「苦難の向こうに」
はじめに
慶應義塾体育会バスケットボール部4年選手の山口智大と申します。
はじめに、普段より慶應義塾体育会バスケットボール部のご支援をしてくださる多くの方々に感謝を申し上げます。様々な方々からのご支援によって、充実した4年間を送ることができました。本当にありがとうございました。
実は、私は今年の6月にもブログを執筆しております。その時にかなり気合を入れて書いてしまったため、今回何を書くか非常に悩みました。
とはいえ、この文章を今お読みになっている方々はおそらく私の前回の投稿も既に読破済みだと思いますので(?)、今回は前回とは少し違う内容を書かせていただきます。もし未読の方がいらっしゃいましたら、是非ご覧ください。私の考える「慶應義塾体育会バスケットボール部の魅力」が詰まっております。OBの方々にも「良く書けていたよ」と褒めていただきました(笑)。
2年生の頃に書いたブログでも、前回書いたブログでも、「試合に出られない中でどのようなマインドセットを持つのか、どのようにチームに貢献するのか」という内容で執筆させていただきました。今回はその苦しかった3年間を超えてプレータイムを得た今年1年間の話をさせていただこうと思います。また、4年間を終えた私の本音を叫びたいと思います。
拙い文章ではございますが、どうぞ最後までお付き合いください。
早慶戦
思い返せば前回のブログ執筆は早慶戦直前でしたね。同期の選手4人の活躍を見ながら3年間1秒も早慶戦のコートに立つことができなかった自分にとって、文字通り一生に一度の夢舞台でした。「あなたにとって早慶戦とは?」という問いに答える企画を他部活が行っていましたが、私にとっては「憧れ」で「夢」で「モチベーションの根源」で「目標」と、一言では表せません。自分にとって早慶戦はそれだけ大きなものであったので、いざ試合に出るとなっても実感が湧きませんでした。
当日はあのバスケットボールの聖地である代々木第二体育館を満員にするような観客が入り、東京都の中堅どころの高校出身の自分にとっては全く経験したことのないような大舞台でした。館内に直筆サイン付きで自分の手型が飾られるし、モップは提供の日清食品さんのカップヌードルだし…(笑)。終わって半年経った今でも、とにかく「凄かった」としか言い表せません。
圧倒されている間にも自分の出番は迫ります。「おそらく髙島の控えとして2ピリや3ピリで10分程度機会を頂けるだろう」と考えていたので身構えていましたが、いざ自分の名前を呼ばれた時でも相変わらず実感が湧いておらず、「本当に出るんですか!?!?!?」と心の中ではパニックになっていました。
(世代日本代表選手とのマッチアップ、夢のようです)
試合中の話の詳細は割愛させていただきますが、結果としては2得点2アシストと、これ以上無い満足いくプレーをすることができました。まさか自分が早慶戦でシュートを決めることができるとは夢にも思っていませんでしたし、ベンチに戻って試合中にも関わらず一人で嬉し泣きしてしまいました。このスタッツでここまで喜べるのは、自分で言うのも変ですが苦労してきた特権ですね(笑)。前回の投稿では散々「チームのため」と繰り返してきた私ですが、やはり自分が活躍できると嬉しいものです。とにかく夢中だったのでプレー中の景色をほとんど覚えていないのが少し残念ですね。応援席やベンチまで見る余裕はありませんでした。
とはいえ、やはりチームとして勝てなかったのは悔しかったです。ラスト10分まで接戦であったのもあり、あの早稲田が相手でしたが「勝てない試合ではなかった」と今でも思ってしまいます。私の「夢」の続きは頼れる後輩たちに任せるとします。
最後の夏とリーグ戦
早慶戦の興奮も冷めやらぬうちに自分達最上級生にとっては最後の夏が訪れましたが、私の足は限界を迎えかけていました。両足のすねが疲労骨折寸前という診断を受け数週間全体練習から離脱し、何とか夏合宿で復帰したものの、次は膝に痛みを抱えてしまいました。足首と足裏にも以前から慢性的な痛みを抱えていたため、文字通りボロボロでした。「ようやく面白くなってきたのに、なぜ今になって」とやり切れない想いで練習を眺めていたのをよく覚えています。そして私の復帰も間に合わないままリーグ戦第一週目を迎えます。
細かい話は誰かが書いてくれると思うので、ここでも詳細は割愛します(笑)。結果としてチームは12チーム中3位という成績で、目標としていた2部昇格まであと一歩でした。上位2チームの壁は厚かったですが、昨年度よりも順位を上げ、自分たちが1年間積み上げてきたものは決して間違っていなかったと今でも確信しています。思うように体が動かず苦しい時期もありましたが、個人としても納得のいくシーズンを送ることができたと思っています。
伝えたい「本音」
私の4年間、特にはじめの3年間は他の人と比べても本当に苦しかったと思います。1年生の時は一度も4年生と練習をさせてもらうことができませんでした。2年生になっても自主練習の時間では後輩のシューティングのリバウンドをしました。3年秋の段階でも練習内のスクリメージ(5対5の実戦練習)で一切プレータイムを貰えず、やっと最上級生になったと思ったら病気で入院し長期離脱。やっと復帰してもシーズンインのミーティングで、その時点では髙島(3年生)の控えの菊池(2年生)の更に控えだと間接的に言われてしまいました。何度親に電話越しで泣き言を言ったか分かりませんし、何度筋分解覚悟でやけ酒をしたか分かりません(笑)。終わりよければすべてよしとは言いますが、それにしても辛い時期が長すぎました。
それでもこれだけは言わせてください。私はこの部に入ったことを後悔していません。もう一度大学生活をやりなおしてもいいよ、と言われても、私は絶対に慶應バスケ部に入ります。
体育会生として活動する中で、「体育会で4年間活動をする意味」について考える機会が何度もあります。私たちのチームでも、その議論に関して社会人スタッフを交えてミーティングをしたことがあります。スポーツが上手くなるからでしょうか?体力がつくからでしょうか?就活で話せる内容が増えるからでしょうか?何年も年上の先輩方のお話を伺っていると、どうやら社会に出た際に「あ、体育会で続けてきてよかったな」と思うことがあるそうです。「引退して初めてわかることもあるよ」という言葉が頭に残っています。
人は自分の成長の瞬間を自覚できない、と私は考えています。成長した後しばらく経ってから、なんらかの機会があった時にはじめて、「自分って成長していたんだな」と感じるものではないでしょうか。話を聞いていると、この「機会」と本格的に出会うのが社会人になった後だそうなので、おそらく私は現段階では体育会で4年間やり抜いた恩恵を十分に実感できていないでしょう。これを執筆している段階ではまだ引退してから2週間と少ししか経過していませんからね。
とはいえ、その短い2週間の中でも「続けてきてよかったな」と実感するシーンが何度かありました。大学より前のステージでバスケットボールをやめた友人と久々に再会し、自分の大学バスケ部での話をした時。高校の恩師に引退の挨拶をしに行った時(もちろん湯浅HC(現体育会HC)も恩師です!)。その中で、自分の置かれていた環境が如何に熾烈で、同時に如何に幸せで恵まれていたのかを実感しました。どうやら知らず知らずのうちに私は大きく成長していたようです。
自分の成長を実感する機会は社会人になってからもまだまだ多くあると思いますし、むしろこれからが本番ではないでしょうか。そう考えるとわくわくしてきませんか?この充実した4年間を乗り越えた自分が一人の人間としてどれだけ成長しているのか、社会という厳しい環境の中でどれだけやっていけるのか。早く社会人になりたいなと思ってしまう自分がいます。”社会”を舐めすぎ、と怒られてしまうかもしれませんね(笑)。OBの方々がおっしゃっていた「引退して初めてわかることもあるよ」という言葉の意味が少しずつ分かり始めてきました。
ここまでをまとめると、私は4年間の体育会活動で「苦労している時は実感できないけど、実感できていないだけで裏ではしっかりと成長している」という成功体験を壮大なスケールで体験できたということになります。社会に出れば苦労することだらけだと思いますし、これが如何に貴重な体験だったかを今になって実感しています。もしこのブログを読んでくれている後輩がいるならば、この場をお借りして伝えたいです。どんなに苦しくても、どんなに実感できていなくても、お前は絶対に成長しているぞ。あの山口さんでさえ早慶戦でシュート決めて笑顔で引退できたんだから、みんななら大丈夫。これからも応援しています。
思うままに執筆しているうちに、気が付いたら後輩たちへのエールになっていました。本当に頼れる自慢の後輩たちです。髙島や廣政をはじめ、普通に生きていたらなかなかお目にかかれないような高いレベルの後輩たちに囲まれ(194cmのマッチョもいました)、最高のラストイヤーを送ることができました。スピード感やバスケットIQ的な面でついていけず迷惑をかけたこともあるとは思いますが、これからも仲良くしていただけると嬉しいです。
彼らが来年インカレの舞台に挑戦する権利を用意してあげられなかったことだけが、先輩として私の唯一の後悔です。
おわりに
このブログは同期や両親への感謝を述べて締めるというのが定例ですが、今回は敢えて違う締め方をさせていただきます。同期や両親には常日頃から感謝を伝えております!
受験生として迎えた冬、私は冬期講習の休み時間に慶應の先輩方のブログを読むことで勉強のモチベーションを高めていました。慶應のバスケ部にどうしても入りたかったため、センター入試(当時)の勉強も一切せず、慶應の対策のみを行っていました。もちろん慶應以外の大学は受けていません。
前回のブログの繰り返しになりますが、私をそうさせたのは2019年の早慶戦です。本当に”アツい”試合でした。自分にとって、あの代の最上級生の方々はまさにヒーローです。バスケットボールの技術的な面は無理でも、せめてその生き様や姿勢だけでも、自分もああなりたいと強く思いました。
では私は、私たちは、ヒーローになれたでしょうか?偉大な先輩方の背中を追うという意味も兼ねて今年のスローガンは「奮軌」でしたが、私たちは先輩方のように輝かしい軌跡を残すことができたでしょうか?その答えが分かるのは、それこそ私たちが社会人になった来年の春かもしれませんね。来春、入部希望者激増の知らせが来るのを心より願っております。
あの日私が偉大な先輩方に憧れ入部を決意したように、私たちのプレーを見て入部を決意した高校生が一人でもいるならば、それ以上の幸せはありません。そうやって慶應義塾体育会バスケットボール部の魂は受け継がれていくのだと考えております。いつになるかは分かりませんが、また慶應が日本の頂点に立った時、私たちの残した精神が少しでもその偉業達成の一助になっていれば、本望です。
長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。今後とも慶應義塾体育会バスケットボール部の応援を何卒よろしくお願いいたします。