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変われる環境 −西 理奈
2020年3月5日 11:00

慶應義塾體育會大学女子バスケットボール部及び法学部政治学科3年の西理奈と申します。
慶應に入学してからの身の回りの環境の変化や、自身の生活の変化について述べていきたいと思います。慶應義塾體育會への所属を考えている方の参考になれば幸いです。
慶應義塾大学へ入学してから、私の生活は大きく変化しました。
その変化の理由としては、親元を離れ一人暮らしを始めたことと、體育會へ所属したことが挙げられます。
身の回りの環境の変化としては、当たり前のことですが、自分のことは自分でしなくてはならなくなったことや、視野の広さや発信力を求められ、そして常に刺激をもらえる環境に身を置けることになったことです。また、環境の変化に付随して、生活も環境に合わせたものになりました。
一人暮らしを始めたことよる変化
まずは、前半部分について述べていきたいと思います。
一人暮らしをすることで、いかに今まで周りの人に甘えて生活してきたかを痛感しました。
また、親元を離れることで、自身の行動の責任の所在を明らかにし、自己管理の大切さも同時に考え直すことができました。
上京したての頃は、生活リズムが崩れがちになり、食事も簡単に済ませられるもので終わらせていました。
しかし、女子バスケットボール部への入部以降は、翌日に疲労を残さないためにできるだけ早く寝ることや、栄養バランスを考えて食事を取ることを意識して生活するようになりました。
実際、夜は出来るだけ早く寝て、翌朝はシューティングに行くために毎朝同じ時間に起きるため、1限から授業に行くことができ規則正しい生活ができています。また、食事面に関しても、1日3食は必ず食べるので、健康的な生活を送ることができています。
ひとり暮らしを始めてからまだ2年しか経っていないですが、自己管理能力は上京してくる前よりついたのではないかと思います。
部活に入っていなければ、規則的で健康的な生活を意識して送ろうとしないと思うので、今年から一人暮らしを始める人にこそ體育會への所属をお勧めします。すべての責任の所在が自分にある環境は、生活を規則正しく健康的なものにしました。
體育會へ所属したことによる変化
次に後半部分について述べていきます。
高校時代にも部活はしていたため、確かに視野の広さや発信力を求められる環境ではありましたが、部員の多さから、部員全員がそれらを求められるということはありませんでした。
しかし、慶應義塾體育會大学女子バスケットボール部では、学生主体で練習が行われるため、それらを全員に求める環境がありました。それまでは、私自身自ら率先して動いたり、発言するタイプではなかったのですが、主体性を持って動くことを意識するようになりました。
求められている水準に達しているかは分かりませんが、入部当初よりは、視野を広く持ち、自分から発信することができるようになったと思います。

また、大学に入り新しいコミュニティーに身を置くことで、自分には無い考え方を持った人や、様々なバックグラウンドを持った人、何かに打ち込んでいる人などに出会うことができます。そのような人を友達に持つことで、常に彼らから刺激を受け、自らに反映することが出来ます。
私の周りには體育會に所属している友人が多いのですが、彼らが部活で結果を残していたり、頑張っていることを聞くと、自分も負けてられないなと鼓舞させられます。
周りに刺激されることで自分を見つめ直したり、周りのことを考える機会がとても以前に比べ増えたと実感しています。

大学入学と女子バスケットボール部への所属以降、身の回りの環境は大きく変わり、それに伴い生活はより自分にフォーカスを置くものに変わりました。
個人にどのような変化が起こり、どのように個人が成長していくかは分かりませんが、慶應義塾體育會に所属したことで、周りから良い影響を受けていることは自信を持って言えます。
大学生活で自分に変化を与えたい方は、體育會という選択肢があることを、頭の隅に置いていただければ幸いです。
「向き合う」ということ −森谷 日向子
2020年2月27日 11:00

誠に僭越ながら自己紹介させて頂きます。
私、慶應義塾大学法学部政治学科1年ならびに體育會女子バスケットボール部に所属しております森谷日向子と申します。宜しくお願い致します。
今回は「慶應義塾大学に入学して」という内容で、私個人の1年を振り返りたいと思っております。拙い文章になりますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。
バスケ部での1年間
この1年は、バスケ部と自分に真剣に「向き合う」ことができた1年だったと思います。中学、高校の時と比べて自分の時間が多く確保できる分、バスケをする時間も「向き合う」時間も増え、非常に充実していました。
合格体験記でも書かせて頂きましたが(良かったらそちらも御覧ください)、私が體育會女子バスケ部に入部した主な動機は、単純にバスケが好きであること、中学高校のバスケ部での経験が自分の中でかけがえのないものであったことにありました。
その分、大学の部活への期待が大きかったことは確かです。
ところが、體育會バスケ部はその私の勝手な期待を大きく上回る場所でした。
部員全員がチームのことを真剣に考え、学年の壁を越えて互いを指摘しあえる環境があること、監督やコーチ、スタッフの方々とのコミュニケーションの場が多いため、自分の役割や足りない部分が明確になることや、思った事を言い合うことができ、出会って1年しか経っていないのが嘘のような信頼できる同期と、他愛のないことから真剣なことまで話し合える尊敬する先輩方に出会えたこと…。
挙げればきりがありませんが、4月から入学してくる新1年生には自信を持って、「入って後悔させない部活だ」と言い切ることができます。
選手としては、純粋にバスケを楽しんだり、技術、体力、筋力の成長を実感する場面が多くありましたが、試合に出る場面はほとんど無く、正直、自分の不甲斐なさを痛感し、悩んだ時間の方が長かったように思います。
しかし、チームメイトのプレーはもちろん、レベルの高いチームのプレーを観る機会が多くあり、自分に足りない知識や強化すべきことは何かを考え、「向き合う」ことができた実りある1年であったと思います。

大学での1年間
憧れだった慶應義塾大学に入学し、この1年で生活も人間関係も一変しました。朝早く大学に行き、講義を受けて、空いた時間でウエイトトレーニングをして、夜になったら部活に向かう、という生活が主で、たしかにバスケ部中心の大学生活にはなります。
はじめは、体力的にも精神的にもきつい毎日でしたが、1年が経ち、大分慣れてきたように思います。しかし、試験期間中は自主練期間となるため勉強に集中することができますし、1週間に2日のオフや三田祭期間などのオフ期間を使って、家族と旅行に行ったり、同期や大学の友達、中高時代の友達と遊びに行ったり、先輩方からご飯に誘って頂いたりなど、部活も勉強も遊びも充実した大学生活を送ることができました。

最後に
今回、ブログを通してこの1年を振り返る機会を頂き、自分や他者と「向き合う」大切さを改めて感じることができました。
今年度の目標である、「3部リーグ戦の1・2位リーグに進出」するという高い目標に向け、チームに「向き合い」、自分に厳しく日々努力をしていきたいと思います。
最後になりましたが、1年を振り返った中で、體育會バスケ部に関わるOG、OB、スタッフの方々や、私個人の大学生活に関わる両親、先輩方、同期の支えなしに今の私はないということ、つまり、慶應義塾の理念のひとつである「社中協力」を今改めて実感しています。
4月からは私も2年生となり、新1年生を迎える立場となります。先輩方が繋いで下さったものを今度は私たちが下に伝えていく番であるという責任を持ち、多くの方々への感謝を忘れず精進してまいります。
今後とも応援のほど、宜しくお願い致します。
背番号4番を背負うとは -梅木 理沙
2020年1月25日 13:00
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
私、慶應義塾大学経済学部4年ならびに體育會女子バスケットボール部に所属しております梅木理沙と申します。よろしくお願いいたします。
女子バスケットボール部の引退ブログも第5弾にして、最後となりました。
第1~4弾全てを読んでくださった方、数回の方、このブログが初めての方…最後までお付き合いしていただけたら嬉しく思います。
昨年度、男子バスケットボール部の1つ上の先輩方が卒業ブログを書いていらっしゃいました。この1年間、そのブログを何度も読み返しながら、私自身、勇気づけられていました。
そんな先輩方のように伝えられる自信も経験もありませんが、自分なりに、さらけだして、想いを綴ってみようと思います。
慶應義塾のバスケットボールとの出会い
小学校4年生の時、人数が足りず試合に参加することができない!ということで、近所のミニバスのチームに、とりあえずは1日限定というお誘いで参加しました。それが、私がバスケットボールを始めたきっかけでした。
その後、内部進学だったこともあり、小学校5年生から部活として慶應義塾バスケットボール部に関わることとなりました。
小学校6年生の時、キャプテンになり、監督から頂いた言葉があります。
「4番のユニフォームに誇りを持ちなさい。そして、似合う人間になりなさい。」
バスケットボールにおいて、キャプテン・主将が4番のユニフォームを着ていることが多くあります。小学生の私には、誇りを持つ持たないほどのものでも、似合う似合わないなど考えるほどのものでもありませんでした。
それから、特別バスケットボールが上手いわけでもなく、突出したリーダーシップがあるわけでもなく、ただただ、いろんな偶然が重なって、中学・高校、そして大学と4度の主将を任せていただきました。
それ以降、学年が上がるたび、4番のユニフォームを着る誇りとは何か、似合う人間とはどんな人なのか、考えるようになりました。

大学バスケットボール
入学当初、どの組織で、どの立場から、バスケットボールに関わるのか、悩む時もありました。あの時、なぜ體育會という組織を、なぜ選手という立場を選択したのか、明確な理由は、今でもわかりません。引退してみて、振り返る中で、組織や立場などは重要ではなく、この選択をしたことで出会えた人たちがいて、それだけで私はよかったのだと心から思います。
大学1年生。
高校生の時から、憧れていた先輩のいるチームでバスケをすることができました。辛いことや悔しいことよりも、一瞬一瞬も見逃したくなくて、追いかけるので精一杯だったのを覚えています。
大学2年生。
結果どうこうよりも、主将のために、4年生のために、頑張りたい、何か少しでも肩代わりしたい、力になりたい。そんな気持ちでコートに立ち、何もできない無力さを実感しました。私の中では、想いの詰まった1年間でした。
大学3年生。
怪我の多い1年間でした。出場することができたのは、1年間で、たった3試合でした。
どこからが無理をしていて、どこからがサボっているのか。無理をするのはチームのためなのか、ただの自己満足なのか。痛いのか、動けるのか。
線引きをするのがすごく難しく、何でいつも自分なんだろう、何で今なんだろう、なんて思う時期もありました。そのように考えてる時点で、いつまでも成長しないのになあ、なんて今では思うことができています。
それでも、比べものにならないくらい、怪我で悔しい思いをしている先輩もいらっしゃいました。その人のためなら、そして、3年間お世話になった4年生のためなら、悔しいことも受け入れて、4年生には昇格することだけに集中できる環境をつくれるよう、全てをやろう、そう思いました。

大学4年生。ラストシーズン。
この1年間を語る上で、あらかじめお伝えしたいことがあります。
こんなに苦しかった、辛かった、もう嫌だ。
という話ではありません。
こんなにも、「学生最後の伸びしろ」に出会えて、恵まれた環境で、最高の1年間だった。
ということを伝えたくて、そのためにも、飾らず、あえて全てをさらけ出してみようと思います。
話は少し変わりますが、私は、映画館での映画鑑賞が大好きです。
少し季節はずれにはなりますが、好きな映画は『クリスマスキャロル ロンドンに奇跡を起こした男』という映画です。ファンタジーで何度も気軽に観ることができる素敵な物語です。
その映画の題材になっているクリスマスキャロルの作者チャールズ・ディケンズはこんな言葉を残しています。
「病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほど、うつりやすいものもこの世にない。」
この言葉が今シーズンの私のモットーでした。
どんな時も、追い込まれても、笑顔で、上機嫌で、明るくい続ける。悲しむなら、まず先に上機嫌でいる。そんなことを心に決めていました。
しかしながら、そんな簡単にうまくはいきません。もちろんずっと笑っていられても怖いですし。
それ以降、練習後、最寄り駅から自宅までの十数分間に必ず自分自身に問いかけるようになりました。
「自分が主将で良かったのか、誇りを持つとは、似合うとは、なんなのか。」
答えの出ない問いを自分自身に投げかけては、勝手に落ち込む毎日でした。
今となっては、主将というのは、ただの役職の名前で、誰にでもできる役職だったなあとしみじみ思います。
誰にでもできるからこそ、自分らしい形も模索して、当たり前のことを1番やりきらなければならない、ということに気がつかされました。

勝手に落ち込む毎日の中で、自分自身に変化が起こり始めました。
夜、布団に入り目をつぶっても、寝られなくなりました。
やっと、眠りにつけても、15分程で目が覚める。起きていても、漠然とした不安が押し寄せる。
運よく眠りにつけても、夢をみるようになりました。
追いかけても追いかけても追いつかず、先輩が暗闇に消えていく夢。
後輩に、もっと楽しくバスケがしたかったと言われ、突き落とされる夢。
何度話しかけても、同期に声が届かない夢…。
そんな夢をみては、ハッと目を覚まし、時計をみると15分しか経っていない。
そんな毎日を続けていると、耳鳴りと目まいが続くようになり、ある時、左耳が聞こえなくなりました。
もう一度確認させてください。
逃げ出したかったとか、苦しかった、という話ではありません。
心の底から、成長できたな、良い経験だったなと胸を張って言うことができます。
私の友人は、え、嘘でしょ、悩みなんてあったの!って、思うかもしれません(笑)
私自身も、こんなにもキャパが狭くて、自分の感情をコントロールするのが下手だとは思いませんでした(笑)
頑張れ、とか、大丈夫?とか、そんな愛のある言葉が、その時の私には最も怖い言葉だった気がします。
あと何を頑張れば良いのか、大丈夫じゃなくなっていることを突き付けられている気がして。
そんな私を、誰よりも理解してくれていた同期のみんなには感謝を伝えても、伝えきれません、何をしても、足りません。
誰よりも4年間努力をし続けて、部員全員の気持ちになろうとしてくれるニコ、理解して、もう頑張らなくていいよって、一緒に頑張るよって言ってくれて、そばにいてくれて、ありがとう。
我慢と葛藤の連続だったと思うけど、部の顔として、目標だった応援されるチームに最も貢献してくれたスイ、いつも味方でいてくれて、人に頼るのはへたっぴなくせに頼ってねって言ってくれて、ありがとう。
熱い闘志は隠しつつも、冷静に状況を見て、思ったことをしっかり言ってくれる沙樹、何も言わず一緒にいてくれて、安心させてくれて、いつも沙樹の存在に救われてました、ありがとう。
板ばさみになったり、嫌われ役になったり、抱え込むものも大きかったカイ、負担と感じていたことを一緒に背負ってくれて、ありがとう。
この時期のわたしはモットーに反して、不機嫌を伝染させるような人間だったと思います。
そんな私を温かく広い心で受け止めてくれて、その優しさに救われて、もう一度だけ、最後に頑張ってみようと思うことができました。
どうしても同期の話が多くなりますが、後輩のみんなにも感謝の気持ちでいっぱいです。
それぞれが、各々角度で葛藤していたと思います、我慢していたと思います、模索する毎日だったと思います。
それでも、チームのために行動し続けてくれたこと、支えられて、救われ続けていました。
こんなにもかわいくて、大事で、大切な後輩に出会えると思ってもいませんでした。
現役中に恩返ししたかったけど、しきれなかったから、引退してから、少しずつでも、何か返していけたらと思っています。何度も言ってるけど、これからも絶対的な味方でいます。そして、心の底から、応援してます。

長々と失礼いたしました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。
小学校6年生の時から問い続けた「4番の似合う人になれていたか」は分かりません。
それでも、たくさんの人の支えのおかげで、「4番に誇りを持つ」ことはできたような気がします。
最後になりますが、遠方より会場まで足を運んでくださった方、応援してくださった方、支えてくださった方、関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。
慶應義塾バスケットボール部に12年間携わり、やっと、ほんの少しだけ、意義や強みが分かったような気がします。これから、少しでも恩返しできるよう、自分自身と向き合い、成長し続け、精進してまいります。
ありがとうございました。
チームに必要とされるために -重増 志保
2020年1月21日 13:00
慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております、重増志保と申します。
この度は、卒業ブログということで何を書くべきなのか最後まで悩んでいたのですが、ようやく引退を実感しつつある今、感じていることを素直に書かせて頂きました。
拙い文章ですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しく思います。
「あなたはチームのためになってない」大学2年生の夏合宿、監督にそう言われました。
「チームは良くなっているのに、あなたはそこにいない」
はっきり言って心外でした。
合宿を通してチームは団結し、一体感が強まっていきましたが、それに反比例して私は対人練習から外され、コートの外にいる時間が長くなっていました。
それでも、なんとかチームのために頑張ろうと必死だったからです。
その2ヶ月後、私たちは4部に降格しました。
当時の4年生が、「皆に3部を残してあげられなくてごめん」と頭を下げて私たちに謝りました。そして、4年生は声をあげて泣きました。
私も、悔しくて泣きました。
お世話になった大好きな4年生に恩返ししたいと思っていたのに、1番苦しい思いをさせて引退させてしまった。
この人たちのためなら何だってできる。そう思っていたのに何もできなかった。
こんなに悔しい思いは、もう二度としたくないと思いました。
2年生のリーグ戦は、私に大切なことを教えてくれました。
毎朝1番に朝練に行ったこと。オフの日の放課後、午前練習があった日の夜、試合の後、何度も一人で体育館に行ったこと。トレーニングコーチの授業に通ったこと。
たくさん自主練習をしていた私を認めてくれた同期や先輩もいましたが、それは実力不足の選手が当たり前のことをしていただけです。
朝練なんてしなくても実力のある選手の方が、よっぽどチームの役に立てます。
力になりたいと思っている人たちの、力になれます。
私は、疲れてなくても、痛いところがなくても、ベンチから応援し続けることしかできない。
1分でも休ませることもできない。背負ってるものを共有できない。
それは、自分が選手として無力だからだと思っていました。どれだけ頑張っても、練習しても何もできないんだと思いました。
でも、そのうちにベンチで仲間を支えられるような言葉すら出てこない自分に気づきました。
自分は、チームに存在する者として、無力でした。今この瞬間にチームのために必要なことを、試合に出ている人と同じぐらいできていなかったと気づきました。
ベンチにいる立場から一緒に戦うことができなかったのは、チームと同じ想いや覚悟を背負っていなかったからだと思いました。
コートで戦う人の苦しみがわからなかったからだと思いました。
だから、私はコートに立ってチームを支え、試合に出られない人を引っ張れるようになりたいと思いました。
3年生は、自分ではなくチームのために、ようやく気付いた当たり前のことをひたすら取り組み続けた1年でした。そして、自分のために頑張っていた2年間よりも、見えてくるものや得られるものが大きく変わり、プレーも少しずつ伸びていきました。そして、リーグ戦から試合に出してもらうようになりました。

4年目、最後の1年間については、何と言えばいいのか正直分かりません。
私が試合に出るようになった裏で、選手を諦めた同期がいました。
コートに入るのと入れ替わりに、怪我してコートに立てなくなった仲間がいました。
ベンチに入れてあげられない後輩が何人もいました。
その中で、コートに立つことが与えられた。
その重みを忘れたことは一瞬もありません。
だからこそ、チームの後輩、同期のために、果たさなければならなかったことがありました。
たくさん叱って下さったスタッフの方々に、見せたかったものがありました。
それでも、体現できなかったこと、返せなかったことが本当に沢山あります。
どんな言葉も言い訳にしか聞こえませんが、私自身が越えるべき壁を越えられなかったからだと思います。
それでも、こんな私を最後まで支えてくれたチームの皆に本当に感謝しています。
一緒に戦ってくれた後輩たち、最後まで見捨てずに信じ続けてくれて、託し続けてくれた同期、本当にありがとう。
チームのために多くの時間を費やし、常に最善を尽くして下さったスタッフの皆様、どんなに遠い会場にも駆けつけ、声をかけ続けて下さったOGOBの皆様、言葉で、背中で、沢山のことを教えて下さった先輩方、本当にありがとうございました。
こんなにも大切な仲間を得ることができたことが、4年間積み上げてきたことの全てだと思います。

チームにとって必要な存在になれなければ、コート上で必要な選手にはなれない。
コートに立っても、それができなければチームに必要な存在にはなれない。
だから、チームのため、仲間のために頑張ること、信頼を築くことは一番大切であること、それと同時に自分が成長するための努力は何があっても絶対に諦めてはいけないこと。
4年間を通して、学んだことです。
今後は、OGとして現役チームをサポートし、応援する立場からしっかり支えて参ります。
また、来シーズンも、体育会女子バスケットボール部を宜しくお願い致します。
長い文章でしたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
4年間の財産 -山崎 多絵
2020年1月18日 13:00
慶應義塾大学法学部政治学科4年ならびに体育会女子バスケットボール部所属の山崎多絵と申します。
引退してから2ヶ月が経ちました。今は海外旅行に行ったり、暇さえあれば友人や父とポケモンを捕まえに出掛けるようなのんびりとした日々を送っています。
さて、この度は引退ブログということで私がバスケ部での4年間で得た3つの財産について書きたいと思います。拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
挫折
思い返してみると、私は大学入学まで挫折のない人生を歩いてきました。家には陸上競技・絵画・書道・作文などの分野での十数枚の表彰状。中学では3年間学年1位の成績。高校大学受験共に第一志望に合格。そしてバスケにおいても、そこそこ勝ち進むチームで40分間試合に出続けていました。
こんな私にとって、バスケ部での日々は、生まれて初めての挫折の連続でした。1年目、対人練習には混ざれずコート外から練習を眺める日々。2年目、チャンスを掴みかけては遠ざかっていくことの連続。この頃、私は初めて気が付きました。挫折から立ち直る方法を知らずにここまで育ってきてしまったことに。
3年目もなかなかチャンスを掴みきれない日々が続き、ついに私の身体は限界に達しました。3年の11月、約3年振り9度目の自然気胸を発症しました。翌月には、10度目の気胸。担当医の方には「何がそんなにストレスなのか。楽しいことを考えるように。」と言われました。けれど当時の私には、バスケで報われること以外に楽しいことは頭に浮かびませんでした。
そして3年の1月には、再発症を防ぐ為に人生3度目の肺部分切除の手術を受けました。手術後、意識が戻り始めると、痛い痛いと泣きわめいていたことを覚えています。それ程に痛かったです。そのような状態からスタートし、2月のシーズンインからは無理矢理練習に合流しました。復帰直後の練習は、体力的に途轍もなく苦しかったことを今でも鮮明に覚えています。身体は徐々に回復していきましたが、術後の痛みは暫く続き、全てが元通りにはなりませんでした。
さらっと言ってしまうと私のバスケ部での4年間はこのようなものです。楽しい嬉しい時ももちろんありましたが、正直苦しい悲しい時の方が何倍も長かったです。けれど、あの苦しい悲しい経験こそが、願ったことは一瞬の努力で全て達成させてきた私という人間に、少しは深みを与えてくれたと思います。だからこそ、挫折は私にとって4年間で得た大切な財産です。
誰かの為にということ
私はプレイヤーをしながら、3年次には副務を、4年次には主務を務めていました。副務主務がする仕事は、目に留まらないことがほとんどですが、そのどれもが部を運営する上で欠かせない仕事です。
事務仕事をすることが嫌いではなかった私は、意気揚々とこの役職を引き受けました。今思い返すと、当時は主務をなめていました。
副務主務がする仕事は想像以上に広範囲に及び、簡単にこなせるものではありませんでした。練習を休んで、自分の時間を割いて、何故ここまでしなければならないのかとパソコンを前に涙が止まらないことが何度もありました。
そのような時、私の心を支えてくれたのが、部の為に、部員の為に代表してこの仕事を行っているという責任感でした。もし、主務としてすることが、私個人の為だけのことであれば、あそこまで妥協せず頑張ることはできなかったと思います。誰かの為にと思えるその誰かがいてくれることが、とても有難いことだと学びました。
仲間
これまで、私は自分の悩みは自分の中だけで解決してきました。なぜなら、感情を表に出すこと、人に悩みや弱みを話すことは恥ずかしいことだと思っていたからです。
けれど、バスケ部で、1人ではどうしても解決しきれない悩みに直面した時、初めて人に悩みを話してもいいのかもと思わせてくれたのが同期でした。
また苦しみから逃げ出したい、辞めたいと思った時にその心を繋ぎ止めてくれたのが、先輩・同期・後輩の仲間の存在でした。どんなに苦しい時でもこの仲間と同じ目標に向かっていたい。単純に一緒にいたいという想いが消えることはありませんでした。
綺麗事に聞こえるかもしれませんが、仲間がいなければ4年間をバスケ部で過ごし、今こうして引退ブログを書くこともなかったと思います。感謝しても感謝しきれません。仲間は何事にも変えられない財産です。

最後に
4年間、ここだけでは到底書ききれない程多くの笑顔・涙・孤独・悲しみ・喜びがありました。
私は嫌なことはすぐ忘れてしまう性質なので、嫌な思い出は忘れ、綺麗な思い出だけを残すことは簡単です。けれど、この4年間に関しては酸いも甘いも全てを心の中に残しておきたいと思います。そして、挫折の経験を忘れず、常に誰かの為にという心をもって、今後も仲間との繋がりを大切に社会人という新たなステージに進んでいきたいと思います。
4年間バスケ部での活動を通して関わった全ての皆様、有難う御座いました。

分析結果 -頃末 沙樹
2020年1月14日 13:00
慶應義塾大学理工学部4年ならびに体育会大学女子バスケットボール部の頃末沙樹と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
私がこれを書くのは2回目です。前回は「AIちゃん」という題で自分のキャラクターについて書かせていただきました。今回は引退を受けて、ということで書かせていただきます。いい機会なので、自分のバスケ人生について「分析」してみようと思います。
私たち4年生は11月に引退致しました。私は1年生の終わりからの入部だったので、約3年間をこのバスケ部で過ごしたことになります。入った当初は、右も左もわからずてんてこ舞いになっていたのを今でもよく覚えています。そんな時、まだ知り合ったばかりではありましたが、この同期がいてくれたからこそ乗り越えられたと感じています。
コーチのいなかった高校時代は自分たちで練習も試合もやらなければならず、葛藤が多くありました。人数も少なく、外からの指摘もあまりなかったのです。後輩たちが同じ思いをしないように、という思いもあって、大学1年生の時はコーチをやっていました。しかし、コーチという立場で試合に関わっていた一方で、プレイヤーを見ていると時折自分がプレーしたいという気持ちに強く駆られました。中学時代から知り合いだった梅木が早慶戦でベンチにいるのを見ても、體育會という世界で、コーチのいる下で、バスケをやりたいと思いました。以前より、自分がコーチをやるという選択肢を消して考えた時、體育會は勉強との兼ね合いを考えても自分には厳しいだろうと言う気持ちと挑戦してみたいという気持ちの両方を持っていました。高校生の頃は前者に傾いていたのですが、少しずつ挑戦をしてみたいという気持ちに傾いていきました。
毎年行われている慶應フェスティバルという塾内のバスケ部が集結し交流戦を行うイベントに参加した時に、體育會に入るか悩んでいる旨を體育會の方々に伝えると皆誘ってくださり、さらに気持ちが傾きました。2年生になる直前、本格的に周りに相談をし、入部を決意しました。

大学でのバスケでは、高校時代とは異なる葛藤がありました。
同じ学生主体であってもコーチがいることや、勉強との兼ね合いを始めとした様々な要素がそこにはありました。予想していたこと、予想していなかったこと、予想していたけれど予想より大変だったこと。特に勉強との兼ね合いは自分にとって、やはり大変なものでした。行きたい研究室と部活のどちらをとるのか。そういった決断を迫られたのです。私の決断で迷惑をかけたこともあるとは思いますが、理解を示してくれた同期や周りの方々がいたために、これまで続けてこられたと強く思います。
また、引退時に後輩一人一人へ手紙を書きました。手紙を書きながら1年を振り返っていると、後輩への感謝の気持ちが溢れ出てきました。表現が乏しくて上手く言葉にできた自信はないのですが。3年生、2年生、1年生の力があったからこそ3部定着への第1歩となる結果を出せたのだと思います。一人一人が各々役割を持って行動した結果だと思います。ありきたりの言葉ですが、そう感じるのです。感情がなかなか表に出ないといわれるAIちゃんですが、リーグ戦中の初勝利や3部残留決定時に涙しそうになったのは周りの支えの実感と、それによって目指してきたリーグ戦で目に見える形で結果を手にできたことが大きかったように思います。
「感動」とは正にこのようなことを指すのでしょう。
目標達成は果たせませんでしたが、次の学年へとつながる結果が得られたことは良かったと思います。そして、嬉しく思います。
余談ですが、最近ゲーム実況を見たり自分もゲームをしてみたりするようになりました。ゲームというのはe-Sportsと呼ばれることがあります。ゲームも技術があり、基礎的な練習や実践練習、対戦、チームワーク等、バスケのような体を動かすスポーツと通ずるものがあるのです。人によって差はあるものの、練習の他に上手な人のビデオを見たりアドバイスをもらったり自分のプレーの動画を見て反省したりすることで上達することができます。チーム戦では互いに声を掛け合うことで協力を図ることもできます。ゲーム実況で見る人を楽しませることができるのも、試合観戦で楽しませるという点で似ていると思います。
バスケをやって得られたものはこのように他の分野にも通じていて、新しいことを始めるときや他の分野の人との対話で活きるだろうと感じます。コーチとプレイヤーの両方を経験したということも含め、バスケを通じて自分の視野を広げることができたのではないかと思います。
引退を受けて、私の中でバスケに関して一段落がつきました。バスケを通じて得たものを大切にしながら今後も過ごしていきたいと思います。
特に同期のみんな、これからもよろしく。
仲間への感謝 -山﨑 結香子
2020年1月11日 13:00
慶應義塾大学文学部人文社会学科3年ならびに体育会女子バスケットボール部の山﨑結香子です。どうぞよろしくお願い致します。
今年度私達は3部リーグにおいて、目標の4勝には届かなかったものの、入れ替え戦に行く事なく残留し「3部リーグ定着」への一歩を踏み出す事が出来ました。こうした成果を残せたこと、一年間活動を続けられたことは、応援して下さった皆様、OBOGの方々、保護者の方々、スタッフの方々のご支援のおかげです。一年間、本当にありがとうございました。
チームとしての感謝と同時に、私は個人として強く感謝したいことがあります。
一度留学でチームを離れた私を再び受け入れ、共に戦わせてくれた仲間に対してです。
私は1年生の時、選手としてバスケットボール部に入部しました。試合に出場させて頂き、尊敬する先輩方と一緒にプレーするのが楽しくて仕方がなく、どうすれば自分のプレーで勝利に貢献できるかを考える毎日でした。
2年生になり、私は留学に行くことを決意しました。当時の私は相当自分勝手で、同期や先輩後輩、スタッフの方々には本当に迷惑をかけてしまいました。特に同期は、話し合いに沢山時間を割いてもらったし、傷付けてしまったし、謝らなければいけないことばかりでした。それでも皆、見捨てることなく私の話を聞いてくれました。最終的な決断をした日、旧記念館で、誰もいない中、5人で宣誓をしました。録画した映像を見返すとどうしても泣いてしまいます。同期4人が、私がいない間も努力と苦悩を重ねてきた事を実感するからです。誓い通り、理沙は誰よりも本っ当に沢山シュートを打ってきて、誓い以上の辛い役を最後までやり抜いていたし、ニコは誰よりも自主練をしてきて、副将として別人のように頼もしくなっていたし、スイは苦しくて悔しい思いを沢山した中で戦い抜いて、チームに必要不可欠な存在だったし、沙樹は誰よりも速いプレーヤーになって、中心選手として引っ張っていたと思います。4人を心から尊敬しているし、OBOGの方から「この代はよくやった」とお声を頂けるのは、間違いなく4人が必死に戦い抜いたからです。
留学から帰った4年生の6月に、私はスタッフとして部活に復帰しました。同期4人の間ではきっと思うことが沢山あっただろうし、話し合いにも時間を使わせてしまったと思いますが、私が戻ってくることを認めてくれました。後輩も皆優しい言葉で迎えてくれ、今でも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。皆の優しさに甘えるのではなく、自分の貢献によってチームを強くすると覚悟しました。
復帰してから引退までの期間は、留学前にスタッフを務めた時以上に、自分がチームの為に何をするべきかを考える生活でした。練習中の基本的な仕事も、選手の自主練も、技術的な提言も、チームを離れていた分の信頼を取り戻すために自分に出来ることは何でもやる気持ちでした。「信頼」と「価値提供」が、私がチームに所属する上で重要視していた軸でした。同期、後輩が自分の声を聞いてくれる有難さをいつも噛み締めていました。
練習メニューや試合のメンバーなど、試合に直結するような判断をするようになると、絶対にその責任を果たし、求められる以上の働きをしようと思っていました。自分は同期の支えになっているのか、自分を頼って相談してくれた後輩に価値ある言葉を送れたのか、チームの勝利に貢献できているのかと悩む時も決して立ち止まらず、日々の練習に集中し、ビデオを観る、メニューとメンバーを考える、試合のスカウティング、今のプレーはどうだったのか、何と声をかけるか、次は何をするべきか、と自分の役割を追求するようにしました。何よりもバスケ部の活動を優先させると決めていました。未熟な部分が多々あり、同期と後輩に支えてもらいながらで情けなく思うこともありましたが、最後までやり切る事が出来たのは、仲間の支えのおかげです。

リーグ戦では冒頭述べた通り、3部残留という結果を残しました。4勝を達成出来なかった事は悔しいですが、最後に「いい代だった」という言葉を頂けて引退が出来る事は、本当に幸せなことだと思います。全員が当事者意識を持って考え、それぞれが役割を模索し、一体となって戦ったチームでした。後輩も一人一人に苦しい思いがあったと思いますが、4年生を沢山支えてくれ、3年生を筆頭に本当に頼りになりました。そんな代で皆と一緒に戦えた事、仲間として居させてくれた事には、感謝してもしきれません。
引退の日に後輩達がくれたアルバムや、引退ビデオのメッセージは、私の生涯の宝物です。
最後に、私が留学後バスケ部に戻ろうと思ったのは、同期のためでした。チームへの貢献は勿論ですが、同期が大好きで、また一緒にバスケがしたくて、今までかけてしまった迷惑と、積もり積もった感謝を返したかったからでした。「カイは復帰してもプレーヤーをやりたがると思った」と言われますが、バスケが大好きでやりたいという気持ちよりも、同期と一緒に部活をやるには何をするべきなのか、4人が悔いなくやり切るためには自分はどうするべきなのかを、一番に考えた上でのスタッフでした。そのためなら自分が現役でなくても、スタッフの仕事が苦しくてもいいと思っていました。この人達のためならどんなに自分がしんどくてもいいなと思える同期でした。受け入れてくれた大好きな彼女達の想いに応えたいというのが私の何よりの原動力でした。4人には本当に、誰よりも何よりも感謝しています。

留学せずに部活を続けていたらどうなっていたかを考えた事が無い訳ではありません。同期や先輩後輩との関係は今と違うものになっていたかもな、と思う事もありますが、それが後悔に繋がる事は決してありません。最高の同期、先輩、後輩と一緒に戦う事ができた、これ以上ない4年間でした。
私はこのチームが大好きで、本当に感謝しています。今まで、ありがとうございました。3年生を中心に、体育会女子バスケットボール部は更に飛躍していくと思います。これからも応援をよろしくお願い致します。
拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
AI ちゃん -頃末沙樹
2019年9月2日 11:00
慶應義塾大学理工学部4年ならびに体育会大学女子バスケットボール部の頃末沙樹と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
「AIちゃん」。同期たちは私にそう愛称をつけてくれました。”あい”ちゃんではありません。”AI”は人工知能を指す”エーアイ”です。私は機械を想起させるような気質を持っているらしいのです。
同期に聞いた理由や自己分析から推測するに、感動ものの映画やドラマを見ても感情移入せず涙を流さなかったり、頼まれごとに対して必要だと判断すれば何も言わずに引き受けたりする部分が機械を想起させるのだと思います。
また、性格の部分だけでなく、会話の中での言葉の選択が固いときがあり、それもまた機械らしさを感じさせるのかもしれません。私自身、この愛称はしっくりくるところがあり、気に入っています。そんな私の個性からか、部内では冷静な人だと言われます。感情に任せて話すことがない人、客観的な意見を言う人、という存在なのだそうです。
一方で、もっとバスケ中は人が変わったように熱くなった方が良いと言われたことがあります。心は熱く、頭はクールに、と言う言葉がある通り頭をクールに保つことは良いことだと思います。しかし、普段感情の起伏が激しくない私は、心の熱さまでもクールにしようとしてしまう節があるようなのです。
これからももちろん技術的な成長も目指しますが、最後のリーグ戦を目前に控え時間がない中で成長していくには、バスケ中の心の熱さを良い形でプレーに反映していくことも大事なのではないか、と思っています。残り少ない日々の練習でこれを念頭に置いて取り組んでいきたいと思います。
さて、こんなAIちゃんが早慶戦のランキングではなんと、とても人間らしい称号を手に入れました。その名も、いいお母さんになりそうランキング1位です。早慶戦ではパンフレットに様々なランキングが掲載されます。その内容は毎年異なっており、早慶男女が各々のチーム内で投票を行って集計を行います。
いいお母さんになりそうランキングでランクインした主な理由を一言でまとめると、創造力です。バレンタインデーに作ったクッキーが好評で皆の印象に残り、票を集めたようです。食べ物を作る能力…たしかにこれはいいお母さんにつながる感じがします。クッキー以外に作ったものはスマホケースです。趣味で3Dプリンタを用いて物を作ったりすることがあり、自身のスマホケースを自作したのです。
スマホの大きさをノギスで計測し、モデリングして印刷します。これがいいお母さんにつながるのか疑問に感じるかもしれません。スマホケースはたくさん市販されており、自分で作る必要はないのではないか、気に入ったものを買ってくればいいのではないかと感じるかと思います。
この3Dプリンタでのモノを作る力が真価を発揮するのは市販されていないようなものを作るときです。例えば、作戦盤の角。コートでの動きについての話し合いをするときには作戦盤が用いられることが多々あるのですが、この作戦盤の角はプラスチックでできており、構造上少々割れやすいかと思います。
これは替えが単品では売っていません。そこで、3Dプリンタでのモノを作る力を発揮し、見事直しました。この能力がいいお母さんにつながるであろうことがお分かりいただけたかと思います。
また、AIちゃんは意外にも他校とのイベントが好きだったりします。慶関戦では、両校合同のレセプションがあり、学年別で食事に行く機会もあります。年に一度しか会ってはいませんが、このレセプションと食事会で関西大学と交流できるのが好きでした。また来年、と言って毎年別れていたのが、またいつか、となってしまうのが少し寂しかったです。
早慶戦では、多くの観客の集まる大きな舞台でスタートとしてコートに立たせてもらえたことが素直に嬉しかったです。中学高校で相手チームとして何度か対戦した現キャプテン梅木と共にスタートとしてコートに立ったこと、中学高校での同期がチアとして、そして観客として応援をしてくれたことはとても感慨深いものでした。
バスケを通じて知り合った仲間たちと様々な形でまた関わりあえるというのが面白くて、楽しくて、他校との交流を私が好む理由はこのようなところにあるのだろうなと思います。
また、夏合宿で練習試合をしている信州大学とも交流があり、一年越しの相手の成長を目の当たりにして良い刺激を受けたりもします。それもまた面白みの一つだと思います。

今年の夏合宿では、それまでの試合で浮き彫りになったチーム力の向上という課題に挑みました。合宿内で行われた信州大学との練習試合では、今までなかなか拭うことが出来なかった、コート上とベンチに隔たりがあるような感覚がなくなり、チームの一体感を実感しました。
練習試合後の残りの合宿での練習は、今までより活気のあるものになり、秋のリーグ戦に向けてチームが出来てきたという感じでした。
自分自身の個性の良いところと直すべきところを見つめ直し、合宿での良い流れをしっかりと自分たちのものにして、怪我のないように気をつけながらリーグ戦に向かって良い練習を積み重ねて勝利を掴みにいきたいと思います。