ラストブログ 岩片悠馬

はじめに

誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。

私、本年度慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに、体育会バスケットボール部所属の岩片悠馬と申します。

卒業ブログを書くにあたって、私は常に環境に恵まれていたなぁとつくづく思いましたので、そのことに触れながら自分のバスケ人生について振り返っていきたいと思います。

2019年の早慶戦後にもブログを書かせていただいているので、少々重複する部分もございますが、どうぞ最後までお付き合いください。

高さ

私が大学バスケで選手を続けてこられたのは、元をたどれば身長と少しだけジャンプ力が高かったことにあります。私は身長が188センチで大学バスケではそれほど高い方ではなく、むしろ平均くらいだと思います。

私が一年生で入部した当時、私の身長は188センチでした。下級生の中では私が最長身でしたが、当時のバスケ部には、4年生に190センチを超える選手が3人いらっしゃいました。従って、次の年にはその3人が卒業してしまい、私がチームで最も身長の高い選手になってしまうわけです。

実は私が初めて試合に出してもらったのは1年目の5月末で、同期の中では一番早かったような気がします。他の同期に比べ、技術も経験も劣る自分が、第4ピリオド残り少ないタイミングで試合に出ることができたのは、ただ高さによるものだと思います。

実際に4年生が卒業してから少しずつ試合に出していただける機会が増えましたが、どんな時も私の役割は高さを生かしたリバウンドでした。

メンタル面での問題が多かった自分が、選手としてチームに所属できていたのは、たまたま高さがあったからであり、同期はもちろんですが特に先輩方には迷惑をかけっぱなしだったと思います。

新型コロナウイルス

環境に恵まれたという話をする上で、コロナについて取り上げるのは少々不謹慎かもしれませんが、コロナがあったからこそできたことが、多々あったのも事実です。

2020年の試合数が減ってしまったこと、体育館で仲間と会って練習する回数が極端に減ってしまったことは残念でした。しかし外出や練習ができない分、ミーティングやチームについて考える時間に多くの時間を費やすことができました。

今年のチームにはスター選手がおらず、よりチーム力が必要とされるチームでした。

もちろんその認識は全員にあり、コロナで練習ができなくなるまでの練習では全員がとにかく頑張っていました。しかし、ただ練習の場で頑張るだけでそれぞれが考え必死に取り組んでいるわけではないので、どこか空回りしていました。

もしコロナがなかったらその状況が長く続いてしまっていたと思います。最終的に誰一人欠けることなく全員がそれぞれの役割に「徹」するチームが出来上がったのはコロナ禍でそれぞれが考え直すのに、十分すぎる時間ができたことにあると思います。

今年のチームにとってコロナがマイナスではなくプラスであったのは間違いないと思いますし、そう言い切れるくらいに後輩たちも必死についてきてくれていたと思います。

2020年の早慶戦は結果を悔しいものになってしまいましたが、それぞれが役割に「徹」した間違いなく最高の試合でした。

この最高の早慶戦が引退試合になったのもコロナがあったからこそです。

私のバスケ人生は本当に「人」に恵まれていたと思います。バスケを始めるきっかけを作ってくれた小中学校時代の仲間や、私のわがままに真剣に向き合ってくれた高校時代の仲間も素晴らしい人ばかりでしたが、ここでは大学バスケ部で出会った「人」について書かせていただきます。

〜先輩〜

他の人のブログを読んだ方ならもうご存知かもしれませんが、慶應のバスケットボール部は、常にチームのことにチームにいる意味ついて考えることが当たり前であり、それぞれが強い意志も持って活動しています。それを自分よりも早く始め、長く経験している先輩方が偉大であることは疑いようもなく、毎日が学ぶことばかりでした。

それに加え本塾バスケ部の先輩方は、後輩を気にかけてくれる先輩ばかりでした。プライベートでも本当にお世話になりましたが、問題ばかりだった私を見捨てず自分事のように向き合い、アドバイスや注意をくださる方ばかりで何度も助けていただきました。時には厳しい言葉もいただきました。

その中でも私が2年の時に当時4年生だった小川さんと鳥羽さん(共に2019年卒)に部室でお叱りを受けたときのことは良く覚えています。トレーニング中に問題を起こしたことについての注意をきっかけに、私の部に対する姿勢についてまで話が広がりました。その際に、今のまま成長したところで、引退後もお前のことを応援したいとは思わないといったご指摘をいただきました。

この言葉が私の考え方、姿勢が変わるきっかけになりました。この時、同期の津野地も一緒だったのですが、先日津野地とあった際もこの時の話をしました。それほど印象的な出来事だったわけで、改めてそういった注意をいただける先輩方と出会えたことのありがたみを感じました。

どなたも尊敬できる素晴らしい先輩です。

〜後輩〜

強い意志と最上級生すら引っ張っていきそうな勢いを持った3年生、爆発力に加え高さもあり、能力者揃いの2年生、コロナで秋からの入部であったのにも関わらず、見事にチームに足りなかったピースを埋めてってくれた1年生、後輩には本当に恵まれていました。

今年のチームは責任感の大きい仕事を後輩に任せることも本当に多かったと思います。

特にスタッフが少なく、学生コーチやトレーナー、主務などの重要な役割や仕事も下級生に頼っていました。

チームを作る上で重要な仕事が多かったので、下級生に任せていいのかわからず、ミーティングも何度もしましたが、今では任せてよかったと思っています。

プレー面でも、今年の走るバスケを40分間100%で続けることができたのは、全員が試合に出ることの出来る体力、走力に加えそれぞれの武器を磨き、層の厚いチームになったからです。

長いプレータイムと責任に悩んだ人、少ないプレータイムで力を出し切りチームのために「徹」してくれた人、それぞれに多くのことを求めてきました。もちろん選手スタッフ問わず何があっても責任は4年がとるから思い切ってやって欲しいとはいっていましたが、それぞれにかかっているプレッシャーは相当なものだったと思います。

1年間ついてきてくれてありがとうございました。引退後も応援し続けたいチームです。

全員が役割に「徹」した素晴らしい後輩たちです。

〜同期〜

同期として一緒に活動してきた仲間は個性豊かで素晴らしい人ばかりでした。特に最後まで一緒に走り続けてきた9人は大学生活で得た最も大切な宝です。杉田もブログに書いていましたが、本当に家族のような存在です。気を使わずなんでも言い合える関係にある友が、たった4年間で9人も増えることなんて今後の人生では起こらないと思います。それだけ充実した4年間をともにした同期には感謝しかありません。

ブログを読んでいただく方にはそれだけ大切な仲間に恵まれたことが伝われば十分なので、それぞれに対する思いはここでは伏せておきます。気になったら直接話す機会に聞いてください。答えるかはわかりませんが(笑)。

最高の同期

最後に

引退してからもう2ヶ月以上が経ちました。今は、中学からバスケを始めて以来、久しぶりにバスケから少し距離を置いた生活をしています。バスケのある生活、常に成長できる環境に置かれたバスケ人生が、どれだけ充実したものだったのかを実感しています。しつこいようですが本当に環境に恵まれていました。

もちろん、背が低かったら、コロナがなかったら、周りの人が違う人たちだったら、今恵まれていたと思っている環境と異なる環境に置かれていたとしても、それはそれで、自分が置かれた環境を恵まれていると思うかもしれません。「背が低かったから〇〇できた」や「1年間体育館での練習が続けられたから〇〇できた」と感じ、もしかしたらそっちの方がうまく行ったこともあるのかもしれません。

それでも、実際に振り返ってみて、この環境が間違いなく一番だったと思えるような経験ができたという事実が最も重要なのだと思います。

そう思うことができれば、すべてのことに感謝ができると思いますし、その後にどんなことが起きたとしてもそれをプラスにとらえる、成長のきっかけにすることだってきます。

素晴らしいバスケ人生、大学生活を送ることができました。

本当にありがとうございました。

そして、これからも慶應義塾体育会バスケットボール部への応援をよろしくお願い致します。