「僕を苦しめたすべての人へ」
はじめに
主将を務めさせていただいておりました山本康瑛です。
始めに、ブログを書いている今でも書きたいことが多すぎて、まとまりのないブログになるかもしれません。ご了承ください。
15年間の学生バスケ人生が終わりを迎え、はや1か月が過ぎようとしています。
あれだけ濃いと感じていたリーグ戦の2か月ですが、部活がない生活になると一日一日がとても長く感じています。
バスケとの出会い
私には二人の兄と一人の妹がおり、兄の影響で小学2年生の頃に小学校のバスケチームに入りました。
小学校の頃の監督は厳しく、毎日きつい練習を乗り切るのに必死でした。練習以外でも暇さえあれば兄たちと3人で公園に行き、日が暮れるまで練習していました。3人でのバスケとなると、1対2の状況しかなく、いつまでも終わらず苦労した記憶が今でも鮮明に残っています。夕飯の時間になり、「ご飯ができたよ」という母親の声が聞こえてようやく終わっていました。
高学年になるにつれて監督も厳しくなり、愛のムチのある指導が増えました(小学生の頃は憎くてしょうがなかった監督ですが今では帰省の時に一緒に飲んだりするほど仲が良いです笑)。
できる限りのことを
中学生になり、私は県立の中高一貫校に通うことにしました。
地元の中学校は全国大会に出るほどの強豪校だったのですが、私自身バスケだけでなく、勉強にも力を入れて取り組んでいたため、より高いレベルで文武両道を行うべく、進学しました。
当然のようにバスケ部に入ろうと決めていた私ですが、部活に入部して驚愕したのが、なんと同級生のバスケ経験者は僕を含めて2人しかおらず、部全体のうち8割がバスケ初心者だったのです。当然練習という練習にはならず、試合でも勝てないことが多かったです。勝つことこそすべてと思っていた小学生の頃とは異なり、中学校ではバスケそのものを楽しみつつ、勝利した時の嬉しさを求めて練習を頑張り、中学3年生の頃には地区で準優勝となり県大会に進むことができました。最後の試合が終わった後に、同級生に「お前と一緒にバスケができて楽しかった。」と言われ、自分自身がバスケを続ける理由をなんとなく見つけたような気がしました。
また、小学校の頃から中学校にかけて練習に混ぜてくれていた人がいます。平日の学校の練習がない日や週末に、近くの米軍基地の高校生と一緒にバスケをさせていただき、そこで自分より上手な人ばかりの中、練習に励みました。練習の緊張感が尋常ではなく、緊張感5割、恐怖心3割、楽しさ2割でバスケをしていた思い出があります。(笑)
コーチの娘さんと1on1する時はいつも打ち倒す気でやっていました。でないと負けてしまうからです。始めての1on1でブロックされたのを僕は生涯忘れることはないでしょう。彼女は今では世代を代表するほどの選手で、そんな人とバスケできたと思うと、同じ長崎出身として誇らしく思います。
新たな挑戦
中学3年生になり、部活も一応引退するのですが、私がいた中学校では高校受験がないため、練習に行くのは禁止されておらず、そのまま練習に参加することができました。
ある日、先生が真剣な面持ちで私に話しかけてきました。「お前、もっとレベルが高いところでバスケがしたいと思わないか。」私自身このまま高校に上がり、バスケを続けるつもりだったのですが、なんと田中大貴選手の母校でもある長崎西高校の監督が私に目をつけていたのです。私は特に迷いもせずに高校受験を決心し、長崎西高校への進学を決めました。バスケのレベルもさることながら勉強にも力を入れているため、さらに高いレベルでの「文武両道」を実現する必要がありました。
高校では親元を離れ、下宿をすることになりました。今まで親にやってもらっていた、風呂掃除や洗濯のような家事はすべて自分で行う必要があり、今思うと良い経験だったように感じます。
高校では一年生の頃から全国大会に出場していましたが、なかなか全国で勝利することができませんでした。私は最終学年で主将を務め、どうにか全国で勝利し、ベスト8に入ることを目標としていましたが、他のチームは留学生がいるチームも多く、やはり全国大会で大きな結果を残すことは叶いませんでした。
高校3年生になり進路のことを親や先生と考えている時に、私に会いに来てくれた人がいます。慶應バスケ部OBの福元直人さん(2016年卒)です。それまでは私立の、しかも慶應なんて自分には無関係の場所にあると思っていたため、話を聞いたときはびっくりしました。しかし福元さんの熱意、親の後押しのおかげで慶應を志願し、合格することができました。
大学バスケ
慶應に進学は決めたものの、私の中で「絶対に体育会バスケ部に入る」という決意はありませんでした。というのも高校で全国大会にも出場することができたため、自分の中に諦めがあったのかもしれません。とりあえずバスケ部の見学に行こうとは思っていたのですが、コロナ禍だったこともあり、私が上京したのは8月、練習が始まったのも夏休みが始まってからでした。当然新歓なども全く参加していない私は体育会しか道がなく、気が付けば入部していました。入部して2か月ほどですぐに秋のトーナメントが始まり、その年は3部で2位という結果でした。昇格降格はなかったものの来年は絶対に昇格できると思っていました。
しかし2年生の時は3部リーグ9位、3年生の時は5位という結果で早慶戦も大敗でした。
ラストシーズン
シーズン最初の全体ミーティングで今年のスローガンと目標を発表し、新チームがスタートしました。春は早慶戦優勝、秋は3部リーグ優勝・2部昇格を掲げていました。私は個人的に「恥ずかしいまま終わらせない」ことを目標としていました。それまでもチームの目標を一回も達成することなく最終学年をむかえていたため、このままでは4年間体育会で活動したことが時間の無駄になってしまう気がしたのです。結果を考える前に、できる限りの準備を行い、本番でその実力を発揮し、それで負けてしまうようであればそれはある意味仕方のないことなのかもしれません。しかし、練習してきたことも発揮できず、不完全燃焼のままシーズンを終えるのだけは絶対に嫌でした。
春休みにある六大学リーグでは、早慶戦前に早稲田と試合ができるチャンスなのですが、ボコボコにされてしまいました。早稲田だけでなく、他の大学にも大敗し、正直めちゃくちゃしんどかったです。しかし我々には時間がありませんでした。残り3か月で早稲田との実力差を埋めるために、フィジカル面から変える必要がありました。食事管理や練習の良し悪しについて考えることなど思いつくことはすべてやりました。早稲田に勝つことだけを考えて。迎えた最後の早慶戦本番私たちは前半2点を追う形で後半に入りました。間違いなく春シーズン一番の出来だったと思います。結果は15点差で負けてしまいましたが、手に汗を握るような試合ができたと思います。
秋は春とは異なり、2か月に及ぶ長期戦なので、選手層が薄い我々にとっては正念場といえる場面が何度もありました。昨年リーグ戦初戦で右ひじを脱臼して長期離脱をしてしまった私にとって、最後のリーグ戦ではどうしても結果を残して先輩方に恩返しをしたいと思っていました。結果は3部で3位というもので、1、2位のみが入れ替え戦に行けるため、引退となりました。
なんのための練習か
「なんのために練習をしているのか」スポーツをしている方であれば一度は考えたことがあるでしょう。「試合に勝つため」「チームとして一体感を出すため」「切磋琢磨するため」など多くのものが考えられ、どれも正解であると思います。自己中心的な考え方かもしれませんが、私は「自分のせいで負けないため」ではないかと考えています。チームスポーツであるバスケットにおいて、チームを形成しているのは個人です。個人の実力にチーム力が組み合わさることでチームスポーツは成り立っています。勝負の世界になると持てる力のすべてを出し切っても勝てないということは多々あります。だからこそ自分のシュートで負けないように打ち込む、試合に出ていればと後悔しないために走り込み体力をつける。そうすることで私は大学までバスケを続けることができたと思います。
変わらないもの
私のバスケ人生は苦難の連続でした。練習のつらさ、監督の理不尽な指導、兄からの異常な方法の指導など今考えると普通じゃないことも多かったです。また、チームメイト、監督、コーチ、OBなどとの対人関係に悩んだこともあります。たまにどうしたらお前のような人間ができるんだと言われることがありますが、こんな人生ならこうなってもおかしくないのではないかと思うほど激しいバスケ人生でした。そんな私ですが、バスケを始めたときから唯一変わらないものがあります。それはバスケが大好きだということです。どんなに兄にボコボコにされても、次の日にはまたバスケをしていましたし、どんな点差で試合に負けても、次の日には反省し、練習をしていました。怪我をしても、コンディションが悪くても、自分が納得いくまで、できる限りの練習していました。新しい技術を身に付けたい、シュート力をアップしたい、フィジカルを強くしたい、試合に出続ける体力が欲しい。バスケを愛していたからこそ多くの時間を費やし努力することができたと思います。
そしてその中の苦難こそ私を成長させてくれたと思っています。終わった今だからこそ自信を持って言えます。
多くの苦難を与えてくれた小学校の監督、コーチ、兄たち、チームメイト、僕の学生バスケ人生に関わってくれたすべての人に感謝を伝えます、ありがとうございました。おかげで体は丈夫で大学までバスケを続けることができました。
最後に
引退してから1か月が経ち、今はバスケから距離を置いた生活をしています…
と言いたいところですが、引退してもなおバスケはしています。(笑)チーム練習が行われていない時間に体育館に行き一人でシュートを打ったり、兄が指導しているチームに遊びに行ったり、暇な時に寮で筋トレをしたりなど、現役の頃に比べて日数は減ったもののガンガン体を動かしています。(この前体育館に行った際は女バスの部員が数名いて笑われました。)
しかし、引退するとあの頃の環境はもう戻ってきません。後悔はないですが物寂しさは感じます。何時間やったか分からなくなるほどのミーティング、足がちぎれそうになりながら走ったラントレ、練習途中で吐くほど追い込んだ夏合宿、ことあるごとにじゃんけんで決めようと騒いだ同期との時間、すべて私にとってかけがえのない時間です。
素晴らしいバスケ人生、大学生活を送ることができました。
本当にありがとうございました。
そして、これからも慶應義塾体育会バスケットボール部への応援をよろしくお願いいたします。