卒業ブログ 宇野 晋一郎

題名:愛と笑い

突然ですが、皆さんは

何かを愛せてますか?

今日笑えてますか?

『愛と笑い。』ふざけているようですが、僕の人生のテーマです。

何かを愛し夢中になり、そして笑顔で生きる。僕の幸せはここにあります。

慶應義塾志木高等学校に入学しバスケッボール部に入り、関東大会出場や主将まで務めさせて頂いた3年間、大学ではコートに立つ立場ではありせんでしたがスタッフとして過ごした四年間、幸せでした。幸せ太りで高1入学当初は50キロ程しかなかった体重も今では75キロあります。

そのような幸せな環境で過ごさせて頂いた7年間の感謝を綴らせて下さい。

またこれを読んで、慶應でバスケットボールっていいなって少しでも多くの人に思っていただければ幸いです。

慶應志木で過ごした3年間は間違いなく僕の人生の分岐点でした。

中学では、エース兼主将で正直チヤホヤされるのに酔ってました(笑)。

しかし、志木校バスケットボール部入部とともに実力の差に唖然としました。同期にも歯が立たないし、先輩はうまいし体がでかすぎるし、正直試合に出れるのか心配な程に。

井の中の蛙大海を知らずってやつです。

入部して1年目はひたすら声を出して、がむしゃらに頑張っていましたが、試合には出れませんでした。

なんで試合に出られないんだろう…?

監督、ヘッドコーチには

「試合に出てる人よりシュートもドリブルもパスも下手だから出れないんだ。」

と、言われたのをすごく覚えてます。

ド正論ですよね。何も言い返せませんでした。

ただこれには、続きがあり

「じゃあ何をしたら出れるか、チームが勝てるかを考えろ。」こうも言われました。

この日から「がむしゃら」に取り組むのではなく、「考えてがむしゃら」に取り組むようになりました。

上手い人より、1秒でも早く動く、1秒、1cmきついことをする、そう考えてがむしゃらに動きました。シュートで敵わなかったら、技術より気持ちが大事なリバウンドやルーズボールに徹しよう。そう考えてがむしゃらにコートを走り、飛び込みまくりした。努力は裏切らないと言いますが、考えない努力には裏切られます。すごく単純なことですが、成果が変わってきました。

2年目は主将になり、全く違う立場で難しかったです。主将になった理由としては、僕の代がヤンチャな人だらけで、それを牽引していたヤンチャものが僕だったからだと思います(笑)。

ルーズボールとリバウンドで少しずつ試合に絡めるようになってきた2年目。試合に出始めてからは頑張るモチベーションが変わりました。

勿論試合に出たいから頑張るという気持ちもありましたが、試合に出ていない人間が自分の姿を見て納得出来るように頑張りました。一人で頑張るのではなくチームで頑張るということを体感したのもここからでした。

主将として意識したことは

「チームメイトから向けられる100%の理想に向けて120%努力しろ」

「辛い時でも笑顔でいる」

これだけです。

技術のない自分にはプレーで引っ張ることができない分、精神的支柱になることを考えてました。空回りしすぎて、倒れるくらいきついトレーニングも笑いながら走っていた記憶もあります。傍から見たら不気味ですね(笑)。

最終的には平均身長も小さく、シュートもドリブルもパスも下手で、だけどもリバウンドとルーズボールに飛び込むことだけは日本一を誇れるチームになった気がします。日本一は冗談ではなく日本代表にも勝る自信はあります。たまに試合のビデオを見るのですが、ボールが転がるたびに誰かが一緒に転がっていました。

今でも覚えるのは関東大会で準優勝しているチームに残り0.4秒で逆転勝利した試合です。相手は約195cmの高身長プレーヤーが2人いる大きいチームでした。逆転した最後の1プレーはリバウンドとルーズボールで競り勝ちを手にしました。バスケットボールは背が高いチームが一般的に有利ですが、地面に転がるボールには高さが関係ないので徹底して飛び込みました。

最後の逆転の瞬間も勿論記憶にありますが、自分のシュートが入ったのを今でも鮮明に覚えてます。

今まで試合でミドルシュートを打たなかった僕(壊滅的に下手だったので)が試合に出れていないチームメイトに「空いてるならシュート打てよ」と喝を入れられたからです。

一緒に頑張ってきて、彼らの代表で試合に出ているのだと思うと本当に力って湧いてくるんです。多分同じ状況でシュートを打たされてももう2度と決める自信はありません。

(勝利の瞬間:左から僕、吉敷、右から泉、小原、全員2018年度体育会バスケットボール部所属です。)

これぞチームスポーツの良さだと思います。1人では乗り越えられないものも乗り越えられる。

愛するチームの為に頑張れる、そしてどんなに辛い事も笑顔で乗り越えられる。そう思わせてくれたチームメイトにまず感謝したいです。それを気付かせてくれた監督、ヘッドコーチ、支えてくださったOB、保護者にも感謝しています。

高校生活の話でお腹いっぱいだと思うんですが、もう少しお付き合いください(笑)。

そんな高校生活を経て、僕は正直完全燃焼で体育会に入る気なんてありませんでした。なので大学一年生の春はサークルに行ってみたり、留学してみたりと今までと全く違う人生を歩んでみました。

しかし、何か物足りない…。

そう思っていた頃に、志木高の時からの同期の小原&吉敷にピザ屋さんで体育会に誘われました。

久しぶりにご飯でも行こうというノリだと思ったら、「大学でスタッフをやって欲しい」と突然言われたので正直驚きました。ここまで読んで僕のことを知らない方も気付いてきたと思いますが、そう、僕はお調子者の目立ちたがり屋です。

裏方に徹する事なんて出来るのかな…と迷いました。

いざ練習に行ってみると、練習中からスタッフの活躍が凄いんです。学生コーチ、マネージャー、トレーナー、学連。色々な立場の人が練習に、試合にそれぞれの仕事で貢献しチームに勝利をもたらす。裏方と思っていた自分が恥ずかしいくらい試合に出る出ない関係なく全員が前へ前へと引っ張る姿、自分の役割を全うする姿に組織力を感じ、憧れを抱きました。そしてここの一員になろうと決心し、一年生の秋、学生スタッフとして入部しました。

それからというもの、四年間でマネージャー、一貫校コーチ、学生コーチ、広報と色々な事に携わりました。

僕が一番心に残ってるのは三年生の頃に行ったホームゲームです。

地域の皆さま、一貫校、慶應生、他部、OBの皆さま、大学バスケファン、数えればきりがないほどの多くの方に応援されていることを再確認しました。

早慶戦とは違い、完全にホームの雰囲気の中試合をし、用意した企画に喜んでもらえる、試合を楽しんでもらえる。自分の為に頑張ってた高校当初に比べ、チームのため、選手のため、そして応援してくださる人のため、どんどん輪が広がっていきました。

(ハイタッチをしている制服姿が僕で、もう一方が高校バスケ部からの同期の吉敷です。立場は違いますが同じ方向に進む。高校の写真と見比べると感慨深い…。左は澤近。体は大きくて一見怖そうなんですが意外と可愛げがあるんです。)

四年間スタッフをやってきて感じたことは、なんといっても周りに支えられていることです。ありきたりな言葉ですが本当に感じてます。

間違いなく今の同期、先輩後輩がいなければ今の自分はありませんし、ご支援ご指導くださったOBの皆さま、保護者の支えがなければ成り立ちませんし、応援してくださる方がいなければ頑張れませんでした。

本当に四年間有難うございました。

慶應義塾のバスケットボールで何を得た?と聞かれたらこう答えます。

生涯の友です。自分でもこんなクサいこと言うとは思いませんでした。

確かに仕事を処理する能力、分析する能力、企画力など様々なスキルは身につきました。

しかし顔から火を出してでも断言できます。それより大事なものを得ました。

愛するバスケットボールに携われ、愛する同期に恵まれ、色々な方にチームを愛してもらえ、なんでもない日でも、辛い日でも毎日笑顔で過ごせ、僕は幸せでした。引退後は仕事に就くまで夢中になって愛せるもの、笑顔で過ごすことを模索中です。貴重な学生時代、慶應義塾のバスケットボール部で、まさに愛と笑いに溢れた7年間を過ごすことができ良かったです。

最後に皆さんにもう一度聞きます。

10年後、20年後、死ぬ前の僕も、読み返す機会があれば自分に問いかけてください。

何かを愛せてますか?

今日笑えてますか?