何が正解かがわからない」という状態で、自分が正しいと思っていても先輩から怒られる日々でした。2年目は「正解がわからない。もしかしたら、正解がないかもしれない」チーム哲学について同期でたくさん頭を悩ませました。

慶應らしさの一つに、この一体感があります。

一人一人が本気でチームと向き合うからこそ、先輩後輩関係なく深い繋がりができるのだと思います。

そんなこんなで2年目と3年目もあっという間に過ぎ去ってしまいました。今振り返ると、この2、3年目は楽しさよりも苦しさの方が多かったように思います。チーム哲学に関する苦悩もありましたし、自分自身の怪我もありました。そうした小さな悩みが積み重なって自分本来のプレーもわからなくなっていました。そんな中で先輩やコーチからは「もっと同期やお前たちの代になった時のことも考えろ」と言われ、「自分がやらなきゃ」という責任感に反して、満足にプレーできていない自分がいて、「本当に自分で大丈夫なのかな」と焦りも感じていました。そんな苦しいとき、いつもそばにいたのは同期でした。時には強く同期に当たってしまった時もありました。むしろ強く当たった回数の方が多いです。そんな自分勝手な僕を同期はいつも受け止めてくれ、時には怒ってくれ、時には一緒に悩んでくれました。

3年時の早慶戦勝利後に同期たちと。結局早慶戦は4年間で1勝しかできなかったけど、1勝の重みを学ばせてもらった。

2020年度の「慶應バスケ部」

ここで、慶應バスケ部の2020年度を振り返りたいと思います。振り返りたいというか、振り返らなければならないと思います。理由は、2020年度は新型コロナウイルスの影響により、誰も経験したことのない年になったからです。そこで、2020年度の僕と「慶應バスケ部」をここに記します。

 2020年度のチームは2019年度のチームが終了した3日後には新チームでの練習を開始しました。他チームと比べてレベルが圧倒的に低く、そもそも試合ができるようなチーム状態ではありませんでした。ですので、例年よりも早く練習を始めるのは必然的なことでした。そして、地獄のような練習が始まりました。毎日体の中にあるエネルギーを全て使い尽くし、体育館を出る頃には体力も精神もカラカラの状態で帰宅していました。平日毎日6:30からの朝練はもちろん、週6日のウエイトトレーニング、そして午後の自主練習。まさにバスケ漬けの日々でした。そして、新入生も迎えてさらにギアを上げていこうとした時、コロナはやってきました。

「明日からバスケ部は活動を自粛する」。監督からの一本の電話によって突然次の日から活動を自粛することになりました。僕たちの当たり前だった日常が突然目の前から姿を消しました。当たり前のようにバスケットボールをしていた日々。部室でくだらないことで笑い合っていた日々。全てが一瞬で目の前から姿を消してしまいました。その時は失望とか悲しいという感情はありませんでした。ただただ「無」でした。最初は「どうせすぐに活動再開するだろう」と半信半疑でした。でも、日を追うごとに増加する感染者数を見て「無」は「危機感」へと変わりました。他部活では、大会が全て中止になってしまい、自動的に引退を迎える仲間もいました。「明日引退になるかもしれない」。そんな危機感が僕の中にはありました。「引退したくない」「コロナに負けたくない」。気持ちばかりが先行してしまい、心に頭が追いつかずに風呂で一人泣きました。当然のように6月末に早慶戦があり、そこから夏のオフ期間でみっちりトレーニングをして、秋からのリーグ戦を迎えるものだと思っていました。でも、それができなくなりました。活動自粛期間、オンライントレーニングでPC上からではありますが、みんなを見ると、画面越しであるにもかかわらず、みんなを見れただけで気持ちが落ち着きました。それぐらい僕は自粛期間、精神的に不安定な時期を過ごしていました。

そんな僕でしたが、自粛している間、大切にしていた考えが2つありました。それは「明日引退になるかもしれない。だから、いつ引退しても後悔しないように、毎日できる限り最大の努力をし続ける」ということ。もうひとつは「コロナだったからできなかった、ではなくコロナがあったからこそできたことがある」という考えでした。この2つの考えが当時の僕の支えとなっていました。

 コロナで大会がなくなる懸念もあった中、なんとかオータムカップと早慶戦を開催することができました。そして、早慶戦が終わり、最後のサークル。僕は何を言おうかとずっと前から考えていました。でも、考えれば考えるほどわからなくなり、そのときに思ったことをそのまま言おうと決めていました。そして臨んだ最後のサークルで僕が一番初めに言った言葉は「もっとみんなとバスケがしたかった」でした。心からそう思いました。「明日引退になるかもしれない。だから、いつ引退しても後悔しないように、毎日できる限り最大の努力をし続ける」「コロナだったからできなかった、ではなくコロナがあったからできたことがある」とか関係ありませんでした。とにかくもっともっともっともっとみんなと悩んで、苦しんで、笑いあって、楽しんでバスケがしたかったです。そんな感情が最後のサークルでは一気に溢れ出してしまいました。2020年度の「慶應バスケ部」は恵まれていたと思います。オータムカップだけでなく、僕たちは最後に早慶戦という試合を行うことができました。だから僕が「もっとバスケがしたかった」と言うと怒られるかもしれません。ですが、これまでの当たり前だった日常をコロナは奪っていきました。当時は悔しくて仕方がありませんでした。しかし、ずっと下を向いていてもいけません。引退した今の僕の気持ちは、コロナのおかげでこれまでの当たり前の尊さを学ばせてもらった、「コロナありがとう」です。コロナがなければ風呂で泣くこともありませんでした。ですが、コロナがなければ、当たり前のようにバスケをしてしまい、引退した後「もっとやっとけばよかったな」と後悔していたかもしれません。コロナがあったおかげで、僕は4年間の「慶應バスケ部」人生を今は後悔なくやり遂げることができたと思っています。今は2020年度の「慶應バスケ部」が苦しんでいた時、たくさん支えてくださった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、本当にありがとうございました。

いろんなことがあった2020年。最後早慶戦という最高の舞台を用意してくださりありがとうございました!

慶應バスケ部が存在する意味

最後に僕の卒業ブログのタイトルである「慶應バスケ部が存在する意味」について書きたいと思います。結論としては、「慶應バスケ部に関わる全ての人がバスケットボールという手段を通して繋がり、成長の源泉になるために存在する」ということです。つまり、慶應バスケ部に関わる全ての人の成長剤となるために存在しているということです。慶應バスケ部に所属する部員は日々の練習やミーティングを通して多くのことを学びます。それはOBになっても変わりません。OBとなった今も、慶應バスケ部で学んだことを言語化したり、経験したことを次に活かしたりと、慶應バスケ部を起点に学びをさらに深めています。そして、応援してくださる人にとっても、慶應バスケ部の泥臭いプレーを見て、何かを感じ取ってもらえれば、それが成長の糧となるかもしれません。このように、慶應バスケ部は関わる全ての人の成長の源泉として在り続けなければならないと考えています。これがこの卒業ブログで伝えたかった一番のメッセージです。だから、どれだけ失敗しても、どれだけ挫折してもいいと僕は考えています。なぜなら、それらは全て成長の源泉となるからです。失敗や挫折は成長への一番の近道だと思います。失敗を恐れて遠回りするよりも失敗をしてそこから学べば遠回りする必要はありません。だからいっぱい失敗をしましょう!(笑)そして、失敗をみんなで許容して笑い飛ばすような慶應バスケ部であってほしいと思います。

最後に

大変長い文章になってしまい大変申し訳ございませんでした。そして、書き殴ったような無秩序な文章で大変読みにくかったと思います。ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。最後にメッセージを述べて僕の卒業ブログを締めさせていただきます。

まずは後輩たちへ。2020年度は先が見えない中、チームの方針がコロコロと変わり、一貫性に欠ける代だったのにも関わらず、必死についてきてくれて有難う。みんながいなければ2020年度の慶應バスケ部はなかった。これからも楽しさよりも困難なことの方が多いと思う。でも、その困難はその時は苦しくても後に振り返ると絶対に成長につながる困難だったことがわかる。だからいっぱい失敗して、みんなでいっぱい悩んでほしい。その分だけチームが良くなって、自分も成長できるから。成長するための近道はたくさん失敗すること。

同期へ。いつもどんなときもそばにいてくれてありがとう。普段恥ずかしくてありがとうなんて伝えられないから、ここで言わせてください。俺はかなり気難しくて、周りに振り回されやすい、面白くない関西人だったと思う。でも、そんな俺をみんなは決して見捨てることなく、信頼してくれ、一緒に4年間歩んでくれた。本当にありがとう。家族よりも長くて濃い時間を過ごした同期。みんなとはもう言葉を介さずとも分かり合えてる自信がある。それぐらいみんなとは濃い4年間を過ごせた。これからもよろしくです。

最後に家族へ。長いようで短いバスケットボール人生でした。今振り返ると、勇平(家では自分のことを「勇平」と呼んでいます)のバスケット人生は苦労の方が多かったように思います。でもみんなは、勇平がどんなに苦しんでいても家に帰った時は暖かく迎えてくれて、本当に感謝しています。いつもみんなの応援はしっかりと届いていました。選手としての人生には一区切りをつけますが、今後は甲谷勇平人生の第2章が開幕します。また今後とも変わらずお世話になります。これまでありがとう。これからもよろしく。

以上で僕の卒業ブログを終わりたいと思います。本当にありがとうございました。“さようなら”という言葉は嫌いなので“また会いましょう”。