ラストブログ 水谷祐葵 

「バスケが私にくれたもの」

はじめに

誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。慶應義塾大学環境情報学部を昨年度卒業しました、水谷祐葵と申します。10月の末にバスケットボール部を引退してから5ヵ月が過ぎ、振り返ればここまで多くの方々に支えられながら過ごして参りました。これまで何度かブログを書きましたので、内容が重複することがあるかもしれませんが、皆様への感謝の気持ちを込めて、これまでの人生と大学生活についてお話させていただきたいと思います。拙い文章ではございますが、最後までおつきあいいただけると幸いです。

慶應バスケ

幼い頃から憧れていた慶應義塾への入学までの道のり、そして、入学後の多忙を極める生活については、別の記事にて申し上げましたが、私にとって学業と体育会活動の両立以上に大変なことがありました。それは、「大学のバスケットボールスタイルに慣れる」ということでした。学生自身が主体的に考え取り組むことは非常に意義あることである一方、私は試合において学生が学生を起用することに慣れていなかったため、その戦術や評価基準などを理解するのに大きな労力を要しました。個人やチームのプレーに関して、またチーム作りについて議論しながら、自己や他者を理解することの難しさを感じました。慶應義塾体育会の一員としてのあり方についても先輩方から教えて頂きながら同期とともに考え、時には文学作品や小泉信三の言葉を読み、時には哲学的な問いに対して議論を交わすこともありました。私は物事を深く掘り下げて考えることは決して嫌いではないのですが、人生経験の浅い私にとっては難しい話も多く、考えているうちにわけがわからなくなることもしばしばありました。ひょっとすると慶應義塾体育会の理想とする姿を体現できないまま引退してしまったのかもしれませんが、悩みながらも答えを見つけようと最大限の努力をしたという事実は、私を少しばかり成長させてくれ、私の人生観にも大きく影響を与えてくれたと感謝しています。

コロナ禍の活動

1年生の終わり、2020年2月頃から新型コロナの感染拡大が始まり、体育会活動に関しては、他の記事で申し上げましたように、大きな試合が次々に中止になってしまいました。慶應バスケ部は私が1年の終わりに3部に降格し、意気込み新たにスタートした矢先でしたので、その気持ちをどこに持って行けばよいのか悶々とする日々でした。また、楽しみにしていた延世大学との定期戦や、オフの時期にアメリカに行くという話も実現しませんでした。自宅から連日オンラインミーティングやトレーニングを重ね、かろうじて部活動を継続させておりました。対面と比べて物足りないといえばそれまでなのですが、あの時できる最大限のつながりでありましたし、仲間との絆を感じることができたと思います。また、オンラインを通したつながりやトレーニングについて、私だけでなく多くの人々がその恩恵をうけたり、将来性を実感できたりしたのではないかと思います。

 試合に関しては、再開されたあとも、多くの試合が無観客もしくは制限付きの開催となりました。そのため、それまで当たり前のことのように感じていた「応援」が非常にありがたく、あらためて応援が選手に力を与えてくれると実感しました。特に、4年生時のリーグ戦での2階からの熱い応援は、私たちにとって大きな励みとなりました。スポーツは、友という宝を与えてくれるだけでなく、家族の絆や家族同士のつながりなど大きな人の輪を与えてくれましたが、これこそスポーツの素晴らしさだと思う瞬間でした。欲を言えば、いつも応援して下さる三田会の皆さんの前でもっとプレーしたかったです。この先、以前のような制限のない熱い応援ができる日が一日も早く戻ってくることを心待ちにしています。

チームでの役割

1年の時、私は山﨑さんや髙田さんをはじめ、素晴らしい4年生の先輩方の背中をひたすら追いかけて無我夢中でした。コート上でのカリスマ性、そしてコート外でも輝く先輩方が私のお手本でした。先輩の引退後、コートの中では中心選手としてチームに貢献したいという強い気持ちがあったのですが、コロナにより試合が中止になりることが多く、大会が再開された後も活躍の場が少なくなりました。私の思いが届かず評価してもらえないということは、私に発信力がなく信頼を勝ち取ることができなかったためであると今更ではありますが反省しています。今年度リーグ戦後半になってプレータイムが増えて、自分の中でもそれまで以上に責任感とやりがいを感じるようになりました。

私は、バスケットボールというスポーツは、点を取ることがすべてではないと思っています。父が常に「点を取るのは誰でもできる」「自分の活躍は自分の力だけではない」と言っていましたので、自分が点を取ることよりも、自分もまわりも活かしながら勝つことを目指してきました。私は、大学入学までに全国大会を経験してきましたし、高校時代は年代別日本代表候補に選出された経験もありますが、そういった場での経験により、勝負どころでチームに貢献できたのではないかと思います。最終的に2部昇格という目標は達成できませんでしたが、チームで一丸となり力を尽くし闘い抜いたと自信をもって言えます。慶應バスケ部には優れた運動能力の選手や高さのある選手が大勢います。戦い方を工夫し強みを活かしたプレーをすることで、良い結果を残すことができると確信しています。

早慶戦について

 大学生活を振り返ると、やはり早慶戦には格別の思いがあります。1年生と4年生の早慶戦については、他の記事で熱く語らせていただいたのですが、今思い出しても4回の早慶戦はそれぞれ鮮明に記憶に残っています。4年生の7月、代々木第二体育館で行われた3年ぶり有観客の早慶戦も感慨深いものでしたが、自分の中では、1年生の時の早慶戦での経験が、引退するまでの体育会活動のモチベーションとなっているといっても過言ではありません。会場の応援を味方にあの接戦を制したこと、そして、試合後皆で肩を組んで歌った若き血を一生忘れることはないと思います。来年の後輩の活躍、早慶戦優勝を期待しています!

同期と過ごした時間

まずは、同期のみんな、ありがとう。言葉に出さなくてもお互いの気持ちがわかるくらい濃い毎日を過ごしました。今や家族のような存在です。1年生の時は上級生や監督から叱られる度にみんなで落ち込みどうすればいいか悩んだし、上級生になった時も下級生から信頼してもらえないこともあったけれど、いつもみんなで支え合い、乗り越えてきたように思います。勝った時は喜びを分かち合い、負けた時は悔しさを分かち合える仲間のありがたさを感じながら、4年間充実した日々を過ごすことができました。みんなには感謝しかありません。

先輩のブログに同期は「一生の宝」とあったけれど、全くその通りだと思います。10月の末に引退してからも、各実家を回ったり、一緒に旅行したりして、まだまだ思い出づくり中ですが、これから社会人として別々の道に進んでも、一生の友としてよろしくお願いします。

父へ

私の昔の夢は、高校の先輩の桜井良太さんや安藤周人さんのようなプロ選手になることだと言っていたのに、違う道に進むことを選んで、がっかりしているかもしれません。父のようにインカレに出ると言っていたのに、これも実現しませんでした。でも、自分の憧れだった慶應義塾で、文武両道を目指して全力を尽くしたことに誇りを持っています。今もバスケットボールは心から好きだし、これからの人生もバスケットボールとは関わっていくと思います。それから、スポーツは勝ち負けがすべてではないという考え方もあるけれど、この4年間で、やはりスポーツは「勝ってなんぼ」だとつくづく感じました。どんな小さな勝ちであっても、勝った喜びは次への原動力となるからです。だから、高校でバスケットボール部の監督をやっている父にも強いチームを作ってもらいたいと思います。

感謝の気持ち

今まで14年間、私のバスケットボール活動を支えてくれた方々、本当にありがとうございました。振り返れば幼少時代、父の学校の体育館でボール遊びしたこと、一流の試合を観る機会に恵まれたこと、いつの間にか自宅の庭にバスケットボールゴールがあり、シュートが入る度にほめられたこと、おもちゃを買ってもらえるからとミニバスを始めたこと…という具合に、いつの間にかレールが引かれていたのかもしれませんがバスケと相性がよかったことと、指導者をはじめまわりの方に恵まれたおかげでここまで楽しく続けることができました。大学入学後も、スタッフやバスケットボール三田会の皆様には、いつも気にかけて頂いたこと心より感謝申し上げます。応援して頂いたにもかかわらず、ご期待に添う結果が出せなかったこと、本当に心苦しいです。今後はバスケットボール三田会の一員として、後輩達が2部復帰を達成してくれるよう精一杯応援したいと思います。

最後にもう一度、皆様、本当にありがとうございました。最高の4年間でした!