「感謝」
はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。慶應義塾大学環境情報学部を昨年度卒業しました、蛇谷幸紀と申します。
今回は、ラストブログということで自分のバスケ人生、慶應での大学生活を振り返りつつ私なりに何を感じてきたのかについて書かせていただきます。拙い文章ではありますが、最後までお読みいただければ幸いです。
慶應に入学するまで
私は大阪府の近畿大学附属高等学校出身で、AO入試を経て慶應義塾大学に入学しました。なぜ慶應を受験することにしたのか正直に言いますと、直属の先輩である原さん(2019年卒)の言葉をお借りしますが、本当にたまたまです。
内部進学で附属先の大学に行くより、せっかくならどこか違う大学に挑戦したい!と思っていたところ、先生から慶應のAOを勧められたことがきっかけでした。ダメ元の受験でしたが、多くの方々のサポートもあり、無事合格を勝ち取ることができました。学校の職員室で担任の先生が私よりも喜んでくれたことがもう4年も前のことだと思うと時の流れの早さを感じます。
大学生活を振り返る前に、入学までのことについて少し書かせていただきます。
私がバスケットボールを始めたのは中学1年生の時でした。それまでは、ソフトボール・サッカー・水泳など色々なスポーツに取り組んでいたのですが、どれも3年ほどで辞めてしまい何も継続することができない「こども」でした。そんな中、当時から身長が高かった私は、小学生6年生の体育のバスケットボールで活躍したことをきっかけに、中学では絶対にバスケ部に入ると決めました。自分から何かをしたいと初めて思ったのがバスケットボールであり、ここまで続けられたのもその決意のおかげだと思います。
中学・高校時代では優秀な仲間に恵まれたおかげで、実力不足だった私でも表彰台に上がれるほどの良い経験をさせていただきました。
特に高校3年生の時では、その年の新人戦で16位だった私たちがインターハイ予選、ウィンターカップ予選を勝ち抜き、2度も全国大会に出場できたことは今でも鮮明に覚えています。新人戦の反省を生かし、チームメイトと日々切磋琢磨しながら練習やそれ以外の部分に取り組んだ末の大阪府優勝でした。
学校の渡り廊下で夜中までミーティングしていたのは今でも忘れません。(それでも慶應のミーティングに比べたら断然優しいですが…)
慶應バスケ部での4年間
高校時代に2度の全国大会を経験した私は達成感に満ち溢れていました。しかし、それと同時に体の細い私が強豪揃いの関東リーグで通用するわけがないとも考えており、大学でバスケを続けるか悩む期間がありました。しかし、入試をサポートしてくださった慶應バスケ部OBの方たちに恩返しをしなければいけないと感じ、バスケ部への入部を決意しました。その時は、慶應バスケ部がどのような目標を掲げ、どのような努力をしていたか知らなかったため、受け身な動機でしたが、入部して慶應バスケ部を直に感じると、バスケに対する気持ちがどんどん変わっていきました。
入部してから、高校との熱意の違いに衝撃を受けました。少ない人数・短い練習時間の中でのハードで濃密な練習、週6のウェイトトレーニング、心が削られるほど本気で議論し合うミーティングなど、勝つため必要なことはなんでもするといった熱意・執念をひしひしと感じたのを覚えています。最初はついていくだけで精一杯でしたが、優しく頼りがいのある先輩たちのおかげで徐々に慶應バスケ部の一員になっていくことが出来ました。
そして迎えた2019年6月22日、人生初の早慶戦。77年続く伝統の一戦、早稲田アリーナを埋め尽くすほどの大勢の観客が自分たちの試合だけを見に来ているという実感が湧き、高校の全国大会なんて比ではないくらい緊張しました。
結果は71対63で優勝。
試合終了のブザーの瞬間は本当に感動しました。試合後に応援指導部と一緒に円陣を組みながら歌った「若き血」は本当に気持ちよかったのを今でも覚えています。チームで早慶戦優勝という目標に向かい、積み上げてきた努力が報われるという経験ができたのは本当にありがたいことだと思います。また、当時の4年生が涙し抱き合って喜んでいる姿を見て、慶應バスケ部の良さってこういうところなのだと心を打たれました。そんな慶應バスケ部が好きになり、今度は、同じような素晴らしい経験を自分たちで作っていきたい、次の世代にも同じ景色を見せてあげたいと考えるようになりました。それからバスケ部にいる意味が、OBへの恩返しから慶應バスケ部への愛に変わっていったのだと思います。
(1年生の時の早慶戦)
しかしその後、コロナの影響で試合が中止になることが多く、1年生の冬から3年生の終わりまで、苦しい時期が続きました。また、個人としても試合の出場時間が少なくなり、伸び悩んでいた中、同じポジションの優秀な後輩が入部し、メキメキと成長していく姿にとても焦りました。センターの選手層が厚くなりチームとして強くなるのはとてもありがたい一方で、ポジションを奪われていく悔しさと日々葛藤していました。また、就活も始まり、部活と就活両方面の悩みから円形脱毛症になるほど辛かった日々を過ごしていました。
そんな中私を励ましてくれたのは同期や、引退してもなお気にかけてくれる優しい先輩方でした。寮の部屋で時には笑いながら時には真剣に話を聞いて一緒に考えてくれる同期、ご飯に連れてってくださり、色々な悩みを真摯に受け止めてくれる先輩。本当に助けられました。
最上級生になってからは、チームで重きを置いているディフェンス・リバウンド・ルーズボールに注力し、得意ではなかったミドルレンジのシュートを自分の武器にするべくさらに磨き上げました。そして一番大切にしていたのは、同じポジションの相手に絶対負けないという信念です。どんな格上の相手でも気持ちだけは負けず、全力でぶつかりにいくことだけ考えていました。最後の1年間は自分がチームに貢献できず勝てない試合が続き、とても辛かったですが、それでも自分にやれることをやるしかないと思い自分が出来る努力を続けました。
最後の1年間は、少しでもチームのために、慶應の勝利のために。それだけを意識して戦い続けました。結果は自分たちが目標としていたところまで一歩届きませんでした。しかし、それまでの道のりの中、チームで数多くの壁にぶち当たり、乗り越えてきました。定量面では結果を残せなかったものも、定性面では多くのものを残せたと思っています。この1年で培ってきたものは将来必ず報われるはずです。
このシーズンを糧にして、後輩たちの目標達成に繋ぐことができたとするなら、広い目で見て成功と言えるのではないでしょうか。私の後輩は素晴らしい人で溢れています。自主性に富み、努力を惜しまない彼らなら必ず目標を達成できると信じています。OBという立場になりますが、応援しながらも今まで同様共に戦っていきたいと思います。
同期へ
4年間本当にありがとうございました。
お世辞抜きに、4年間続けることができたのはみんなのおかげです。
どんなに辛い状況でも励ましてくれた同期。
道を踏み外しそうになったら怒って正してくれる同期。
嬉しい時には一緒に喜んでくれる同期。
プライベートでもずっと仲良くしてくれる同期。
本当にありがとう。
背中で引っ張ってくれた山下、みんなをまとめてくれた新井、プレーでチームを引っ張る水谷、4年唯一のスタッフとして頑張ってくれていた和田。
彼らは私の誇りであり、永遠の友人です。みんなと出会えたことが、慶應に入学してから得た1番の宝だと自信を持って言えます。
(最高の同期)
おわりに
この4年間、私たちを支え応援してくださったOBの方々をはじめ、保護者や関係者の皆様のおかげで、かけがえのない大学生活を送ることが出来ました。本当にありがとうございました。
そして毎試合必ず試合に見にきてくれたお父さん・遠い大阪から応援に来てくれていたお母さん、たくさん迷惑をかけたけどここまで育ててくれてありがとう。言葉にできないくらい感謝しています。
振り返ると、バスケがあまり上手ではなかった自分でも、中・高・大とチームに役に立てることが証明できたと勝手に考えています。どこで強みを活かすか、その強みをどうやって伸ばすか。考え方、努力の仕方次第で絶対にチームの役に立てると思います。
チームの中で役に立たない人はいない。絶対に何か組織に貢献できるところがあるから諦めないで考えてほしい。その考えを与えてくれたのはバスケットボール部でした。
慶應バスケ部で過ごした4年間を通じて大きく成長したと実感しています。何も続かなかった僕が、ここまで成長できたのは紛れもなくこのチームのおかげです。本当に慶應義塾大学に入学して良かった。体育会バスケットボール部に入部して良かった。
これからの後輩たちへ、慶應バスケ部はどこのチームにもない素晴らしい魅力があります。部活動以外でも慶應義塾大学には多くのやりたいこと、学びたいことが転がっていると思います。しかし、大学4年間をバスケットボール部に捧げてもそれ以上の価値がこの組織で得られると自信を持って言えます。
少しでもバスケットボール部に興味がある方は、一度体験に来て部の空気を体感してみることをおすすめします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。