「失敗を知らない人間は成功を知らない」
はじめに
10月29日で慶應義塾体育会バスケットボール部を引退しました。私は学連(関東大学バスケットボール連盟)派遣ということもあり、完全な引退というのはインカレ閉幕予定の12月17日となりますが、このような機会を頂戴したので、現在の心情や私自身の体育会生活について振り返りたいと思います。拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただければと思います。
改めまして、誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。私慶應義塾大学商学部商学科4年並びに慶應義塾体育会バスケットボール部でスタッフとして活動しておりました、山下恒毅と申します。また、学連派遣として大学バスケの運営に従事しております。学連の活動を気遣ってくれていたのか、今までブログを書く機会がなかった為、最初で最後のブログとなります。
入部のきっかけ
私が入部を決意した理由は早慶戦です。私は2014年、中学1年生の時の第72回大会がバスケ早慶戦の初観戦でした。満員の代々木第二体育館でこんなに大勢の応援を受けてプレイする選手が本当に輝いて見えました。
体育会への憧れを持ったまま高校生になった私は、高校でもバスケ部に入部しました。練習は週6で毎日朝練があり、部活漬けの3年間でした。私は試合に出て活躍するような選手ではなく、体育会に入部しても通用しないことは明らかで、入部を迷っている時期が続きました。しかし高校3年生の時、第77回の早慶戦で格上の早稲田相手に慶應が大金星をあげたのをみて、どんな形でもこの組織に入って早慶戦で勝ちたいと思うようになりました。入部を決意した後、OBの方から日本一の学生スタッフになってチームを支えてほしいと言われ、その言葉が私の4年間の目標になりました。
体育会生活のスタート
当時の体育会はスタッフの人数が非常に少なく、入部を決めた私と主務の林、学生コーチ(入部時は選手)の山上、学生トレーナーの神吉は高校三年生の秋からチームに帯同していました。林や神吉がスタッフとしての役職が決まっていく中、私は何の役職に就くか決まらず、非常に焦っている時期がありました。
そんな中、高校生の時のインカレや当時のリーグ戦で何度か見かけただけの存在だった、学連に興味を持ちました。3つ上の先輩である前田さん(2021年卒)が当時慶應で唯一の学連役員で、お話を聞かせていただき、学連へ入ることを決意しました。正直、きっかけは同期に対する焦りとノリでした。
自分の活動方針が決まって、本格的にチームが動き出そうとしている中、新型コロナウイルスによるパンデミックが起こります。トーナメントと新人戦は中止となり、リーグ戦を開催できるかどうかもわからない状況の中、8月にようやく対面での練習がスタートしました。私の体育会生活は、スタートが大幅に遅れた上、あるかわからない大会に向けて準備をするという信じられないものでした。
学連中心の生活へ
1年生の冬に学連役員としての転機がありました。私が所属していた財務部に加えて、人数が不足していた競技部を兼任することになりました。学連役員は大学によって練習に出るかどうかは異なるのですが、慶應の学連役員は代々、練習に可能な限り出席した上で学連の活動をすることになっていました。
しかし、人手不足だった学連の仕事が段々とハードになり欠席連絡を流す日々が続きました。同期や先輩、当時のHCは学連の活動を非常に尊重して応援して下さっていましたが、私自身、両立する自信がなくなってきたことを理由に練習には必ず出席という体制を諦めることを決意しました。
この時から私の大学生活は部活中心の生活から学連中心の生活に変化していきました。2021年の春は未だコロナウイルスの脅威は続いていて、開催できるかわからない大会の準備を日々していました。大学バスケは基本的に大学体育館を会場にしていましたが、コロナの影響で全く使えなかった為、公共体育館を確保しなければいけませんでした。しかし、会場を確保したが、大学に陽性者が出たため試合に出られない。逆に試合ができるチームはあるが、会場がない。会場と大学の調整を延々と続ける日々が3カ月程続きました。
人生で一番苦しいと感じた瞬間でしたが、4月23日に開幕したトーナメントが延期に延期を重ね、7月11日に閉幕できたことは最高の思い出です。大学生の私の声に耳を傾けていただき、会場を提供して下さった施設の方々への恩は一生忘れません。
一方で、チームは早慶戦準備の真っ最中でしたが、私はリーグ戦の準備で中々練習にいけない時期が続き、疎外感を感じ始めていました。早慶戦当日は、活躍する同期の選手やスタッフが疎ましい程に眩しく見えたのを覚えています。今思えば、この時既に限界を迎えていたのかもしれませんが、自分の下した判断が間違ったことを認めたくない、また、チームの近くにいれないことで感じていた疎外感や劣等感をかき消すために、必死に学連の仕事をしていました。
しかし、そんな生活にも限界があり、次第に生活が乱れ始めました。両親や同期が自分の変化に気づき心配をしてくれたことがありましたが、大丈夫と自分に言い聞かせて、誤魔化しながら過ごす日々が続いたまま、2021年のインカレを終えて年が明けました。
活動休止
2022年の3月に誤魔化し続けて溜まっていたものが決壊しました。
留年が決まったことです。私自身は学連も部活も続けるつもりでしたが、両親からストップがかかりました。今ではあの時に止めてもらったことを本当に感謝しています。当時前兆などなく、急に休むことを告げた為、当時の部活、学連の先輩、同期、後輩には死ぬほど迷惑をかけました。今でも当時のことを考えれば頭が上がりません。
小学校以来、初めて部活がない夏となり、バイトや家族旅行をして過ごしていましたが、部活に戻りたいという気持ちがずっとあり、生活態度も直ったし9月になったら同期と話し合って復帰する予定でした。しかし、9月1日に部室で同期とミーティングをした時、4カ月前と何も変わっていない、今のお前を復帰させることはできないと同期から言われました。私は、自分の表面的な生活態度等を見つめ直しただけで、私が目を背けていた根本の原因に同期は気づいていました。
そこから何もしない日が続きました。同期ともう一度話すことも怖かったし、何より、今まで自分が何の為に活動していたかを見失っていました。両親からは本当にそれでいいのかとしつこく言われ続け私はずっと耳を塞いでいましたが、約1カ月後、父がしびれを切れして私を連れ出してくれました。そこで、お前の原点はなにか、今まで反対を押し切ってまで続けていた学連の活動への熱はそんなものか、何のためにバスケ部に入ったのかと聞いてくれました。
その時、自分の原点は林、山上、神吉と一緒に日本一のスタッフになることだったと思い出し、もう一度チームの一員になる為、動き出すことを決意しました。塾高出身のスタッフ、学連OBの前田さんに震える手を抑えながら連絡を取って、一人ずつお話をさせていただき、自分の原点や目標を再確認しました。自分の生活が崩壊してしまった原因は、チームから離れる期間が増えたことによって目標やモチベーションを見失ったことでした。部員に説明をした上で、10月9日、約5か月ぶりに部活に復帰しました。
4年目
最後の1年間はあっという間でした。6月の早慶戦は今までの4年間で一番期待感がありました。前半を2点差で折り返し今年こそ遂にと思っていましたが、やはり関東1部の早稲田大学の壁は高かったです。特に早稲田のエース#13星川選手とルーキーの#0下山選手のシュートが本当によく入っていて、他の試合でやってくれよ…と思っていました。後半は涙が流れるのを必死に我慢してアナウンスをしていましたが、結果は68対83で本塾の敗戦。4年間で一度も早慶戦に勝つことはできませんでした。死ぬほど悔しいですが、早稲田を倒すために、必死にスカウティングして、練習で準備をした日々や、早稲田大学のマネージャー達と一緒に作り上げた4年間の早慶戦は一生の宝物です。
そのまま流れるようにリーグ戦に突入しました。結果、慶應は三位。入替戦に進むことは出来ませんでした。私自身は3部の会場にはほとんどいけませんでしたが、最終戦の國學院大學は学連の後輩に割り当ての調整をしてもらい、会場で見ることができました。終始ずっと泣きそうでしたが、こらえるために、懸命に声を出して応援しました。最終戦が大学生活でのベストゲームだったのではないかと思います。同期が同じ時間に全員出場したときは本当に叫んでいました。また、最後の試合で同期スタッフの用田、岡崎と一緒に試合を見られたのは最高でした。
同期の選手へ
山本、清水、藤島、熊野、山口。慶應の代表としてコートで4年間戦い続けてくれてありがとう。皆が練習で頑張る姿や試合で活躍する姿を見ることが、自分のスタッフや学連としてのモチベーションであり、一番の幸せでした。運動したいので是非バスケ誘ってください。
同期のスタッフへ
林、山上、神吉、用田、岡崎。4年間チームを支えてくれてありがとう。山上、用田、岡崎は選手として入部した後、スタッフに転向してチームに貢献し続けたこと、本当に嬉しかったし、リスペクトしています。林、山上、神吉には人間にしてくれてありがとうと言いたいです。
後輩へ
髙島、泰我、康月、田中、橋本、萩原、廣政、海丸、彪吾、温、有村、江畑、加藤、汰空、高野、中山、山崎。練習にランダムに出現する不思議な存在で申し訳なかったなと思う。来年以降も早慶戦優勝、そして二部昇格に向けて辛いことがたくさんあると思うけど、必ず達成できると信じています。訳あって来年も大学生をやっているので、何かあれば話聞かせてね。試合にもたくさん行く予定です。
学連について
最後に、自分が4年間過ごした学連についてお話させてください。
関東の学連は約100大学が加盟している連盟で、大学から派遣された学連役員約40名で構成されています。様々な部署に分かれてスプリングトーナメント、新人戦、オータムリーグを一から作り上げます。大会の企画、運営では学生とは思えないような経験をたくさんしました。ちなみに、全日本の学連は冬のインカレと昨年から始まった夏の全国新人戦の運営をしています。
学連は大学バスケにおけるインフラのようなものだと考えています。私も高校生まではそうでしたが、当たり前のように大会があって、会場に行けば試合ができて、組み合わせや日程表はいつの間に完成していて配られるものだと思っていました。
しかしいざ運営に携わると、大会の何カ月も前から準備をしていて、選手が会場で試合をするまでに、多くの人が関わっていることを知ることが出来ました。まさに学連は大学バスケの基盤だと思うようになりました。
学連という立場上、何が大学バスケを支えているのか、どうしてあんなにたくさんのお客さんが見てくれるのかをよく考えることがあります。
私なりの結論は、シンプルですが競技レベルが高いからだと思っています。各大学の選手たちがタイトルを獲得するために毎日必死に練習をして、スタッフが必死にスカウティング、選手のケア、スケジューリングをしているからこそ競技レベルが向上し、それを大会で本気でぶつけ合うからこそ、感動やドラマが生まれて人が集まってくるのだと思っています。レベルが低ければ当然お客さんは集まってきません。
学連もまた、各大学の選手スタッフの日々の努力に支えられています。チーム関係者の皆様には最大限のリスペクトを送りたいです。
バスケ好きの高校生や、大学生がいたら是非学連について調べてみてください。もし学連に入ったならば、非常に充実した4年間を過ごせるとともに、たくさんの縁や経験を得られると思います。
最後に
体育会生活において数えきれない程の失敗をしました。そして数えきれない程たくさんの人の支えでその失敗を乗り越えてきました。もし大学生活をやり直せる機会があったとしても、私は体育会バスケットボール部に入って、学連の活動がしたい。そんなことを思わせてくれる組織です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
追記:私の引退は12月17日のインカレ決勝です。4年間の活動を締めくくるべく、最高の大会にしますので、是非会場でお会いできればと思います。