「全てを捧げた4年間」
はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。慶應義塾大学経済学部4年の清水綺介と申します。バスケ部では副将を務めていました。
引退して3日後くらいに足首を捻挫し、足を引きずりながら生活していたところ卒業ブログを書く番が回ってきました。先輩方の卒業ブログをかっこいいなーと思いながら毎年読んでいたのが、あっという間に書く側になってしまいました。
それなりにブログ映えする壮絶な4年間を送ってきた方だと自負していましたが、いざ書こうとすると色んな思い出が蘇ってきて全然まとまってくれません。取り止めのない文章ですが、ぜひ最後までお付き合い下さい。
決意
高3の引退試合で惨敗した時、もう大学では絶対にバスケはやらないと思っていました。小学生の頃からずっとバスケ漬けの生活を送ってきてもう未練はないし、大学ではアメフトとかラクロスとか、何か新しいスポーツを始めてやるんだ!と豪語していた僕ですが、大学生活が近づくに連れて心の中のモヤモヤがだんだん大きくなっていく感覚がありました。そんなある日、ふと思いました。
「自分が本当にやりたい事は何だろう」
大学バスケの早慶戦は応援する立場として4回観てきたこともあり、体育会バスケ部の存在は比較的身近に感じていました。しかし、だからこそ現実を見てしまっている自分がいました。自分には実力的にも熱量的にも手が届かないだろうな。こんなにデカくて上手い人たちに敵うわけがない、と自分が本当にやりたい事に蓋をして逃げている事に気付かされました。
「本当はバスケがしたい」
「自分も早慶戦のコートに立って活躍したい」
もしかしたら、自分が一番輝ける場所はバスケ部じゃないかもしれない。もしかしたら4年間試合に出る事はないかもしれない。けど、それでも絶対に諦めずに4年間をバスケに捧げたい。心の中のモヤモヤはなくなり、バスケ部で4年間やり切る覚悟を決めました。
苦悩
そんなこんなで大学でもやはりバスケ漬けの生活を送ることになったわけですが、高校まで大した結果も残しておらず、特に周りと比べて秀でているところもない下手くそは当然大学レベルで通用するわけがなく、試合に絡めない期間が続きました。
当然覚悟していた事でしたが、それでもベンチに座り続けていた時間は死ぬほど悔しかったし、コート上で活躍しているチームメートの背中が遠く感じました。
試合に出ることが当たり前だった高校までのバスケ人生は本当に幸せだったんだなと、つくづく思いました。
でも、今振り返ればそんな経験も全部自分の成長に繋がったなと。ラインの端から端までちゃんとこだわる、ラントレは絶対1番になる、年末年始みんなが休んでいる時こそ体育館に行く。それが正しい努力だったのかは分からないし、かなり遠回りしてしまった気もします。でも、そうやって必死に食らいついて、少ないチャンスを死に物狂いで掴もうともがいたあの時の経験こそが自分を大きく成長させてくれたと思います。
そんな地道な努力が実を結び、2年生の終わり頃から少しずつ試合に出させて頂く機会が増えていきました。この時はとにかくバスケが楽しく、ようやく活躍の場を掴み取った事に対する嬉しさと、これからへの期待感に溢れていました。
挫折
しかし、5月のトーナメントで左膝の半月板を断裂した事で僕は一気にどん底へと落ちました(怪我について詳しくは前回のブログで書いています)。
手術してまたバスケが出来るようになるまで最低でも半年かかると告げられ、今まで地道に積み上げてきたものが一瞬にして崩れ落ちる感覚を味わいました。
「これからって時になんで俺なんだ」
診断を受けた時は病院の待合室でうずくまりました。
ただでさえ崖っぷちなのに、半年もコートから離れたら戻ってきても試合に出られないのではないか。一時期はそんな絶望感で視界が真っ暗になりました。でも、こんな絶望的な状況で下を向いてしまったらそれこそ終わりだ。半年休んでもまだ最後の1年が残っているから、ラストイヤーを最高の形で迎えられるように、今は我慢してリハビリに励もうと前を向きました。
こうして、3年生の秋シーズンは全体練習には参加せず、地道なリハビリに励みました。コートに立てない分自分がリバビリに取り組む姿を通じて少しでも誰かの刺激になればいいなと思い、毎日誰よりも早く体育館に行って汗を流すようにしました。
そんな地道なリハビリ期間が約8ヶ月間続いた後、3月の六大学から無事復帰を果たすことができ、最上級生として迎えるラストシーズンが始まりました。
リーダーシップの話
「副将としてリーダーシップを発揮し、チームを勝利に導く」
個人目標としてキックオフミーティングでチームの前でこう宣言し、最後のシーズンが幕開けました。
「リーダーシップ」とは何なのか。
ラスト1年間はこの問いと向き合い続けました。
リーダーシップを、「組織における目標を達成するために周囲に与える影響力」 とするならば、自分はどうやってこのチームに働きかけて影響力を与えられるだろうか。自分なりのリーダーシップを言語化し、行動に落とし込めるようにノートにひたすら書き出してみたり、色々と試行錯誤しながら辿り着いたのはいわゆる「背中で見せる」というやつでした。
僕はもともとあまり喋るタイプではなく、ミニバスと中学で主将をやっていた時も寡黙なキャプテンと言われていました。ただ、それでもリーダーを任されていたのは単純に自分が誰よりも練習していたからだと思います。本気でバスケが上手くなりたいという気持ちと、それに見合う努力量だけは絶対に誰にも負けないようにとプライドを持ってきました。やはり自分なりのリーダーシップの型はそこにあると思いました。
結果を出して信頼を得る人と、努力する姿を通して信頼を得る人がいるとすれば、自分は後者を目指そう。誰よりも真面目に練習に取り組み、チームの目指すバスケを背中で見せる事でこのチームに影響力を与えられる選手になろうと決心しました。
試合で数字に残るスタッツを残すことは出来なくても、誰にも負けないくらいコートの端から端までしつこくディフェンスをして、ルーズボールに飛びつく事で、慶應のバスケを体現する事を自分の使命として掲げました。
実際にどれだけチームメートに影響力を与えられたかは分かりませんが、自分なりのリーダー像を常に持ってチームを統率すると心に決めました。
応援されるチームに
春シーズンの早慶戦では早稲田相手にチームとしては健闘することが出来たものの、自分個人としては不完全燃焼で終わってしまったような感覚でした(春シーズンの振り返りも前回のブログで書いています)。
試合までの準備から試合当日のパフォーマンスも含めて自分の思うように行かず、秋シーズンこそは最善の準備をして自信を持って毎試合迎えられるように、食事、睡眠、トレーニング、体のケアなど全てを見直しました。
迎えた最後のリーグ戦。
16試合の長期戦は長いようで本当にあっという間でした。少ないメンバーで毎試合全力を尽くしましたが、あと1つ順位を上げることができず、入れ替え戦出場の切符を手にする事は出来ませんでした。
あれほど結果で恩返しすると言っておきながら、結局最後まで結果を残せませんでした。ただ、勝つ事以上に価値があったのは毎週末たくさんのOBの方々や家族、友人が試合会場に足を運んで下さり、僕たちを応援してくれたという事です。コートサイドで僕たちのプレーに一喜一憂し、熱い声援を送ってくれる人がいるという事は本当に幸せな事なんだと実感しました。
「早慶戦優勝・2部昇格」という目標には届かなかったけれど、「誰からも応援されるチームになる」というもう1つの目標には手が届いたのかもしれません。もちろんそれは定量的に測れるものではないけれど、応援されるチームを追い求めてきた事には大きな価値があったと思いました。
それだけこの1年間、たくさんの人の応援に背中を押してもらいました。
決断を後悔しない
大事なのは「正しい道を選ぶこと」ではなく、「選んだ道の先で後悔を残さないこと」である。
大学生活たくさんの選択肢がある中でバスケ部に入部したこと、膝を手術したこと、試験期間もバスケをしすぎてたくさん単位を落としたこと、どんなに心と身体が限界でも練習は休まなかったこと。この4年間で何度も岐路に立たされ、その度にたくさんの決断をしてきました。その1つ1つが正しかったかは分かりません。でも、それらの決断を後悔しなかったことは確かです。
最終節の國學院大學に勝利した瞬間、4年間一緒頑張ってきた同期が見えて自然と涙が込み上げました。この4年間、確実に辛いことや悔しいことの方が多かった。それでも4年間走り抜けることが出来たのは同期の存在があったからです。バスケ部で4年間頑張ってきて本当によかった。何ひとつ後悔なんてない。そう思わせてくれたのはみんなの存在です、本当にありがとう。
感謝
社会人スタッフの方々へ
この4年間でたくさんの方に指導して頂くことが出来ました。戦術も変わり、部活動に対する考え方にも毎年変化がありましたが、僕たちにバスケットボールを教えて下さった全ての方々に心から感謝しています。
特に最後の1年間の体制は、コーチでありつつ、一緒に戦うチームメートという感覚が強かったです。僕たちと密にコミュニケーションを取ってくださり、時には真面目に、飲みの場では砕けた話もできて本当に幸せでした。
だからこそ、早慶戦優勝・2部昇格という景色を見せることが出来ず本当に悔しいです、すみません。
お世話になった先輩方へ
入部する前も、してからもずっと先輩方の背中を追いかけてここまでやってきました。直接被った先輩たちも、被っていないけど就職活動やOB戦を通じてお世話になった先輩方もたくさんサポート、応援して頂き本当にありがとうございました「応援してるぞ」「頑張れよ」の言葉に何度も勇気をもらいました。
おそらくこれからもたくさんお世話になると思います、よろしくお願いします。
後輩たちへ
1年間ついてきてくれてありがとう。
みんなの方が自分たちよりバスケが上手かったから、たくさん負担を掛けたと思うけど最後までチームのために戦ってくれて本当にありがとう。これから先苦しいこともたくさんあると思うけど、みんなで同じ方向を向いて来年こそは目標を達成してほしい、頑張れ。責任感が強い後輩たちなので、安心してみんなにバトンを渡すことができそうです。
お腹が空いたら連絡してください。
家族へ
10年以上バスケを続けさせてくれてありがとう。
普段あんまり言葉に出来ていないけどめちゃくちゃ感謝しています。
家に帰ればご飯が用意されていて、服が畳まれていて、バスケに集中できる環境が当たり前のように用意されていたけど、母さんがいたからこそ自分はバスケにここまで集中することが出来たと思う、ありがとう。
父ちゃんも毎晩遅くまで働いてくれて家族を支えてくれてありがとう。
これから少しずつ恩返しできるように頑張ります。
同期へ
4年間一緒にやってきてくれてありがとう。
塾高からのみんなは7年間も一緒にやってきてくれてありがとう。4年間頑張り続けることが出来たのは紛れもなく、みんなの頑張りに刺激を受け続けてきたからです。
自分に言い訳しなくなったのは、みんながどんな時も言い訳せずにチームのために動いていたからです。
目標には届かなかったけど、みんなと一緒に歩んだ4年間は一生の財産です。
どうせこの先もずっと会うので、これからもよろしく。
さいごに
下手くそで入部してきた僕は結局最後まで下手くそを脱する事は出来ませんでした。
早慶戦で会場を沸かせるような華のある選手にはなれなかったし、チームを勝利に導く英雄にもなれませんでした。
それでも、体育会バスケ部に入って4年間やり切って本当に良かったです。
誇りに思えるチームで、最高の仲間に囲まれて大好きなバスケが出来たのはこれ以上ない幸せでした。
一番嬉しかった事も、一番悔しかった事も全てここで経験しました。
4年間をバスケ部に捧げてきて本当に良かったです。
一片の悔いもありません。