はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
慶應義塾大学法学部政治学科4年の津野地宥樹と申します。
現役時は選手と広報担当を兼任させていただいており、昨年末に行われた早慶戦を以て引退となりました。
昨年は新型コロナウイルスの流行により様々な活動が制限され、試合が出来ずに引退するスポーツ選手が多くいた中で、無事トーナメントと早慶戦を行うことが出来ました。
これはOB・OGの方々や父兄、応援してくださる皆さんのご尽力があったからこそです。誠にありがとうございました。
そして現役時代、私が広報担当として先輩方に執筆をお願いしていたラストブログ。
早いもので自分が書く側になり、改めて4年間を振り返りました。
「こんなにも自分のことを見つめ、省みた日々はないだろう。」
私の大学生活はそんな4年間でした。
1年生時から3年生時にかけて味わった挫折は以前 ブログ に書いてしまったので、今回はその挫折を含めた4年間での経験の中でも、特に重要だと感じるものを3つだけ紹介したいと思います。
最終的に誇れる結果を出すことが出来なかった私ですが、少しでもこの文章を見てくれている人のためになれば幸いです。
チームにいる意味とはなにか
これは前回のブログにも書きましたが、私が4年間を通して最も自分に問いかけてきた言葉です。
ただ闇雲に頑張るのではなく、自分はなぜチームに存在しているのか、どうやって存在意義を発揮し、チームに貢献していくかひたすら考える。
そして周囲を観察・分析し、それらと照らし合わせた上で自分の長所を徹底的に伸ばす。
この考えが自分よりレベルの高い集団で存在意義を発揮するためには、非常に重要であるということを学びました。
身長が184cmと大学バスケットボール界では標準かむしろ小さいくらいの私が選手として存在価値を発揮するためには、人よりも筋肉が付きやすく体重を増やしやすいという強みを徹底的に磨く必要があると考えました。
そこで、筋トレに打ち込むのは勿論のこと、スタッフに協力してもらいダミーやポールなどで実際にコンタクトをしながらプレーをする練習や、時には1食で牛丼特盛と並盛りを同時に食べたりしたおかげ(せいで)、一時期は184cm97kgとあともう一歩で0.1トンに迫る程体を大きくすることができました。
ここまで体重を増やし過ぎてしまうと、逆にスタミナやクイックネスが失われてしまったため最終的にはパワーを発揮しつつ長時間走れる体重まで落としましたが、この「フィジカルの強さ」を評価してもらえたからこそ、全く練習にも入れなかった私が部内戦や試合に少しではあったものの出していただけるようになりました。
また、こうして長所を伸ばし機会を貰えたことで、徐々にではあったものの短所であったシュート力なども向上させる事が出来ました。
このような経験を通じて、ただ闇雲に全てを頑張って自分の短所を平均点に近づけられるよう努力するよりも、周囲より少しでも秀でている長所を見つけ徹底的に伸ばす。そうすることで、チームで存在価値を発揮する事が出来るし、短所克服にも繋がるということを学ぶ事が出来ました。
正解のない努力
これは大学に入学してから一番戸惑ったことです。
大学入学まで、勉強ではあらかじめ用意された教科書やテキストを暗記し、解法を身につけることが正解とされていましたし、部活動ではコーチが決めた練習スケジュールや指針をより高いレベルで体現する事が正しいとされていました。
しかし体育会バスケットボール部では、何をして、何をしないかまで全てを学生が主体となって決めます。
そのため、時には練習をせずにミーティングをして本気でぶつかり合うこと、休養をとることをもありました。
また、ダンスを練習に取り入れてみたり、勉強会を開いたりすることだってありました。
このように正解なんてものは存在せず、無限にある選択肢の中から自分やチームが心の底から「これだ!」と思えるもの納得のいくまで徹底的に話し合い選びとる必要がありました。
そして一度この道で行くと決めたら、揺るがない覚悟と共にその選択を成功へと近づけるよう努力し続けるのです。
私にはこの正解のない中から自ら道を選びとり、努力するという姿勢が圧倒的に欠如していました。
そのため1年生時は、実力がないのにも関わらずただ単に練習に参加するのみ。先輩から何度も指摘を受けましたが、何をどう頑張れば良いのか自分では分からないという始末。
その後前回ブログに書いたような紆余曲折を経て、チームで存在価値を発揮するために選手とスタッフを兼任するという少し変わった立場を選びました。
しかしそこからも順風満帆というわけにはいかず、スタッフとしての仕事の比重が重くなってしまい、当時の先輩たちから「選手としてチームにいるからにはもっと選手として出来ることを最大限努力しろ」と注意を受けてしまいました。
それからはどうしたら選手とスタッフを両立できるか必死に考え、自分の中でルールを作りました。
そうして踠きながらもスタッフを兼任し、選手から一歩俯瞰してチームを見ることで、以前まで見えてこなかったことに気づき行動できるようになりました。
このように、自ら考え抜き、覚悟を決めて一つの道を選ぶ。
そして選んだ道を一歩でも正解に近づけられるよう努力した経験というのは、自分にとって大きな転換点となりました。
友
今まで偉そうなことをつらつらと書いてきましたが、この4年間で得られた最大の財産は「友」です。
まさか自分がこんなクサいことを言うとは現役時は思いませんでしたが、引退した今、胸を張ってそう断言する事ができます。
この「友」というのはバスケットボール部の先輩、同期、後輩、そして同じスポーツに大学生活を捧げる同志である他部活のことを言います。
公私共に数えきれないくらい様々なことを教えてくださった先輩方、苦楽を共にした同期、私なんかのことを慕ってくれた可愛い後輩、そしてバスケットボール部にいるだけでは気づけなかった視点を与えてくれた他体育会生。
友との出会いは刺激に満ち溢れ、私の世界を広げてくれました。
また、友の存在があったからこそ、僅かではあるものの成長することが出来ました。
これからは、自分と繋がってくれた人たちに少しでも刺激を与えられ、恩返しが出来るよう自己を磨いていきたいと思います。
最後に
私は約1ヶ月半後の4月から社会へと羽ばたきます(卒業できれば)。
そこでは、今までと同じかそれ以上に自分よりも能力のある人達と出会い、挫折し、悩むだろうと今の時点から確信しています。
ただ私には体育会バスケットボールで培った経験があります。
この4年間で得た考え方や経験に誇りを持って、時には友に頼りながら社会に貢献し続け、そして、出会う人たちに「慶應義塾体育会バスケットボール部出身の人はさすがだね」と思ってもらえるような人間になることで、このチームに恩返しをしたいと思います。